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▼ 17



私はきっと無意識のうちに逃げてしまっていたんだろう。現実と向き合ってしまったら絶対に忘れられなくなると思って。前に進めなくなると思って。だから自分でも気付かないうちに思い出の奥底にしまい込んでしまっていたのかもしれない。

大切だった。大好きだった。なのに、いなくなってしまった。私だけを置いて、どこか遠くへ行ってしまった。どうしてって聞きたくても答えてくれることはない。だってもう口を利けない。笑ってくれない。何も感じられない。そんな存在になってしまったから。

「お前、そんなの持ち歩いてたのか」
「え?…ああ、それですか。持ち歩き始めたのはつい最近ですよ」

伏見先輩に指摘されて手にあるものを見て苦笑い。それは今までタンスの奥底にしまっていたものであり、同時に自分自身の奥底にしまっていたものだった。絶対にもう出てこない、そんな風に思っていた。

だけど、気付いたんだ。それは決して目をそらしてはいけないものなんだということに。先輩が教えてくれたんだ。大切な人の命の尊さを。だから向き合おうと思った。そうしたら、とても心がスッキリした。

「家族写真です、私の」

もう何年も前のものなんですけどね、と苦笑い。でも、これしかなかった。これが唯一の家族の証だった。まだ、私が小さかった頃のもの。写真の中にいる私は心の底からの笑顔を浮かべていた。

「こっちが父親で、真ん中が私。それでそっちが姉です」

私がまだ学園の制服を着ていた。桜のピンクが映り込んでいるということは入学式の写真なんだろう。もう6年以上前のことだ。懐かしいなぁ、なんて呟きながら写真を指先で撫でた。本当に、懐かしい。

私にも家族はいるんですよ、と冗談半分に言おうとして伏見先輩の方を見た。伏見先輩はジッと写真を見ていた。そんなに私に家族がいることがおかしいのだろうか。一瞬だけそう考えて、やめた。そうじゃない。先輩の僅かな顔色の変化でなんとなく分かった。

「母親はいないんです。私が産まれたばかりの頃に亡くなったらしくて」

それも父親から聞いたことだ。物心ついた頃にはもうすでに私の世話をしていたのは父親と姉だった。母親がどんな人だったのかも知らないし、顔も知らない。母親が写真嫌いだったらしくて残っているものは一つもなかった。

どうして死んだのか。詳しいことは分からない。昔、父親に聞いてみたことはあるけれど教えてくれなかった。きっと私には言いたくない何かしらの理由があったんだと思う。もう私も成人間際だし母親のことぐらい知りたいと思うけど、それも叶わない。

「実は父親も5年前に死んでまして。姉もその後すぐに蒸発しちゃってて…、まあ実質独り身なんです」

もう慣れたことですけどね、と小さく笑う。独りになった当初は辛くて苦しくて大変だったけど、もう5年も経ってしまった。さすがに泣いててもどうしようもないと割り切って、今となっては家族がいないのは当たり前だった。

「…だから独りぼっちは嫌、か」
「? 何か言いました?」
「別に。父親は警察官だったのか」
「あ、はい」

写真の中の父親は警官姿でいた。これが制服であり私服みたいなものでもあって、私の記憶にある父親はほとんどこの格好だ。入学式の時にこんな格好の人がいたんだから他の人はびっくりしていたんだろうな、と今になって考えた。

優しくて厳しくて、強くてかっこいい人だった。憧れの人でこんな大人になりたいと思ってずっと父親の背中を追ってきた。ここに配属された今でも父親のような人間になりたいと思っている。

「だから、ここに配属された時はとても嬉しかったんです。父のように誰かを守れるんじゃないかって」

今の私ではまだ誰も守れないかもしれないけれど、いつかは必ず。努力して強くなって、それでいつか誰かを守れるようになりたい。父のような立派な人になりたい。

「でも、安心してください。誰かを守って死にたい、だなんて今は考えていませんから」
「当たり前。考えてたら次はあんなんもんじゃ済まないし」
「…伏見先輩なら冗談でも本気でやりそうなので怖いです」
「冗談じゃないからな」

不思議とその言葉に笑うことが出来た。伏見先輩も私のことをちゃんと考えてくれているんだなって思えて。そして私自身がちゃんと本心で先輩と向き合うことが出来ているんだなって自覚できて。

これも成長なんだと思う。ほんの少しだけど前に進むことが出来て、先輩に近づけているんじゃないだろうか。だからこそ、嘘は言いたくない。ありのままの自分でいたい。この人には包み隠さず全てを話したかった。

