離してよ、意地悪 | ナノ

離してよ、意地悪


*知らないフリ、しようかもっと傷ついてよの続き



 一度決壊した涙腺は涙を止める術を失い、頬を流れ落ちるそれを服の裾で拭う度に擦れて目が赤くなっていくのを感じながら、俺は先程からずっと隣に座って俺の背を撫で続けてくれている紫の彼に寄りかかっていた。
 必要最低限の物しか置かれていないシンプルな部屋だけれど、どこからともなく仄かに香るお菓子の匂い。きっと何処かにお菓子の山が隠されているに違いない。
 ここは、青峰っちと共に暮らしていた我が家ではなく、甘い匂いに溢れたお菓子の家――ならぬ紫原敦が一人暮らしをしている家である。
 今は青峰っちの顔を見たくない、けれど行く宛てもない。そんな俺に手を差し伸べてくれたのが紫っちであり、彼に甘えてその手を取った。
 それから紫っちに促されるままに何も持たず家を出て、一時間程電車に揺られて着いた場所が此処。
 此処はお菓子と紫っちの匂いさえすれど、未だ心に胡座をかくようにどかっと居座っている青峰っちの匂いはしなかった。
 青峰っち自身のあの男らしい匂いも、その口で吸った、煙たくてどこか苦い煙草の匂いも、その腕で抱きしめて貫いた女の、最高に甘ったるい香水の匂いも。
 この部屋はささくれ立った俺の心にとって優しく、とても心穏やかに居られる空間だった。
 紫っちには失礼だけど、このまま青峰っちを忘れて紫っちの元へとやってくれば、辛くないのかな。
 俺も青峰っちを忘れて、青峰っちも俺を忘れてくれれば。
 そう思って彼との共同生活に区切りを付けた筈だったのに、俺が家を出てくる前にとった行動は“忘れて欲しい”と思っている人のする事ではなかった。
 青峰っちに染まったあの空間に、いつ帰ってくるかもわからない青峰っちへ書き置きを残してきたのである。
 詰まる所、俺は彼に忘れて欲しくない。無かった事になんて、本当はされたくないんだ。
 矛盾。なんて女々しいんだろうか。
 女々しすぎて、逆に笑いさえこみ上げてくる。
 けれど、言い訳が許されるとするならば言わせて欲しい。これは最後の俺の意地。青峰っちだけに良い想いなんてさせないって言う、俺の穢い汚い想いだ。
 青峰っちが、まだ俺を想ってくれているならば効果はあるだろう。ただし、想っていてくれたならに限る。
 なんて意地の悪い奴なのだろうと心の中で自分を嘲笑いながら、やはり考えるのは離れていても青峰っちのことなのだと思い知らされ、更に自己嫌悪。
 あー、いっそのこと俺が全て忘れてしまえたら楽なのに。青峰っちと過ごした数年間の想いを全て。
 




 ――嘘。
 本当は忘れたくなんかない。
 今でも狂おしい程に愛している青峰っちと過ごしたこの数年分の想い出は、捨ててしまうには余りにも大きすぎた。そう簡単に捨ててしまえる程簡素な物でもない。
 彼を想って溢れ出る涙は、頬を滑り落ち顎を伝って、重力に逆らえずぱたぱたと地に落ちる。「黄瀬ちーん、そんなにボロボロ泣いてたら目、うさぎみたいになっちゃうんじゃない?」

 安心感のあるトーンが背を預ける彼の胸から響いたのも束の間、俺の頭をまるでバスケットボールを掴むかのようにわしゃわしゃと撫でてくる紫っち。
 いつもは俺が彼を甘やかす(という名の餌付けをする)側なのに、今日はそんな彼に無性に甘えたくなって、ぐるりと態勢を変えて彼の胸に抱きつく。
 いつもお菓子ばかりを貪る彼の手が、こんなに安心するものだとは思わなかった。
 俺が抱きついたのを困ったように受け止めながら、柄にもなくすっと俺の背に腕を回してくれたのは紫っちなりの不器用な優しさだろうか。
 青峰っちよりも大きなその胸に抱き寄せられて、また鼻の奥がツンっとした。





 暫くして俺の涙も収まり始めた頃、ピロリーン、と俺のではない着信音が部屋に鳴り響いた。
 俺の携帯は家を出てくる時に置いて来た(無いとは思ったけれど、青峰っちからもし電話が来たら出てしまいそうだった)から、俺のものではない。
 すぐ紫っちの物であることを悟り、一向に携帯を手に持とうとしない紫っちに視線を向ける。
 すると、そんな俺の視線に気がついた紫っちはまたその大きな手で俺の髪を撫で、まるで何も聞こえていなかったかのように再び携帯の着信音を無視した。
 そうしてもう一度俺に寄り添いぎゅうっと抱きしめてくれる。青峰っちは、もう二度と俺にこんなことしてくれない。

