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「私、淡島副長になりたいです」
「…は?」
淡島副長になりたい。いきなりの発言だった。昔から憧れる存在ではあったけれど、今急にそう思えてきて衝動的に口を突いて出てきた言葉。隣に座っていた伏見先輩にはそれが聞こえたらしく、訝しげに眉を潜めていた。
「いきなり何言ってんの、お前」
「なんとなくです。なんとなく、そう思いまして」
だって淡島副長は頭もいいし仕事できるし強いし宗像室長の右腕だし。さらには美人だしスタイルもいいし、女性の鏡のような人じゃないか。それに比べて私はこんなちんちくりんだし…。ふぅ、と溜め息を吐く。淡島副長が大人の女性なら私は子どもと言ったところだろうか。
「安心しろ。胸はそれなりにあった」
「や、やややめてくださいよ!あれはあれですごく恥ずかしかったんですから!」
「ふぅん」
興味なさげですね。どうでもいいと言いたげですね。先輩だってあの件の当事者だってこと少しは自覚してくださいよ。ああ、恥ずかしい。本当にどうにかして忘れられる方法はないんだろうか。そんなことを考えながら頭を抱え込んで顔を赤くする私を見て伏見先輩は口を開いた。
「まあ、お前が淡島副長みたいになられると俺は困るんだけど」
「、え…」
「お前まであんな短いの履かれたら目のやり場に困る」
「…そっちですか」
ちょっと優しい言葉を期待しちゃったじゃないですか。小さく溜め息を吐き出しながら先輩に向き直る。先輩は私になんて目もくれずキーボードに指を走らせていました。…それはさすがに少し悲しくなりますよ、伏見先輩。
とは言え、いくら淡島副長に憧れているからってさすがにあそこまで短いスカートは無理だ。スタイル的に無理だというのもあるけれど、少し動けば見えてしまいそうなものを履けるような度胸がない。実際、今の私はちゃんと隠れる長さのスカートを履いている。
「でも淡島副長はすごい方です。頭はいいですし、…剣の才能もありますし」
本当に憧れる。羨ましい。どれだけ努力すれば私もあんな風になれるのだろう。頭脳の面に関しては別として、剣術は先の見えない果てしない道のりのような気がする。だって、結局あの時は宗像室長に少しも触れることが出来なかった。
宗像室長と手合わせさせてもらったあの日、私は歴然とした力の差に落ち込んだ。適わないだろうとは思っていたけれど、まさかあそこまでとは。私がサーベルを使って戦ったにも関わらず、宗像室長は剣を一度も抜くことなく応戦していた。結果、私のスタミナ切れ。
一太刀も浴びせることが出来なかったから当然あの件の真実についても聞くことが叶わなかった。いったい何の為に頑張ったんだろう…。分かっていたこととは言え、現実を前にするとやっぱりショックだ。もし私が淡島副長のように強ければ状況は変わっていたのだろうか。
「…やっぱり淡島副長みたいになりたいですよ」
本心からの声だった。もっと強くなりたい。もっと役に立てるようになりたい。もっと、もっと――――考え出したら止まらないほどの強欲に襲われる。ぐちゃぐちゃとした色の感情を胸の内に感じて膝の上で拳を握りしめた。
「…俺は今の天風でいいと思うけど」
ぐちゃぐちゃなものがスッと消えていくような感覚がした。視界を遮っていた霧のようなものが晴れていくような、そんな感覚。伏見先輩のたった一言でこんなにも左右される自分は相当単純だと思う。だけど、嫌じゃない。
「あの人みたいな堅物が二人もいたら堅っ苦しくてやってられるか」
「でも、仕事ができる人の方がいいじゃないですか」
伏見先輩らしい言葉だったけど、それでもやっぱり私も願望が捨てられなかった。確かに淡島副長は怠惰が嫌いそうだし少し性格がきついかもしれないけれど、その他は完璧な人だ。非の打ち所がない。
「馬鹿言え。あの人、悪食だし。あとデカすぎる」
「え、男性は胸の大きい人の方が好きなんじゃないんですか?」
「…何の話してんだ、お前」
伏見先輩は呆れたような視線を私に向けてから、こっちの話だよと私の頭をぽんぽんと何度か軽く叩いた。なるほど、胸じゃなくて身長のことだったらしい。早とちりしてしまった。頬に熱が集まるのを感じて視線を外す。
「で、でも私は才能とか全然ないですし…」
「後輩の方が才能あったらそれはそれで腹立つ」
確かにと納得する私も私だけど、そんなことを私の前で告白する先輩もどうなんだろうか。でも、もし私ができる人間だったら先輩に嫌われていて、ここにはいなかったかもしれない。そう考えると自分はこのままでいいのかもしれないと思ってしまう私は、やっぱり――――……
