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▼ 11



走る。走る。走る。途中で何回も躓きかけたし、先輩たちにぶつかったりして何回も怒られた。でも、どれも今の私には関係なかった。行かなければ。走らなければ。ただひたすらに足を前に前にと動かして私は走り続けた。

たまたまだった。仮眠室に端末を置き忘れたのに気付いて取りに戻って。本当に私は端末を取りに行っただけだった。でも、仮眠室に入ろうとした時、ちょうど中にいた先輩たちの話を聞いてしまった。

「…本当かよ。伏見さんが怪我したって」
「…ああ、なんでも巡回中に例の残党に出くわしたらしくてさ」
「…珍しいこともあるもんだなぁ。あの人が怪我だなんて」

誰が、どうしたって?ドアノブに手をかけたまま動けなくなった。頭の中で警鐘が鳴り響く。うそだ。うそだうそだうそだうそだ。だってあの人は強いんだから簡単にやられる筈がない。怪我なんて、する筈がない。

「…そういえば最近の伏見さん、ちょっとおかしいよな。なんて言うか、集中できてないっつーか…」
「…最近、常に機嫌悪いしな」

知らない。そんなこと私は全然知らない。だって、ずっと会ってないし喋ってもいないから。ずっと避け続けて、向き合おうとしなかったから。現実から目を背けていたから。怖くて、ずっとずっと逃げていたから。

「…やっぱりあの件が関係してるんだろうな」
「…ああ、確か天風の」

自分の名前が聞こえてきてびくりとする。私…?どうして私の名前が出てくるの?ガタガタと手が震える。聞きたくない。もう聞きたくない。その続きを、聞きたくない。

「…やっぱり天風が原因か。アイツ、操られてたかなんだかで斬りかかったんだって?」
「…伏見さんも相当キレてたらしいぞ。まあ、そりゃそうだろうけどな」
「…結局、やらかしたのは天風なんだから責任をとってもらわない…と…」

ドアが開いて部屋から出てきた先輩と目があった。その瞬間、先輩はしまったと言わんばかりに顔色を変えた。それから慌てて何かを言おうとする。でも、もう私の耳には誰の声も入ってこなかった。

踵を返して走り出す。後ろから誰かが声を上げていたけれど関係ない。走って走って走って。目的地は決まっていた。理由なんてよく分からないけれど、行かなければならないと思った。

そうだよ、全部私のせいだよ。好きなだけ貶せばいいじゃない。罵ればいいじゃない。大声で叫びたいのを我慢して、走る。視界がぐにゃりと歪む。袖で目をゴシゴシと擦っている間も足は止まらなかった。

許せる筈がなかった。許される筈がなかった。結局、私はどこまでもお荷物でしかない。ちょっと離れていたってどの道迷惑にしかならない。何のために自分の存在があるんだろう。何のために、私は――――……

「っは、はあ…はぁ…げほっ」

立ち止まって膝に手をついて肩で息をした。気管からひゅーひゅーと掠れた息が漏れる。久しぶりにこんなに息を切らすほど走ったかもしれない。やっぱり運動不足だ。そんなことを考えながらドアに伸ばした手を―――止めた。

私はいったい何をしようとしているんだ。会って何をするつもりなんだ?何を喋るつもりなんだ?どんな顔をするつもりなんだ?考え出したらキリがない。ただ、そこに自分のやっていることの意義を見いだせなかった。

今さら私に何が出来る。何も出来るはずがない。私に出来ることなんて何もない。伸ばしかけていた手を引いて一歩後ずさる。そうだ、私がここにいる必要なんてない。

もう、逃げてしまおう。そう思った時、内側からドアが開かれた。

「、お前…」
「っ!ふ、伏見、先輩」

普段はあまり変わらない表情には驚きの色が見えた。でも、私だって驚いてる。まさかこのタイミングで出てくるなんて。なんの覚悟も決めていないのに運が悪すぎる。きっと今の私の顔は真っ青だ。

どうする。先輩から見れば私はこの部屋に訪ねてきた人間だろう。そう認識された今では逃げ出すことは出来ない。どうやっても喋るしかない。でも、どうすればいいかも分からなくて目を合わせることも出来ずに顔を背けた。

