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▼ 深海に沈んだ赤い果実



赤が好きだった。どうしてって、強そうだから。中学の時から、小学生の時から、それ以前の幼稚園に通っていた時から、兎にも角にも小さい頃からどういう訳か喧嘩早くて、同時にそれが好きだった人間として最悪な私は強いものが好きだった。だから、暴力と呼ばれる彼らが好きだった。

この場所が好きだった。みんな優しくて、強くて、あったかくて、まるで家族みたいに感じていた。でも、いつからだろう。何かが物足りないと感じ始めるようになったのは。いつからだろう。いつもなんとなく眺めていた背中に怪しげな空気を見つけたのは。

「どこ行くの?」

真っ暗な夜の闇の中を歩く背中にそう問いかければ特別驚くこともなく彼は振り返った。僅かな街灯だけが私たちを照らして辛うじてお互いを認識させる状況。ストーカーか、なんて舌打ちする彼を見て笑った。だって気になったんだもの。世界を敵にするかのように全てに背を向けた貴方の姿が。

「ねぇ、どこ行くの?」
「どこだと思う?」

こんな時間に行く場所なんて限られている。不良の溜まり場?風俗店?そもそもどこかに遊びに行くつもりなのかどうなのか。分からないから聞いてるのに、と肩を落として唇を尖らせる。でも、そんな私の言葉の全てを目の前の奴は理由も言わずに簡単に切り捨てた。

「本当は分かってるくせに」

頭のどこかで。心のどこかで。本当は全部気付いていて理解していた。これでも一応、幼なじみだから。私の考えていることが彼に分かるように、彼の考えていることが私にも手に取るように分かる。ああ、分かっているとも。遊びに行くつもりなんてないことぐらい。ここを抜けて、青に染まろうとしていることぐらい。

「本当に行くの?尊さんは?八田くんは?いいの?」
「いいのって、何が」

何が、だろう。言われてから考える。だって尊さんはキングだから抜けるなんてことになったら何されるか分からない。それに八田くんは相棒だったじゃない。そこまで考えて、だから何がいいの?なんだろうと自分でも分からなくなる。

「お前こそいいのかよ。そんなところで立ち止まってて」

私の質問に答えてよ。だけど、私の「いいの」とは対照的に彼の「いいの」は非常に的を射ていて分かりやすい。そんなところは今の自分のいる場所のこと。それは物理的な意味ではない。立場的な意味でもない。ただ、私という広い世界の中にある一点のこと。今の私が留まっている強さのこと。

「お前も気付いてんだろ?ここにいたら自分はこれ以上、強くなれないって」

彼はまるで私のことを嘲るように鼻で笑った。腹立たしいとは思わなかった。だって、図星だったから。どれだけ突っかかってくる連中を殴り飛ばしてやったところで、もう何も変わらない。今までそれが私の娯楽であり意義であった筈なのに、今はもうただの――――……

「そこが今のお前の限界なんだよ」

ガラクタ。強くなっていくことを感じて高揚する筈の私の心は冷え切って動かない。つまらない。物足りない。いつの間にか私はこの場所で得る刺激を失っていた。でも、それなら刺激を得る為に、限界を超える為にどうすればいい。足は勝手に前に進んでいた。

「猿比古」

名前を呼んで服を掴んで、まるで縋るように胸に額を押し付けた。彼は動かない。拒絶もしないし受諾もしない。ただ、何の感情も籠もっていない瞳で私を見下ろすだけ。

「私は、どうすればいいかな」
「知らねぇよ。それぐらい自分で考えろ」

酷いな。私たち、幼なじみじゃなかったっけ。昔の誼で教えてくれたっていいじゃない。分からないから、聞いてるのに。またそんな言葉が口から漏れた。結局、私は自分では何も決められないのだ。

