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相変わらずといえばいいのか、街はたくさんの人にまみれていて騒がしい。いろんな人がいる。老若男女。人間以外にペットとして存在している動物。そんな中に普段の制服姿では浮いてしまうような私みたいな人間も、私服というオプションで紛れ込むことに成功していた。
こんな中にいたら誰がストレインかなんて分かる筈もない。もしかしたら今すれ違った人がそうなのかもしれないのだから。私には実戦経験もほとんどない分、そういう勘も働かないから本当に役に立たない存在だ。そう考えると、やっぱり私はずっとデスクワーク専門なのかもしれない。
だけど、そんな人混みとは無縁にも感じられる場所がそこにはあった。あまり人通りも多くない、それでいて路地裏とは違って明るい場所だった。そこに私の目的地となる店があった。
淡島副長からもらった地図で確認してから看板に書かれている文字を見る。HOMRA。完全に一致した。なんだか予想していたよりも普通の店のようで一安心。ホッと安堵の溜め息を吐いてからドアを開け、そして硬直した。
「(や、やっぱり普通の場所じゃなかった…!)」
突き刺さるような視線を一斉に受けて動けなくなる。中には客らしき人たちがいたけれど、どう見ても柄が悪い。やっぱりゴロツキの溜まり場だったのか…!でも淡島副長の行きつけって言ってたし、どういうことなんだ…!
「あれ?お客さんだ。珍しいこともあるもんだなぁ」
聞こえた声にハッと我に帰る。気づけば一人の男の人が私の前にいて、こんにちはと微笑まれた。あれ、なんだか普通そうな人もいる。いきなりのことに一気に力が抜けて呆然としてしまったが慌てて頭を下げた。
「こ、こんにちは。えと、このお店に草薙さんって方はいらっしゃいますか?」
「おー、それ俺のことちゃうか」
カウンターバーの向こう側にいた男の人が手を上げる。ああ、確かバーのマスターって淡島副長が言っていた。なら、あの人のことで間違いないのだろう。いつもの癖で失礼しますと言ってから店の中に入り、少し小走り気味でカウンターまで向かう。
「あの、ふくちょ……じゃなくて、淡島さんから預かっているものがあるんですけど…」
一般人を装わなければ。自分がセプター4であることがバレてはいけない。バレたら蜂の巣にされる。そんなの冗談じゃない。淡島副長との会話を思い出して身を震わせながら切り出せば、その男性は少し驚いたようにサングラスの向こうにある瞳を瞬かせた。
「まさか世理ちゃんが代理出すとは思わんかったな。お嬢ちゃん、世理ちゃんの友達かなんかなん?」
「い、いえ!私はただの部下みたいなようなもので…」
淡島副長の友達だなんて恐れ多い。勢いよく首を横に振って、それから自分の失態に気づく。し、しまった。部下だと言ってしまった。もしかしてバレてしまったのでは?いや、でも淡島副長がこの人に自分の素性を話していなければ問題ない、はず。
ちらりと男性の顔色を窺う。そこに嫌悪とか疑惑の色はなかった。そら大変やなぁ、と楽しげに笑うだけ。だけど、なんとなく分かる。この人、感づいている。というよりも知ってる。淡島副長がセプター4の人間だということに。
「まだ若そうなのに世理ちゃんの下って辛くないん?あの子、手厳しいやろ」
「そう、ですね。でも充実はしています。あ、これが頼まれたものです」
「ん、おおきに」
私が何者かを知っていても動揺なんて少しもしない。面白いというか、なんだか不思議な人だ。独特の雰囲気を持っていて憎めない、と言えばいいんだろうか。淡島副長のことを下の名前で呼んでいるし、仲が良さそうで。どちらにせよ、どうやら悪い人ではないらしい。
ただ、やっぱり周囲から感じる視線が痛い。好奇の視線に似たようなもので敵意は感じられないけれど、それでもいい気はしない。そんな私の思いが通じたのか、もしくは顔に出ていてしまっていたのか、その人は堪忍なと苦笑いを浮かべた。
「この店な、あの子らの溜まり場になってん。おかげでお嬢ちゃんが久しぶりのお客様ってとこやな」
「…えと、なんて言えばいいか分かりませんが、心中お察しします。お疲れ様です」
「ははっ、面白い子やなぁ。よかったら名前、教えてくれへん?」
