「おい、神崎は?」
放課後、教室に神崎の姿が見えず姫川は夏目に問い掛けた。読んでいた雑誌から顔を上げた夏目が、姫川を見て少し目を見張った。そんな夏目の反応に、今度は姫川が眉を上げた。首を傾げながら夏目は答えた。
「神崎ちゃんなら用があるって先に帰ったよ」
姫川は、あァと盛大に顔を歪ませた。そしてがりがりと頭をかいて舌打ちをする。夏目はその様子を驚いたように見つめた。
「あれ、姫ちゃんと一緒に帰るんだと思ってたけど」
違うの。
尋ねた夏目の言葉におざなりに返事を返して、姫川は教室を走って出て行った。夏目は呆然とその背中を目で追った。
さて当の神崎はというと、本屋に来ていた。
今日はいつも読んでいる漫画雑誌の発売日で、立ち読みに訪れたのだった。夏目や城山と連れ立って来てもよかったのだが、夏目は女性向けのファッション雑誌をしきりに見せてくるし、城山は一度本を読むと中々帰らない、つまりは二人とも厄介なので必然的に一人でやって来たということである。目当ての雑誌を手に取って、立ち読みの集団と並んで読む。読む漫画は決まっているのでページを捲っていると、本を持つ手をいきなりがしりと誰かに掴まれた。ぎょっとして反射的に相手の顔面めがけて分厚い雑誌で殴りかかったが、雑誌の角はもさりと何かに刺さって顔に落ちることはなかった。
「…姫川」
息を荒くした姫川がこちらを睨んでいた。リーゼントに刺さった雑誌を抜けと無言で訴えられ、神崎は慌てて雑誌を振りかざした手を引っ込めた。姫川は大きく溜息をついて、手首を掴んだまましゃがみ込んだ。
「お前さ、何で先に帰るかな」
そしてまた一つ息をつく。しゃがみ込む青年とそれを訝しげに見下ろす少女は、周りで本を読んでいる人には大変迷惑極まりないほど邪魔なのだが、二人は無論意に介するわけがない。
「はぁ?」
「一緒に帰るとか、あるだろ」
俺達付き合ってんだろ。
姫川はそう言って神崎の手首から掌へ自分の手を移動させ、きゅっと握ってみせた。神崎はぴくりと肩を揺らした。
「…そうなのかよ」
神崎は素直にそう言ったのだが、姫川は異物を見るような目で神崎を見上げた。そうなのかって、普通そうなんだよ。姫川はまた溜息をついて、小さく唸りながらゆっくりと腰を上げた。
本屋を出たと同時に手は離された。
掌に風が通り抜けて、神崎は自分の気持ちをごまかすように両手を後ろにして組んだ。数歩先を歩く姫川はがりがりと頭をかきながら首を捻っていた。そして暫くしてからくるりと神崎に向き直った。これから暇なのかと尋ねられたので、神崎は頷いた。すると姫川はにやりと笑ってついて来いと促した。
「…何でここなんだよ」
ついて来た場所は、あの店だった。
以前あのワンピースが飾られていたショーウインドウには、今は裸のトルソーが置いてあるだけだった。あのワンピースに一喜一憂したりした。何だか恥ずかしいような気もする。神崎はあからさまに顔をしかめてやって、隣に立つ姫川を見た。姫川はちょっと待ってろとだけ告げて、一人で店の中に入って行った。訝しげに眉を寄せて店内を覗きながら、神崎は黙って店前のベンチに腰を下ろして姫川を待った。姫川は十分と経たない内に店内から出て来た。大きな袋を肩に担いで。
「何だそれ…」
「お前の服」
「は!?」
「次はこれ着て遊園地な」
戸惑う神崎の頭に姫川は手を乗せ軽く叩いた。神崎は言葉を詰まらせた。熱くなっていく自分の頬を隠すように頭に置かれた手を振り払って顔を落とした。
「あたし遊園地とか行ったことねえし…」
ぼそりと呟いた言葉に、姫川は目を丸くして少し笑ってみせた。
「まじか。じゃあきっと楽しいぜ」
結局そのあと二人でうろついて、家に着いた頃には辺りはもう暗くなっていた。誰かと一緒に居て、こんなに時間が短く感じることはなかった。家まで歩いて送ってもらい、門の前で互いに向き合った。神崎は少し気まずそうに目線をそらして、また明日と口を開いた。しかし姫川は帰ろうとはせず、神崎を見つめて薄く目を細めた。そっと手を伸ばして、俯く神崎の頬を甲でやんわりと撫でる。驚いて顔を上げた神崎の瞳を確と捉え、手を頬から顎へと滑らせた。薄い唇に指をそえて、愛おしむように端からなぞる。いつもと違う雰囲気、姫川の真剣な表情、うるさい自分の胸。全てが神崎の息を詰まらせた。
「…キスしてもいいか」
姫川の唇から紡がれるその言葉に、神崎の胸が今まで以上に大きく鳴り響く。優しい声音に頭がくらくらする。このままだと姫川の胸に身体を預けてしまいそうになる。でも、姫川とならそれでもいいかもしれない。きっとこいつは、優しく抱きしめてくれる。いや違う、何を考えているんだ。神崎は自分の考えにはっとして、慌ててきゅっと口を閉じた。そして姫川の肩を押した。
「駄目だ、まだ早い」
神崎は険しい顔で首を振った。そえていた手を離し、姫川は神崎に気付かれぬよう息をついた。
「そうか、そうだよな…悪い」
じゃあ、俺帰るわ。
姫川は微かに口端をつり上がらせ、困ったように笑った。踵を返して来た道を帰ろうとする姫川の背中を、神崎は瞬間的に引っつかんだ。唐突に後ろから引っ張られ、は足を踏ん張る。一体何かと振り返ろうとするが、後ろにそらした顔は神崎の手によって前方に戻された。首から変な音が聞こえ、姫川はぐへぇと妙な声を出した。
「てめ、首いた、」
「遊園地!」
姫川の背中越しに、神崎は半ば叫ぶように言った。恐る恐る後ろに顔を向けると、湯気が出そうな程顔を真っ赤にした神崎が目に入った。姫川は口を閉じた。
「ゆ、遊園地で、して」
ぼそぼそとつぶやく神崎に、姫川も顔を赤くした。
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ほづみ様からリクエストいただいた「アンケ姫神にょたの続き」です。
大変長らくお待たせして本当に申し訳ございませんでした。しかも連載が中々終わらないという事態に…、すみません。
そして今回もやはり神崎ちゃんが偽物ですね。どうしても乙女になってしまいます…最終的には姫川まで偽物に。もう色々すみません。
まじ偽物なんですけど(笑)と思われましたらどうぞお気軽にご返品ください!
リクエストありがとうございました!