こちらの続き物です。


「あ! 実弥さん、ここに居らしたんですね」

「探しましたよ」と愛らしい笑みを浮かべるなまえは、湯呑みを二つ乗せた盆を手に、ゆるりとした動作で傍へ腰を下ろす。

いつしか彼女は俺を“不死川さん”から“実弥さん”と呼ぶようになり、かつて師範と継子として暮らしていた風柱邸も、今では夫婦となった俺達の終の住処となった。

鬼殺隊としての使命を終え、生き残ってしまった自分に対し悪運の強い奴だと忌々しく思った事もあった。
だが、この命も今この瞬間の為にあったのだと思えば、それも悪くないと思えてしまう。
全てを失ってしまったと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。

一時は突き放そうとした。
彼女の将来まで強請ってしまうのはあまりに強欲だと思っての事だったが、けれど、彼女はそんな俺の腹の中を見透かしたかのように離れようとしなかった。
そればかりか、自分が幸せにしてやると大口を叩く始末。
しかし、今現在まさにその言葉通りになっているのだから、俺は素直に白旗をあげるべきなのかもしれない。

絆されるという言葉があるが、俺はいつからコイツに全てを掴まれ、縛られていたのだろうか?
……きっと、初めからだ。ひょっとすると、出会った頃からこうなる事は決まっていたのかもしれない。

「はい、どうぞ。今日は天気が良いからこうしてのんびり縁側でお茶を飲むのもいいですね。ここにお茶請けがあれば言うこと無いのになぁ」
「そうだなァ。今朝まで戸棚にあった筈のおはぎがいつの間にか誰かさんの胃袋に収まんなきゃなァ」

じっとりと横目で彼女を見やると、心外だと言いたげに「何の話だかさっぱり!」と全力で惚けた。
口元に餡子をつけたまま開き直るなんて、怒りを通り越していっそ清々しかった。
……まぁ、おはぎを平らげられたくらいで怒りはしないが。
例え自分の好物だったとしても、だ。

そう言えば、なまえは以前俺に一緒になれば退屈させないと誓ったが、それはまさにその通りでこうした何気ないやり取りですら心地いいと感じる。
一口茶を啜って、湯呑みを傍に置く。
徐に手を伸ばし、彼女の口元についた餡子を指の腹で拭い取ってペロリと舐めた。

「ん、甘ェ」
「……っ、」

その仕草に頬を赤らめるかと思いきや、それを通り越して青ざめるところが実に彼女らしい。
あわわ……と絶望的な表情で震え上がるので、耐えきれずに吹き出してしまう。
本当に今の今まで物的証拠を口の端に付けていた事を知らないまま踏ん反り返っていたらしい。

「本当にお前はコロコロ表情が変わっておもしれぇ奴だなァ」
「だ、だって実弥さんが意地悪するからでしょう? 餡子付いてるの知ってるんだったら言ってくださいよ……お説教は嫌ですからね」
「あ? 何で説教なんざするんだよ。一緒にいて飽きねぇつってんだ」
「え?」
「聞こえなかったか? 可愛いっつった」
「っ! き、聞こえませんでした。だからもう一回言ってください! ねっ?」

頬を染めながらよくもまあそんな見え透いた嘘を吐けたものだ。

しっかり聞こえてんじゃねえか。

けれど、柄にも無くその見え透いた嘘に付き合う自分も、彼女と大差無いのかもしれない。
瞳を輝かせながら言葉を待ち侘びるなまえのお遊びに付き合ってやるくらいには、愛おしくて仕方がないのだから。
こうも彼女を溺愛する自分が存在するなんて大いに笑い種だが、こればっかりはどうしようもない。
そう、どうしようもないのだ。
どうしようもない程に、俺は心底コイツに惚れている。

「たく……耳の穴かっぽじってよぉく聞いとけ」

肩を抱き寄せて、耳元で低く囁く。

「……俺の嫁は、食っちまいたくなる程可愛くて仕方ねェ」

紅潮した頬をさらに赤く染める彼女は、一体どこまでその頬を染め上げるつもりなのか。
まあ、見ている分には飽きないが。

「お、おはぎ!」
「あぁ?」
「おはぎ作ってきます! やっぱりお茶請けは必要だと思うんです!」

「何で今なんだゴラァ」といつもの調子で突っ込まずにはいられないタイミングであったが、ああ、俺が今食っちまいたくなるくらいと彼女に告げたからだろうか?
何年経っても素直な反応を返してくれるなまえは可愛らしいが、可愛らしいが故に意地らしく、もっと愛でたくなってしまうのが男の性だと思うのだ。

