きっと今日も、何の変哲も無く一日が終わるのだろう。

抜糸を終えて腹の傷も癒えてきた事だし、明日にはきっと機能回復訓練を受ける事が出来るだろう。そうなれば直に任務復帰の許可も貰える。
兎にも角にも、早く身体を動かしたくて堪らなかった。こうして病床に伏せっているから、あれこれと余計な事ばかり考えてしまうのだ。
実弥さんに本心を暴かれて丸裸にされてしまってからというもの、最近ではすっかり自分の気持ちに嘘をつけなくなってしまった。誤魔化せなくなってしまった。

“無一郎の傍にいたい”

実弥さんに、全て取っ払って何を望んでもいいならお前はどうしたいのかと問われて純粋に浮かんた答えがこれだった。
だからこそ、その感情は心の奥深くに沈んでいた私の本懐のように感じてしまって、余計に目を背けられなかった。

たとえ、無一郎にとって私は不必要でも、名前を呼んで欲しいと思った。その手で触れて欲しいと思った。
私を守ると言ってくれた言葉があの場限りのものだったとしても、泣きたくなるぐらい嬉しかった。

答えなんてあの瞬間導き出されていたのに。

それは同時に姉弟子としての役割が消失した瞬間でもあったのだけれど……。
しかし、仮に姉弟子としての役割を端から求められていなかったとすれば、無一郎が口にしていたあの言葉の真意は――?

“僕のものになって”
“好きだよ、なまえ”

それが、そのままの意味であったとしたら?

「っ!?」

不意に身体中の血液が沸騰したみたいに全身が熱を帯びて、バクバクと心臓が早鐘を打つ。
何故、今まで何とも思わなかったのか。
好きだとか、欲しいだとか、無一郎に散々求められていて、どうして私は平気でいられたのか。

――息も出来ない。

この気持ちを無一郎へ伝える資格なんてない事は分かっている。
だって、そんなのは……。

「今更、無一郎の事が好きかも、なんて……都合が良すぎる」

離れたのは私だ。拒んで、突き放したのも私だ。今更どの口が好きだなんて言うのか――甚だしい。
だから、やはりこの気持ちは胸の奥底へと仕舞い込むのが一番だ。

何もなかった事にしよう。今ならまだ、ギリギリ間に合うかもしれない。引き返せるかもしれない。
このまま顔を合わせる事がなければいい。
記憶の中の無一郎だけでいい。

布団を頭の上まですっぽりと被って寝台に寝転がると、不意に傍へ誰かの気配を感じとる。
布団一枚隔てた先に、誰かの気配。
そして、布団越しに頭をポンポンと撫でてくれる感覚に、ああ、きっと実弥さんがお見舞いに来てくれたのだと思い、布団から顔を覗けるのと同時に声を掛けた。
あの日から約二週間ぶりぐらいだろうか?実弥さんも忙しい身であるから、仕方がのない事だけれど。
暇を持て余した私の話し相手になってくれる心優しい同期なんて実弥さんしかいない。

「実弥さん! お土産に甘いの買って来てくれ、た――」
「不死川さんじゃないけど、はい。お見舞い」

思わず、言葉に詰まった。
布団から顔を覗けた先に佇んでいたのは実弥さんではなく、つい先程まで私を悩ませてならなかった無一郎その人であったから。
お見舞いと言って差し出された包を、状況把握が出来ていないまま条件反射で受け取ってしまう。

「あ、ありが……とう」
「うん。でもそれ僕からじゃないんだ」
「え?」
「不死川さんから」
「そ、そっか。ああ、実弥さんから……えっと、その、実弥さんは?」
「いないよ。僕だけ」

果たして、きちんと会話が成り立っているのか怪しいものだ。
何故なら私の脳内は絶賛混乱中である。
言葉を発していながらも脳内では“何で?”、“どうして?”で埋め尽くされている。

無一郎は傍にある椅子へと腰かけた。
お見舞いに来てくれたのは本当であるらしい。
あれだけ会いたいと思っていた本人が目の前にいるのに、私は受け取った包ばかりを見つめてしまっていた。
いざとなると、何を話せばいいのか分からなくなってしまう。
顔を見たいのに、触れて欲しいのに、無一郎を前にすると私はどうする事も出来なくなる。