「俺としてはお前ぐらいがちょうどいいんだよ」
馬鹿、なんだろうなぁ。それだけで嬉しくて、それだけで他のことなんてどうでもいいって思えてしまうなんて。単純すぎて本当にただの子どもみたい。照れくさい気持ちを隠すように俯く。だけど、それと同時に別の思いが疑問として浮上してすぐに顔を上げた。
「あの、伏見先輩にとって私は何なんでしょうか」
「…はあ?」
「い、いえ。他意はないんです。ただ、少し気になっただけで…」
部下としてなら自分の足を引っ張らないような出来る人間の方がいい筈だ。確かに部下が優秀すぎるのは上司として少し問題かもしれないけれど、伏見先輩も相当優秀な人だ。人並み以上の人間が欲しいだろう。
でも、残念なことに私は人並みかそれ以下だ。もし私がお前は伏見先輩の何なんだ、と誰かに聞かれた時、私は即答するだろう。私は伏見先輩の部下で後輩で何よりお荷物です、と。
「もしくは付属品、付録でも可です」
「…んなこと真顔で俺に言うな」
だって実際そうだから。特別何かが出来るわけでもない凡人。それが私。さあ、伏見先輩も本音を言ってください。先輩に面を向かって同じことを言われるのは辛いけど、でも本人に言ってもらえた方が前向きになれるかもしれない。これからもっと頑張ろうって。
でも、伏見先輩から返ってきた回答は予想の斜め上をいくものだった。
「…犬?」
「え」
「…首輪でもつけるか」
「え、えええっ!?」
まさかのペット扱い。人間の枠組みから外れてるどころか四足歩行の動物じゃないですか。どうせ動物ならチンパンジーとかにしてほしかったです。ああ、でも確かチンパンジーも知能が発達した動物だった。それじゃあ意味ないか。
でも、犬ですか。喜べばいいのか悲しめばいいのか、いまいち分からない。私も犬や猫はかわいいから好きだけど、でも何と言えばいいのだろう。素直に感情を表現できない。美味しいご飯も食べられないでペットフードの生活なんて考えられないし。そもそも犬って喋れないのでは?
「…わ、わん」
言ってから失敗したと思った。なんだろう、ものすごく恥ずかしい。これは駄目なやつだ。やっぱり犬は嫌だ。もっとちゃんとしたものになれるように頑張ろう。とりあえず四足歩行から二足歩行になれるようにしないと。
火照る顔を冷ますように左右に振り、先輩はどんな反応をしているだろうかと思ってちらりと伏見先輩の顔を見ようとした。が、そうする前に後頭部を叩かれた。思いもよらない攻撃に一瞬言葉を失う。い、痛い。
「な、何するんですか!?」
「…なんとなく殴りたくなった」
なんと横暴な。そんなに私の犬の真似は先輩の勘に触るものだったのだろうか。私は犬でもいられないのだろうか。どんよりと重たい空気を垂れ流しながら肩を落とす。そんな私の首筋に不意に細い指が触れた。
「ふ、伏見先輩…?」
「…首輪か。案外いいかもな」
「え、何がです?」
「いいや、こっちの話」
くつくつと喉を鳴らしながら私の首に指を滑らせる伏見先輩がなんとなく楽しそうに見えて首を傾げた。首輪?いったい何のことだろう。人間につけるものではないだろうし。そこまで考えてハタと思い出す。そうだ、私は人間ではなくて犬なんだった。
「私、伏見先輩の犬ですか?」
一瞬、シンと室内が静まり返ったような気がした。首筋に触れていた指も動きを止める。あれ、私また変なこと言いましたか?そう尋ねる前に頭に伏見先輩の両手が乗っかった。そしてその手は握り拳となって私の頭を左右から挟み込み始めた。
「い、いたたたっ!?ちょ、伏見先輩いたいです!」
「お前もう人間戻れ。犬やめろ」
「え!ほ、ほんとですか…てっい、いたいぃ…!」
まさかの昇格ですか。どういう理由でなのか教えてほしいですけど、とにかくこれ以上は頭の形が変わりそうなので勘弁してください!悲鳴にも似た声を漏らす私には、自分の持ち場で先輩たちが肩を震わせていたことになんて気付きもしないのだ。
「(ぶふっ!だ、だめだ、もうこらえらんねぇ…!あの二人面白すぎる…!)」
「(耐えろ。バレたら殺されるぞ)」
「(…天風の頭に犬耳が見えたな)」
「(ていうか伏見さん、さっき絶対に照れ隠しで手出しただろ)」
伏見先輩になら飼われていいかもしれない。少しだけそう思ってしまったのは私だけの秘密だ。
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