nowhere | ナノ


▼ 26



痛いの、やだな。だから来なければ良かったんだ。まったく、どうしてこうなったんだろうか。全て投げ出してしまいたい。そう諦めたくなるけれどまだ死ぬわけにもいかないし、かと言ってこの人たちを先に進ませるわけにもいかない。なんて中途半端なんだろう、私は。

生温かい赤い液体が頬を伝った。痛い。辛い。苦しい。今まで実戦に立ってこなかったツケが回ってきたのかもしれない。屯所の中でデスクワークに没頭していた過去の自分では味わったことのないものが一気に目の前に突き付けられた気分だった。

「さっきまでの威勢はどこいったんだァ?セプター4さんよォ」
「…今のは、準備運動ですよ。負け犬の遠吠えもいい加減にしてください」
「ほんっとに口の減らない姉ちゃんだな」

まったくだ。どうして今日に限ってポロポロと口から悪態ばかりが零れるのだろう。溜め息を吐き出して切れた頬を拭う。やっぱり3対1だと分が悪い。それでなくても私は弱いんだから少しは手加減してほしいものだ。内心愚痴りながらサーベルを握る手に力を入れる。大丈夫、まだやれる。

不意に視界が陰った。また来た。転がるようにして横に避ければ今まで私がいた場所に重たい鉄パイプが突き刺さる。あの場に止まっていたらと思うとゾッとするが、なんとなく相手の力の正体が分かってきた。スカートについた埃を払って私は口を開く。

「ストレインが三人も揃うと厄介ですね。それぞれが違う能力を持っていられると対処に困りますから」
「なるほど。今まで逃げてばっかりだったのは俺たちの能力を知るためだったってわけ」

それは半分正解で半分不正解だった。でも、口に出すのはやめた。確かに能力を見極めようと思ってはいたけれど、それ以前にどうやって戦えばいいのか分からなかったなんて説明したら情けないだろうし。これ以上恥を晒したっていいことはない。少しは余裕を見せておかないと、危機意識をなくして襲いかかってくるかもしれない。

一人の能力は瞬間移動。自分自身をその対象にすることが出来れば、さっきの鉄パイプのような物を対象にすることも出来る。所謂トリッキーな戦い方をする能力者。

二人の能力は爆発。でも、見ている限りでは攻撃範囲はそこまで広くない。どっちにしろ近距離で戦うしかない相手だ。つまり、経験上接近戦が得意でない私とはあまり合わない。出来ることなら戦わずに済ませたい。

最後はまだ確かではないけど超音波のようなものだと思う。どこからそんなものが発せられているか、おそらくマスクの下にある口だ。それに加えてこの高い建物に囲まれた狭い路地裏。反響するから威力は高まる。

「(なら、先にあの超音波を何とかして、他の二人を上手く相討ちにさせる)」

状況は完全に劣勢。だけど、頭だけは冷静でいられた。あとは頭に身体さえついて来てくれれば倒すまではいかなくても動きを封じることぐらい出来るかもしれない。いや、出来なくてはいけない。サーベルを握り直して地面を蹴った。目標は、マスクの奴。

「おおっ、ご指名ですか!」
「そうですから大人しくしてください!」
「あー、無理無理。僕も死にたくないからさ!」

サーベルの切っ先が男の頬を掠めた。それと同時に頭に鋭い痛みが走って思わず顔をしかめる。近付くと音波が直で当たる分、影響が大きい。あまり長引くようならこっちの身体にガタが出る。そうなる前に終わらせなければこっちが先にやられることになる。

私の攻撃は当たっていないわけではないんだ。それに、相手は能力があるだけで武器は何も持っていない。数打ちゃ当たるとは言わないけれど、こっちにも勝算はある。そう確信して無防備な顔面に凶器を突き出した。

「狙いはいいけど、残念でした」

急に目の前に現れた輝く何かを見て一瞬、時が止まったかのように感じられた。だが、それが瞬間移動したガラスの破片だと理解して一気に体温が下がる。まずい、このまま前に進んだら全身に突き刺さる。すぐさま足を止めて身体を反転、横に転がった。

空いた右手に避けきれなかった分の破片が傷を付ける。だけど、ここで止まるわけにはいかない。足を踏ん張り身体を捻らせながら二撃目を喰らわせようと試みる。だが、その刃が当たる寸前、男は眉を下げて笑った。

「残念、時間切れ」

突然、視界が歪んだ。空と地面がどっちにあるか分からないぐらいに目が回る。それから頭が割れるかと疑うほどの激しい頭痛。遅かった。三半規管をやられた。それに気付いた時には既に身体は吹き飛ばされていた。

「―――…ッげほ、ゴホッ」

壁に背中から打ちつけられて言葉にならない声が出た。それから肺が酸素を拒んでむせかえる。痛い、全身が悲鳴を上げている。何度か咳き込めばヌルリと赤いものが手を汚した。ああ、肋骨をやってしまったかもしれない。

「おら、逃げないと死ぬぞ」

その声を聞き終えた直後に視界の隅に捉えた火花のようなもの。駄目押しの一撃とか、ほんと容赦がない。でも何とかしないと、やられる。もう動きたくないと叫び声を上げる身体を叱咤してサーベルを思いっきり横一線に振り払った。

青の斬撃が火花とぶつかって爆発。あれが自分の元で爆発していたら今頃私の身体は粉々になっていたかもしれない。実戦で力を使ったことなんて一度もなかったけれど上手くいって良かった。やっぱり宗像室長、感謝です。安堵の息を吐き、巻き起こった爆風を全身に浴びながら何とか立ち上がった。

