nowhere | ナノ


▼ 09



目を開けた。見慣れた自室の天井が見えた。いやいや、そんな筈はない。もう一度瞼を下ろして、それから上げた。見える景色は先ほどと何も変わらなかった。

「あ、れ…?」

私、今まで何してたんだっけ。なんだか妙に頭が痛くて身体が重い。一言でいうと、とてつもなく怠い。ゆっくりと上半身を起こして辺りを見回す。やっぱりここは自分の部屋だ。

頭痛い。ぼーっとしてて何も考えたくない。寝ていたい。そう身体は主張はしていたけれど精神はそうではなかった。ズキズキとした痛みに襲われている頭を一生懸命に動かして記憶を手繰り寄せようとしている。

「私は、確か…」
「死のうとしてそのまま気を失ったんだよ」
「…あ、伏見先輩、おはようございます」

ぺこりと頭を下げて、それから今言われたことを思い返す。死のうとして、気を失った。なんで死のうだなんて思ったんだっけ。もやもやと霧がかかったように思い出せない。

しばらく黙って考え込んでみた。だけど、考えれば考えるほど霧が濃くなっていくような気がして。いつも枕元に置いているミネラルウォーターを手にして胃に流し込む。そんな私を見て伏見先輩は小さく舌打ちした。

「お前、暢気なもんだな。まるで他人事のように」
「…すみません。頭、全然働かなくて」

本当に、駄目だ。眉間を押さえて目を閉じる。なんだか世界がぐるぐると回ってるような気がしてきた。なにこれ、二日酔い?未成年だからお酒飲んだことないけど。

「体調は?」
「すこぶる悪い、というわけじゃないですけど良くはないです」
「だろうな。見れば分かる」

なら聞かないでくださいよ、と内心毒づく私の額に先輩の手が当てられる。あ、なんとなく冷たい気がする。気持ちいい。

「…熱あるな」

熱?最近風邪とかひいてなかったから分からなかったです、あはは。なんて実際に口に出せるような気力はなかった。多分、今の私は相当酷い顔をしていると思う。それこそ死にそうな顔。

でも、体調が悪いからって寝込みたくなかった。仕事、しないと。やらなければいけないことはたくさんある。だけど、ぐっと腰に力を入れて立ち上がろうとした私の肩を伏見先輩は押し止めた。

「先輩…?」
「寝てろ」
「ああ、大丈夫ですよ。確かに怠いですけど吐き気とかはないですし」
「いいから寝てろ」

やっぱり性別の差は大きいらしい。伏見先輩はすごい細い身体をしているのにそのまま押し倒されてベッドに逆戻り。二人分の重みでスプリングの軋む音がした。

その時に先輩の手が必然的に視界に入った。心臓が大きく鳴ったような気がする。細くて綺麗な指をしてるな、なんてことは考えていられない。無理やり起き上がって白い包帯の巻かれたそれを掴んだ。

「伏見先輩、手…」
「手?…ああ、そんなのもあったな」

そんなの、じゃない。なんでそんなに他人事なんですか暢気なのは先輩の方ですよ。言いたい言葉は声にならなかった。一気に昨日の記憶が蘇ってくる。何を言えばいいか、分からなかった。

「…天風、」
「すみません…私、なんてことを…っ!」

やってはいけないことをやってしまった。私が傷付けた。先輩に斬りかかって、怪我させて。何よりも恐れていたことを私はしてしまった。顔から血の気が引いていくのが感じ取れた。

馬鹿だ。最悪だ。結局、今回の件で私は何をした?役に立つどころか状況を悪くしただけじゃないか。呆然としてしまって何も出来ない。そんな私のことを見て先輩は大きく溜め息を吐き出した。

