その日、マダラは柱間に書類を届けていた。
部下に頼まず自分で行くのは休憩と柱間いじりを兼ねてだ。
柱間をからかい倒して扉間と罵り合って、そして帰ってきたとき、ソレはそこにいた。
「お帰りなさいませ、マダラ様」
綺麗な着物を着た女が三つ指付いてお出迎え。
お前は誰だ、とか、此処で何をしている、とか。もろもろ気になったことはあったが、マダラの気を引いたのはもっと別の所だった。
・・・頭に真っ白モフモフな耳がついている。ついでに着物から生えているように見える、これまた真っ白モフモフな尻尾が嬉しそうに揺れている。
「今日よりマダラ様の妻を務めさせていただきます、ツバキと申します。不束者ではありますが、どうぞよしなに・・・」
驚いて何も言えないマダラにツバキが再び頭を下げる。うっかり流されて「あぁ、よろしく頼む」などとのたまってしまえば、ツバキは嬉しそうに尻尾をユラリと揺らした。
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「あー・・・まぁなんだ。まずは互いの自己紹介といこう」
居間に移動した二人は夕食を後回しにして向かい合った。
珍しくどうしたら良いか分からないといった表情をしているマダラが、気付かれないようにツバキの耳と尾を見ながら言う。
どうにも見たことがあるような真っ白モフモフだ。
「はい。私の名はツバキ。生まれは・・・生まれは・・・えーっと、山の方、で・・・趣味は木のぼり・・・好きな食べ物は・・・、・・・」
しまった、食べ物なんてもう数十年食べていない。
まだ普通の狐だったころは何を食べていたっけ。
内心オロオロするツバキを見てマダラは確信した。
こいつ、あの時自分が助けた狐だ。真っ白な毛並みが珍しいと思ったがそうか、“白狐”だったか。
白い毛色を持ち、人々に幸福をもたらすとされる、善狐の代表格・・・どうやら自分は大当たりを引いていたらしい。
大方律儀に恩返しでもしに来たか。まぁ害があるわけではないなら追い返してしまうというのも野暮な事。
気が済むまで此処に置いてやろう。
「好きな食べ物は、ウサギの肉で・・・あ、得意なことは変化の術です」
「・・・そうか・・・変化の術が、得意なのか・・・」
クリクリと動く耳をさり気無く見ながらマダラが呟く。なんかもう可愛く見えてきた。撫でても良いだろうか。
「次はマダラ様の番ですよ」と言われて改めてツバキと目を合わせる。
「うちはマダラだ。一族の長をしている。その関係で忙しい日が多いことを先に伝えておく」
「あい分かりんした。私に出来ることがあれば何なりと申し付けくださいまし」
色々と突っ込みたいことはあるが(言葉遣いとか、狐に出来る事とか)その疑問は全て呑みこんで手招きをする。
寄ってきたツバキの頭を撫でると嬉しそうに頬を緩めたから、ついでに喉も爪を立てないように掻いてやればうっとりと目を細めた。
揺れる尻尾といい時折零れるキュウキュウという鳴き声といい、まんま狐だ。
だがしかし毛並みが良い・・・つまり撫で心地が良い。
暴れることがないと分かって頭をわしゃわしゃと撫でまわした。もっふもふだ。
どこぞの白い飛雷神使いとは天と地ほどの差がある。・・・いや、あいつの髪や首に巻いている毛皮になど触ったことがないが。
「・・・腹が減ったな。そろそろ夕飯にしよう」
「あ、はい・・・」
我に返ったツバキが、またもや「しまった」という顔になるのを見てマダラは小さく笑う。
そういえば使用人達はツバキがいることを知っているのだろうか。いや、いつも出迎えてくれる者が引っ込んでいたから知っているのだろう。
しかしツバキは自分の事をどう紹介したんだ。まさか「妻になります」だなんて・・・、・・・言ったかもしれない。そして使用人達は「幸福をもたらす白狐様がうちは一族にいらっしゃった」と招き入れたかもしれない。
案の定、夕食には赤飯が出てきた。
いつも以上に豪勢な夕食の席で一際存在感を放つソレ。意味など分かりきったことだ・・・がしかし、それでいいのか。狐だぞ。
当のツバキは目の前の食事に目を輝かせている。「好きなだけ食べろ」と言うと嬉しそうな顔をして机に両手をついて、そしてハッとして膝の上に戻した。
・・・狐の時の癖で直接食器に口を突っ込もうとしたのかもしれない。
気を取り直して箸を手に取るツバキだがどうにもそこから動かない。チラチラとこちらを見る姿を見て、そこで漸く気付いた。
箸の使い方が分からないのか。
何かしら手を貸してやっても良いが、どう切り抜けるか観察するのもまた一興。黙って見ていれば右手に箸を持って魚の煮付けを啄み始めた。
