花嫁の涙 1 | ナノ

花嫁の涙 1


*青黄♀ 22歳設定
*モブ男(名前付き)×黄♀描写あり





 あんたと出会い、恋焦がれて。やっとの想いであんたと心を通わせた。
 けれど幸せはほんの一瞬。
 あんたは私の手をすり抜けて、どんどんと私の知らないあんたになっていったよね。
 あんたと別れたあの暑い、あつーい夏の日から、私は何一つ先に進めていない。
 進めないよ、だって私は今でも――。 
 あれから進み変化したのは、無情にも日々刻々と過ぎ去っていく時と、私を取り巻く環境だけだった。
 



花嫁の涙




 別れた、というのは少しばかり語弊があるかもしれない。結果的に言い直すとするならば「関係を解消した」のだ。
 忘れもしないそんな私の初恋の始まりは、中学二年、春。
 自慢ではないけれど前々から一度見たものは大抵こなせてしまう私は、どこか殺風景で白黒の世界に何年もの間閉じ篭っていた。何をしても楽しくない、詰まらない。そんな日々を過ごしていた私だからこそ、彼に、余計に惹きつけられたのかもしれないと、惹きつけられたのも無理はないんじゃないかと今では思う。
 とある春の日差しが温かな日の放課後、私がたまたま通りかかった体育館の外から見たのは、爽やかな風の通る体育館で自由自在に大きな茶色のボールを操り、追い掛け、まるでその風と一体化したような身の熟しを見せる一人の少年。これが私の初恋の彼――青峰大輝との、出会い。
 コート上で異彩の輝きを放つ楽しげな少年に一瞬にして目を奪われ、胸の内から溢れ出てきた感情の昂ぶりを今でも覚えている。白黒に見えていた世界が急に色づき始めたのも、彼のプレーを見た直後。あの時の感情が所謂一目惚れと言う奴だったのか。
 その人のプレーをもっと間近で見てみたくなり、居ても立ってもいられなくなった私は、そのまま体育館に足を踏み入れ、大きな声で叫んだ。そう、「私を男子バスケ部にいれて欲しいっス!!」と。
 途端に止んだ、キュッキュッと鳴る、床とバッシュが擦れ合うスキール音や、力強く突かれる茶色いボールのドリブル音。驚いたような眼差しを向け、ぽかんとしている部員たちの中には、褐色肌にたまのような汗を流した彼の姿もあった。あの時の顔、面白かったなぁなんて。その後、ぽかんとしていた彼らが笑い始めたのは言うまでもなく、皆それぞれにひとしきり笑った後、口にしたのだ。男子バスケ部に来た所でどうにもならないだろう、まずは女子バスケ部へ、と。
 今思えばあんなに大勢の前で酷い失態をしてしまったのにも関わらず、当時の私は相当図太い神経の持ち主だったようで。それならばと開き直り「なら男子バスケ部のマネージャー希望っス!」と声高らかに宣言したのだ。
 それからは色々とあったものの、結局マネージャーの枠にすっぽりと収まり毎日部活に精を出した。自然と、青峰っちと話すようになっていたのもその頃。彼と放課後二人で残って、簡単にだけれどバスケのミニゲームを教えてもらったりもした。彼と過ごす時間は、今までのどの時間よりも輝いていて、それまで碌な恋愛をしてこなかった私に恋愛の楽しさも教えてくれた。
 しかし、彼と仲良くなっていくにつれ、溢れ出てきてしまいそうなその恋心に私は臆病になっていった。もし、告白でもして振られたら、元のようには戻れないのだと悶々とした日々を送った。悩んで悩んでどうしようもなくなり、今まで直隠しにしてきたその気持ちを同じ男子バスケ部のマネージャーを務める桃井こと桃っちや黒子こと黒子っちに打ち明け、相談してみれば、なんで青峰なのかと散々問われた挙句「きっと大丈夫」と幼馴染、相棒の二人からお墨付きの言葉を貰い、結局告白を決心。
 あんたが好きだから付き合って欲しいと、翌日の放課後、自分からした人生初の、一世一代の告白に、青峰っちは照れたように表情を緩めながら一つ返事で頷いてくれたのだ。
 六月八日。女々しいことに今でも彼と結ばれた記念日を覚えているのだから笑えてしまう。けれど、それほど彼を想う気持ちは強かった。
 それからは、前にも増して毎日がキラキラと輝いていた。自分の恋を応援してくれたマネージャーの二人を始め、後に全中三連覇を果たすこととなる、キセキの世代と呼ばれた彼等に「少しは離れろ」と呆れられてしまう程度には、毎日毎日くっついていたように思う。