名前、ですか。少しだけ言葉に詰まった。こんなところで初めて会う人に名前なんて教えてしまっていいのだろうか。まるで小学生みたいな疑問が頭の中をぐるぐると回る。でも、結論が出るのは早かった。
淡島副長の知り合いの方だし、いい人そうだし悪い方向には転ばないだろう。それに名乗ったところで私がセプター4だと周りの人にまで知られはしない筈だ。そう結論付けて自分の名前を言えば、その人は私のことをまじまじと見詰めてきた。
「天風?お嬢ちゃん、天風って名字なん?」
「は、はい、そうですけど…」
そんなに驚かれるほど珍しい名字でもないと思うのだけれど。もしかして言わない方がいい情報だった?一人不安になってきた私を余所にその人は少し考えこむように顎に手をやり、やがて苦虫を潰したような顔で呟いた。
「…タイミングいいのか悪いのか、なんとも言えんなぁ。いや、この子にとっては良かったんやろな」
「あの、私の名字がどうかしたんですか?」
「ああ、気にせんといて。ちょっと気になっただけやから」
そう言ってその人は笑ったけれどなんだか、可笑しな感じがする。少し前にも同じようなことを感じた。そうだ、あれは伏見先輩と話した時だ。姉さんの話になって、それで――――あの時の異様なまでの恐怖はもう思い出したくもない。どうしてあんなにも怖いと思ったのだろう。自分でもよく分からない。
「俺は草薙出雲いうねん。よろしゅうな、渚ちゃん」
「あ、はい!こちらこそよろしくお願いします。えーっと…、草薙さん」
「えらい礼儀正しい子やなぁ。あの子らにも見習ってほしいわ」
未だにこっちに視線を投げつけてくる彼らのことを考えながら苦笑い。私も配属された当初に厳しく教育してもらったおかげでこんな風になったから、それは少し大変かもしれない。彼らに恨みはないのだけれど、見た目だけだと不良と何ら変わりがないから。
「よっしゃ、うちの子らが迷惑かけたお詫びって言うたらなんやけど飲み物でも作ろか」
「そ、そんな悪いですよ。それに私、未成年なのでお酒とか飲めないですし…」
「ええよええよ。珈琲でも紅茶でも、うちは何でも揃えてあんねん」
それにわざわざこない所まで来てくれて手ぶらで帰らすのもアレやからなぁ、と草薙さんは笑う。そんな別に暴力をふられた訳でも何でもないのに優しい人だ。その好意を無碍にするのもなんとなく嫌だったので、お言葉に甘えてココアを頼んで席についた。
「草薙さんは淡島ふくちょ、じゃなくて淡島さんとはどういった御関係なんですか?」
「世理ちゃんはここの常連さんでなぁ。まあ、毎度おかしなもんばっか頼んでくるんやけど…。はい、熱いから気ぃつけて」
「あ、わざわざありがとうございます。いただきます」
そういえば淡島副長はゲテモノ好きなんだっけ。悪食だって伏見先輩が言っていたような。そんなことを思い出しながら温かいココアを啜る。美味しい。身体の芯から温まっていくような感覚にホッと息を吐いた。
「このココア、とっても美味しいです」
「おおきに。そう言ってもらえると俺も嬉しいわ」
「うんうん。なんて言うか、ほのぼのとしていて和むね、二人とも」
突然、隣から聞こえてきた声に驚いて飛び上がる。それと同時に眩い光に思わず目を瞑る。その後すぐにパシャリという音がして誰かの笑い声が聞こえた。急になに?ゆっくりと瞼を上げれば、隣の席には店先で会った青年がいた。
「…十束、急に写真とるのやめろ言うてんやろ。渚ちゃんがびっくりしてるで」
「ああ、ごめんね渚ちゃん。驚かせるつもりはなかったんだけど」
「い、いえ。大丈夫です」
初対面から名前呼びという今までになかったパターンに少し戸惑ってしまう。それからさっきの光と音は青年の手にあるカメラのものだったということに気付く。今時こんなカメラを使う人がいるんだ、と感心してしまった。
その視線に気付いたのか、青年は薄く微笑んだ。綺麗な人だ。男の人でもこんなに美人な人がいるのかと思ってしまうほどに。そんなことを考えてぼんやりと青年のことを眺めていれば彼はもう一度私にカメラを向けた。
「俺は十束多々良。よかったら俺も話に混ぜてくれない?渚ちゃん」
フラッシュが瞬く。だけど、今度はその光が眩しいとは思わなかった。
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