“なんて危うそうな子だろう”

それが、彼――時透無一郎に対して抱いた最初の印象だった。

それは確か、任務で偶々近くまで来たから……だなんて安直な理由だったと思う。
否、理由なんて呼べる程のものではなくて、言ってしまえば単に思い立っただけに過ぎない。
その程度の軽いものだった。

育手である師匠の元へ顔を出した時だ。無一郎と初めて顔を合わせたのは。
ニコリともしないその表情が印象的で、確固たる意思の見当たらない茫洋とした瞳をしていた。
中性的な見目も、毛先が浅葱に染まった珍しく美しい髪も、彼を形取るそれら全てが其処此処へ、その危うさみたいなものを滲ませているように感じた。

「師匠……この子は?」
「鬼殺の剣士に育てるよう、お館様から託されたのだ。“無一郎”と言う。お前の弟弟子だな」
「弟弟子!」

その言葉が堪らなく嬉しくて、興奮気味に詰め寄った。
終始無表情であったけれど、眼前にズイッと顔を寄せられたとあらば、流石に困惑するらしい。

「初めまして! 私、みょうじなまえです! 君の姉弟子です!」
「あの……近いです。顔が」
「ああ、ごめんね! 嬉しくてつい」
「嬉しい?」

近いと指摘された顔を退かせて、歩幅一歩分の距離を取る私に対して、彼は“嬉しい”という言葉に小首を傾げだ。
中性的な顔立ちをしているからだろうか?その可愛らしさと言ったらない。
私は彼の手を、自分の両手でぎゅうっと包み込むようにして握った。

「うん! 私、正式な弟弟子がいなくて。……いや、居たんだけど選別で亡くなってしまったから」

藤襲山での最終選別でかつての弟弟子は、七日後に生きて帰ってくる事は無かった。
一時ではあったが、共に高みを目指して鍛錬に励み、切磋琢磨し合った。同じ釜の飯を食った、大切な弟弟子だった。
酷く辛い思い出が久方振りに胸に迫って、思わず表情を曇らせる。

「選別? それ、僕も受けるの?」
「え、ああ……そうだね。鬼殺の剣士になるなら、その選別を突破しなきゃいけないから」
「そっか。じゃあ死ななければいいんだよね?」

彼は無表情で当たり前の事を口にした。
「えっと……」と、言葉に詰まりながら私の顔を見る。それは私の名前を今一度尋ねているのだと思った。
今し方名乗ったばかりなのに、私は秒で弟弟子(仮)に忘れ去られてしまったらしい。

「みょうじなまえだよ、無一郎。なまえでいいから」
「なまえ……、なまえ」

ゆっくりと、噛んで含めるように言って聞かせる。
反芻し、噛み締めるように何度も名前を呼んで、無一郎は私の顔をじっと見つめた。

「僕が死ななかったら、なまえはそんな顔をしなくて済むの?」
「え?」
「選別を突破すれば嬉しい?」
「も、勿論だよ……!」

無一郎は「そっか」とだけ短く言った。勿論、その顔に感情が滲む事はない。
けれど、徐に伸びた彼の手が私の隊服の袖を引く。

「ねぇ、これからも、僕に会いに来てくれる?」
「え?」
「僕、なまえと色んな話がしてみたい」
「! うん、勿論。約束する」

その言葉を口にした彼の瞳にはほんの一瞬、其れこそ瞬きをする僅かな間の少しだけ光が灯った気がした。

***

今となっては、あの時の純粋無垢な無一郎は幻と化したけれど。
一体どうすればあんなにも純粋で愛らしかった弟分が、私を振り回して止まない小悪魔へと変貌を遂げるのか……。

お陰で首元と太腿に散らされた痕が気になるばかりで全く戦闘に集中出来なかった。
いつもならサクッと片付きそうな任務内容でも、昨夜は存分に仲間の足を引っ張ってしまった。
もういっそのこと縫製担当の前田さんにズボンタイプの隊服を用意してもらった方がいいのかもしれない。

「さっさと食え。冷めるぞォ?」
「え? あ……う、うん! 頂きます!」

運ばれて来たきつねうどんを前にしたまま箸も持たずにボーッとしていると、横に座っている実弥さんに早く食べろと促された。
訝しげな表情で此方を覗き込む。
そうなるのも仕方がなかった。私はここのきつねうどんが好物であるのに、今日は一向に箸が進んでいない。
正直、食欲があまり湧いてこなかった。
任務で身体を動かして、体力を消費しているのは確かであるのに、どうしてこうもお腹が空かないのだろう?
まぁ、その原因が何であるかは自分でもよく分かっているけれど……。

実弥さんは「ん、」と言って一味を私のうどんに振りかけた。小匙の半量を一杯。
驚いた。それは私がいつもうどんを食べる時に入れる分量であったから。

「ありがとう。あの……よく分かったね?」
「毎回見てりゃ嫌でも覚える。お前はいつも同じのしか食わねぇからなァ」

見ていれば分かるものなのだろうか?
現に、私はこうして何度も実弥さんと食事をしていても彼が好んで入れる一味の分量なんて逐一覚えていない。

「これも食っとけ」
「え、いいの!? これが主役みたいなものなのに……実弥さん男前! 太っ腹!」
「おう。すくすく育てェ」
「横には育ちたくないけど、ありがとう!」

言って、実弥さんは私のうどんに自分のおあげを乗せた。
きつねうどんのきつねを差し出すだなんて一体どういう風の吹き回しだろうか?風柱だけに。

「そのシケた面ァ、店出るまでに何とかしとけよ」
「!」
「聞こえてんのかァ?」
「う、うん! 聞こえてる!」
「ならいい」

大きな口を開けて豪快にうどんを啜る実弥さんにつられて、私もうどんを啜った。
彼の、こういったさり気無い気遣いというか、優しさがとても心地良くて心に染み入るようだった。
そして、やっぱりここのうどんは日本一美味しい。

