僕らに愛なんてない | ナノ

僕らに愛なんてない



「だから……っ!! 離してって言ってるじゃないっスか!!」

「またまたー! そんな事言って実は嬉しいくせに。 だって男嫌い治ったんでしょ?」

――誰だそんな事言ったの! ていうか本当、勘弁して! 嬉しいわけなんてないじゃん、アンタの脳は沸いてるんスか!?

 続けてヒステリックな声音で繰り出される筈だった罵倒の数々は柄にも無く震える喉から発せられることなく、代わりにひゅー、ひゅーと声にならなかった吐息が口から漏れる。
 言葉で叶わぬなら「実力行使で強行突破」と幼い頃父に護身用と身につけさせられた格闘技を繰り出そうとしても、目の前の男に対する恐怖に震える足は言う事を聞いてくれやしない。
 いざという時にと教わった技の筈なのに身体が、心が恐怖に慄いている。もしもーし、私の身体。今がいざという時っスよー!……やっぱりダメ。本当、役立たずもいいところである。
 そう言っている内にも目の前の男は私の、恐らく最大級に引き攣っているであろう顔に自らの顔を近づけてはうんうんと何度も納得したように頷き「学校一の美人はやっぱり違うなあ」と口にする。
 私はやたらと異性からの視線を集めやすいらしい。
 自分で言うのもどうかと思うけれど、誰もが羨むであろう恵まれたプロポーションと端正だと謳われる西洋人形のような顔を持ってこの世に生まれた私にとって、人の視線を集めることなど容易いことなのだ。
 にじりにじりと此方に歩み寄り、ニヒルな笑みを浮かべている目の前の男子生徒もどうやら悪質なストーカーもどきの一人であったようである。

――気持ち悪いっス……ッ! 誰か、誰か! できれば女の子!! じゃなきゃこの地球上で私に男で居てもいい事を拒絶されないお父さん、お兄ちゃん!! 本当、誰か助けて!!

 そんな私の心理とは裏腹に私の腕をまるで揉みしだくように気持ちの悪い手つきで握ってきた男。
 そんな男に触れられたところを中心にものすごい勢いで私の身体を巡る鳥肌を収める事もできず、かと言ってこの男を攻撃して逃げる事も叶わず。近づいてくる男から顔を逸らすのが精一杯。
 私、黄瀬涼華は帝光学園高等部の屋上で生物学上最も苦手とする自分と同じ人間の「男」を目の前に、人生最大級のピンチに直面していた。

  





 幼い頃死別した母がよく私に言って聞かせていたのは「周りの男には気をつけなさい」という事だった気がする。
 それが3つ上の兄と違い、母の遺伝子をより強く受け継いだ私に対する他の何でもない母からの警告だったのだと気づいのは私がもう少し大人に近付いて、母と死別したその年のこと。
 贔屓するわけでも自慢する訳でもないけれど、私の両親は世の中のトップモデルにも引けを取らない美男美女で、特に母は美しいと周囲から羨望の眼差しを向けられるにぴったりの女性だった。
 真っ直ぐに痛むことなく伸びた金糸は風に揺れ太陽の光を浴びて輝き、その金を映えさせる透き通るような白い肌は出来物一つないツヤツヤたまご肌。オマケに程良く伸びた身長は長身の父と並んでもお似合い、世のモデルも吃驚のモデル体型。
 そんな容姿の持ち主であった母は、やはりと言うべきか幼い頃からそういう被害にも人一倍多く遭っていたし、頑なに男を嫌っている節があった。
 まだ幼かった私は「パパもおにぃも男の人っしゅよ?」って不思議に思って問いかけたけれどいつも返ってくる返答は「パパとゆーくんは特別なのよ」というもの。
 幼かった私は理解出来ないにも関わらず「ふーん?」とあたかもわかったかのように曖昧な返事をしていた。 

「兎に角、あんたはママにそっくりなんだから本当に気をつけなさい。 男は敵よ、天敵よ!」

「えー! じゃあケントくんやカエデくん、ヒロくんも敵なんしゅかー!?」

 幼稚園に入りたてだった私は、幼稚園でできた男友達の名前を上げては大ブーイングして母を困らせていたけれど、今では母の言い分が痛いほど分かるし男は敵だと身体が敏感に反応してしまうまでになっている。
 
