ひよこ味 ヒル十 | ナノ












ふんわり。
黄色い卵がオレンジ色のご飯に乗っている。
とろとろしているそれをスプーンで崩すと中からも湯気が立ち込める。鼻を擽る温かい匂いに腹を鳴らしながら、スプーンを潜らせた。
口に含みながら、右を見た。
一面ガラス張りの向こうは広大なグラウンドで、今はそこには誰一人として居なかった。いつもなら、この時間帯、食堂の前で練習をする部活がある。声はどの部活よりもずば抜けて大きく、活気に満ち溢れている。声もさることながら、有り得ないことに乾いた銃声の音も聞こえてくる。見ていて飽きない練習風景である。
いつも目で追う、金色が見えない。誰も居ない。
見えるのは練習風景でも何でも無くて、誰も居ないただのグラウンドである。


「……」


何だ、とか思う自分がいる。
スプーンを置いてフォークでサラダをつついた。潰れたトマトを噛みながらまたグラウンドを見た。
いつも、必ず居る。
そして、目が合っていた気がする。
名前は。

少し息をついて、意味も無くサラダを掻き回した。



「ほら、やっぱり探してる」



唐突な声に、その声音に胸が大きく跳ねた。
やっぱり探してるなんて、そんな。
後ろを振り返ると、いつもグラウンドで見慣れた金色があった。
ヒル魔が、にやりと笑いながら食堂のトレイを持って立っていた。
ここからグラウンドを眺めるのは常でも、こうして会うのは図書室で会って以来だった。
ヒル魔はさも当たり前かのように、同じテーブルにトレイを置いて、向かいに着いた。
呆然とした。
ヒル魔はちらりとこちらを一瞥して、トレイに乗ったカレーをぐちゃぐちゃと掻き回し始めた。
唐突に起きた事態がいまいち飲み込めず、少し混乱しながらその様をやはり呆然と眺めた。
この人、カレーなんて食べるのか。


「何でいるんだ」

「今日グラウンド使えねえんだよ」


ヒル魔がカレーを盛ったスプーンで外を指してみせた。
スプーンの先を追いつつ外を見て頷くと、ヒル魔はそのままスプーンを自分の口に入れ食事を開始した。

一緒に食べるのか。
グラウンドから目線を外し、トレイに置いたスプーンを再度握った。
黙々と食べ進めていくヒル魔を眺めた。
何でこの人はわざわざここに座りに来たのか。席はいくらだって空いている。
座って、一緒に食べるということだとしても、この状況は何だろう。
図書室で会った以外、接点は無い。それなのに何故。しかも食べるばかりで何も話そうとさない。
先程から煩い心拍にもやもやしつつ、あれやこれやとぐるぐる考えながら、握ったスプーンでオムライスを掬って食事を再開した。




先に食べ終わってしまった。
空になった皿を眺めてから、ヒル魔を一瞥した。
ヒル魔は片手で器用に文庫本をめくりながらそれに目を落とし、まだカレーを頬張っていた。
節くれだった手だ。長い指がページを捲る。それはこの前俺が図書室で読んでいたもので、犯人はこいつだと何の悪びれもなく目の前の本人に告げられた小説だった。しかも犯人は本当に告げられた人物であった。
同じ物を、読んでいる。
暫くその様子を見ていたが、ヒル魔はこちらを気にする素振りも見えなかった。

わざわざ同じ席に座りに来て、何故か向かい合わせで飯を食べている。
これは、一緒に食べているという風になるのだろうか。全く会話はないが。
勝手に席を立って、終わらせてもいいのだろうか。待っていた方がいいのだろうか。
目の前に座って来たのに、ヒル魔は何も言わない。


「……」


もしヒル魔が食べ終わるのを待っていても、もしかしたらヒル魔は自分が食べ終わると俺が待っているのにも構わず一人でとっとと片付けるかもしれない。そもそも一緒に食べているという意識はないのかもしれない。
ただ、前に座っただけとか。


(あー、もう)


何でこんなに考えなきゃなんねえんだよ。

結局、待つにしても待たないにしても、そもそもこの人とはそんなに、というかほぼ交流は無いのだ。どちらを取ってもこの人は大して気にしないだろう。
ということを理由にし、後者をとって席を立った。
トレイを持って返却口に足を向けた。
ちらりとヒル魔を一瞥したが、ヒル魔はこちらに目を向けることはなかった。
やはり一緒に食べているという気は無かったらしい。

少し息をついて目を伏せて、歩を進めた。


「!」


手首を捕まれた。
身体が大きく引かれた方に傾いて、左手で持ったトレイの上の食器が音を立てた。


「な、」


ヒル魔は手首を掴んだまま、何やらズボンのポケットを片方の手で探っていた。


「来週土曜日、試合あるから来い」


ポケットから出て来たそれを握らされて、それからヒル魔は席を立って先を歩き出した。
掌に込められたそれは、折り畳んだメモで、試合先の場所が特徴ある字で書かれていた。
顔を上げて食堂内を見回したが、ヒル魔の姿はもう見えなかった。