「僕じゃあ不満?」
「そ、そう言う訳じゃなくて……! その、てっきり実弥さんが来てくれたとばかり思って――」
「なまえ」

名前を呼ばれたかと思うと、両手で頬を包まれて、そのまま上向かされる。
必然的に視線が絡み合った。
同時に胸が痛いくらいに高鳴って、ああ、この感情を仕舞い込んで無かったことにするなんて不可能なのだと思い知る。決心なんて容易に揺らぐし、欲が止めどなく迫り上がる。

「不死川さんの名前ばっかり呼ばないで。今、なまえの前にいるのは僕なんだよ?」
「っ! ……あ、えっと」
「色々話したい事も聞きたい事もあるんだけど、でも、先になまえに触りたくなっちゃった」

逃げ出す事も叶わず、顔を背ける事も出来ず。後方へ手を付いて身じろぐと、ギシ……と重みで寝台が軋む。

「ちょ、待って……無一郎」
「嫌だよ。待たない……ねぇ、抱きしめていい?」

どうせ私に拒否権はない。
その思惑通り私の許諾を待たず、彼は私を自身の腕の中に閉じ込めた。
久しぶりの再会を果たした時のようにそれは一方的でいて、力強い。
そして、私を求める仕草と言ったら、ひと月と数週間の期間を経ていても以前と何一つ変わっていなかった。

「なまえ……」

――愛おしそうに、噛み締めるみたいに私の名を呼んで、頬を擦り寄せる。あざとく愛らしい仕草。
当初は大層戸惑ったものだが、今はその背に腕を回して、手を添えたいと感じてしまう。
抱き返す勇気はまだ無い。だから、背に“滅”と印された隊服をおずおずと掴むにとどめた。

抱擁を解いて、指先で頬を撫でながら無一郎は言う。

「良かった……顔に傷が残らなくて。でも、こっちは残ったでしょ?」
「ああ、うん。縫ったから流石にね」
「ごめん。僕がもっと早く駆けつけていれば、こんなに大きな怪我をしなくて済んだかもしれなかったのに」
「無一郎が謝る事じゃないよ……! 寧ろ、あの時駆けつけてくれたから私もあの子も助かったんだから」

腹の傷を患者衣の上から摩りながら、慌てて反論する。
僕のせい――だなんてそんな事は決してない。私が未熟であった。力不足であった。だから招いた事態で、それは誰が見たって揺るがない事実だ。

「それから」と、無一郎は続ける。
むしろ、こちらが本題であるように感じたのは私だけだろうか?

「なまえを突き放すような真似をしてごめん。……ずっと僕を待ってくれてたって本当?」
「うん。救援任務での事、ずっとお礼を言いたかったんだ。ほら、あの後すぐに私意識を無くしちゃって、そのままだったから」

改めて、背筋を伸ばした私はベッドの上で居直り、正座をするなり深々と頭を下げたのだった。

「助けてありがとう、無一郎」

これで満足だ。
ずっと言いたかった礼を面と向かって伝える事が叶ったのだから。
しかし、頭を上げてみると、何故か私を見つめる無一郎の表情は少々不満気な色が滲んでいた。

「それだけ?」
「無一郎……?」
「お礼が言いたかっただけなの? なまえが僕に会いたがってた理由って、それだけ?」

じい……っと、こちらを不満気に見つめる瞳が私を捉えて放さない。
それだけ――そんな訳がない。聞きたい事も、伝えたい事も沢山ある。

「ち、違うよ……私、無一郎に聞きたい事も、言いたい事も沢山あるよ……もう、無一郎にとって私が必要のない存在でも」
「……え?」
「姉弟子だから弟分の無一郎の力にならなきゃとか、私が傍にいて無一郎を助けてあげなきゃとか……勘違いも甚だしいよね。あの時、無一郎が戦ってる姿を見たら、私のとんだ勘違いだったんだって思い知ったよ」

思い知って、この行き場のない感情が限りなく恋情に近いものだと気付いた。
けれど、散々無一郎を突き放し、受け入れようとしなかった私が今更求めてもいい感情ではないのだ。

「なまえ?」
「無一郎は、姉弟子の私の手からとっくに離れていたんだよね。お払い箱だってもっと早く気付くべきだった。ごめんね。だったら、私も無一郎もこんな思いしなくて済んだんだから」
「ちょっと、なまえ」
「だから、もう離れる……今日、会いに来てくれただけで、私――っ!」