 その考えを決定的にしたのは、母が不慮の事故で亡くなった小学校4年生の秋。
 危ないから、という理由で毎日放課後私を迎えに来てくれていた母の姿が無い、落ち葉の舞う帰り道の事だった。
 母が亡くなってからというもの、父や中学生になった兄が代わる代わる私を迎えに来てくれていたのだがその日は二人共用事があり、それでも迎えに来ようとしていた父を私は呑気に笑いながら「大丈夫っスよ、学校から家までなんて15分もあれば着いちゃうじゃないっスか! それに私ももう一人で帰れるっスよ!」と止めたのだ。
 それがそもそもの間違いだった。

「お嬢ちゃん、一人?」 

 父と同じくらいか、それ以上か。帽子を深く被り、分厚い牛乳瓶の底を思わせる瓶底眼鏡眼鏡を掛けた小太りな男が、ランドセルを背負い、木から離れて空を舞う落ち葉を見つめながら帰宅していた私に話しかけてきた。

「おじさん誰っスか?」 

 突然後ろから話しかけられて振り向かないこどもなど居るものか。こどもはまだ何が危険で、何が安全なのかイマイチ把握しきれていない未熟な生き物なのだから。
 振り返った先に居たその男が、ニヤリと卑しく笑ったのに気がつかなかった私は、何の危機感も抱かずに彼に話しかけた。

「おじさんはね、旅行で此処に遊びに来た人なんだけど道がわからなくなっちゃって。 お嬢ちゃんちょっと道案内してくれないかな?」

「んー、分かったっス!」

「じゃあ、○○公園までお願いしても?」

「いいっスよ!!」

 彼の親し気で優しい物言いと表情に言いくるめられた当時の私。
 あんな、人気の寄らない公園に行きたいと言った男の真意を読み取るにはまだ幼すぎたのだろう。
 その優しい仮面の下に隠れた真の表情など見抜ける筈もなく私は彼を目的の場所まで案内した。
 我が家とは反対方向、小学生の足では少なからず遠い距離だった。

「ここが○○公園っス! それじゃ私帰るっスね! ばいばい、おじさん!」

 漸くその場所に着いたときには、既に日は沈みかけていた。
 その場所におじさんを送り届けた達成感を胸に秘めながら簡単な説明をして彼の元を去ろうとしたその時。
 先程の優しげな表情をひっくりがえしたかのような悪人面を貼りつけたおじさんは、私の手首をそれはそれは強く握り公園の奥へと引き摺っていった。
 何が起こったのか理解できずにただただ呆然と彼の後を着いていく。そのうち、公園の奥の奥――人影の全くなかった公園から来たのだから当然そこにも誰も居ない――に着けば、今まで此方を振り向くことのなかったおじさんが此方を向いた。とても恐ろしい、表情だった。

「お、おじさん? 私帰る……っ」

 震える声で紡いだ言葉はおじさんに届いたか否か。

「帰さないよ」 

 そう低く囁いたおじさん――男と言うものに、まるでつい先日父と出かけた動物園で見た、腹を空かせたライオンのようだと初めて恐怖心を感じた私。
 その後はもう、思い出したくもない。
 男は逃げようと暴れた私の頬を打ち、ぎゃーぎゃーと喚き声を上げる口にやけに臭ったタオルを突っ込んだ。
 本能のままに動くその獣は、好きなだけ私の身体を服の上から捏ねくり回した後、その服にさえも手を掛ける。
 恐怖心に支配され、目の前が真っ暗になってしまった私の瞳からぽたぽたと落ちていく涙。あんなに泣いたのは、母の葬式以来だったと思う。
 それから抵抗も虚しくビリビリと割かれていく自らの服に、どうしようもない恐怖を覚えキツく目を瞑った。

 あの時たまたま通った、犬の散歩途中のおばちゃんがいなければ、私はきっとあのまま全てを奪われていただろう。
 程なくしておばちゃんと、その獰猛な飼い犬に取り押さえられて捕まった男は、警察に引き渡され刑務所に入ったと後に聞いた。
 その現場を震えながら見つめていた私をそのおばちゃんは優しく抱きしめて「大丈夫」と何度も背を摩ってくれたけれど、私の耳にはそんな言葉さえも届かない。
 なんとか私の名前と自宅の電話番号を聞き出した警察が連絡を入れたのは、勿論自宅。
 これで安心だと一息ついたおばちゃんや警察の考察虚しく、迎えに来た父と兄を見て私の中で広がった気持ちは安堵ではなく、恐怖だった。
 初めて感じた“男”に対する恐怖心。
 家族だと分かっていても、目の前の二人だってれっきとした“男”なのだ。