好物のうどんに舌鼓を打つ最中、不意に実弥さんの指が頬へ触れる。
正確には頬に掛かった髪に。

指先を髪に引っ掛けて、ピッと引っ張った。

「んむ?」
「オイ、髪食ってる」
「んん! はひはほ!」
「食うか喋るかどっちかにしろォ」
「ん、ありがとう」

口の中のうどんを嚥下して礼を告げると、実弥さんの視線はそのまま私の首元へと移動した。
季節感を完全に無視した不自然な私の格好を観察するかのように繁々と見つめる。

「そう言やぁ何で今日は髪下ろしてんだ、お前。そんな暑苦しい襟巻きまでして、飯食う時くらい外せ」
「こ、これは駄目なの!!」
「あァ?」
「だ、大丈夫だから。着けていたい気分なの!」

だって、この襟巻きの下には無一郎に付けられた鬱血痕が無数に散らばっているのだもの。
そんな物、実弥さんには絶対に見つかりたくない。

「ささささ実弥さん! 私の話聞いてた!?」
「グダグダうるせェ。昔から誤魔化すのが下手くそなんだよテメェは」
「っ!」

襟巻きを外す、外さないの攻防を繰り広げる私達に衆目が集まる。
けれど、今はそんな事を気にする余裕が無い。

私は何としてでもこの襟巻きを死守しなければならない。
相手は風柱の実弥さんである。腕力も反射神経も、その他諸々……とてもじゃないが敵わない。
それでも何があろうとこの襟巻きだけは譲れないのだ。
絶対に負けられない戦いが、そこにはある!

戦いの火蓋が切られたまさにその時だった。
私の手が当たって湯呑みが倒れ、なみなみと入っていたお茶が溢れて膝を盛大に濡らしたのは。

「うわぁ!」
「おい、何してんだお前! 火傷は!?」
「へ、平気……少し冷めてたし」
「……ったく」

実弥さんは手拭いを取り出して、濡れた隊服と膝を拭いてくれる。
隊服と、膝――ん?ひざ?
“膝”の単語にはたとする。
無一郎から受けた仕打ちを――刻まれた独占の証、その存在を思い出した。

「うわぁああ! あ、ありがとう御座います! もう大丈夫で御座います!」
「……お前の頭が大丈夫じゃねぇなァ」

駄目だ。そんな事をしたら、見えてしまうかもしれない。
実弥さんだって成人男性なのだから、私の内腿に散ったソレが何であるのか一目で分かる筈だ。
当然その意味だって、分かるはずだ。

必死に隠そうとスカートを抑えたが、遅かった。
手拭いを持つ実弥さんの手がピタリと止まり、眦が裂けんばかりに双眸を見開いた。
その直後、彼は鋭い勘を働かせ、瞬き一つの間に私の襟巻きに手を掛ける。
緩んだ襟巻きの隙間から覗いた“それら”に、苦虫を噛み潰したような顔をする。

「……なまえ。何だこりゃァ」
「む、虫刺され……です」
「……もう一度聞く。これは何だ?」
「虫刺されであります!!」
「……悪い虫がいるもんだなァ。世の中には」

この無数の痕が虫刺されであるはずがないのに、実弥さんはそれ以上言及することは無かった。
なんとなく事情を察したのかもしれないし、はたまた自分が口を挟む問題では無いと判断したからかもしれない。
緩めた襟巻きを巻き直してくれた実弥さんは、ただただ私の頭をぐしゃぐしゃと撫で付けただけだった。

「……っ」

今その触れ方は駄目だ。狡い。
否応にも昔の事を思い出してしまい、胸がつまる。
大切な人を亡くした時も、こうやって実弥さんが傍で頭を撫でてくれた。

「実弥、さん……」
「なんだァ?」
「今夜、付きあってくれる……?」
「……程々にしとけよ?」
「うん、善処します」

実弥さんのさり気無い優しさに私は今まで何度救われた事だろうか?
唯一無二という言葉があるが、それは間違いなく私にとって実弥さんを指すのだと思った。

***

程々にすると言って程々で終わった試しが無かった事を忘れたわけでは無い。

情け無くも酒の力を借りないと心の底に溜まった澱みたいなものを吐き出せなくなったのはいつからだろうか?
泥酔して、その度に実弥さんを巻き込む癖もいい加減にやめなければならないと頭では理解しているのだけれど……。

本日も例に漏れず酩酊してしまって、意識が混濁するまで酒を呷ってしまった。つまりはいつも通りである。
そんな日は、いつもそのまま風柱邸に泊めて貰うけれど、いかんせん今の私には無一郎のお世話係という大役があるので、それは叶わないのだった。

そんなこんなで、私にここから先の記憶はない。それは、全くと言っていい程に何も。
例えば、実弥さんが霞柱邸まで私を運んでくれて、それを無一郎が出迎えていた事も等しく記憶にない。

「僕のなまえを運んでくれてありがとう。不死川さん」
「コイツはいつからお前のモンになったんだァ? 時透、面白そうな事やってるんだってな? ――なまえはお前の玩具じゃねェ」
「不死川さんには関係ないと思いますけど。――玩具だなんて思ったこと、一度だって無いよ」

果たして私の運命や如何に――なんてそんな口上、恐ろしくてとても述べられたものじゃ無いけれど。

20200503(20240518加筆修正)


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