「し、死ぬ……いつか絶対に、こんなとこ抜け出してやるんだからぁ……」

今日も今日とて私は死にかけて、命からがら午後一番の稽古を終えた。
一番ということは次も稽古が控えており、今は束の間の休憩というわけだ。

汗を流して、存分に汗を吸った隊服を着替え、覚束ない足取りでなんとか縁側まで辿り着く。
随分と疲労が溜まった体はまるで鉛のようでいて、受け身をとる事もせず、膝から崩れるようにしてそのまま力尽きる。
無脊椎動物か何かのように、べちゃりと床に倒れ込んだ。

ひんやりとした床板の感触が心地良い。

容赦ない師範のしごきは命を脅かす厳しさで、正直、このしごきに耐えるくらいなら鬼を相手にした方が何倍もマシだと思える程だ。
このまま任務が入らなければ、小休憩を挟んで再び地獄の稽古が始まって、そして、次こそ私は死ぬだろう。

神様、仏様、鎹鴉様――後生です。どうか私に鬼狩りの任務をお与えください。
寝そべりつつ、本気で、心の底から任務の一報を願った。

「ほらよォ」
「!」

しかし、私の元に届いたのは任務の知らせではなく、皿に乗った切り分けられたスイカだった。
死の淵に立つ私へのお供えだろうか?

それと同じくして稽古中より何倍も優しげな声が頭上から降ってくる。
スイカを一瞥し、傍へ目を転じると腰を下ろした師範がこちらを見下ろしていた。

「……私は師範のお好きなカブトムシじゃないんですけど」
「あ? んじゃ、食わなくていい」
「た、食べます! いらないとは言ってません。私のスイカを返してください!」

慌てて体を起こし、皿を下げようとする師範の手から奪い取った。
そもそもこのスイカは、先の任務で鬼から助けたお礼として私が頂いたものなのだから、私にこそ食べる権利があると思う。なにを差し置いても。

私からスイカを取り上げようとした師範だったけれど、ちゃっかり自分のスイカも用意してあるようだった。
「なんだそりゃ」と呆れたように言って、スイカに齧り付く私を見つめる瞳が柔和に細められる。
そして、あろうことか自分のスイカも食べろと言わんばかりに皿をこちらへ寄せた。
先程は私の分まで取り上げようとしていたくせに。

「いいですよ……師範のが無くなっちゃうじゃないですか」
「俺ァいいんだよ。そんな食いっぷりを見せられちゃあなァ」
「……人を食いしん坊みたいに言わないでください」
「はっ、違ったかァ?」

クツクツと喉を鳴らしながら破顔一笑する師範は、稽古中とはまるで別人のようだった。
あまりに貴重なものを見てしまったような気分になって、その笑みから目を逸らせずにいると、徐に伸びた師範の指先が私の口元を撫でる。
口元についた果汁を指の腹で掬い、そのままペロリと舌で舐め取った。

「っ……!」
「んな慌てて食わなくたって取りゃしねぇよ」

その眼差しも、口振りも、指先も――稽古中とは全てがあまりに違うので、どちらが本当の師範なのかよく分からなくなる。
稽古をつけてくれる時の鬼のように恐ろしく荒々しい一面も、今のように見守るような包容力に満ちた一面も、きっとどちらも本当の彼なのかもしれないけれど……。

「稽古中も、これくらい優しかったらなぁ……」
「あ?」
「え、あ、なんっ、何でもないです!」

ぼんやりしていたせいか、まさか本音が口から溢れ落ちていたとは思いもしない。
聞き直す師範に対し、慌てて誤魔化してみるが、それも手遅れのようだった。
ガシガシと粗雑に髪をかき混ぜられる。

撫でるというにはあまりにも粗暴で、混ぜこぜにされた髪が鳥の巣の如く乱れに乱れた。大爆発だった。

「な、ちょっと……師範!」
「……俺はもう、大事なもん何一つ無くしたくねェんだよ」

乱れた髪の隙間から覗く不鮮明な視界に映し出された師範は、そっぽを向いたまま呟く。
何処というわけもなく、少しばかり遠くを眺めながら呟く師範の表情は少し憂いの影を落としているように感じられた。

不意に思い至った。
だから、毎度ああも恐ろしく手心の一つも感じられない毅然とした態度で稽古をつけてくれるのか……と。
些か気付くのが遅かったけれど、その厳しさは全て私の為であると解釈するのは烏滸がましいだろうか?

烏滸がましいついでにもう一つ。
これは烏滸がましいを通り越して厚かましいかもしれないけれど。
これは、そんな希望的観測からの問いだ。

「その“大事なもの”の中に私も含まれてますか?」
「……さあなァ」

師範は私の問いに双眸を瞬かせた後、ふっと僅かに表情を解く。その長いまつ毛が一層柔和な笑みを際立たせていた。

「……ずるいですよね、師範は」
「今度は何だァ?」
「たまに出す“お兄ちゃん属性”やめてもらえません?」

知ってか知らずか稽古中の恐ろしさから一変、甘やかすような態度は末っ子属性である私の心を容赦なく鷲掴んでくる。堪らない。

「んな顔してる奴が何言っても説得力ねぇよ」
「っ、」
「そりゃあ、本当にやめて欲しい顔かァ? なまえ」

下がる目尻に優しさが溶け出す。
それと同時に思う。胸に広がった火種のように燻るこの感情に名前をつけてはいけないと。

色々と膨らんだ感情に耐えられず、抱えきれなくなって、思わず手に持っていたスイカで誤魔化すように顔を隠した。

正直、私の視界から師範の姿が隠せるなら何でもよかった。
たまたま手に持っていたのがスイカだっただけで。

ほっと一息ついたのも束の間、今度は上からガシッと頭を鷲掴まれる。
そして、それは既に先程まで共に陽だまりのような時間を過ごしていた師範ではない事を理解した。
口元を撫でた繊細な指先は影を潜めてしまったようだ。

「いだだだだだ!」
「とっとと食え。食い終わったら稽古の続きやんぞォ」
「ひぃ……!」

血走った目といい、獣が低く唸るような声音は鬼すら逃げ出しそうな程に恐ろしい。
つまりは稽古モードの師範に戻っていた。

「次は木刀で対人稽古だァ。お前のそよ風みたいな呼吸を一から鍛え直してやらァ」
「いいじゃないですか、そよ風! 師範はもはや風ではなく嵐ですけどね!」
「手足がもげても喰らいつく気合いで打ち込んでこい」
「張り切っているところ申し訳ないですが、流石に手足はもがれたく無いので……嫌です!!」

良くも悪くも、これが私たちの日常だ。
滅多打ちにされる未来が見えて、自然と遠い目をしてしまうけれど。
しかしながら不本意ではあるが、継子としてそれだけ分の働きはしなければならない。
どうやら私は、彼の“大事なもの”であるようだから。

この感情に名前を付けるのは、それこそ手足がもげてからでも遅くないのだろうし。


20240607



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