「好きな癖に」
揺れそうになった肩が恨めしい。ふざけたこと言うなと怒鳴ることもままならず、薄く目を開いた。目の前にはこちらを覗き込むようにして見つめてくる男鹿が居て、暫し鬱陶しげにその瞳を見つめ返した。寝起きにこの目は心臓に悪い。目を逸らす気配のない男鹿に痺れを切らし、息をつきながら男鹿の肩を押して起き上がった。強張った肩をほぐしながら、厭味ったらしく呟いた言葉も、男鹿は意に介さなかった。
「人の寝顔見て楽しいかよ」
「好きだからな。楽しい」
馬鹿じゃないのかと。そう言いたかった。男の寝顔を好んで見るなんて、ましてや楽しいなんて、よくもまあそんな恥ずかしいことが言えたものだ。
男鹿は当たり前のように隣に腰をおろしてきた。男鹿に背を向けるように座り直して、目を閉じて深く息をついた。男鹿は机に肘をついて、その背中を横目で見遣った。
「悪趣味野郎」
「お前も好きな癖に」
また肩が揺れた。
暖房のきいた図書室でさぼっていた。
長椅子に寝転んで睡眠をとっていたのだが、暫くして側に人の気配が感じられた。唐突に聞こえた男鹿の声に驚き、そしてその言葉に胸が跳ね肩を揺らした。
このガキは。
酷く真摯なのだ。真っ直ぐ過ぎる程で、真正面からこちらを見る。やましいことは勿論、嘘や偽りは一つも無いのだ。この男には。隠すことを知らないこの子供は、感じたこと思ったことを包み隠さずこちらに伝える。それはとても厄介だった。目が率直過ぎて、逸らしようがない。つまり逃げ道がなかった。逃げることは嫌いだったが、この胸の締まりからは逃げないと息が詰まって目の前が霞んでしまう。
事の発端は一ヶ月程前だった。放課後、携帯を忘れ教室に戻ると男鹿が居た。何してるんだと尋ねると、男鹿は制服のポケットから見覚えのある携帯を取り出しこちらに差し出した。
「てめえ、それ俺の携帯じゃねえかよ。何勝手に持ってんだよ」
引ったくろうと伸ばした手を取られ、唐突に抱きしめられた。とても強い力で、離さんと言わんばかりの抱きしめ方だった。突然過ぎる出来事にも驚いたが、それ以前に早鐘を打つ自分の胸に狼狽した。
「すっげえ好き」
ばれたのかと思った。自分の気持ちが。
それを知った上でからかわれているのかと思った。ぞっとした。あらん限りの力を振り絞って男鹿の頭を殴って飛びのいた。大きく動いたわけでもないのに息が切れ、胸の鼓動がうるさかった。反するように、何故か頭は冷めていた。倒れた男鹿が頭をさすりながらゆっくりと立ち上がり、こちらを確と見た。その目が言うのだ。
「殴んなよ」
すっげえ好きなんだけど。
声は耳を塞げば聞こえなくなる。しかし目はそういうわけにもいかない。瞼を閉じればいいという話なのだが、閉じても視線というのは感じられる。本当に厄介だ。それに惚れ、そしてそれから逃げようとする自分もまた随分厄介だった。
「…俺の何がいいんだよ」
「そんなの俺が知りてえよ」
なんかもう、すっげえ好きなの。何でか知んねえけど。わけわかんねえくらい。なあ。
背中にひしひしと感じる視線に、息が詰まりそうになる。どうしてここまで素直で、汚れがないのか。男鹿の手が伸びてきそうな気配がして、慌てて腰を上げた。背を向けたまま入口へ向かおうと足を進めた時、強く腕を掴まれた。あの時と同じだ。また心臓が早鐘を打つ。
「逃げてんじゃねえよ!」
振り向くと、男鹿が椅子から立ち上がろうとしていた。こちらを一心に見つめるその目に、胸が痛んだ。悲痛な、それでも強い声にまた狼狽えた。駄目だ、飲み込まれる。視線を無理矢理そらしたが、もう一度強く腕を引かれて確と肩を掴まれた。
「俺を見ろよ!」
詰まる。
息が出来なかった。
浅瀬。
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恥さらしとはこのことである。マンネリすみません。神崎君は真っ直ぐに男鹿の想いを受け取ることが出来ない人間だと思います。そして真摯過ぎる男鹿。色々あってくっつくんではないかなあと…。