「青峰っちー、私たちがおじいちゃんおばあちゃんになっても、一緒に居ようね!」

「お前重っ! 今からそんな話かよ。 でもまあ、俺らにはそんぐらいが丁度良いかもな。 んじゃ、爺になってもよろしくな、涼華」


 私は、一件、順風満帆に見えたその恋に溺れ、ゆっくりと、しかし確実に狂い始めた歯車に気づくことさえできなかった。それを思い知ったのは中学三年生、全中を目前にしたとある日の事。
 突然、あのバスケ馬鹿と称された彼が部活をサボるようになった。最初の内は、体調が悪くなってしまっただけだと信じて疑わなかったが、どうもそうではないと感じるようになった。心配して、なぜ部活に出ないのかと何度か問いかけてみたりしたのだが、返って来たのは「あー」だとか、「んー」だとか。そんな気の抜けた母音ばかりで、いつの間にかキラキラと輝いていたあの笑顔でさえも消え失せていった。
 それが無性に寂しくて私は何度も何度も1on1に誘ったけれど、結局は上手くあしらわれ、その頃には今数えてみても片手で足りてしまうほどしか私とはバスケをしてくれなくなくなっていて。
 そんなまま、挑んだ全中で三連覇したことを機に、他のキセキと呼ばれたメンバーもバラバラに離れていき、青峰っちも「俺に勝てるのは俺だけだ」と訳の分からないことを言い出した。
 それ以降の彼は、まさに廃人同然。
 あれほど愛してやまなかったバスケットボールを手から離し、持ち替えたのはグラビア誌。授業にも碌に参加せず、屋上で耽る彼の姿を見て、どうにかしたいと本気で思った。

 
「青峰っちー! ねぇ、1on1しようよ!」

「……ウゼェよ、あっち行けって。 黄瀬」


 何度ウザがられようと私は彼をバスケから離れさせたく無かった。もう一度、あの日のようにコート上で笑って欲しくて、幾日も幾日も屋上で耽る彼の元へ足を運び続けた。例え、前のような甘い雰囲気が欠片もなかったとしても、自分を彼が名前で呼ばなくなったとしても、「好き」の一言すら、言ってもらえなかったとしても。私は、今は彼もきっと辛いのだと、彼の前では決して泣かないことを心に決めた。
 そんなある日、私が性懲りもなく彼の周りをウロウロとまとわりつき、1on1をせがんでいると、彼はあの頃の輝きは微塵も見受けられない濁った瞳で不敵に笑った。


「お前の身体、寄越すならしてやってもいーぜ。1on1。」

 
 一瞬の、間。
 何を言われたのか理解することが出来なかった。
 それを漸く、やっとのことで理解した私の中で、何かが音を立てて盛大に崩壊していったのは今でも忘れられない。
 けれど、なんとしてでも彼とバスケを離れさせたくなくて、私はその条件を飲んだ。
 驚いたような彼の瞳は、事を理解するにつれ弧を描く。
 そうして私を押し倒し、覆いかぶさりながら、ただただ欲のままに私を欲した。 
 他に誰もいない静かな、授業中の屋上。お相手は、私の大好きな大好きな青峰っち。それなのに、どうしても心は晴れなかった。
 気持ちの篭らない上辺だけのキスを何度も交わしながら散らばっていく自分の服を横目で、ただ冷静に見つめ続けた。
 顕になる自らの裸体。貪るように身体を暴いていた彼は、きっと私がどんな思いで彼を見つめていたか知らない。
 

