本丸記 | ナノ

いつも通り平和な朝。私は朝食前に本丸から少し離れた森を一人散歩していた。
事件が起きたのはすぐ下に流れる川に気を取られた一瞬のこと。

振り向いた瞬間に頭に重い衝撃、浮遊感を感じた体、近くなる川、そして暗くなる意識。

声を発する間もなく、その体は川へ呑み込まれていった。

──────────

朝食の時間、本日近侍となっていた今剣は己の主の部屋へ膳を運んできた。
「あるじさま、あさげをおもちしましたー」と声を掛けて中からの返事を待つがしかし、いくら待っても主の声は返ってこない。

朝が強いと言っていた彼女がいままで寝坊することはなく、この状況にどうしたものかと首を傾げる。
幾度か声を掛けてから、もしかしたら夜が遅かったためまだ深い眠りについているかもしれないとの答えが彼の中で出た。

「・・・あるじさまをおこすのも、きんじのやくめですよね」

初めてのことで緊張しながらも少しワクワクした表情の今剣が「はいりますよ」と声を掛けて襖に手を掛ける。
ゆっくり顔の幅くらいを開けると中を覗きこんだ。が、

「あれ?あるじさま?」

部屋に敷かれた布団は熱が逃げるように掛布団を捲りあげられており、主の姿は影も形もなかった。



そういえば主は時々散歩に行くんだっけと思いついた今剣が足を向けたのは道場だった。
朝早く起きた刀剣の誰かが走り込みやら水浴びやらの時に外に出た主を見たかもしれないと考えたのだ。

「すみませーん!」
「あ?今剣か。どうした」

刀を交えていた刀剣達がそれを下ろして今剣に目を向ける。
朝の事を簡単にまとめて話したところで刀剣達の様子を窺えば顔を合わせた彼等は首を捻った。

「僕達は見てないよ。少し遠くまで行っているんじゃないかい?」
「そうかもしれませんが・・・いままであるじさまがあさげのじかんまでにもどってこなかったことなんて──」
「今剣!」

しゅんとした今剣に面々が心配そうな表情を浮かべたところで、外から足音が聞こえてきて一同は何事かと目を向ける。
今剣を呼びながら顔を出したのは太郎太刀だった。
普段物静かな彼が焦りを面に出しているのは珍しい事で何かあったのかと一同に緊張が走る。

「どうしたのですか」
「主が意識不明の状態で池に浮いているのが見つかりました」
「あ、あるじさまが・・・!?」

ス、と血の気が引いていく今剣。今は部屋で寝ていると聞いて、ざわつく刀剣達を置いて二人は走って審神者の部屋へと向かった。

──────────

主の部屋に多くの刀剣が集まっていた。正確には部屋にいるのは彼女と仲の良い者と医術の心得がある薬研だけで、大半は廊下から部屋を覗いている状態だが。

「どうですか薬研。あるじさまはだいじょうぶですか」
「落ち着けって。取り敢えず水は吐いたし脈は安定してる。体温が下がってることもない。頭の怪我もそう深いものじゃなかった。しばらくしたら起きるだろ」

ふっと息を吐いて表情を緩めた薬研に周りの刀剣も胸を撫で下ろす。
しかしその中で太郎太刀は再び顔を顰めた。

「主は誰に襲撃されたのでしょうか」

その問いとも独り言とも取れる呟きに刀剣達の間に緊張が走った。
この本丸と周辺の広い土地は特殊な場所にあって外からの干渉は難しくなっている。ともすればそこで襲撃があれば犯人の可能性として一番高いのはそこに住む刀剣の誰かという事で。

ここから大々的な犯人探しが幕を開けた。

──────────

──やっぱり審神者に突っ掛ってた人じゃない?
──でも朝早かったぜ。皆相部屋だし、一人だった奴なんていんのか?
──こっそり抜け出したんじゃないか?それか道場にいた奴等とか・・・

全員が広間に集められた各々から小さく囁く声が聞こえる。
太郎太刀と長谷部による簡単な取り調べが一人ずつ行われており、広間にいる者は朝餉を取りながら自分の順番を待っていた。

「ったく、朝から面倒な事になったぜ・・・」

盛大な溜め息を付いた和泉守の言葉に隣に居た堀川が小さく肯定を返す。
彼としては『面倒な事』とまでは言わないが大きな問題であるという事は重々承知していた。
襲撃されたのだ、審神者が。この広間にいる誰かに。
本来なら審神者と契約している刀剣は簡単には逆らう事が出来ないはず──なのに、こうして彼女が怪我を負ったという事は。

「彼女への負の念が契約を上回ったか、彼女の名を知って対等になったか、それか・・・契約自体が無効になっている。
 そう考えられるよね」
「燭台切さん」

取り調べが終わって戻ってきた燭台切が腰を下ろしながら二人の会話に入ってくる。
取り調べと言っても簡単なアリバイ調べと周りの刀剣に不審な動きはなかったかという確認だけだ。
しかし終盤に近付いているそれも不自然に長く時間が掛かっている刀剣はおらず、犯人を割り出すのは難しいと思われた。

そうして話している間に朝餉も取り調べも終わり、一旦片付けと朝の支度を終えてから刀剣達は再び広間に集まった。
一人一人聞き出した情報を書き記したメモを手に皆の前に立った太郎太刀とへし切長谷部が顔を合わせた後、広間の刀剣達を見渡す。

「皆の朝の動向を聞いたが、目立って不自然な者はいなかった」

長谷部の言葉を聞いた刀剣達が少しホッとしたように肩の力を抜く。
いくら審神者を憎んでいようとも同胞から審神者殺しが出るというのは容認できるものではない。

「──しかし何名か空白の時間が確認できたことも事実です。そこで主の安全を確保すべく、今から名を読み上げた者からもう少し詳しく話を伺い、場合によっては監視を付けさせていただきます」

太郎太刀の言葉に、刀剣達の表情は再び硬くなったのだった。


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