「父は5年前、殉死しました。詳しくは知りません。その時は怖くて、何も知りたくなかったんです」

急に電話がきて、お父さんが亡くなりましたなんて受話器の向こう側から知らない人の声が聞こえた。何かの間違いだと思った。でも、棺桶の中にいたのは間違いなく自分の父親だった。冷たくなった肉親の屍だった。

「それからすぐに姉も姿を消しました。今でも消息は途絶えたままです」

もともと私は学園の寮生活をしていたから姉とは別の場所で暮らしていた。だけど、毎日のようにゲストとして姉を部屋に迎え入れてご飯を食べたりしていた。でも、ある時それがパッタリ途切れた。連絡も取れなくなった。

姉の身に何が起きたのかは分からない。昔から放浪癖のある人だったから、ただ単にどこかへ行ってしまったのかもしれない。事故や事件に巻き込まれたのかもしれない。生きているのか、死んでいるのかも分からない。

「今も探してるんですけど、…全然見つからなくて。でも、いつかまた会えるって信じてます」

それこそ才能がある人だったんだと思う。誰とでもすぐに仲良くなれて、いろんな人から信頼されていた。私もそんな姉が大好きで、いつも一緒についていたっけ。私なんかよりも頭が良くて、喧嘩とかも強くて、だから――――……

「…姉さんは、絶対生きてる。どこかで、必ず」

そう、信じるしかない。そう信じて私も生きるしかない。本当は少しだけ疑ってる。もう、どこにもいないんじゃないかって。だけど諦めたくない。ぎゅっと両手を握りしめる。そんな私を見て伏見先輩は溜め息混じりに口を開く。

「そこまで想われてたら姉貴もたまらなくなってそのうち出てくるだろ」
「そう、ですよね。あ、先輩ももし似ている人を見かけたら教えてくださいね」
「はいはい、わかったよ。…それにしても」

私の手にある写真を伏見先輩が抜き取る。昔のものとはいえ自分の写真を見られるのはなんだか恥ずかしい。それに自慢ではないが姉は美人だ。私なんかよりも綺麗だしモテる。それを指摘されるのは嬉しくもあり、悲しいことでもあるわけで。

「似てないな、この姉妹」
「うっ…確かに姉の方が美人ですけど私の前でそれを言わないでほしいです…」
「んなこと言ってない」

呆れたように溜め息を吐いて先輩は否定にも似た言葉を漏らす。だけど、なんだかなぁ…。これはきっと先輩の優しさなんだと思う。だってどこをどう見ても私よりも姉の方が美人だから。

姉は父親似で私が母親似らしいですよ。まあ私は母親の顔を知らないからなんとも言えないんですけどね。そんなことを愚痴めいたことをこぼしながら溜め息を吐く。

きっと、そのまま沈んでいたら分からなかっただろう。でも、気付いてしまった。

「伏見先輩?」

写真をジッと見つめる伏見先輩の雰囲気がいつもと違うことに。何かを深く考えるように細められた真剣な瞳が真っ直ぐ姉の姿を捉えていることに。そして先輩の小さな呟きを私は聞き逃すことが出来なかった。

「…この顔、どこかで…」

思わず出てしまった声。それぐらいに小さな声だった。だけど、私の耳はそれをはっきりと鼓膜から脳に伝えた。伏見先輩が、姉さんを知っている。その事実にドクリと心臓が脈打った。

どうして先輩が姉のことを知っているんですか。どこで見たんですか。何か関係があるんですか。聞きたいことは山ほどある。だけど、どうしてだろう。聞くことが怖かった。どうしようもなく怖くて、口を開けなかった。

「、先輩、あの…」
「…天風」

それは私の名前だった。だけど、私に向けられた言葉じゃなかった。天風は私の名前であって私だけのものではない。それは苗字だ。だから、家族のものでもある。姉さんの、名前でもある。

気付けば手が震えていた。全身の毛が逆立って鳥肌が立っていた。どうして、どうしてこんなにも怖いんだろう。先輩は姉のことを知っているのかもしれない。もしかしたら姉を見つけることができるかもしれない。それなのに、どうして?

「天風」

名前を呼ばれてハッと我に返る。伏見先輩は写真から目を離して私のことを見ていた。それは確かに私に向けられたものだった。そのことにホッとして一気に力が抜ける。そんな私を見て伏見先輩は嘘を吐いた。知らない奴だった、と。

「気のせいだった。忘れろ」
「っで、でも…」
「俺だって間違えることぐらいあるんだよ」

他人のそら似だ。そう言って私の頭に手を置いた先輩はきっと何かを隠している。だけどそれを聞き出す勇気なんて、私にはなかった。





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