「紫っちだったら……、俺を幸せにしてくれて、俺と幸せになってくれたかもしれないっスね……あ、ごめん。今の、ナシ……これ以上紫っち巻き込んで、迷惑なんて掛けたくないっスもん……だから、今のは忘れて」

 思いもせず口から出た言葉に自身も驚いたけれど、あははと乾いた声を漏らしてごめん、と口にした。
 今の自分はいつ突拍子もない事を言い出すのか、自分でも分からない。
 折角収まっていた涙が、訳も分からず溢れた。あーあ、また紫っちを心配させちゃう。

「……黄瀬ちん、俺なら幸せにしてあげるよ。 一緒に幸せになろ? だから……俺のとこ、おいでよ……」

 突然自分の視界が暗くなり、目の前には紫っちの顔がドアップで映される。
 あまりにも近いその距離に驚き固まる俺を他所に、紫っちは「ね……?」と小さく首を傾げて俺の唇に己の唇を優しく重ねた。
 数年ぶりに、青峰っち以外と唇を重ねた瞬間だった。
 そのまま視界はくるりと回転し、目の前にはこちらを見下ろす紫っちの姿。 押し倒されたのだと気付くのに、そう時間は要らなかった。
 「俺、ずっと黄瀬ちんが好きなんだってさっき言ったよね? 峰ちんが居たから、黄瀬ちんが幸せそうに笑うから、ずっとずっと我慢してきたけど。 黄瀬ちんが辛そうにボロボロ泣くなら、もう、良いよね?」――奪っちゃっても、良いよね?

 まるでそう言いたそうに首をこてんと傾げてこちらを見つめてくる紫っちに、俺は混乱していた。改めて受けた愛の告白に、ぐるぐると目が回る。
 どうしていいのか分からないという風な俺を見て紫っちは満足気に目を細めた。
 それから、ふわりと一瞬だけお菓子の甘い香りが鼻腔を掠め、俺の思考を遮断する。
 
――もう、どうにでもなれ。

 ぷに、という独特の柔らかい熱を唇に感じながら、俺はそっと目を閉じた。






 泣くだけ、泣いた。とは言っても、原因は俺だけれど。
 アイツが居なくなるまで思い詰めていたなんて思いもしなかった――とは言わない。
 全部俺が悪かった。互いに恋人が居る身で身体を繋げ合っていたなんて、どう考えても相手への――しかも同姓の恋人への冒涜でしかないと言うのに。涼太が俺を想ってくれているからとそれに胡座をかいて余裕風を吹かしていた。
 それもこれも全て含めて、今俺に、アイツに辛い思いをさせた罰が今降りかかっているのだろうと思う。
 が、しかし。今は兎に角、手紙を残して忽然と姿を消してしまった恋人を捜さなければという焦燥感に駆られ俺――青峰大輝はくるりと踵を返し自宅から飛び出した。







 どれだけ走り回ったのだろうか。家を出た頃はまだ若干東の空に位置していた太陽は、既に西の空に沈み掛け、辺りをオレンジ色に照らす夕焼けが美しい。
 それとは対照的に俺の心はどんよりと曇り、雨が降って、今にも大雨洪水警報が発令されてしまいそうだ。
 
 家を出た後、他のキセキの世代や黒子、火神に黄瀬の居場所を知らないかとメールをしたのだが、返事を返してきたのは赤司ただ一人だった。

“今更過ぎやしないかい? 僕らの涼太を泣かせた罪は重いよ。 そんな大輝には教える必要もないだろう 涼太を泣かす奴は恋人でも殺す”

 厳しい厳しい元キャプテン様のそのお言葉にぐうの音も出ない。が、仮にも元チームメイトに“殺す”はないんじゃないか。いや、赤司だから許されるのか。なんて流されている場合ではない。
 赤司がこの調子な以上、他のキセキの世代にもお達しが出ているのだろう。多方、“大輝に何を聞かれても黄瀬の居場所を教えるな”と。
 それならば自力で、と意気込んで涼太が行きそうな場所や、二人で行った場所にしらみつぶしに行ってみたけれど、未だ、涼太は見つからない。今度二人で行ってみたいといつだか話していた場所にも足を向けてみたが結果は同じ。闇雲に捜して見つかるわけがなかった。

