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▼ 08


○○地区付近。一丁目の三番地。大きなビルの見える場所。報告してきた場所とGPSが指し示す場所は一致していて、確かにそこには大通りとは切り離されたような路地裏があった。

走り続けていたからか少し乱れた息を軽く整え、薄暗いそこに足を踏み入れる。アイツ、本当に深追いとかしてやられてないだろうな。あの馬鹿なら無意識のうちに敵陣に突っ込んでいきそうな気がして溜め息が零れた。

路地裏はどこからか水の滴る音がした。排気口からは汚い煙が吹き出している。直感で分かった。ああ、嵌められたなと。だからこそ道の真ん中で突っ立っているアイツの後ろ姿を見ても嫌な予感は拭えなかった。

「天風」
「あ、伏見先輩!」

振り返った天風は確かに俺の知っている天風の姿をしていた。なんの違いも見られないいつも通りのアイツだ。だが、今の状況ではそれが違和感でしかなかった。

「追ってた奴は?」
「それが急に光ったと思ったら消えちゃって…、多分奥に逃げたんだと思います」
「…そうか。なら行くぞ」
「はい!」

暗闇に、泥沼に引きずり込んでいく。だから一人で突っ走るなって言ったんだ。それなのにあの馬鹿は勝手に…。通信を一方的に切られた時は本気で殴ってやりたくなった。ああ、ムカつく。苛立つ。

「で?天風はどこだ」
「…え、?」
「とぼけるなよ。お前がやったことだろ」

予感は違和感に。違和感は疑惑に。疑惑は確信に。天風が顔に貼り付けていた笑顔を凍らせ、それでも誤魔化すようにぎこちない笑みを浮かべる。そんな表情を見ただけで無性に腹立たしくなった。

「な、なに言ってるんですか?私はここにいますよ」
「アイツは俺の隣を並んで歩いたりしない」

今度は天風の足が止まる。それに合わせて俺も足を止めて向き合う形で立つ。奴の表情は強張っていた。図星か。手を上げそうになるのを堪えて溜め息を吐く。ああくそ、アイツがいたらど突いてやれたのに。

「お前は俺の名前を知っていた。記憶を探る能力でも持ってるんだろ」
「わ、たしは…」
「相手を間違えたな。あんな馬鹿になりきるなんてこと、相当の馬鹿じゃない限り出来るはずがない」

記憶に残ってなかったということはいつも俺の斜め後ろをついて来るのは癖みたいなものなのか。笑える。馬鹿だろって言ってやりたい。だが本人がいない。なんだかんだ言ってアイツがいないと調子狂うな。

「言えよ。天風をどうした」

聞くまでもないことだ。アイツは今頃寝てるんだろう。この男に意識を支配されて、身体を乗っ取られて。ああ、本当に苛立つ。コイツも、アイツも。

「…どうしたって、ねぇ。ちょっと身体を借りてるだけだよ」

刹那に感じた殺気。光るものが視界に入り、身を引いた瞬間に振り下ろされた刃が鼻先を掠めた。どうやら素直にアイツの身体から出て行く気はないらしい。だとすると厄介だ。

「コイツのことは簡単に支配できたできたからそのままセプター4に入り込んでやろうと思ったけど、そう簡単にはいかないかぁ」

何の感情も見えてこない笑みだった。違う、天風はこんな顔をしない。笑う時は笑う。泣くときは泣く。アイツは感情が顔に出やすい奴だ。それなのにコイツは――――舌打ちをしつつ剣を抜いた。

「いいのかなぁ?大事な部下を傷つけちゃってさぁ!」

意識がないとはいえ、身体は本物だ。刃を受ければ傷がつく。深く抉れば血液が飛び散る。心臓に剣を突き立てれば天風は死ぬ。奴は俺を殺せて、俺は奴を殺せない。とんだハンデだ。

顔面に向かって迫る刃をサーベルで受け止める。そういえば天風が剣を持ってるところを見るのは久しぶりだな。最後に見たのは、いつだったか。覚えてもいない。だが確かに俺がアイツから剣を取り上げた。

そうして天風をあの檻の中に閉じ込めた。

「守ってるだけじゃどうにもなりませんよ?伏見先輩」

聞こえてきた声に意識を現実に引き戻す。それと同時に鈍い痛みが左手に走り、生温かい液体が地面に滴り落ちた。それを見て天風がにっこりと笑う。その偽の笑みの先に、あの時のアイツが見えたような気がした。

「だから、もし伏見先輩が私のことを邪魔だと思ったら、…お願いします」
「私を、殺してください」
「…ふざけんな」

馬鹿か。誰が殺すか。ただ俺は誰かに殺されるくらいなら俺が殺してやると言っただけだ。それ以上の意味もそれ以下の意味もない。誰が、そう簡単にお前を死なせてやるものか。

「ッ!?て、めェ…!」

滴る血液がアスファルトの上に赤い染みを作っていく。それを見て笑っていた天風の顔が突然歪んだ。血を流しすぎて視界が眩んだのかと思ったがそうではなかった。声が、聞こえた。

「っ、ふしみ、せんぱい…ッ」

天風は剣を持った右手を左手で押さえつけていた。最初から意識があったのか、それとも今奪い返したのかは分からない。端から見れば奇妙な光景だろう。だが、あの見慣れた泣きそうな表情は間違えようのないものだった。

「いい、ですか…。一回しか、言えそうに、ないので…ッよく、聞いてください」

きっとアイツはまた自己嫌悪の波に呑まれているんだろう。自分が悪かったと泣いているんだろう。そうだ、お前が悪い。俺の言うことも聞かずに勝手に暴走したお前が。

反省すればいい。それだけでいい。だから、そういう馬鹿な真似だけはしてほしくなかった。

「今のストレインに、ッ意識はありません。本体は…、ここから、少し離れた…っ…空き家の中、です」

右手が左手の強い力で動かされる。両手が震え、剣が音を立てる。やっぱり馬鹿だろ、アイツ。誰がそんなことをしろと命令した。

「…やめろ、天風」
「だいじょぶ、ですよ。先輩には迷惑、かけないですから」

迷惑?今更だ。今までに何回お前に足を引っ張られたと思ってる。現に今だって誰のせいでこんなことになったか。そんなことしてどうなるか分かってるのか。もし分かってそうしているのだとしたら、俺は――――

切っ先を喉元に突きつけ、天風は泣きながら笑った。その笑顔は綺麗であり、歪んでいた。やっぱりそうか。自分でも気付いていないだけで本当は誰よりも恐れているんじゃないか。誰よりも嫌がっているんじゃないか。

そう気付いたのと同時に地面を蹴っていた。そして天風もまた刃を握る両手に力を込めた。

「伏見先輩を傷付けるぐらいなら、私は喜んで死にますよ」

ああ、本当にムカつく。





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