『いつ、私たちは間違ったんスかね……』


 夏の終わり、まだ生き残っていたようなセミの鳴き声をどこか遠い意識の中で耳にしながら、私は彼と繋がった。
 初体験の甘い夢は、まあものの見事に打ち砕かれ、ただ虚しさと、身体と心の痛みが残っただけ。
 彼は、行為が終わると身体を明け渡した条件も忘れてさっさとどこかに消えてしまったけれど、それでも私は彼がまた笑ってくれることを信じていた。結果として、彼の笑顔を私が取り戻すことは出来なかったけれど。


 それから中学を卒業し、別れるまでの一年はずっとこんな調子。会う度に、互いを傷つけあうように身体を繋げ、必要最低限しか会話はしない。もう付き合っているというよりはただのセフレ状態。
 回数を重ねるごとに精神的に追い詰められた私を見兼ねた彼の幼馴染が、「もうやめて、きーちゃん」と私に泣きすがってくるまで互いの距離は「最も近くて、最も遠い」と自分が感じるまで広がっていた。
 桃井に促されるがまま、別れを告げようと思ったのだって、自分の中で何かが壊れてしまったからに他ならなかった。
 別れを告げた私に、彼は止めるどころか哀れんだ目でこちらを一瞥し、私の元を振り返りもせず去っていった。
 これが彼と付き合って二年目の夏、当時十六歳だった私の、幸せな始まりからは到底予想できなかった最悪な結果で終わることとなった初恋。





 もう六年も前の話なのに始まりから終わりまで鮮明に覚えている。
 女々しいって、重いって思うでしょ?
 でも、忘れられない。忘れられる訳がない。
 だって私は――





――――――――――




 
 ふと、もう六年も前の事になる初恋の相手との別れを思いだし、化粧を落とすことも忘れ、化粧台の目の前で感傷に浸ること数時間。時計に目をやると時刻は既に二十時を周っており、すっかり夕食の準備をすることを忘れていた私――黄瀬涼華は大慌てで化粧台の目の前から立ち上がり、自室を飛び出してリビングに隣接している対人式のキッチンへと立った。
 これが「マリッジブルー」と言われるものではないことは十分に分かっている。
 昔の事を思い出して更に傷つくのも、そんな思いをしてまでどうしようもなく会いたくなるのも、全部全部、六日前に届いたメールのせい。
 冷蔵庫から取り出した玉ねぎと人参の皮を剥き、みじん切りにして、軽くフライパンで炒める。ここ数年の暮らしである程度の料理ならば作れるようになった。青峰っちと付き合っていた頃は全くと言って出来なかったのに。嗚呼、駄目駄目。なんでもかんでも青峰っちが隣にいた頃に繋げるのはもう辞めにしなければ。今、自分が共に暮らし、これから一生を掛けて大切に、愛すべき人の為に。
 物思いに耽ること暫く。その張本人が帰宅を告げるチャイムを鳴らす。一度フライパンを熱していた火を止め、玄関先にぱたぱたとスリッパの音を鳴らしながら移動する。扉を開ければ、ほら。おかえりなさい、私の愛すべき人。


「おかえりなさいっス、枝真さん」

「ただいま、涼華」


 ざっと見積もり、身長は百八十後半、黒縁の眼鏡を掛けた目の前にいる優男風の男前。キャラメルブラウンに染められたその髪はあらぬ方向へと飛んでおり、急いで帰宅してきたのが伺える。がしかし、如何せんそれに気づかない様子の相手に、思わず吹き出して笑ってしまう。仕方なしに、優しく髪を梳いてあげる。今日もお疲れ様、と労りの言葉を添えて。
 目の前の人物――結城枝真は満足そうに微笑むと腰を折り曲げて、少しばかり下にある私の唇に口付けを落とす。そうして、最後に私の左手をとり確認するのだ。


