僕の世界は至って単純だ。
これ以上ない程に簡潔明瞭で、難しい事など一つもない。
僕の全ては“彼女か、それ以外か”。
たったそれだけ。

だから、世話係なんてはっきり言ってただの口実に過ぎないし、なまえを傍に置く為の一手段でしかなくて、そうする事で彼女を留め置けるのなら何だってよかった。

また会いに来るねと言ったくせに、結局一度しか顔を出してくれなかったから、血を吐くような努力をして、鬼殺隊に入った。
必死で足掻いて、気が付けば柱にもなっていた。沢山の事を知って、同じくらい忘れてしまった。
けれどなまえの事だけは忘れなかったから……。
その事実は、僕にとって彼女が特別だと認識するに十分値したのだった。

それなのに、貴女といったらいつも不死川さんにべったりで、僕の事なんて歯牙にもかけない。
“霞柱お世話係”なんて僕のでっち上げで、そんなものは存在しない事くらいとっくに気付いているくせに。
僕が可愛い弟分だからって、付き合ってやってるんだぞって。そんなところだろ?本当、狡い人。

僕にこんな想いを植え付けて、土足で踏み荒らしておきながら、きっと貴女の心は今でも絶対に報われない想いに埋没してしまっている。
それが幸せだって、耽溺するならどうぞお好きにといったところだけれど。
そんな下らない感情に溺れていたいなら無理矢理にでも僕が引き揚げてやるし、必ず僕だけのものにするから、覚悟しておいて。

***

「ご飯です!」
「……」
「味噌汁です!」
「……ねえ、」
「焼き魚です!」
「……ちょっと、」
「お茶です!」
「……なまえ、」
「以上です! どうぞ、お召し上がりくださーい!」

朝から暑苦しいくらいの溌剌とした声を張り上げて、朝食一式を僕の前に配膳したかと思うと、なまえは自分の仕事を終えたとばかりにそそくさと厨に逃げ込む。

何なの?定食屋か何かなの、此処は。

最近の彼女はいつもこうだ。
管轄地域の巡回から戻ったのを境に、なまえは余所余所しい態度で僕に接するようになった。
それはまるで先日の僕に対する当て付けのようだ。
多分、きっと、いや絶対。先日の行為のせいだと思う。
会話はあるけれど全然目が合わないし、その会話も何だか他人行儀だ。
なまえの事だから、アレを無かった事にして、自分はお世話係という立場上、その執務をこなす事だけに徹してやろうなんて考えているに違いない。

勿論、そんな見え透いた魂胆を抱く彼女を放置する僕では無い。
ほかほかと湯気が立つ朝食に手を付けず席を立つ。
厨で片付けをする彼女を背後からぎゅうっと抱きしめた。
彼女の肩に顎を乗せると同時に、華奢な身体が強張る。

ふうん……やっぱり僕の事、嫌でも意識しちゃうんだ?思い出しちゃう?可愛いなぁ。

「わ! む、無一郎……?」
「僕、なまえを家政婦として雇った覚えは無いんだけど」
「ほらほら! 朝食が覚めちゃうよ?」
「はぐらかさないで。それに、一人で食べるご飯が美味しいと思うの?」
「……!」

独りの寂しさを知っている彼女だからこそ、僕はこの言葉を選んだのだ。

狡い?うん、そうだよ僕は狡い。
彼女も狡いんだから、お相子だ。

「一緒に食べようよ」
「……何も、しない?」
「……」
「ちょ、何で黙るの!?」

弾かれたように勢いよく振り向く彼女と視線が重なった。
なまえは、しまったと言いたげに表情を曇らせ、即座に顔を背けてしまう。
こうも露骨な態度をとられてしまうと、たとえそこにどんな理由が存在していようと解放する気分にはなれなかった。

彼女の首元に巻かれた襟巻きを見て、意地悪く問う。
初夏の気候が続く中、こんな物は暑苦しくて身に付けていられない筈だ。この気温にはそぐわない。
しかし、彼女がそんな物を巻かなければならない理由を知っていた。
だって、原因は言わずとも十中八九僕だからだ。

「ねえ、なまえ。こんなモノで隠してるつもりなの?」
「……っ、な、何もしてないよりマシだから」
「ふぅん。でも折角つけたのに意味がないんだけど」

「じゃあ、もっと付けちゃおうかな」と、囁いて彼女の首から襟巻きを取り去る。
戸惑うなまえが震えた声で僕を呼んだけれど、そんな事は関係ない。
シュルリ……と、衣擦れの音がして、覗いた白く細い首へ喰らい付く。

取っ払い、適当に放った襟巻きが床に落ちる頃、彼女からは上擦った声が溢れた。
それが僕の加虐心をうんと煽って仕方がない。
そのお陰でいつも歯止めがきかなくなってしまうのだけれど、この様子だとなまえはそれに全く気付いていないみたいだ。

だから、思い知らせてやらないと。
無闇矢鱈に甘い声をあげちゃ駄目なんだって。
男を誘い、惑わせるその嬌声は何故こうも甘美なのだろう?