「いやッ!! 来ないで!!」

 あの時の父や兄の傷ついた表情と言ったら、今思い出しても申し訳ないものである。
 これには私を救ってくれたおばさんも、父や兄に連絡をつけてくれた警察の人も驚いていた。 
 父や兄にでさえ、一時的にではあるが閉ざした心を他の男に開いた事などあれ以来一度もない。 
 今まで仲良くしていた男子生徒とも一切距離を置き、近づかせなくなった。
 男を見ればあの時の恐怖心が疼き、足が竦む。 声がでない時さえある。
 私にとっては恐怖の対象でしかないあの出来事以来、「気をつけなさい」と口にした母の言葉を強く胸に刻んでもう彼此7年になろうとしていた。


 




 高校2年生になった私は父や兄から「母さんそっくり」と口を揃えて言われるようにまで成長。
 それはそれで嬉しいのだけれど、それに伴い男に言い寄られる数が多くなってきた。
 あの事件の時程ではないから、ある程度の距離をとっていれば話せない事もないけれどそれ以上のテリトリーに侵入されるとやはり気分が悪くなる。
 男に近づかれる度に鳥肌を立たせながらも「ごめんなさい、近づかないで」と断り続けているのだけれど、一向に数は減ってくれない。
 それがいくらカッコイイと騒がれている男子だとしても、変わりはない。
 事情を知る小学校来の親友――黒子テツナは「大丈夫ですか?」と毎度毎度問いかけてきてくれるのだが、事情を知らない他の女子からしてみれば、私は格好の嫉みの対象なのだという。

『また黄瀬さん?』
『男嫌いなんだってー! 嘘くさっ!』
『あざといよね、それでいて落とした男振るんだから、さいってー』
『可愛いからって調子乗ってんじゃねぇよ、カス』 
 
 面と向かって言われたこと数十回、影で言われること数えきれず。
 別に、好きで言い寄られている訳でもないし、男に愛嬌を振りまいた覚えもない。
 黒子っちが居なかったら私本当に登校拒否になってたかも。
 そんなことがあった今では、女でさえ恐怖の対象になりつつある。
 私が信用できるのは、黒子っち含め数人の女生徒と、父と兄、母だけ。


「黄瀬さん、君も大変ですね。 君も、青峰くんも」

「黒子っち〜……! もうヤダ、私人間不信になりそうっス! ……てか、青峰くんって誰っスか?」


 今日も今日とて影で悪口を言う声や、男の此方を伺うような視線は止まることなく、思わず机に伏せながら深い溜息をついていたときのこと。
 そんな私の元に儚げで涼やかな印象を与える、文学少女のイメージが強い女生徒がやって来ては、前の席に腰掛ける。
 私が溜息をつくのを見逃さないのは、人間観察が趣味だというこの友人の得意技だ。


「人間不信になっても、私のことだけは信じていてくださいね。 ……、君なら有り得る話ですね、青峰くんを知らないなんて。 有名な人ですよ、君と同じくらい。 偶然にしては出来すぎているかもしれませんが彼もまた、“女嫌い”なんですよ。」

「黒子っちのことはいつまでも、ずーっと、信じてるっスよ!! ……へー……、私とおんなじような人がこんな学校にまだ居たんスね。 一生関わり合いたくないっスけど!」


 黒子っちが言うには、本当にこの学園では有名な人物らしい。
 スポーツ万能、特にバスケに秀でた才があるらしく全国区の有名選手なのだとか。
 背が凄く高くて小麦色の健康的な肌は人目を引く。
 更に少し悪い目つきも、そのイケメンフェイスに隠され美化されてしまうと黒子っちは言った。
 マジバのテリヤキバーガーを始め、コンビニのゴリゴリくん(ソーダ味)などが好きで、部活の帰り道によく食べているのだとか。
 黒子っちがどこでそんな情報を引き出してきたのかは彼女の口から“バスケ”と出てきた時点で大体予想が付いた。
 彼女の恋人である火神大我がルーツだ。

「わかった、もう火神っちから聞いた情報なのはわかったっス! でも、せっかく私といるんスよ!? もっと違うお話しようっス!」

 これ以上話を聞くと明らかにその青峰とかいう男ではなく火神の惚気話へと発展する。私にはわからない男女の次元の話をされるよりかはもっとずっと、女の子らしい会話に転じたい。

「そういえば、学校の近くにできたカフェ、知ってるっスか? あそこのバニラモカ、すっごい美味しいらしいっスよ!」

 バニラが好きな黒子っちがその話題に食いつかないわけがない。
 今までの話などポーンと忘れてしまったように目を輝かせて話題に食いついてきた黒子っちとそのカフェの話で盛り上がり、今度一緒に行こうと話が纏まったところでその日の昼休みが終わりを告げ、それぞれのクラスへと戻ったのだ。