『良かった、今日もちゃんと嵌めててくれて』


 そう言われているようで、胸がぎゅうっと締め付けられる。私の左手薬指にぴったりと嵌った、輝きを放つその婚約指輪は、目の前の人物を真っ直ぐに愛すことができない私を責めているようだった。





――――――――――





 青峰っちと別れた十六歳の夏。あの日以降、私はバスケと関わるのを辞めた。
 それまでは進学した海常高校でマネージャーとして部員を見守っていたが、青峰っちと別れて、バスケに関わっているのが凄く辛くなった。コート上を楽しそうに走り回る先輩たちの姿を見ていると、どうしても昔の彼と重なって、自分の取り戻すことが出来なかった彼の笑顔を思い浮かべて、一人涙を零した。 
 高校生になり、惰性でもバスケを続けてくれている青峰っちをたまに試合で彼を見かけては、少しは身体を張って彼をつなぎ止めている甲斐があるのかなと一人自己満足したりしていた。
 けれど彼と別れて、身体を張る必要もなくなった時、私は彼の姿を見、声を聞くだけで、心が張り裂けそうになった。彼の荒んだ表情を見るのが別れる前より、どうしようもなく辛く思えた。
 だからバスケから逃げた。彼を見なくても済むように。
 日に日に、あの頃の色鮮やかな世界は再び色を失っていったけれど、私はバスケに背を向け、別の道へとただひたすらに走った。
 幸い、先輩たちは精神的にも身体的にもズタズタボロボロの雑巾みたいだった私を前々から心配してくれていたようだから、部活からはすぐに退くことができた。今となっては、それに対して凄く後悔していたりもする。あんなに自分を思ってくれた先輩たちの勇姿を、最後まで見届けなかったことに。まあ、今はそれは置いといて。
 元々やっていたモデル業を厳かにしてまで、やっていたバスケであった為、事務所側に本腰を入れてモデル業に専念したいと一言申し出れば、あとは流れに身を任せれば良いだけだった。
 流れ込む仕事、フラッシュの焚かれた瞬間だけ作る偽りの笑み。沢山の服を取っ替え引っ変えし、化粧も変えていく。割かれていく睡眠時間、フラフラな身体。そうまでなっても、仕事に躍起になって取り掛かったのは、やっぱり心のどこかではまだ青峰っちを求めていたから。そんなこと、認めたくなくて、少しでも存在をなかったものにしたくて。どんどんとスケジュールを詰め込んだ。
 なんて色のない世界なんだろうかと酷く嘲笑ったものだったが、そんな時、枝真さんと出会った。
 五歳歳上の枝真さんは、その頃にはもう既にスタイリストとして業界に名を知らしめていた期待の新人で、ある仕事をきっかけに私をよく気にかけてくれるようになった。
 精神も、身体もボロボロだった私を大丈夫だとあやしながら抱きしめてくれたのはまるで昨日のことのよう。
 誰にも頼れず、もう届きもしない気持ちを胸に抱えていた私は藁にも縋る思いで、彼に身を任せた。ただただ、青峰っちを忘れる手段が、欲しかっただけ。
 

「俺さ、涼華を守ってあげたいんだよね。 全部。 全部、忘れてさ。 俺のところおいでよ」


 そう言って差し伸ばされた手を取ったのは、紛れもなく私。忘れることなんて、できるわけないのに。今から考えるとほんっと呆れるくらい馬鹿だな、私。自分が苦しくなることも、相手を傷つけ続けることも。全部全部わかってたのに。