売られた喧嘩は買うのになぁ。情けない声が出て自嘲の笑みを浮かべた。そんな私に呆れたように彼は溜め息を吐いて私の手を引き剥がす。あーあ、酷い奴だ。こんなに幼なじみが悩んでるのに。だけど、手は振り払われた訳じゃなかった。寧ろ、掴まれたままだった。

「ついて来るつもりなら勝手にしろ。でもな、」

腕を引かれてバランスを崩す。あらら、と思っている間に身体と身体が触れて距離がゼロになる。腕を腰にまわされればもう逃げ場はない。顎を掴まれて顔を上げさせられればもう視線は外せない。見下したような瞳。彼の全てが私を捕らえて離さず、そして私の進む道を決めるのだ。

「俺と一緒に来るつもりなら、途中で逃げ出すことは絶対に許さない」

死刑宣告に似たそれは私の心を鷲掴みにするのには十分すぎるほどの破壊力を持っていた。逃げ出すって、今から猿比古が行こうとしている場所から?それとも貴方自身から?許さない?ていうか、それ何。許さないって、赦さないって、ユルサナイって。

「ゆるさないってなに?どうするの?殺すの?猿比古が?私を?どうやって?」
「…どこでスイッチ入ってんだよ。気色悪い」

露骨に顔を歪めた彼は私から手を離す。そうすれば身体はいとも簡単に離れた。と同時に久しぶりに感じた興奮も失せていく。ああ、なんで。すごく気持ち良かったのに。思わず舌打ちをすればムカつくという言葉と共に頭の上に拳骨が落ちてきた。痛い。

たんこぶができていそうな頭をさすりながら冷静になってきた頭で考える。王様を裏切るなんて家来として失格だろう、と。数年前、この吠舞羅というクランに入って暴力と呼ばれてきて一度も離れたことがなくて。なのに、今になって抜けるとか。ゲームみたいで笑えてくる。

「反逆者とか裏切り者とか、それこそ悪者っていうのはさ、物語だと必ず正義の味方にやられるんだよ」
「正義の味方って誰だよ」
「うーん、雰囲気でいくと八田くん?」

尊さんはそんなキャラじゃない。寧ろあの人はラスボス。昔やったゲームを思い出しながらそんなことを考えてニヤニヤと口元を歪ませれば、彼は地を這う虫を見るかのような目で私のことを哀れんでくる。それでも私の脳みそは回転を止めない。

「でもそれだと猿比古は八田くんに倒されるのか。それはそれで筋書きとしてはいいけど、ありきたりすぎるなぁ」
「…なんで俺が美咲にやられるわけ」
「そうなることを少しは期待してるんでしょ?」

だって八田くんは猿比古にとって相棒でありライバルであり敵であり救世主でもあるのだから。分かるよ、ずっと見てきたから。笑いながら顔を覗き込めば彼は逃げるように私から顔を背ける。ほら、正解。だけど、そんなバッドエンドなハッピーエンドなんかで終わらせてなんかやらない。

「でもさ、その悪者の場所に私が加わるとシナリオがぐちゃぐちゃになってさ、楽しそうだよね」

たとえば猿比古を倒そうとしている勇者八田くんの邪魔をしてみたりして。八田くんと戦ったらどうなるんだろう。勝つかな、負けるかな。ああ、でも向こうにはブレイン草薙さんがいるから頭の悪い私はきついかも。そもそも尊さんが敵になったらどうしようもない。だけど、負けるって分かっていても尊さんと戦えるとか、なんだか想像できなくて怖いくらい面白そう。

あとはどうなるかな。十束さんは、…あの人はいいや。何もしない。アンナも別に戦える訳じゃないし、戦えない女の子に手を出すのは気が引ける。でも、鎌本とかはもちろん潰す。ああでもやっぱり何より楽しみなのは尊さんと戦うことかな。絶対に手を出せないと思っていた王様に刃を向けることが出来るなんて。

