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▼ 休日

休日の夕暮れ時、本を片手に貴重な休みを満喫している俺の服の袖を引っ張って、猿比古猿比古とせがんできたのは一応、仮にも、認めたくはないが、彼女。

見上げてくるキラキラとした瞳に嫌な予感を覚えて逃げたくなったが、一足遅かった。

「ねぇ、猿比古。これ食べたい」

唐突すぎる。さっきまで黙々と雑誌を読み耽っていたお前はどこいった。見れば彩音は今まで見ていた雑誌を抱えて、これこれと見せてくる。つまりこれを作れと。

彼氏が横にいるのを他所になんの雑誌を見ているのかと思いきや料理本かよ。相変わらずブラックホールの胃袋を持った彩音は一に食欲、二に食欲、三に食欲らしい。

めんどくせぇ、とあからさまに表情を歪めれば頬を膨らませて胸板を叩いてくる始末。ああ、これが構ってとせがむ行為ならいいのに。食べ物作れのおねだりだと思うと一気にやる気が失せる。

「…自分で作れば?」
「たまには作ってくれたっていいじゃない」

私、知ってるんだよ。猿比古が料理上手なの。なんて誇らしげに言う馬鹿に言ってやりたい。誰情報だ。勝手に人の情報捏造するな。

「イヤだ。だるい。めんどくさい」
「ぐぬぬ…」

いつもは何も言わずともお前が大量の食事を作るくせに。今日に限ってなんなんだよ。

たまには俺の料理が食べたい、なんてお決まりのセリフに乗ってやるつもりはない。今の今まで俺のことをほっぽり出して、誰が作ったかも分からない料理に目を輝かせていたのはどこのどいつだ。

作らねーから。膝の上に乗ってくる彩音を無視して本に視線を落とす。さて、コイツはどうでるか。食欲のために本の強奪に走るか。なんにせよ、簡単に折れてやるつもりはないがーーーーー

「…今日の夕飯、肉抜きの八宝菜にしようかな」
「…てめぇ」

予想の斜め上をいった愚行。強奪以前に喧嘩を売ってきた。野菜も魚介類も苦手な俺にとって八宝菜は天敵だ。しかも肉がないとなると食べれるものが一切ない。

飢え死にさせる気か。堪えきれずに読んでいた本を閉じて睨みつければ、そんなの怖くないと言いたげに睨み返してくる。

お互い一歩も譲らない睨み合い。先に折れたのは俺の方だった。食欲のことになればコイツが引かないことは俺にも分かる。めんどくさ、と諦め混じりの溜め息を吐き出した。

「作ればいいんだろ、作れば」
「やった!猿比古大好き!」

そう言って彩音は俺の膝の上で抱きついてくる。都合のいい大好きだ。嬉しくもなんともないし、腹の音鳴らしながらの行為だとかわいくもない。うざい。

これがレシピね!と雑誌の一面を渡してくる。本格イタリア料理…ってこの野郎。睨みつけてやれば当人は斜め上を見ながら口笛。この野郎。

とりあえず膝の上にいる食欲の塊を放り出して冷蔵庫を覗く。あわよくば材料が足りなくて作れないかもしれない。と思ったら全部綺麗に揃ってやがる。コイツ最初っから作らせる気だったな。

「ねぇねぇ猿比古!これ!これ付けて!」
「あ?」

振り返ればエプロンを持った彩音がいた。この前新しく買ったらしい。お気に入りとか言ってたやつはどうした。てか、なんでピンクなんだ。

「これは猿比古のために買ったやつ。私のはこっち」

そう言って取り出したのは色違いのエプロン。青色。普通逆だろ。俺が青でお前がピンクだろ。

「どうせなら服脱いでエプロン一枚でもいいんだよ?」

あっ、でも男の裸エプロンってどうなんだろうね。萌えるのかな。女の子の裸エプロンならすっごい好きなんだけど。

たぶん、何も知らない奴がここにいたら圧倒されるに違いない。相変わらずベラベラとどうでもいいことを言う口だ。ハァと盛大な溜め息を吐き出してから、よく伸びる頬を摘み上げた。

「それをしまうか、それとも口が裂けるの待つかどっちか選べよ変態」
「ごめんなひゃい」

痛いのは勘弁とでも言いたげに惜しげも無くエプロンを放り出して降参の意を示す。だから嫌なんだよ。こんな奴が彼女なのは。

暴飲暴食でドがつくほどの変態。私実は両刀だよ、と言われた時には一回死ねばいいのにとすら思った。おまけに食べ物をくれる奴にはノコノコ着いていく天才級の馬鹿。

なんでこんな奴と一緒にいるんだか。赤くなった頬をさすりながら涙目になっている彩音を足蹴りにしてからレシピと向き合う。下ごしらえ?そんなところからやらせるのかよめんどくせぇ。

ただの夕飯のためになんで俺がこんなことまでしなくちゃいけないんだ。別に記念日でもなんでもないのに。

そんなことを考えながらも手を動かしていれば、彩音がちょこんと隣にやってきて俺の手元を眺め始めた。かと思えば野菜を手に取ってみたり魚を宙吊りにしたりうろちょろうろちょろと…。

「…なにしてんの」
「なにしてるって…、見てるの」
「ぶん殴りたいぐらい邪魔なんだけど」

ひどい!傷ついたような顔をしてポカポカと背中を殴ってくる彩音を適当にあしらって無視を決め込む。こんな奴相手にしてたらキリがない。

しばらくすれば諦めたようで彩音はトボトボとソファという名の巣に帰っていく。ガキじゃねーんだから少しぐらいジッとしてろ。

これでもう邪魔はしてこないだろうと思って包丁で鶏肉を捌いていく。なんとなく変な視線を受けている気がしたがきっと気のせいだ。絶対気のせいだ。たぶん、気のせいだ。

背中に穴が空くかと思った。割と本気で。最初の方は黙っていたが、だんだんと気にせずにはいられなくなって痺れを切らして振り返れば、案の定ソファから顔だけ覗かせた彩音と目が合った。