「例のストレインはあの後俺が捕縛した。安心しろ」

伏見先輩がベッド脇に腰を下ろした。少しだけそっち側に沈んだ気がする。でも、そうか。あの人、捕まったんだ。よかった。ほっと安堵の溜め息を零れる。

「…あと、お前のそれ、風邪じゃなくて乗っ取られた後の副作用みたいなもんだから」
「副作用、ですか…」

確か被疑者として捕まえている人たちも同じような状態になっていた。つまりあのストレインの能力にやられた人は体調を崩す。精神的にも肉体的にも限界まで使役される、ということだろうか。

「でも、どうして私、生きて…」

なんとか抗って、結果として私は自力で身体を動かすことが出来た。それで私は首に切っ先を突き刺そうとして、それで…?その先の記憶は全くと言っていいほどない。

「お前が自分を刺し殺す前にストレインの能力が解けた。あの能力、乗っ取った相手の傷を自分自身も受けるみたいだな」

あまり興味なさそうな抑揚の少ない口調だった。伏見先輩は基本的に無関心主義の人だけど、いつも以上に執着がない。まるで言いたいことは他にあると言いたげに。

なら、言いたいことって?やっぱり私が勝手に動いた挙げ句、先輩に怪我をさせてしまったことだろうか。あの時のことを思い返そうとすればするほど私の中身は真っ黒になっていく。罪悪感なんて生易しいものではないぐらいに、真っ黒に。

「天風」

名前を呼ばれてハッとする。目の前には伏見先輩の顔があって、そこに無関心の色はなかった。見えたのは赤い、炎のような色。伏見先輩にはあまり似合わない色。それは、怒りの色に似ていた。

「どうしてあんな真似した」

あんな、真似…?勝手に単独行動をして尾行なんて慣れないことをしたことだろうか。確かにあれは身勝手な行動だったかもしれない。でも、あそこで追っていなければもう二度と見つけられなかったかもしれない。

「命令を受けずに行動した点については謝ります。ですが…」
「違う。そっちじゃない」

違う?勝手に動いたことを怒ってるんじゃない?なら、他に何をそんなに?私には他に思い付かなかった。それを見越して先輩は苛立たしげに舌打ちする。

「俺が言いたいのはどうしてお前が自分で自分を殺そうなんて馬鹿なことしたのかってことだ」

伏見先輩は相当怒っていた。それを隠すつもりもないのか、先輩の苛立ちがピリピリと肌を刺激しているかのような気さえする。でも、私には分からない。私にはあの行為が間違っていたとは思えなかったから。

あのまま伏見先輩に剣を向けるなんて絶対にしたくなかった。怪我をさせてしまっている上にもしそれ以上のことをしてしまったら?耐えられない。そうなるくらいなら自分が傷付く方がマシだ。

「だから私はあの時、自分を殺そうと思いました。だって、そうでもしなければ止まらないと思って…」
「…お前は俺を信用できないのか」

え、と声が漏れた。信用、できない?そんな筈がない。絶対の信頼を寄せていたから私はストレインの尾行をした。先輩なら必ず居場所を割り出して来てくれると信じていたから。

でも、それはただの勘違いだったのかもしれない。自分で自分を誤魔化した思い込みに過ぎなかったのかもしれない。

「あの時、俺があの状況の打開策を見つけるとは思わなかったのか?俺がお前を助けると信じられなかったのか!?」

言葉が出なかった。こんなに伏見先輩が感情を表に出したところなんて見たことがなくて、同時に自分の抱いていた先輩への思いが砕かれたような気がして。なにも、言えなかった。

信じていた。先輩のことを信じていた、つもりだった。でも、本当にそうだったのだろうか。伏見先輩に迷惑をかけたくない。そんな言い訳をつけて自分を殺そうとして、実際には先輩が私のことを助けてくれるなんて思ってもいなかったんじゃないだろうか。

本当は私は、先輩のことなんてこれっぽっちも信用してなかったんじゃないだろうか。

「…ごめんなさい…」

声が掠れた。声が震えた。涙は、出てこなかった。ただ、乾ききった声だけが救いを求めて漏れ出した。

「…っ、ごめんなさい…!」

私は大切な人を裏切った最低な人間だ。





prev / next

[ back to top ]



第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -