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▼ いつか思い出ごと貴方を愛しましょう


「散歩、行かねぇか」

季節は冬。寒波の押し寄せる一月。唐突に切り出された会話に私は不恰好に口を開けて目の前に立つ男を凝視する。散歩、さんぽ、サンポ。なんだっけ、それ。単純な語句な筈なのになぜかしばらく意味を思い出せない時間が続く。それはきっとこの男に散歩という言葉が似合わなかったからだろう。

確かに自由気ままな人だとは思った。だけど、散歩ってーーー何をするわけでもなくぶらぶらと歩いて、道端の景色なんかを見るだけのこと。たったそれだけのことをするのにどうして私が?この人なら、一人で勝手に行ってしまいそうなのに。そう思いながらも断る理由なんて見つからなくて、素直に首を縦に振っていた。

いってらっしゃーい、と呑気な声を後ろに聞きながら店を出て、黒いジャンパーに手を突っ込んだまま歩き出す彼の背中を追いかけた。コツコツと厚底の鳴る音を、カツカツとヒールの鳴る音が追いかける。彼が前で、私が後ろ。私が彼について行くという行動は幼馴染として出会った時から何一つ変わらなかった。

「さ、寒いね」
「そうだな」

沈黙に耐えかねて口にした言葉はたった一言の返事で一蹴されて、それ以上は続かない。本当にいったい何のために。どうして私が彼と一緒に散歩なんて。ぐるぐると、もやもやと頭が悲鳴を上げる。長い間一緒にいるという自負を持ちながらも、珍しすぎる誘いにやはりどこかドギマギしていて、いつも以上に思考が働かなかった。

私がこの人と出会ったのは幼い頃。後ろをついて歩き始めたのも同じ頃。頼れる親友だと思うようになったのは中学の頃。男性として意識し始め、好きになったのは高校の頃。連れ添うような関係になったのは二十歳になった頃。そして、少しでも傍にいたいとこの身体に徴を付け、彼の傘下に下ったのは極最近。

それでも、こうして私は未だに彼との隔たりを感じる。むしろ、単なる幼馴染として接していた昔よりも壁は高く、頑丈になったような気さえして。だからこそ、こうして私は彼のとった行動の意図を掴めないのだろう。近いようで、とても遠い。前を歩く背中に無意識のうちに手を伸ばし、掴んだものは虚空。悲しくなって、伸ばした手をだらりと落とす。

そんな私の腕を掴んだのは、そんな私の意識を掴んだのは、そんな私の心を掴んだのは、他でもない彼の大きな手だった。

下ろそうとした手首を彼はがっしりと掴んで、そのまま指を絡めて手を繋ぐ。失いかけた何かを繋ぎとめるかのように。切れかけた何かを結び止めるかのように。そうして私は気付くのだ。ああ、やはり私はこの人を愛しているのだと。この人は私を愛してるくれているのだと。

「…みこと」

呟いた声は彼の耳に届いただろうか。何も言わずに手を握り、変わることなく前へ前へと歩き続ける。孤高の王。そんな彼に私がしてやれることなんて限られているかもしれないけれど、それでも貴方は一人ではないんだよと伝えたくて握った手に力を込めた。

尊、私はね。誰よりも貴方を愛しているんだよ。だから、いつでも頼っていいんだよ。そう思ったとしても言葉にはならない。だって、そう言ったとしてもこの人は絶対に私を頼らないと分かっているから。吐き出す白い息と吐き出される白いタバコの煙が混ざり合って空へと上る。世界は真っ白だった。

「ねぇ、尊。どうして散歩に行こうなんて言い出したの…?」

想うことを口に出すことは叶わず、結局私は逃げてしまう。何か別の話題を、と思考は想いを拒絶して、ひと気の少ない並木道を横に並んで歩きながら、どうしても気になったことを聞いてみる。きっと問答が続くと思った。そうすれば自分を隠して尊と一緒に歩けると思った。だけど、その予想は見事に砕かれる。

「彩音、今日誕生日だろ」
「えっ、」

隠す必要なんてないと言いたげにさらりと言われた言葉に私は思わず声を上げた。驚いた。動揺した。一つは、予想とは反して簡単に返ってきた彼の声に。もう一つは、返ってきた言葉の意味に。

覚えていないと思ってた。そういうことには無頓着そうで、自分の誕生日すら忘れていそうな、そんな気がしていた。だけど、そんなのは私の見当違いだったのかもしれない。思いも寄らない言葉にドキドキしながらコクリと頷いた。

「うん。今日、誕生日」
「おめでとさん」

相変わらず尊は前を向いて歩みを進める。前だけを見て、後ろも横も見ることなく。そんな彼の横顔を見ながら私は気付く。そうじゃないか。この人は誰よりも仲間のことを想っているじゃないか。だから、仲間のことは何でも知っている。それが、たとえ他人にとってはただの日常でしかない誕生日であっても。

「…ありがと、尊」

きゅっと手を握って、少し頬に熱があるのを感じながら呟いた。嬉しいな。私が尊のことを支えて、頼られたいと思っていた筈なのに、気付かぬうちに私が尊に支えられている。これじゃあいけない、これじゃあ駄目だと分かっていても、やっぱり嬉しくて一人浮かれて、緩んだ頬を隠すようにマフラーの中に顔を埋めれば尊は小さく笑った。

「本番はこれからだけどな」
「ほんばん…?」
「何でもねぇよ。いいから先入れ」

そう言われてから、いつの間にか自分たちがバーの前に戻ってきていたことに気付いた。あれ、いつの間に。そんなに時間が経ったようには感じなかったのに。それだけ私が尊の隣に安堵し、時間の流れを忘れるほどに居心地のいいものと感じてからかもしれない。

尊が店のドアを開ければカランカランと来客を告げるベルが鳴る。だけど、尊はあくまでも私を先に入らせるつもりらしくドアを開けたままで動こうとしない。このまま私が突っ立っているのも悪いと思って好意に甘え、いそいそと店の中に足を踏み入れてーーーーそして鳴り響いたクラッカーの音にびくりと肩を揺らすと同時に目をまん丸にさせた。

「、へ?」
「ハッピーバースデー!」

迎えてくれたのはいつも一緒にいる吠舞羅の彼ら。でも、普段と違うのはみんなが私に向かってかけた言葉。何が何だか分からなくて呆然となって、頭が真っ白になる。そんな私に近寄って声をかけてきたのはチーム吠舞羅の最弱と呼ばれる男。

「おかえり、彩音。キングもおかえり」
「た、ただいま。ていうか多々良、なに、これ…」

声を発することでいくらか落ち着きを取り戻した私は店の中をぐるりと見回して、いつもとは違う雰囲気の世界に困惑した。でも、多々良は嫌だなぁと楽しそうに微笑んで。忘れたわけじゃないでしょ?とウィンクを一つしてみせる。

「見ての通り、彩音の誕生日パーティーだよ」
「わ、わたしの?」
「そっ。八田と鎌本たちが飾りつけして、草薙さんが料理作って…、俺はそんなみんなのことを写真に撮ってましたー」

彩音のことも撮ってあげるね、とシャッターを切る多々良はいつも通りマイペース。でも、言われて見れば店内には散歩に出かける前にはなかったはずの装飾がされていて、美味しそうな匂いも漂っている。そこまでしてようやく私は理解した。みんなが、私が産まれたことを喜んでくれているのだと。

「アンナも一緒に飾りつけしたんスよ。あの赤いのとか。な?」
「うん。赤いの、飾った」

そう言いながら私に何かを見せるように差し出したアンナの小さな手には、赤い折り紙の輪っかがいくつもあった。なかなか大変だったんスよー、と八田ちゃんは頭の後ろをかきながら笑う。他のみんなも楽しそうに、そしてどこか照れ臭そうに笑ってもう一度言った。誕生日おめでとうございます、と。

いつもは喧嘩やゲームばっかりしている彼らが作った装飾はやはりどこか歪で、まるで小学生の学芸会のようなもの。だけど、売られているものなんかよりもずっと綺麗で、ずっとあたたかい。ああ、私は幸せだ。そう自覚すると目頭が熱くなって、零れそうになる涙を堪えながら私は微笑むことしかできなかった。

「…ありがとう、ありがとう、みんなっ」

それは心からの感謝だった。私は尊のような大きな人じゃない。出雲のように吠舞羅をまとめる人じゃない。多々良のようにみんなの中心にいるような人じゃない。そんな私をこんなにもあたたかく迎えてくれるこの場所が好きで好きで堪らない。きっと、私にはもうこの場所にしかいられない。

「彩音、席座りや。飯にするで」
「あ、うんっ」
「俺たちも運ぶの手伝いますよ、草薙さん!」

わいわいがやがや。この場所らしい喧騒が戻ってきて私も人知れず安堵の笑みを浮かべてほっと一息。それから遠巻きに騒ぐ彼らを眺める尊の元に近づいて、自分よりも幾分も高いところにある顔を見上げて破顔した。

「本番って、こういう意味だったんだね」
「嬉しそうだな」

うん、と頷いて笑う。だって、こんなのはじめてだから。子供の頃には誕生日会とかやったかもしれないけれど、もう遠い日のこと。過去よりも現在が楽しく、嬉しく、愛おしい。

「ありがとう、尊」
「俺は別に何もしてねぇよ」
「ううん。だって尊が私のこと散歩に誘ってくれたから、みんながこうして準備してくれる時間ができて、私も嬉しかったんだよ?」

だから、ありがとう。少しだけ距離を詰めて肩を寄せ、少し赤くなっているだろう顔で笑いかける。そんな私を見下ろした彼はいつもの固い表情をほんの少し崩して淡く微笑んみ、そのまま頭をくしゃくしゃと撫でた。

「今度は私が尊の誕生日お祝いするからね。今年も、来年も」
「今からずいぶんと張り切ってんな」

だって、今回は私が尊にしてもらったんだから次は私の番。私だけされっぱなしは嫌だもの。等価交換だよ。そう言って大きな手を握れば、少し屈んだ尊は私のつむじに口付ける。なんだかくすぐったい。だけど、愛しい。

こうして何気無い日常もまた過去の思い出となっていく。だけど、私は吠舞羅のみんなとの日常を、尊との日々を思い出にはしたくない。だから、たくさんのことをするんだ。たとえそれが未来においては過去であり思い出だったとしても、その時その瞬間の現在をかけがえのない大切なものだと思えるように。

「ずっと、一緒にいようね」
「…ああ、そうだな」

どうかいつまでもこの幸せが続きますように。


Happy birthday Mrs.Mati!


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