 そんな彼と付き合い始めて三年目の春。 二十一歳になった私は、彼たっての希望で同棲を始めることになった。私や彼の忙しさと言ったら尋常ではなく、私はテレビにも出始めのころだったので余計に、二人で会う時間も少なくなっていた時だったから、きっとすんなりとその提案を受け入れたんだと思う。大分、青峰っちのことよりも今目の前に居る存在を意識するようになった、そんな頃の出来事だった。
 今まで住んでいたアパートを引き払い、彼の家に住むこととなったのだが、丁度その引越し前日にかつてのマネージャー仲間で、青峰っちの相棒だった黒子っちが私の家に訪ねてきた。
 あの高校一年生の夏、あまりの辛さに昔の仲間と顔を合わせたくなくて、桃井以外の、かつての仲間たちのメールアドレスを全部削除し、アドレスを変え、引っ越した先の住所さえ教えなかったというのに。目の前に現れた、かつての面影を残しつつ、しかし確実に大人っぽくなった黒子っちに驚きを隠せなかった私は、黒子っちに上手く言いくるめられるがまま彼女を引越しの荷物がまとまったその部屋に上げることになった。


「なんで此処がわかったんスか? ……桃っちから聞いたのかな……」

「そうです。 桃井さんから強引に聞き出しました。 ……引越しするんですか? 黄瀬さん」

「え、ああ…まあ。 そうっスね。 明日には引越しして他の所に行くっスよ」


 数年ぶりに交わした黒子っちとの会話はどこかギスギスとした空気の中で始まった。当たり前っていったら当たり前。突然音信不通になったかつてのチームメイトを目の前にして彼女は何を思い、何を感じているんだろうか。


「……桃っちから強引に聞いたってことは、何か用事があったんスよね? どうしたんスか、黒子っち」


 続かない会話をどうにか続けようとなぜここに来たのかと問いかける。黒子っちはきゅっと形の整った眉を寄せ、困ったような、泣きそうな。そんな表情を見せた。


「今更、こんな事言うものでもないってことは……知ってます。 でも、どうしても……! やっぱり君たちには笑っていて欲しいから」


 切なそうな表情を浮かべながら黒子っちが話し始めたのは、あの高校一年の夏の、後の話だった。ある程度は桃っちから聞いていたけれど、改めて聞くとなんだか泣きそうになる。
 あの夏の後、それこそいきなり冬まで飛んでしまうけれど、ウィンターカップで黒子っちが通い、マネージャーを勤めていた誠凛が、青峰っち率いる桐皇学園を破った。「俺に勝てるのは俺だけだ」と豪語していた青峰っちは、漸く負けることが出来たのだと、後に語ったという。それから後の彼は、グレていた時期とは別人のように、昔へと戻っていったらしい。その話を聞いて、私がどれだけ絶望したことか。私では、彼を光に導いてあげられなかったのだと、何度泣き崩れたことだろう。結局、彼を光に戻したのは黒子っちで、私はなんの役にも立てなかった。


「結局私じゃ、青峰っちを助けて上げることなんてできなかったんスわ。 ありがとね、黒子っち。 青峰っちを救ってくれて」


 思ってもみないことをベラベラと勝手に喋る口をどうにかして欲しい。本当は、黒子に出来て、自分にはできないことを知り、嫉妬で狂いそうなくせに。それは表立って話されることなく、胸の内に蓄積されていく。作り笑いも、崩すことができない。醜い荒んだ感情が心を蝕む。そんな醜い私を知りもしないで、黒子っちは首をふるふると横に振り、話を続けた。


「あの後、昔のように輝きだした彼の世界には、一つだけ足りないものがありました。 それが君です、黄瀬さん」


 黒子っちの思わぬ言葉に目を見開いて、どういうことかと問いかければ黒子っちは再び口を開く。ここからは黒子っちの口からしか聞いたことがなかった話。突然の莫大な過去を話されて、私の頭は既に容量オーバーの域に達している。


「青峰くんは改心したのと同時に、恋人だった君に対する罪悪感が芽生えたのだと思います。あれほど大切にしていたのになぜ自分は手酷く彼女を扱い、手放すようなことをしてしまったのかと彼は言っていました。 あれから君に連絡を取ろうとしても、メールアドレスから何やら全て変更されていて青峰くんはずっと、ずっとその気持ちを胸に抱えてきました。 僕にも君のアドレスを聞きに来ましたが、生憎僕にも教えてくださらなかったみたいですので……」