「なあ、お前は何処に行ったんだよ……涼太……」

 人混みの中、一人立ち尽くした俺は弱々しく呟き、立ち止まった。混んでいる道でいきなり自分が止まったものだから、何人か俺にぶつかっては迷惑そうに顔を顰めたが、大抵は俺の体格を見て何も言わずに去っていった。
 人混みで暫く立ち止まっていると、邪魔者を見るような眼差しと、奇異の眼差しを向けられて居心地が悪くなる。
 自分の髪にすっと手を通し、クシャっと握った。“クソッ”と吐き出して人を割くようにしてズンズンと道を進む。ただでさえ日本人では体格に恵まれている方だから、道行く人々とぶつかる。今度は誰だか知らない親父の怒鳴り声が聞こえた気がしたが、今はそんなのお構いなし。涼太、涼太。頭の中はそればかり。
 そのまま交差点まで歩いて行き、赤信号に捕まった。まるで、それは俺を涼太の元へ行かせまいとしているようで腹立たしかったけれど、ぐっと堪えて信号を睨みつける。
 その睨みつけた先の信号――向かい側で、信号待ちしていた二人の少年が手に持っていたバスケットボールが目を惹き、はっとする。
 
――そうだ。まだ行ってない場所あるじゃねぇか!
 
 最後に一つだけ涼太が行きそうな場所が思い当たって、俺の心臓は妙に跳ね上がった。
 俺等が出会ったきっかけであったバスケを、よく二人で遅くまでやった場所。
 いつの間にか赤から青へと色を替えた信号機を見てこちらへ渡ってくる少年たちへ心の中でそっと礼を言いながら、俺は足早にその場所へ向かった。







 そこに着いたのはもう日は沈み、月が闇を照らし始めた時刻の事だった。
 錆び付いた鉄のフェンスの中に入ればバスケットのゴール。
 学生時代、よく二人で1on1をしたこの場所なら涼太も来ているのではないか、と思ったがやはりこれも安易な考えだったようだ。
 涼太の姿はない。
 俺は自分でもまるで駄々っ子のようだと思ったけれど、フェンスに拳を叩きつけた。
 もう戻ってこない温もりと、涼太の辛さに気付いてやれなかった俺の未熟さに苛立つ。
 ガシャンッと物凄い音を立てたフェンスなどお構いなしにそのままズルズルとフェンスに身を委ねた。


 ――するとどうだろうか、今まで静かだったその場所はフェンスのけたたましい音の他に何かキー、キーというやはり錆び付いたような摩擦音が聞こえてくる。
 本当に、些細な音だった。聞き逃してもおかしくない程、些細な。
 けれど俺は、はっと振り返りフェンスの奥を見る。ストリートバスケに隣接した公園のブランコが主を失って虚しく揺れていた。
 その先を、更に目を凝らして見る。その先に見えたのは、今日一日恋焦がれて探し回った金髪――涼太がこちらに振り返ることなく一目散に逃げていく姿だった。
 
「涼太! 待てよ、涼太ッ!」

 俺は出来る限りの声を張り上げ、涼太が逃げた方向に走った。
 俺が追いかけている事に気がついた涼太は一度だけこちらに振り返る。が、すぐにまた前を向いて俺を振り切ろうとしていた。
 そんなの、俺に通用するわけないのに。と一人思う。
 お前をもう一度この腕に抱きしめる為なら、力はうんっと出るんだ。


 俺は今までにないくらい全力で走ったと思う。
 とうとう、うんと前を走っていた黄瀬の白い手を掴みこちらに引き寄せることに成功して、自らの腕に抱き止めきつくきつく抱きしめる。
 が、やはりというべきか涼太は嫌がり俺を押し返そうとした。

「嫌だ、青峰っち! 離して!」

 明らかな拒絶の言葉に凹む余裕もない。これを逃したらもう彼はきっと戻ってきてはくれないだろう。

「離さねぇ! 離さねぇ、離せねぇ!」

 俺は嫌がる涼太を離すことなく、取り敢えず大人しくさせようと涼太の首筋に顔を埋め口付けようとする(流石に浮気していた手前、いきなり唇を重ねるのもどうかと思った)。が、ふと香る甘い匂いに違和感を覚え、月明かりが煌々と輝く中、目を凝らして首筋を見つめる。涼太がひゅっと息を飲む音が聞こえて、俺の眉根がぎゅっと中央に寄った。

「……なあ、なんだよ。コレ」

 俺が言えた義理ではないのは分かっている。だが、そこに秘密の芽はあったのだ。
 赤い、赤い。俺が付けた記憶のない、真っ赤に熟れた綺麗な華が、黄瀬の首筋に色鮮やかに咲いていた。
 






「離してよ、意地悪」
(( 仕返しか? それとも浮気か? 兎に角、どういうことか説明しろよ。涼太 ))

 






随分と長くなりましたが次回で完結予定です(`・ω・´)
黄瀬くんが何故紫原とではなく一人でこの場所に居るかはまた次回!



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