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▼ 14



「なんで抵抗しなかった」

まだ朝の4時。残念なことに起きてる人もほとんどいない時間帯でもちろん食堂もやっていない。でも若干お腹が空いていて手持ち無沙汰なのも確かだった。何か軽食でも作ろうと思って部屋に備え付けられている冷蔵庫を覗く。何も入っていなかった。

仕方なしに軽食は諦めてカロリーのある飲み物を作ることにした。といってもインスタントのものだから自炊とは言い難い。それでもとりあえずと思って珈琲の入ったカップを渡そうとした時、それを遮るように伏見先輩は唐突に切り出した。

しばらくその言葉の意味が分からなくて沈黙が続いた。でも、夜のことだと気付いた瞬間声を上げそうになって慌てて口を押さえる。。なんだか一気に顔が熱くなったような気がして先輩から少し目を逸らして呟くように口を開く。

「抵抗、ですか…。一応しましたよ?少しですけど」
「…なんで少しなんだよ」

何故って…、どうしてでしょうね。自分でもよく分かりません。珈琲の入ったコップをテーブルの上に置いて、自分用に作ったココアを啜りながら首を傾げれば先輩は呆れたように溜め息を吐く。それが当然の反応だと私自身納得した。

「でも、そうすることが自分では正しいと思ったんです」

今の私にはそう言い切ることが出来た。あの時、間違ったことはしていないと。同時に伏見先輩も間違ったことはしていないのだと思った。俯いていた顔を上げて先輩の顔を見る。

「だって伏見先輩、もしあの時私が泣き喚いて止めてくれって言ったら、止めていましたよね」

こんなのただの私の直感でしかない。でも、どこか確信できる気がした。絶対だと言えるような気がした。そして、私のその言葉を肯定するかのように伏見先輩はただ舌打ちをしただけだった。

「だったら尚のこと抵抗しろよ。つーかそれが普通だろ」
「普通…、そうですね。普段だったら私も抵抗したと思います。でも、あの時の私に拒否権なんてものはありませんでしたから」

あれは、私からしてみれば罰だった。それと同時に救いだった。ああされることで自分を戒めようと思った。ああされることで自分の罪の意識から少しでも解放されようと思った。結局は自己満足だった。

私が言った。何でもすると。その結果があれだったというだけのことで、それ以上でもそれ以下でもない。私だって組織の中の一人なんだから、自分の発言の責任くらい自分で取らないといけないだろう。

「だから、先輩は謝らないでください。何も悪くないんですから」

だからそんなに自分を責めなくていいんですよ。苦笑いを浮かべながらそう言うと、伏見先輩は苛立たしげにもう一度だけ言った。馬鹿だろ、と。

「そんなことの為に自分の身体投げて、この先やっていけるって本気で考えてんのか?」
「…早死に、しますかね」
「ああするな。自己犠牲がモットーのお前は訳も分からないうちに死ぬのがオチだ」

酷い言い種だ。私、そんなに自分を犠牲にして生きてるつもりなんてないのに。でも、伏見先輩は冗談を言っているような口振りなんかじゃなかった。じゃあ本当に私は早死にするんだ。そんな風に軽く思えて、気付けば口を開いていた。

「私が死ぬのって、やっぱり伏見先輩を守って死ぬんでしょうか」

自分の死が他人事のように感じられた。だからそんなことを言ってしまった。実際、発言した時には何の違和感も抱かなかったし、言い終えたあとも何も感じなかった。それが自分の最高の終わり方だと思い込んでいた。

だけど、そうじゃないって気付いたのは胸ぐらを掴まれて先輩と目が合った時だ。いや、その時はまだ気付けていなかった。ただ、先輩の青い瞳の奥に見えた赤い何かに予感だけはしていたのかもしれない。

「…ふざけんなよ、お前」
「伏見、先輩…?」
「なにが楽しくてお前の死なんか背負って生きなきゃなんねぇんだよ」

残酷な言葉だと思った。やっぱり嫌われているんだなって悲しくなった。俯いて床を見つめれば白いカップの破片が散らばっている。さっきの拍子に落とした私のマグカップ。バラバラになっていて、それはまるで今の私のようで――――……

「天風渚はお前しかいないだろ。なのに何を好き好んで自分は死にますなんて笑って言えんだよ」

何かが、弾けたような気がした。何かが音を立ててひび割れたような気がした。ゆっくりと顔を上げてもう一度伏見先輩の瞳を見る。中には私がいた。私というたった一つの存在がそこに映し出されていた。

「お前が死んで、お前が傷付いて、それで結局何が残る?俺には何が残る?」

私が死んだらもう私は生きることが出来ない。これはゲームじゃないんだ。一度死んだら生き返るなんてことは絶対に出来ない。天国とか地獄とかそんなものがあるかは分からないけれど、私は死んでしまったらどういう存在になるんだろう。

分からなかった。死んだあと自分がどうなるかなんて、考えたこともなくて。先輩の為なら何でもする。そんなことを今まで何度も何度も言ってきた。だけど、その言葉の意味が今は自分でもよく分からなかった。

「俺の為に何でもするつもりなら勝手に死んでんじゃねぇよ…」

私は、命の重さというものを軽く見過ぎていたのかもしれない。一度は失ったことのある大切な人の命。それが今の今までどこかに行ってしまっていた。分かっていた筈だ。気付いていた筈だ。命は、何よりも尊いものだということを。

それがたとえ、こんなちっぽけな私のモノであったとしても。

「お前がいなくなることが俺の為になるとでも本気で思ってんのか!?」

やっぱり私は先輩のことを全然理解できていなかった。今になって分かった。どうして私が死のうとしたことを先輩があんなにも怒っていたのか。どうして言いなりになると言った私に先輩があんなにも苛立っていたのか。

答えなんて簡単だった。ただ伏見先輩は私が簡単に自分を傷付けようとすることを怒っていた。自己犠牲で満足している私に苛立っていた。そして自分の本心にすら気付けない私自身を――――……

「背伸びなんかして偽善者ぶんな。そんなのお前じゃない」

自分でも気付けていなかった。それが自分の望みなんかじゃないことに。そんなこと欠片も思っていなかったことに。本当は怖かった。とても怖かった。口先では好きなことを言っても心の中は真っ暗闇でしかなかった。

でも今、その闇に光が差し込んでいた。

「お前は、ただの馬鹿でドジで鈍感な、俺の部下の天風渚でしかないんだよ」

気が付けば手を伸ばしていた。涙が溢れていた。先輩の服を握りしめて唇を噛み締める。伏見先輩はそれを止めることもしなかったし、かと言って慰めることもしなかった。ただ、そこにいてくれた。

死にたくなんてなかった。苦しい思いなんてしたくなかった。辛いことなんてしたくなかった。でも、力もない臆病な私はどうすればいいかなんて分からなくて、居場所が欲しくて偽善を並べ続けた。自分でもそれが偽善だとは気付かないくらいに、たくさん。

「伏見、せんぱい…ッ、わたしは…!」

ぼろぼろと崩れ落ちていく。今まで無意識のうちにつけていた仮面が。偽善で固められた虚構の私が。そして姿を見せたのは本当の私だった。彼女は求めた。救いでも罰でもない、たった一つの願望。

「わたしはッ…、これからも貴方の傍にいたいです…っ!」

たったそれだけ。その一言だけで、良かったんだ。





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