「やばい。最っ高」
「…お前、最低だな」
「八田くんのことばっかり考えてる猿比古には言われたくない」

二言目には美咲美咲。幼なじみを差し置いて、一番は八田くんじゃない。そう考えるとなんだかモヤモヤしたからまた思考を想像の世界に切り替える。そうすれば全身を駆け巡る戦慄。震える身体を両腕で抱きしめた。ああ楽しい。今まで感じていた憂鬱で退屈な世界が嘘のように感じるくらい楽しい。

「尊さんなら私をどうするかな…。容赦なく殺そうとするかな。ねぇねぇ猿比古はどう思う?」
「…チッ、知るかよ、んなこと」

あら、不機嫌。どうしてそんなに機嫌を悪くしないといけないのだろう。不思議に思って首を傾げればまた舌打ち。幸せ逃げるよと言ってやれば、それは舌打ちじゃなくて溜め息だろと馬鹿にされて笑う。ああ、そうだったっけ?でも、そんなの今はどうだっていい。

「私はね、尊さんみたいな強い人と戦って楽しいと思えればそれでいい。あとは何もいらない」

だからね、と小さく首を傾げて襟元を掴めば耐えきれずに前屈みになる彼の身体。不機嫌な顔から一転、驚きで目を大きくした端正な顔に鼻先まで近付いて、甘えるような声で囁いた。

「連れ出して。私を、ここから」

ここだと、もう駄目なんだ。少し寂しい気持ちもあるけれど、どうしても自分の欲には勝てそうにない。ごめんね。身勝手な娯楽の為にこんなことを頼んで、本当にごめんね。そう言って笑おうとした唇。気付いた時には言葉を奪われ、酸素を奪われ、思考すらも奪われていた。

なにこれ。いつから私たちって幼なじみからこんなことをする関係になったんだっけ。私としては、猿比古がこういうことをしたいと思ってる相手って八田くんだと勝手に想像してたんだけど。呆然となって愕然として、どこか苛立っているような彼の顔を凝視することしか出来ない。

「え、っと…」
「…尊さん尊さんって、人の気も知らずにあの人の名前を俺の前で出すんじゃねぇよ」
「え?もしかして猿比古って尊さんの…んッ」

遮るようにまた唇を塞がれた。おまけに今度は舌まで入れてくる。あ、やっぱり実は猿比古は尊さんに気があって私が何度も何度も尊さんの名前を言っちゃったから怒ってる?そんなことを考えていた脳みそが酸欠で機能停止。身体中から力が抜けて膝から崩れ落ちそうになった私を抱き留めたのは、私のことを怒っている筈の人。

「、はっ…さる、ひこ…?」
「なあ、彩音。どうして俺がお前がここに現れた時驚かなかったのか、分かるか?」

いきなりなに。怒ってたんじゃないの。そんなこと、分かるわけないじゃない。私は貴方じゃないんだから。肩で息をしながら辛うじて分からないと掠れた声を口にすれば、彼は楽しそうに笑った。そうして私の世界を叩き壊す。

「期待してたんだよ。お前が俺の後を追ってきて、そうやって俺に望むことを」

私は赤が好きだった。だって強そうだから。私はこの場所が好きだった。だってクランの仲間が好きだから。でも、その全てを投げ打ってでも欲を満たしたいと思った。そんな最低な人間だ。そんな奴にこの人はどうしてそんな期待をしたのだろう。

「よく、意味が分からないよ」
「今は分からなくてもいい。ただ、俺と来ればいい」

逃げられないと思った。逃げ出したらきっと彼はその手で私の心臓を貫くと思った。だけど、恐ろしくはなかった。寧ろ別の感情に心を揺さぶられ、迷うことなく頷いた私の頬を満足げ撫でた彼の瞳は、私の好きな色とは正反対の色をしていた。

「一緒に堕ちるとこまで堕ちようか」

どうせなら、真っ青な大海原で真っ赤な血を見ながら溺死したい。





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