「あ、あの…えと…先輩が怪我をされたと聞いて、その…」

だからと言ってどうしようというわけでもなかった。ただ伏見先輩が怪我したという噂だけ聞いてここに来てしまっただけだ。だから、その後の言葉に詰まった。いったい私は何を言おうとしたのだろう。何を言いたいのだろう。

「俺が怪我したからなに?お前には関係ないだろ」

関係ない?ありますよ。先輩に怪我させた相手がどこにいるのかさえ分かれば私はすぐにその人のところに行って倍返しの怪我を負わせてやります。まあ私は弱いですからそんな力量ないですけどそれぐらい私にとって先輩が怪我したという事実は大きいんですよ。だから関係ないなんて、言わないでください。

このことを口に出して言えたらどれだけ楽になれるんだろう。でも、そんなこと言える筈がない。だって、私には先輩に向かってそんな口を叩ける御身分でもないし、そんな資格もないんだ。

「…私のせい、ですよね」

先輩たちも言っていた。最近の伏見先輩がおかしいのは私のせいだって。私にも心当たりはあった。あの時だ。あの時、私が後先考えずに勝手に突っ走ったから。私が伏見先輩のことを信じることが出来なかったから。

「私が、原因なんですよね」

俯いたまま今出せる限りの声を絞り出す。本当に私は何がしたかったんだろう。先輩のことを信じることもできず、先輩のためだとかいい加減な言い訳を並べて結局自分のことしか考えていなかったじゃないか。私は、伏見先輩を裏切ることしか出来ないじゃないか。

でも、これでハッキリしたような気がする。私はここにいるべきではない。この人の傍にいるべきではない。

大きく息を吐き出す。そして、拳を握りしめて顔を上げた。すごく久しぶりに伏見先輩の瞳を見たような気がする。先輩の瞳はやっぱり綺麗な色をしていた。でも、それもこれで最後だ。

「許してほしいとは言いません。ですが、今の私に出来ること、何でもやります」

どんな命令でも構いません。先輩は、最後に私に何をしてほしいですか。何を求めますか。謝罪ですか。除籍ですか。それとも自決ですか。何でもいいんです。伏見先輩が私に求めることだけを言えばいいんです。

これで全てが終わると思った。辛いけど、楽になれると思った。ああ、これが最後なんだなって少し泣きそうになった。でも、伏見先輩はいつまで経っても命令を下そうとはしなかった。ただ、嘲笑を含んだ声を吐き出しただけだった。

「…またそれかよ、お前は」
「、え……っ!」

腕を強い力で掴まれ、無理やり部屋の中に引きずり込まれた。痛い。だけど、それ以上に頭が回らない。驚きの方がどの感情よりも勝っていて抵抗することも出来ない。後ろの方でドアが閉まる音が聞こえた。

「ッ伏見先輩、どうしたんですか!」

混乱から珍しく上げた大声にも先輩は反応を示さなかった。私には私の腕を引く先輩の後ろ姿しか見えない。どうして私の方を見てくれないんですか。どうして急にこんなことをするんですか。そう聞く前に私の身体は前に投げ出された。

幸いなことに落下地点はベッドの上だったから痛みはほとんどなかった。いや、幸いなんかじゃなかったのかもしれない。何するんですか。非難の声を上げて起き上がろうとした私の肩が強い力で押さえつけられる。身体は完全にベッドに沈み、そして逃げ場を失った。

「ふしみ、せんぱい…」
「お前はいったいどれだけ俺をイラつかせれば気が済むんだよ…!」

私の上に覆い被さった伏見先輩の声はどこか震えているようだった。そこに先輩のどんな真意があったのかは混乱している私には分からない。でも、少なくともこれだけは言える。そこに無関心はなかった。喜びもなかった悲しみもなかった。

あったのは怒りと苛立ちと、狂気じみた何かだった。

「…天風、お前さっき何でもするって言ったよな」

駄目ですよ、先輩。そんなの駄目ですよ。言葉は声にはならず、乾いた喉を通り抜けていく。身体も言うことを聞いてくれず、動こうとしない。そんな私を見て唇を歪ませた先輩は残酷で、どこか甘美な言葉を吐き出した。

「ヤらせろよ」

初めてこの人のことを純粋に怖いと思った。





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