 と、現実逃避も甚だしく、戻ってまいりました。ただいま現実。
 いくら逃避しても目の前のこの男が嫌がる私の手を掴んで迫ってきている現実には変わりがない。
 逃げようにもがっちりと掴まれてしまったこの手から逃れることは出来ず、私の足は震えるばかり。

「嫌……ッ!!お願いっスから近寄らないで!!」

 屋上には私たち以外の人はいないし、閉ざされた屋上の扉に遮られ、校内にいる生徒たちへの助けは期待できない。
 校庭に散らばる生徒たちはやいのやいのとそれぞれに騒ぎ、私の声など届かない。

「いいじゃん、男嫌い治ったなら……付き合うのが嫌なら一回でいいからキスさせてよ!」

 この男は何を言っても話が通じないタイプの人間のようだ。こちらが本気で嫌がっているのにも関わらず、キスを強要する。
 腕に込められた力で彼が私を離すつもりなど微塵もないことが感じられ、とうとう痛みに「痛い!」と声を上げれば何故かそれに気を良くしたように私をぐいっと引っ張り、自らの腕の中に収めた。
 腰に男の武骨な手が厭らしく這い、とうとう完全に逃げ場を無くした私はぎゅっと目をつむる。

「誰か助けて……ッ!」

 誰にも聞こえないことなどわかっていた。けど、求めずにはいられない。
 男の興奮しきった鼻息がどんどんと近づいてくるのを感じ、もう駄目だと思ったその時のことだった。

――ゴスッ

 何かが固いものに当たった音がして思わず目を開ける。
 腕を握っていた手と腰に這っていた手ぱっと離れ、男は悶絶するように自らの頭を抱えて蹲った。

「いってぇええええ!!!!」

 男が叫んだ。鈍く重みのある音がこちらまで聞こえたのだから相当なものだろう。
 テンテンテン、と何か弾むような音がして男の背後を覗くとそこには

「……バスケットボール……?」

 茶色い球体、バスケットボールがコロリと転がっていた。
 目の前で起きたことが現実なのか受け止めきれずに瞠目していると、給水塔の上からいかにも寝起きの、不機嫌そうな声が聞こえてくる。

「人が寝てんのにうるせぇんだよ……女襲うなら他所でやれ……」

 不機嫌な声の主がぬっと姿を現し、給水塔から降り立った。
 小麦色の健康的な肌に、規格外な身長、目つきの相当に悪いその人物は場に似合わぬ大欠伸を漏らして落ちたバスケットボールを拾う。
 目の前で繰り広げられる異例な事態に目を白黒とさせ、ひぃっと短く声を漏らした男は「青峰……ッ!!」と恐れ慄いた声音を上げ、一目散に逃げて行ってしまった。
 私も、目の前で起きている事態についていけずにただ、先程まで迫ってきた男を視線で追う。 
 あいつは、この目の前の大男を“青峰”と言って恐れた。
 私が思い当たる“青峰”は、黒子っちの言っていた、バスケ部のあの“青峰”しか知らない。

「人のこと化け物みてぇに……ったく」

「あ、あの……ありがとうっス。青峰……くん?」

 ボールを拾った青峰という男はボールを指先で器用にシュルシュルと回す。
 こちらが声を掛けるとふんっと鼻を鳴らし、別にと不遜な態度を貫いて彼は答えた。

「てめぇ助けたわけじゃねぇよ。 ただ昼寝の邪魔だっただけだ。 終わったならとっとと失せろよ」

 まるで、私のことなどさして興味がないような風に言葉を残して、彼はもう一度給水塔の梯子に足をかけ、上に上っていく。

「……あんた、女嫌いで有名な青峰くんっスよね」

「あん? それわかってんなら声かけてくんなよ」

 それを弾き留めるように声を掛けたのは私。
 彼は凶悪面をさらに顰めてこちらに振り返る。

「なら、私と付き合ってほしいっス」

 自分の口から出た言葉に愕然とする私と、それを聞いて切れ長の、目つきの悪い目を見開いた彼、青峰大輝。
 彼の口から言葉がたっぷり零れ落ちるまで、あと5秒。

「はああ!?」






僕らに愛なんてない
(( あんたは女嫌い、私は男嫌い、お互い男、女除けってことで偽物のカレカノにならないっスか ))
 

 







n番煎じにもほどがある。
けど、やってみたかったネタの一つ。
女嫌い青峰と男嫌い黄瀬の偽恋人話の始まりでした。
また機械があれば続きを書こうと思います。




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