私の人生、思い返してみればいつだって心の真ん中には彼がいて、全てを捧げてきたように思う。
決して大袈裟な話ではなく、物心ついた頃から、もうずっとずっと前から、私の心は義勇さんだけのものだった。

初めての贈り物は幼稚園の工作で作ったお花。
小学生で生まれて初めてバレンタインデーにチョコを手作りしたし、中学生は調理実習で作ったハート型のクッキーを袋いっぱいに詰め込んで渡した。

そして、今日は――

「義勇さん!」
「冨岡先生と呼べと教えたはずだが?」
「はーい。義勇先生」
「冨岡先生」
「冨岡義勇先生」
「……(何故フルネームで呼ぶのだろうか)」

義勇さんは、また始まったとばかりに目を伏せて溜め息をついた。
無口で少々表情に乏しいところのある義勇さんだけれど、私にかかれば彼の喜怒哀楽のどれも取り溢す事はない。
うん、今のは呆れの溜め息だ。

雨にも負けず、風にも負けず、義勇さんのスルースキルと溜め息にも負けない強靭なメンタルを私はこの十数年で手に入れた。
本当はそんなものより義勇さんの心が欲しいのだけれど。

私は溜め息に臆する事なく、手に持っていた用紙を義勇さんの眼前に突きつけた。
「ジャジャーン!」とそれらしい効果音を付けて。

「今日で私も十八歳になったよ!」
「そうだったな。おめでとう」
「ありがとう! ついに成人したよ」
「ああ。良かったな」
「うん! だから、私と恋人を前提に結婚して!」
「……」

義勇さんはポカンとしていた。
とはいえ相変わらず表情は変わらないので、変わり映えしない絵面が生徒指導室には続いているわけだが、私には分かる。
この無表情は驚いて言葉もない時の顔だ。

「ね? ね? いいでしょ?」
「よくない。断る。何故そんな物を……」
「義勇さん知らないの? 今はネットでダウンロードすれば婚姻届印刷できるんだよ。このご当地の婚姻届すっごく可愛くない?」
「そういう問題じゃない。お前は生徒で俺は教師……結婚などするわけがない」
「義勇さんのケチ!」

今回も案の定、袖にされた。けんもほろろに突き放された。
つまりはいつも通りだった。

頬を膨らませてケチだと吐いて捨てても、義勇さんはまるで私を相手にしてくれない。

近所に住む義勇さんに恋をして、幼稚園生から高校三年生まで……かれこれ十数年義勇さん一筋。
青春を全て義勇さんに捧げてきた身としては、区切りである十八歳の誕生日こそ何かしらの変化が欲しかった。
幾度となくアタックして、その度にかわされ続けて、その度に諦めるものかと脇目も振らず彼だけを見つめてきた。
だから今日、放課後生徒指導室に来るようにと呼び出された時はそれはそれは期待に胸を躍らせたものだった。
それがこの素っ気無い会話だなんてあまりに味気ない。

「……じゃあ、なんで私を呼び出したの?」
「分からないのか?」

逸らされていた視線が一身に注がれる。
海の底のような深い青色の美しい双眸が真っ直ぐに私を捉え、目を逸らせなかった。

義勇さんは腰掛けていた椅子から立ち上がって、一歩。また一歩と距離を詰める。
性懲りも無く、捨てきれなかった期待に再び胸が高鳴った。
目を閉じて、手を胸の前で組み、顔を上向かせる。キスならいつでもどうぞ!そんなふうに。

しかし、物事はそうそう上手くいくものではないらしい。
私の期待は呆気なく打ち砕かれた。

ファスナーを下ろす音、そして、衣擦れの音が耳に届いた刹那――何かがウエストを目一杯に締め上げる。

「うえ゛!」

思わず蛙が潰れたような、へんてこな声を上げてしまう。
一体何事かと目を開けると、言わずもがな、腰には義勇さんのジャージが巻き付けてあった。
袖の部分で遠慮なく力一杯締め上げられたせいで、思わず内臓が口から転び出るかと思った。
ああ、良かった。本当に出ていなくて。

「スカート丈が短い。ブラウスのボタンはきちんと止めろ。アクセサリーは違反だ、今すぐ外せ」
「……」

今日という特別な日でも、私はやっぱり彼にとってただの一生徒だった。それ以上でも、それ以下でもなく。
唇を噛み締めて、俯く。腰に巻かれた義勇さんのジャージをぎゅうっと握り締める。

「みょうじ、聞いているのか?」

なまえではなく、みょうじ。それが引き金になったのかもしれない。
ずっと我慢して、押さえ込んでいた感情が一気に迫り上がって、止めどなくボタボタと溢れ出す。

「ちょっとくらい意識してよ!」
「!」

俯いたまま、声を荒げた。
吐き出した感情は、義勇さんに向けたものだったのに、真っ直ぐ前を向けない私は床にぶつけるばかり。

「ずっとずっと好きって言ってるじゃん……でも、私の事いつも適当にあしらって……」
「みょうじ、」
「名前ですら呼んでくれないし」
「……ここは学校だ」
「またそうやって生徒扱いだし……」

有象無象のうちの一人。その他大勢の中の一人。教師と生徒。
十把一絡げの扱いにはもう辟易する。
私は、義勇さんの特別になりたいのに。

「ずっと平気な振りしてたけど、平気じゃない……校則だって、義勇さんにかまって欲しいからわざと破ってたんだよ……!」

私がキメツ学園に入学してから、義勇さんの態度は一層よそよそしくなった。
名前で呼んでくれることも、髪を撫でてくれることも、微笑んでくれることもなくなった。

全然、平気じゃない。

「ねえ、私、今日誕生日だよ? 今日くらい何か言ってくれてもいいじゃん」
「……」
「期待くらさせてよ……ちょっとでいいから」

込み上げる感情に飲まれ、ぐしゃぐしゃになった頭ではまともな判断なんて出来るはずがなかった。
先程から口を衝くのは全て身勝手な言葉ばかり。報われない感情に託けて、義勇さんにあたっているだけ。
義勇さんはこれっぽっちも悪くない。
この感情は長年私が一方的に押し付けていただけのもので、義勇さんはそれに応える義務はない。

そんな事は初めから分かっていた。私がそれを受け入れようとしなかっただけで。
これでは思い通りにならないからと駄々を捏ねる子供も同然だった。
一生徒の扱いは嫌だなんて言っておいて、私はやっぱり子供に過ぎない。

向かいから、ゆるりと義勇さんの手が伸びる。
頬へ触れる前に、私は顔を上げて、いつものように締まりのない笑顔を無理矢理に浮かべて見せた。
今も、義勇さんの手は所在無げに伸べられたまま。

「な、なんちゃって! ごめんなさい……わがまま言っちゃった」

ブラウスのボタンを止め直し、アクセサリーを外す。
折り返したスカート丈を戻して、腰に巻き付けてあったジャージの袖を解いて差し出した。

「はいはい。これでいいでしょ?」
「ああ」
「わがまま言って、ごめんなさい……冨岡先生。もう今日で、先生の事好きなのやめる」
「は?」
「十八歳だし、何だか区切りもいいし? 明日からはちゃんとするから、大丈夫。今まで散々しつこくして今更なんだけ、ど――っ!」

不意に手首を掴まれ、力一杯引き寄せられる。
バサリと床の上にジャージが落ちても、そんな事を気に留める余裕が無かった。
正直に言って、今の状況を理解出来ないでいる。

――息が、止まりそう。

一体何がどうなって、私は義勇さんの腕の中に囚われてしまったのか。
私を抱きしめる腕の力が強く、こんなにも情動的に掻き抱かれる事など今までの彼からはとてもじゃないが考えられない。
そんな、とんでもないことが今現在起こっている。

「義、ゆ……さん?」
「冗談じゃない」
「え?」
「やっと、あと一年――どれだけの思いで俺が耐え忍んでいると思う?」

耳元で響く低音に、体の芯がじんわりと熱を持ち始め、心臓が早鐘を打つ。
「なまえ」と、鼓膜を揺する名前は自分のものであるのに、それは甚く特別な響きのように感じられた。

「お前の気持ちがいつかは離れて行くものだと、そう思っていた。だから、いつその時が来てもいいように無意識に一線を引いていたんだろうな……」
「は、離れないよ! 私はずっと義勇さんだけだもの!」
「よく言う。たった今、やめると宣言したばかりだろう」
「うう……」

義勇さんは抱擁を解いて、机の上に放られた婚姻届を手に取ると、僅かに表情を緩める。

「これは俺が預かっておく。卒業式の後、気持ちが変わらなければ取りに来い」
「それって……」
「分かっているだろうが、その時はお前を離してやることは出来ないから覚悟しておいてくれ」

その言葉は私が十数年何度も待ち侘びて、待ちくたびれて――待ち焦がれた言葉だった。
床を蹴って、今度は私から義勇さんに飛びつく。
ありったけの感情を詰め込んで、思い切り抱きしめた。

「っ、義勇さん! 大好き!」
「ああ。知っている」
「結婚して!」
「今はしない。あと一年待て」
「ケチ!」
「……はぁ」

吐き出される溜め息も今は随分と違って感じられるのは、きっとそこにお互いの感情が確かに存在するから。
きっとそうに違いない。


20240613



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