「うぅ、すいませんっス……」

「まあ、良いです。 桃井さんは桃井さんで、青峰くんを許せなかったことを理由に、君の情報は一切漏らしませんでした。 勿論、僕や他のキセキの世代にも、今日まで一切の情報を漏らさなかった。 ……バスケから逸れて、モデル業を本格的に歩み始めた君を、それからもずっと、彼は探し続けています。 会って、謝りたいのだと。 そうして、もう一度伝えたいことがあるのだと、青峰くんは言っていました。 今、彼はバスケの本場を拠点として活動しているので、そう簡単に君を探したりはできなくなっていますが……。 今でもこちらに帰ってきた時には、実家に帰るのも後回しで君を探しているんですよ」


 桃っちからも聞いていて、尚且つテレビでも放送されていたから、青峰っちがバスケの本場、アメリカで見込まれNBA選手として戦っているというのは知っていた。バスケに対する情熱を戻してくれた代わりに、また遠くに行ってしまったと一人寂しく思ったことも一度や二度ではない。
 それだからこそ、黒子っちのから聞く、その後の青峰っちに驚きを隠せなかった。青峰っちがそんな風に思っていてくれていたなんて知らなかったから、すごく、凄く嬉しい。けれど。


「……青峰っちの気持ち……嬉しいっスけど、会えないっスわ。 私、今大切にしなくちゃいけない人がいるんスよ。 だから、ごめんね。 青峰っちには、探さないでって伝えてほしいっス。 それと、もう大丈夫だからって」


 自分の感情を押し殺して笑う行為には慣れていたつもりだったけれど、やっぱり心が苦しい。会いたい、会いたいよ。青峰っち。何で、あの頃みたいに私を突き放してくれないの?真っ直ぐ枝真さんだけを見させてくれないの。
 私はしっかり笑えていただろうか。その時点でかなり不安なのだが、黒子っちは苦虫を噛み潰したような表情をして、そうですかと言っただけだった。  
 それから彼女とは、皆と離れている間に出来た恋人の元へ明日から行くことや、業界で出会った人たちの話、私も面識のある火神っちと付き合っているらしい事など、他愛もない話で何年もの溝を埋めるように盛り上がって、再びアドレスを交換して。その日、それ以上青峰っちの名前を聞くことが無かった。





 枝真さんのアパートに引っ越してからも、黒子っちや桃っちとは頻繁にメールのやり取りをしたり、カフェでお茶を飲んだりもした。いつ会っても二人は絶対に青峰っちの話を口にしなくなった。だから私は、青峰っちに戻りつつある心を押し殺し、枝真さんだけを見ることが出来た。
 でも、感情を押し殺しながら枝真さんと付き合っていることが、ただただ申し訳なかった。





――――――――――





「涼華」

「なんスか? 枝真さん」

「結婚しようか」

「うん……、……え?」


 なんて具合に、普段と至って変わらない会話の流れでプロポーズされたのが半年前。もう大分住み慣れた新住居に置かれたソファーでゴロゴロと転がりながらファッション雑誌を見ていた時の事だった。
 付き合って三年、悪くはないだろうと彼は笑いながら私の左手をとって嵌めていいかと彼の手のひらに収まっていた小さなリングを見せてくる。至ってシンプルな輝きを見せる指輪は女の子の憧れであり、いつかはと夢見るその代物だった。
 私は戸惑いながらも頷く。彼が、不安定だった私を今まで支え続けてくれたのだ。今度は、二人で支えあっていきたい。単純に、そう思えるようになるまでに時間がかかったが、近くにいない青峰っちよりも、今ならこの人と幸せになる道を選べる。
 私が頷いたのを嬉しそうに見つめて、彼は私の左手薬指にその指輪を嵌めた。そして、触れるだけの、優しい口付け。