きつく吸い上げて、所有の赤を散らす。
色白の彼女の肌には、それが一層よく映えていた。

(ああ、良い眺めだなぁ……)

「はぁ、ぁ……無一、郎……」
「どうしたの?」
「も、こういうの……止めて」
「そんな顔してちゃ、なんの説得力もないんだけど……分かって言ってる?」
「でも……――うわっ!?」

僕は、彼女の身体を持ち上げて、流し台の上に座らせた。
そして、反論する隙を与えず唇を奪う。下から掬い上げるようにして、かぶりつく。

だってほら、朝ご飯まだ食べてないし。お腹空いた。

「ふ、ぅ……んん、ぅ……」
「はぁ……此処だけじゃ、なまえはすぐ隠しちゃうから――ね?」

唇を解放し、トントンと自分の首を指で示しながら言う。

僕はこれでも結構不機嫌なんだって事、ちゃんと気付いた方がいいよ?
だって、もしかしたら巡回に出る前に付けた痕も、そうやって隠してたかもしれないし。
それでは何の意味もない。

一体何をされるのかと不安そうに表情を曇らせたなまえを視界に捉えながら、身を屈める。
片膝を付いてしゃがむと、スカートから覗く彼女の脚が眼前に晒されていた。
閉じられた膝に手を掛け、割り開くと内腿へと顔を埋める。

「っ!? ちょ、無一郎……!」
「動かないで、良い子にしてね? ……じゃなきゃ、噛み付いちゃうかも」
「ちょ、待っ……ん、ぁ」

柔らかな太腿へ唇を寄せる。ちゅっと音を立てると、もどかしい刺激にピクリと脚が跳ねた。
彼女も鬼殺隊の隊員であるから、任務で怪我を負うことは当然あるだろう。内腿にも勲章よろしく傷痕が残っていた。
それを舌で撫で上げる様に触れれば、なまえは堪えるみたいに必死に声を押し殺す。
おそらく此処で嬌声を零せば、僕が調子に乗ると分かっているからだろう。少しは、学んだみたいだ。

しかし、残念ながらそうやって必死に堪える幼気な姿もなかなかにそそられるものがあるのだと、もっと男心ってものをしっかりと学んだ方が良い。

不意に、バサバサと鎹鴉が羽ばたく音が耳に入って、窓枠に止まるのを視認する。
僕の鴉じゃない。じゃあ、なまえの鴉かな。

「なまえ、これから任務なの?」
「……っ、ん」

声を出せない彼女は、何度もコクコクと頷いた。

「ふぅん。誰と?」
「分かんな、い」
「そっか。まぁ、誰でもいいけど……」

言って、僕は柔肌に吸い付いた。勿論それは、印を刻むための。
皮下組織を破壊して、破れた血管から溢れ出た血が浮かび上がる様は、結果的に彼女の身体を傷付けている事になるのだろうけど、それなのに、どうしてこうも止められないのだろうか。

「はい、おしまい。見えない様に気を付けてね?」
「っ、な……」

舌で唇を舐めずると、なまえは顔を真っ赤に染めた。
スカートからギリギリ見えるか見えないか際どい位置に鬱血痕を残して、満足気に言う。

「無一郎、どうして……こんな事するの?」
「分からないの?」
「わ、分からないよ!」

「だから、困ってる……」なんて、なまえは言葉通り困惑の色を滲ませた顔を逸らすから、頬を両手で包み込んで強引に此方へと向かせた。
ぐい!と強制的に振り向かせたからか、彼女は「う゛!」と小さく呻く。
僕は当然の様に彼女に口付け、言葉を紡ぐ。

「なまえが好きだからだよ」
「っ、」
「だから、早く僕だけのものになってね」

彼女とは対照的に、その表情に何の色も滲んでいなかったかもしれないが。
だって、それは僕の中で至極当然の事であるから。


20200502(20240517加筆修正)


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