勿論、そんな事を許可する筈もなく、すくっと立ち上がったなまえの手首を掴んで引っ張った。
大した力は込めていない。軽く腕を引いただけ。
それなのに、彼女はあっという間にバランスを崩して俺の元へ倒れ込む。
胡座を組んで座った俺に背後から抱き竦められれば、体格差を覆して抜け出す事は愚か、ほんの僅かな抵抗すら出来ないだろう。

「うわ! わわっ、あの、実弥さん!?」
「この状況で、んな連れねぇ事言うなよなまえ」

「逃がさねェ」と、クツクツ喉を鳴らしながら意地悪く言って、顎を掬い上げるなり背後から被さる様に柔らかな唇に己のそれをソッと重ねた。

「此処にいろ。いいな?」

すっかり大人しくなってしまったなまえは、逃げ出す事を諦めたのか眉を下げて困った風に笑う。

「実弥さんって、実は寂しん坊ですよね?」
「……言い方ァ」

決して自分は寂しがり屋ではないと思うが、強いて言えばそれは彼女が相手だからだという事にしておこうと思う。
共に過ごす中でそう感じるという事は、つまり俺をそうさせたのはなまえ自身だ。
俺は、随分と彼女に染められてしまったらしい。

なまえは俺の腕から抜け出し身体を反転させると、再び膝の上に座り直す。
先程まで頬を真っ赤に染めてしどろもどろだったくせに、今では何事も無かったかのように普段通りだ。
これはこれで結構大胆な行動だと思うのだが……彼女の照れの基準が未だに分からない。

「まぁ、そうだな……お前が傍にいるようになって、賑やかな日常に慣れちまったからなァ」
「それって、あの日の約束をちゃんと果たせてるって事ですよね?」

“私が幸せにしてあげます!”

肯定の意を込めて頷けば、なまえは「やったぁ!」と無邪気に笑う。
純粋で無垢なこの笑顔をいつまでも守ってやりたいと思った。
そして、時間が許す限り誰よりも傍で見続けてたいと切に願う。

なまえは胸元に凭れ、俺に身を預けながら言った。

「実弥さん、大好きですよ。これからもずっとずーっと一緒です」
「……ああ。俺も、愛してる」

愛している。
他の何よりも、誰よりも。

幸せそうに身を預ける彼女を腕に抱いていると、うず……と腹の奥が疼き、落ち着きを逸してしまうのは、これもまた言葉に表し難い男の性だと思う。

我慢ならずになまえを軽々と横抱きにして、立ち上がる。

「うわっ! さ、実弥さん?」

突然の事に呆気にとられるなまえは、双眸を瞬かせながら小首を傾げた。
その表情は、これから自分がどうなるのか全く理解していない、お気楽なものだった。

「寝室行くぞォ」

これからお前は俺に抱き潰されんだよ。なまえちゃんよォ。

「へ!? まだお昼なんですけど!」
「だから何だァ。焚き付けたテメェが悪りぃ」
「焚き付けた覚えがないです!」
「心配すんな。うんと可愛がってやらァ」
「……もう。強引なんですから」

あやすように額に口付けを落とせば、根負けしたかの様になまえはしおらしくなる。
その様を愛おしいと言わんばかりの眼差しで見つめると「もう、お好きにしてください」と再度頬を染めて外方を向いてしまった。

「そう意地けんなよなまえ。お前の可愛い顔が見てぇなァ」
「……実弥さん、何だか今日はいつもに増して甘くないですか?」
「そうか? まぁ、お前がそう思うんだったらそうなのかもなァ」

愛だの恋だの柄じゃねぇが偶にはいいだろう。
残された時間全てをくれてやっても惜しくないと思える程度には惚れ込んでいるのだと、言葉で指先で眼差しで――飽きる程に教えてやらァ。


20230531



「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
×
- ナノ -