「幸せにするから」


 そう言った彼の笑顔が私の心を最大限に苦しめる要因になるなんて、この時は思ってもみなかった。





――――――――――





 枝真さんは私の作ったご飯を食べ終えると、いつも自分の食べた食器を持って後片付けを手伝ってくれる。それは今日だって例外ではなくて、先程まで一緒にキッチンに立ち、後片付けをしていた。幸せだと思うと同時に、燻りだしたその不純な気持ちに目を瞑りながら。
 それから彼はシャワーを浴びてくると言って、私の頭を一撫でしてからお風呂場へと向かっていった。
 途端に訪れる、無音の時間。
 携帯電話をスキニーのポケットから取り出した私は、この気持ちが燻り出した原因となった一通のメールを読み返し、深い溜息をつく。
 それが届いたのは六日前。仕事帰りのタクシーで、運転手のおじさんと他愛もない会話をしていた時の事だった。






 ふと耳に届いたのは、黒子っちからのメール受信を知らせた聞きなれた音。おじさんとの会話を中断させ、手馴れた携帯電話を操作する。届いたメールの差出人は紛れもなく黒子っち。またお茶会のお誘いかな、なんて一人笑みを零し、受信したそのメールを開いてみる。










 開いてみて、後悔した。










 簡素な文面には隠しきれない人格が滲み出ていて、誰がこのメールを打ち、誰がこのメールを送信したのかなんてすぐに分かってしまう。
 なんで、何で。私はもう大丈夫だと、黒子っち越しだけれど、伝えたのに。















To  黄瀬涼子
From 黒子っち
Sub  無題
――――――――――



涼華
話したいことがある

七日後の二十時、
よく二人で行ったあの公園で待ってる




  ―END―

――――――――――















 目の奥が嫌というほどに熱を持ち、それは徐々に涙となって頬を滑り落ちていく。もう、何度願っても呼んでもらえないと思っていた私の名前。打ち込むのに、どれだけの勇気が要っただろう。二人で行った公園なんて、よく覚えてたっスね。
 押し殺した気持ちが、どんどんと溢れ出てくるのが分かる。駄目だと思うのに、止められない、止まらない。
 タクシーを運転しているおじさんがミラー越しに私をギョッとしたような目で見つめていたけれど、流れ出したそれは止まることなく、私は携帯を握り締めたまま震えることしか出来なかった。


「……っ、会いたい。 青峰っち。」


 私の口から自然と零れ落ちた言葉を、聞いていたのはタクシーのおじさん、ただ一人。






 あの日から、六日が経った。青峰っちが指定したのは、明日の夜。けれど、私は行くべきではないと思っている。だって私は――――


「涼華、上がったよ。 ほら、ぼーっとしてないで早く涼華も入ってきな?」


 後ろから掛かった、枝真さんの声に小さく肩を震わせ、すぐさま携帯をポケットに戻す。彼に、震えたのが見られていないように祈りながら、また作り笑い。


「わかったっス!」


 この優しい人を、これ以上裏切ることなんて、できない。 
 溢れ出てきてしまった気持ちを、また元の入れ物に押し込めて、私はお風呂上がりの彼に、口付ける。
 そう、これでいいのだ。例え、自分の気持ちを裏切り続ける事になるとしても。

 










お久しぶりです(´・ω・`)
何も告げずに更新停滞して申し訳ないです

今回はなんだか書いていて自分でも収集つかなくなってしまったものを投下致します
(調子に乗ってPixivにも初投稿済み←)
昔、付き合っていた(とも言えるかどうか怪しい)二人がひょんなことで別れてしまって。 別々の方向にそれぞれ歩みだした筈なのに、どうしても心の中では納得がいかずに悶々とした日々を送り続けている二人。 それを忘れようと他のモブ男(名前付き)と付き合い、ゴールイン寸前の、けれど青峰を忘れられない女々しい黄瀬ちゃんと、どうにかして黄瀬ちゃんとヨリを戻そうと藻掻く青峰のお話。

きっと、過去最高の長さです←
そして、管理人の気力が持てば続きます



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