「意外とやるじゃねぇか。たった一人でよ」
「…戦っているのは、私だけじゃないので。こんなところで、…負けるわけには、いかないんです」

気持ち悪い。目が回る。頭が痛い。ふらつく。でも、絶対に逃げたくない。負けたくない。こんなところで弱腰を見せて背中を向けたくない。その一心で剣を握り、相手を睨み、足の裏を地面につけて立っていた。一瞬でも気を緩めれば意識を飛ばすかもしれない。それぐらい極限の状態だった。

「仲間、ねぇ。どうせお前みたいなのは上の奴らにとってはただの捨て駒だろ。そこまで頑張る必要なんてあんのかよ」

呆れたように吐き出された言葉にまた苛立った。口角が上がった。だから何だよ。サーベルを振り払い、もう一度力を放てば向こうもそれを相殺させるように能力を使う。爆発。それから脳内を掻き回すような音。倒れそうになるのを必死に堪え、笑った。

「…貴方たちと、一緒にしないでくださいよ」
「ああん?」
「仲間を自分たちの利益の為だけに簡単に殺しておいて人のこと知ったような口利かないでくださいって言ってるんですよ」

確かに私は捨て駒かもしれない。だけど、捨て駒も捨て駒なりに一生懸命になってもいいじゃない。だって、まだ終わるわけにはいかないから。やりたいことがたくさんあるから。大切な人のもとに、帰りたいから。

「貴方たちのことは、私が止めます。必ず」
「…ああ、そうかい。最後までウゼェ野郎だったよ、お前は」

足音が近付いてくる。もう、視界はぐちゃぐちゃに歪んでいてよく分からない。頭もすごく痛くて、身体中も痛い。意識が朦朧としてきて、今どこで何をしているのか分からなくなる。何も考えたくない。何も考えられない。それでも剣は握りしめたままだった。

「死に損ないは、さっさと消えろ」

負けたくない。死にたくない。こんなところで終わらせたくない。これ以上痛い思いをしたくない。沈黙した身体を必死に動かそうとしながら恐怖を感じ、目を瞑る。誰でもいい。欲なんて言わない。だから、誰か助けてよ。だけど、声にはならない叫び声は誰にも届きやしない。そう、思っていた。

「誰が死に損ないだって?」

誰かの悲鳴にも似た声が聞こえたような気がする。それから慌てるような声がして、他にも何か別の音がする。でも、そんな誰かも分からない声は、音は、この際どうでも良かった。ただ、その聞き慣れた声だけで十分だった。ぼやける視界に映った見慣れた姿だけで十分だった。

「ふしみ、せんぱい…」

どうしてこの人はいつも私が望む時に来てくれるのだろう。本当に謎だった。お荷物センサーでも働いているんだろうか。そんなどうでもいいことを考えながら、ふと思う。何かが違う、と。はっきりとしたことは何も言えないけれど、何かがいつもと違う。

「ッ青服…、増援か!」
「増援?安心しろ、ここには俺しか来ちゃいない」

違う。おかしい。でも、何が?警報にも似たものが頭の中で鳴り響いて途切れかけていた意識を繋ぎ止める。それから必死になって答えを探し出そうとした。目の前に広がる光景を焼き付けて、耳に入ってくる全ての音を記憶して。

だけど、私が答えを導き出す前に赤く染まった刃は躊躇なく振り下ろされていた。

「だから、安心して俺に殺されろよ。このクズ野郎共」

血飛沫が飛ぶのを私は呆然と眺めることしか出来なかった。ああ、そうか。ようやく何が違うのか分かった。笑っているんだ。愉しそうに、でもどこか苛立たしげに。そしてその瞳には私なんて映っていない。その瞳に中にいるのは、獲物となった彼らだけだった。

止めなければいけない。直感でそう思った。このままにしていたら壊れてしまう。そんなの嫌だ。そんなの、怖い。鉛のように重く感じる足を無理やり動かして、今にも命を奪おうとしている腕にしがみつく。それから今まで出したことがないくらいの声で、叫んだ。

「っ、やめてください伏見先輩!こ、この人たちは先に私と戦っていたんですよ?倒すとか殺すとか、そ、そういうことをする権限は私にある筈です!だから…」

支離滅裂。自分でも何を言っているのかよく分からない。殺されかけたところを助けてもらっておいて何を言っているんだ、私は。いつからそんな偉い身分になったんだ。でも、必死だった。絶対に止めなくちゃいけないと思った。

「…天風、」

びくりと肩が揺れた。振り返った先輩はちゃんと私のことを見ている。今まで存在すらないかのように敵だけを見ていた瞳にははっきりと私が存在している。そのことに安堵はした。だけど、今度はあの狂気にも似た感情の標的が私になるのではないかと恐くなった。

怒られると思った。勝手なことをして、仕舞いにはこんな醜態まで晒してふざけんなと怒鳴られると思った。殴られてもおかしくない。私自身そうなることは予想していたし当然だと受け入れている。だから、私に向かって先輩が手を伸ばしたのを見て、ぎゅっと目を瞑った。

だけど、痛みはいつまで経ってもやって来なかった。代わりに温かさがすぐそこにあった。急なことで既に頭が回らない状態だというのに更に混乱して動けそうにない。辛うじて口を動かしてみたものの、ただ名前を呼ぶことしか出来なくて。

「伏見先輩…?」
「…悪い」

吐き出された声に目を見開いた。やっぱり思考はぐちゃぐちゃで、足元もふらつくし視界も歪むしでもう何が何だか分からない。だけど、どうして。なんで。らしくないですよ、こんなの。いつもみたいに頭を叩いて舌打ちの一つぐらいしてください。馬鹿だろって言ってください。

「…悪い、天風」

貴方が謝る理由なんて、どこにもない筈なのだから。





prev / next

[ back to top ]



「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -