これまでの人生において私は幾度となく死にかけ、その度に死に物狂いで生き抜いた。
あれだけ激しい戦闘の末、五体満足でいられたのだからこれに勝る運なんて世界中探したってありはしない。
今回も例に漏れず、持ち前の豪運とやらは遺憾なく発揮されたようだった。

“お前はつくづく運のいい奴だなァ”

褒められたのか、はたまた皮肉られただけなのか――。
その真意は知れないが、師と仰いだ彼からのお墨付きなのだから、きっと良くも悪くもそのままの意味なのだろう。

数多の命を犠牲にしながらも無惨を討ち果たした現在、刀を振るう理由が無くなってしまった鬼殺隊は、解散してしまった。
勿論それは私も例外ではなく、隊服を脱ぎ捨て、常日頃帯刀していた日輪刀も手放した。
そのせいでぽっかりと空いた左側に違和感を覚える毎日だが、きっとこれもいつか慣れてしまうのだろう。
詰襟の隊服ばかりで久し振りに袖を通したこの着物姿でさえ、これからは日常なのだ。

けれど、あれもこれもと様変わりしたとしても、全てが変わってしまうわけではない。
変えたくない事柄だって存在する。
私にとってそれが“彼”だった。
そして、私が蝶屋敷を訪れた理由も“彼”である。

隠の人から師範が生きていて、今は蝶屋敷にて療養中だと聞かされたのは、彼が蝶屋敷に担ぎ込まれて数日が経過した後だった。
居ても立ってもいられず、勢い任せに感情の赴くまま駆け出し、此処までやってきた。

そして今、私は上がった息を整える事も忘れて病室の扉を勢いよく開け放つ。
大好きな彼の顔だけを思い浮かべて。

「師範ー!」
「……は、…………はぁぁあ!?」

***

誰がどう見たって先程のあれは感動の再会を果たす場面であった筈なのに、何なら涙を流して“よく生きていた”と抱き締めてくれるかもしれないと期待すらしていたのに。
蓋を開けてみればこの様だ。
何故か師範は私の姿を視界に捉えるなり魂消た様子で声を上げた後、いつもの調子で「ちっと面貸せやァ」と凄んだ。

継子との感動の再会は?
あれだけの戦闘の中よく生き抜いたとご褒美の抱擁は?
その訴えも虚しく、病室から連れ出されたかと思うと適当な空き部屋に押し込まれてしまった。
思っていた展開と違う。何故。

師範は終始無言で此方を凝視していたかと思うと、徐に伸ばされた手は私の髪を、身体を、何度も撫でて、触れてを繰り返す。
彼の手は、震えていたように思う。
だから今は何も抵抗する事なく、ただその手に身を任せた。
何度も回数を重ねるうちにその手付きは私の肌の感触を確かめるようなものに変わってゆく。

「え、ええっと……幽霊じゃないですよ?」
「……」
「ほら、足もちゃんとあるでしょう?」
「……」
「驚きました、か――うぶっ」

ひとしきり私を撫で回して満足したのか、それともようやく実感したのか。
不意に腕を引かれて、その逞しい胸に抱き止められる。
身体に回された腕に力が篭って、少しばかり息苦しい。

「師範、どうしたんですか? あ、もしかして言葉にならないほど私との再会が嬉しかったんですか? なーんちゃって……いだだだだ!」

つい先程まで抱き締められていた筈なのに、気が付けば頭部が彼の脇に収まり、そのまま締め上げられていて、いわゆる頭蓋骨固めのような格好に早変わりしていた。
なんて理不尽な事だろう。

「し、師は……さっきの、はっ、冗談です! 死んじゃいますか、ら」
「もっと早く会いにこいやァ」
「……へ?」

師範は言葉を被せるようにして口を開く。
頭部を脇に挟まれているのでその表情を窺い知る事は出来ないけれど、頭部を締め上げる力とは打って変わってその声音は僅かに震えているようにも感じられた。

抵抗を止めると途端に腕の力が緩み、すかさず腕の中から抜け出す。

「師範? ……あの、」
「その呼び方はやめろ。俺はもうお前の師範でも何でもねぇ。全部終わったんだからなァ」

私達の師弟関係に終止符を打つにはあまりに素気無い口振りだった。
その腕で苦しい程に抱き締めてくれた一瞬とは随分と違う。

「ええっと、つまり……私、今日限りで継子クビって事ですか?」
「そうだなァ」
「ええー……」
「もう十分だろ? お前はお前の好きなように生きろ」

そんな風ににべ無く突き放すのは、師範である彼から継子の私への最後の情なのだと思った。
だからこそ突き放すような言葉を態と吐く――どこまでも不器用で、不恰好な優しさだった。

「元気でなァ」と一方的に話を切り上げる師範は、踵を返し、障子に手を掛ける。

数々の死戦を掻い潜ってきた私と師範の関係が頭蓋骨固めで締め括られるだなんて何とも滑稽な最後だと思ったし、結局私達の関係性は彼にとってこの程度だったのかと思うと途端に心の距離を感じた。
部屋を出ようとする彼の背を見送る事が、彼の優しさに答える唯一なのかも知れない。
引き際を弁えて、彼の意を汲む事こそが継子であった私の最後の――

けれど、私を遠ざけようとする広い背中目がけて手を伸ばす。
そして、思いきり患者衣を掴み、引っ張った。

「――ぐ!」

鷲掴んだ患者衣を力の限り引っ張ったからか、首が締まった彼は堪らず呻いた。
「テメェ……」と唸るような声にも怯まず、ぶつかった視線に臆する事もなく、ただ真っ直ぐに見つめながら口を開く。

「師は…ええっと、あ、不死川実弥さん! 待ってください!」
「……んだよその呼び方ァ」

彼は酷く面倒くさそうにしているものの、一応話は聞いてくれるらしい。

「貴方はたった今、私に好きなように生きろと言いましたね? 男に二言はないですね?」
「……だったら何だァ」
「私、たった今決めました。これからも貴方の傍にいます!」
「ああそうかい……はぁ!?」

心底どうでもいいと背けていた顔を勢い良くグルリとこちらに向けた。
目をひん剥いて、額に青筋を浮かべたその形相に怯みそうになるが、ここで引くわけにはいかない。
それに、その恐ろしい表情には幾らか耐性が付いている。
伊達に彼の元で継子をしていたわけではないのだ。

「ですから、私はこれから先の人生、不死川実弥さんと一緒にいますと言っています! だってほら、」

まだ全て言い終わってないのに、彼は「あー」と声を上げて無理矢理に遮った。
先程の目をひん剥いた恐ろしい表情では無い事を思うと怒りの山は越えたようだが、声音は未だに苛立ちを孕んでいる。
苛立ちと呆れが混ぜこぜになったような、それはかつて継子の私を叱りつけていた時のものとよく似ていた。

「その呼び方、何とかなんねぇのか?」
「だって、師範じゃないんでしょう?」
「だからって名前全部呼ぶ必要は無ぇだろうが」
「……もう、面倒くさいなぁ」
「いい度胸だ。歯ァ食いしばれェ」
「ぼ、暴力反対です!」

何だかんだいつもの色気もクソも無い普段通りの私達だった。
往生際が悪いのもまた、私達らしい。

「ったく」と仕切り直し、ガシガシと髪を掻きながら気怠そうに、けれど私を捉える視線だけはいつもより柔らかで暖かだった気がする。

「……せっかく逃してやろうとしてんだろ。それぐらい気付けや」
「! し、知りませんよそんなの……頼んでないです。私が不死川さんの傍にいたいって、自分で決めたんですから」
「(そこは名前呼びだろうがァ)」

胸の前で腕を組み、外方を向いて自分の意思は曲げないと主張する。
師範の意を汲んで引き際を弁えるなんて事が出来るほど、私は出来た継子にはなれなかった。

「……ったく、面倒臭ぇのはお前も相変わらずだなァ」

半分程開いた障子が締まる音がして、直に頭上から影が落ちる。
見上げた先には距離を詰めた不死川さんが私を眼下に捉えていた。
ソッと頬に添えられた手に、自ら擦り寄る。
包帯が巻き付けられた彼の手は欠損した指で私の頬を満足に包めていなかったが、そんなことは気にならない。
ただただ、頬に添えられた温もりが愛おしかった。

「ちったぁ可愛いらしい事も出来んじゃねぇか」
「ふふん、当然ですよ。まだまだ不死川さんの知らない可愛い私を沢山隠してるんですからね」
「自分で言うもんじゃねぇなァ」
「だから、きっと私と一緒にいると退屈しませんよ? 私が不死川さんを幸せにしてあげます!」
「……! 逞しいのは結構だがな、お前、その台詞は俺に言わせろや」
「言ったもの勝ちです! 穏やかに隠居出来るなんて思わないでくださいね?」

屈託なく笑いながら言ってのければ、彼は一瞬呆気に取られた後、直に「ふは!」と吹き出す。
そして、今まで見た事ない程和やかに微笑んだ。

「そいつは楽しみだなァ」

「……好きだ、なまえ」と零れ落ちた愛の言葉に浸る間も与えてくれず、そのまま掻っ攫うかのように唇を奪っていく仕草ときたら実に彼らしかった。

20230531



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