苦戦しながらやっと箸の上に乗せた身を慎重に慎重に口へ運んでいく。グラグラ揺れる白身にプルプル震える手。見ている此方が心配になってきた。
数秒後、漸く魚を口に放り込んだツバキは達成感満ちる顔でそれを咀嚼していた。気持ちは分かるがまだ一口目だぞ。
「上手いか?」
「はい、温かいです」
「・・・そうか」
実に獣らしい感想である。にしても一口一口がこれでは食べ終わるまでかなりの時間がかかりそうだ。
まぁ随分と幸せそうだから良いか。
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「おいツバキ、お前も風呂に入って来い」
食事が終わって風呂に入って、ツバキにもそう言って早数十分。
廊下から聞こえる足音にそちらに顔を向ければスッと襖が開いてツバキが入ってきた。きちんと入れるか心配だったが髪から滴が落ちる以外は特に指摘すべき点はない。
「何か不自由なことはなかったか」
「少し・・・お湯が深かったです」
「そうか・・・?」
ツバキの身長であれば普通に座っても肩までしか浸からないはずだが、まさか狐の姿で入ったのか。
頭の中に浴槽で泳ぐ姿や体を振って水を振り払う姿がありありと浮かんでくる。
「ふあ・・・ぁ・・・」
「・・・少し早いが寝るか」
「いえ・・・お構いなく・・・」
色々あって疲れたらしい。既に半分船をこぎ始めているツバキの髪を拭いてやって寝室に移動する。
敷いてあった布団に入れば一緒に入ってきてすぐに寝息を立ててしまった。隣にもう一組あるのだが、まぁいいか。
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次の日の朝、目が覚めたら白いモフモフを抱えていた。一瞬あの憎き千手弟を思い出して投げ飛ばそうとしてしまったが、そういえば昨日の押しかけ女房だったと判断して踏み留まる。
寝ているソレは確かに狐だ。見紛うことなく白い狐だ。
これが妻だと言ったら柱間はどう反応するだろうか。
そんなことを考えていたらモフモフが少し動いた。目を覚ましたのかもしれない。このまま目を合わせても良いが、せっかく頑張って人間を通しているのだから知らないふりをしてやろう。
目を閉じていれば焦った様子で此方を窺う気配がする。
明らかにホッと胸を撫で下ろした後、すぐにボフンと音が聞こえて腕が重くなった。
目が覚めたら狐に戻っていた。私としたことが何たる不覚・・・!
だがしかしマダラ様は未だ夢の中のよう。こっそり人間に化けてしまえば問題はない。
ふっふっふっ・・・最初はバレてしまいやしないかと内心恐ろしく思っていたが何という事はなかったわ。流石私。長い間化ける術を練習してきたかいがあった。
人間達が私の事を狐だと気付くことは一生ないだろう。
そう言えば押しかけ女房をしたのは良いが人間の妻というのは何をしたらいいのかな。
町では夫のために料理の食材を調達する女の姿を見たが(「今夜は夫が任務から帰ってくるから、あの人が大好きな鍋なのよ」「あら、良いわねぇ。私の夫は好き嫌いが多いから買出しも一苦労だわ」なんて会話をあちこちで聞いた)、あんな感じで良いのだろうか。
そうと決まればさっそく食材の調達だ。幸い人が活動し始めるまではまだ時間がある。愛する夫のために野兎を狩ってこよう。こう見えても狩りの腕はそれなりに自信があるのだ。
・・・もう数十年前の話だけれど。
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「マダラ様!」
朝、人に化け直して何を思ったか屋敷から出て行ったツバキが帰ってきた。手にはつい先程仕留めてきたばかりであろう虫の息な兎が二羽握られている。
「美味しそうでしょう。朝餉にいかがですか?」
「あー・・・そ、そうだな・・・使用人に言って・・・下処理をしてもらおう・・・熟成期間を考えると、食事として出てくる日は少し先になるな・・・いや、ウサギは美味いから楽しみだ」
あぁしまった、人間は加工して食べるのだった。生肉を持ってこられても困るか。
しかし喜んでいるようなので良かった。私ったら“出来る女”というやつだわ。
「もっと褒めていいのよ!撫でていいのよ!」と言わんばかりのその表情。マダラは小さく笑ってその頭に手を伸ばした。
「(まったくこいつは・・・)」
愛い奴よ
(柱間、俺の妻のツバキだ)
(えっ、)
(ツバキと申します。よしなに)
(あ、はぁ・・・。・・・マダラ、その娘どう見ても耳とシッ──ゴフッ!)
(世の中には暴かなくて良い秘密もある・・・覚えておけ)