「…あのな」
「み、見てるだけだよ!邪魔してないもん!」
「ンな風に見られてたら気が散るんだよ。つーか、俺の背中なんか見てても意味ないだろ」

そんなに腹が減っているのか。さっさと作れという要求か。ンなもん視線で訴えてくんな。ジト目で見遣れば、そんなんじゃないよ!と顔を真っ赤にして怒られた。意味がわからない。

じゃあテレビ見ててもいいんだね!彩音は顔を赤くしたまま早口にそう捲し立てた。寧ろそうしてくれた方がありがたい。ちょうどこの時間にやってる某国民的アニメでも見てろ。

うがーっと奇声が上がったかと思えばテレビから音楽が聞こえてくる。拗ねたな。どうでもいいけど。どうせ餌をやればすぐに機嫌を良くするに決まってる。

そういう奴なんだ。所謂、変人。別に俺自身が真っ当な人間だと言う気はないけれど、コイツよりは普通だと思う。人間らしさを問えば、食欲という欲求に忠実に生きている彩音の方が人間らしいのかもしれないが。

レシピ通りに全ての料理を作り終えた時には時計の針はとうに8時を超えていた。ほんとになにしてんだ、俺。

「彩音、出来たけど」

返事がない。テレビがつけっぱなしになってるとは言え、妙に静かだ。まさか、と思ってソファに寝そべる彩音の顔を覗き込む。

「…寝てやがるし」

これにはさすがにムカついた。人様に必要以上の料理作らせといて自分は堂々寝んのかよ。何様のつもりだコイツ。

一発殴ってやるか、と拳を握りしめてから気付く。不用心に横になったせいではだけたスカートから覗いた太腿。肌以上に白いそれ。彩音への怒りとは別の意味で拳に力が入った。

先日、ストレインとの抗争時に俺を庇ってできた傷だ。別に庇われる必要なんてなかった。あんなの避けることぐらいできた。なのにコイツは後先考えずに俺の前に飛び出した。

なんで庇ったと聞けば彩音は当然でしょと困ったように笑った。そこに猿比古がいたから。相手の矛先が猿比古に向けられていたから。だから庇ったんだよ。

最後に、彩音は余計なことしてごめんねと笑った。分かっていたんだ。俺が攻撃を避けられることぐらい。でも、庇った。考えるより気持ちが先行したのかもしれない。

そこにいた人間が俺ではなくても庇ったのだろうか。室長や副長ーーーこの二人はもし何かあった時に庇わなければならないかもしれないが、他の奴らなら?

庇うかもしれないし、そうじゃないかもしれない。彩音は変な奴だから次の瞬間なにをするか分からない。分かることができたなら、あの時守ってやれた。

守ってやれた。自分で考えておきながらバカバカしい言葉だと思う。結局好きなのか。守ってやりたいほど大切なのか。こんなに身勝手に振り回されているのに。

頬を撫でて軽く抓ってやれば彩音がなんの前触れもなく飛び起きる。大きな瞳を瞬かせて状況を理解しようとしているのかきょろきょろと見回す姿はさながら猫のようだ。

「ご、ごめん。寝ちゃってた?」

ようやく俺がいることに気付いたのか、申し訳なさそうに肩を竦める。そんなつもりはなかったんだよ、と心底慌てたように弁解する彩音の必死な様子が珍しくて笑えた。

怒ってないの?と不思議そうにする彩音の唇に触れるだけのキスを落とした。驚いたように瞳を数回瞬かせ、頬がほんの少し紅潮する。あ、照れた。

「な、なに…?」
「別に」

それより飯、と顎をしゃくって示せば途端に彩音の表情がパアッと明るくなる。寝ようがなにしようが腹の減りは収まらなかったらしい。

「すごい!これ全部猿比古が作ったの?プロ!シェフ!」
「レシピ見りゃ誰にだって作れんだろ。いいからさっさと食べろよ」
「わーい!いただきます!」

テーブルに並んだ料理を見て、わざとらしいほどの感嘆の声を上げた。ただ、これはわざとじゃなく本心からの声だ。馬鹿だから誤魔化す術を知らない。

ほんと、変な奴。先に食べ始めていた彩音に続いて俺も手を合わせて一口。まあ、こんなもんか。書かれていた通りに作ったし、文句なく美味い。

「んーっ、んま!やば、美味しい!美味しいよ猿比古!」
「…そりゃどーも」

確かに我ながら上手くできたと思う。だけど、そんなにか。幸せと言わんばかりに頬を綻ばせて、あれやこれやと口の中に入れていく。

眺めていて見ていて気持ちいいぐらいだ。なんでコイツこんなに美味そうに飯食えんのかな。ある意味才能じゃないのか。グルメリポーターにでも転職すりゃいいのに。

そうすれば怪我なんてすることはない。大好きな食を食い漁っていれば幸せだろ。なのに、なんでこんなところにいるんだよ、お前は。

いっそのこと左遷させてやるのも一つの手かもしれない。今度、室長に言ってみるか。そんなことをぼんやりと考えていれば、彩音はふにゃりと表情を崩して俺の名前を呼ぶ。

「猿比古、また作ってね」

破顔一笑。ああ、と頭を抱えた。そんな風に笑うな。手放せなくなるだろ。


Happy birthday Mrs.Sefira!


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