私はそれだけで十分だ。
だから、私がいなくても無一郎は大丈夫であるから、霞柱として無一郎がすべき事をこれからも全うして欲しい。

堰を切ったように押し込んでいた言葉が溢れて止まらなかった。
それでも尚、傍にいたいのだと言う本心は打ち明けられないままで。私から離れることを決めたと言う事実が負い目になって、とても言い出せなかった。
だから、どうか心の中で秘めるだけでいい。思うだけでいいから、その権利を許して欲しいのだと伝えようとした刹那――私の視界は反転し、天井を背負った無一郎が映し出される。

一瞬の内うちに組み敷かれてしまったと言う事実に、双眸をこれでもかと見開いて驚愕する。
寝台へ押さえ付けるみたいに力一杯に握られた手首が痛い。
無一郎の指が掴まれた手首に食い込んで、まるでその痛みすらも刻み込まれているような気分になって堪らない。
垂れ落ちた彼の長い髪が、私の頬を掠めた。

「それで十分なんて言ったら、許さないから」
「え?」
「僕にはなまえが必要がない? なに、その笑えない冗談。僕がどうしてなまえの言う通りに距離を置いたのかその理由を知ろうともしなで、自己完結させて、それで終わりなの?」
「むいち、ろ……」

無一郎が私から距離を置いた理由?
だってそれは、私がこの関係を解消したいと、本来あるべき関係に戻した方がお互いの為だと申し出たからで、無一郎も同じ気持ちであったから私をお世話係から外したのだろう?
それ以外に何があるのか。

「――証明したかっただけだよ、僕は」
「証明……?」
「気持ちに気付いて欲しくて、なまえが欲しくて、お世話係なんてどうでもいい役職をでっち上げてなまえを繋ぎ止めたけど、それじゃあなまえは僕をいつまで経っても姉弟弟子の延長でしか見てくれなかったから」

言葉を、感情を吐露するに連れて段々と手首を押さえ付けられていた手の力が緩む。掌を這い上がり、スルリと指を絡めるようにそれは優しい仕草で握り締められた。

「だから、一人でちゃんとやれる事をなまえに分かって欲しかった。姉弟弟子としてじゃなくて、一人の女性として僕はなまえに傍にいて欲しい」

優しく包み込む様に重ねられた手が、彼の感情を、気持ちを、物語っている様な気がした。
そこまで本心をぶつけられて、私に誤魔化すなんて選択肢が存在するわけがなかった。
嬉しい。純粋に、与えられる言葉が嬉しく、そして愛おしいと思えてならなかったのだ。

「それに、平気なふりをすれば、少しはなまえが気にしてくれるかなって思って」
「な、何それ……狡くない?」
「そうかな? お互い様だと思うけど」

確かにそうかもしれないと思ってしまって、これ以上反論する事が出来なかった。
散々狡い事をして来たのは寧ろ私の方だもの。
悪戯に“んべ”と舌を出す彼の掌上で、まんまと踊らされていたのかと思い至った時、その時点で私は既に彼の手中に収められる事は決まっていたのかもしれない。

「でも、平気じゃ無かったよ」
「え?」
「僕の傍になまえがいないなんて、全然平気じゃない」

「……なまえ以外、何もいらない」と、静かに紡がれた言葉は無一郎のまごう事なき本心から溢れた言葉であるのだと感じた。
決して自惚れているわけではなくて、ただただそう素直に感じたのだ。

「だから、僕の所に戻って来てくれる?」
「それは……お世話係として?」
「なまえ、そんなに僕のお世話係が気に入ったの?」
「そ、そう言うわけじゃないけど……!」

狼狽する私に揶揄うように言う。
無一郎は微笑して、そっと触れるだけの口付けを落としてくれた。
私は勿論それを素直に受け入れた。否、素直に――ではない。
心から受け入れたのだ。それは同時に押し殺していた感情を受け入れた瞬間でもあった。

「冗談だよ。大切な人として僕の傍にいて?」
「……うん。私も、無一郎の傍にいたい」

そうなれば継子の席が妥当なのかもしれないが、いかんせん私は無一郎の姉弟子であるから、姉弟子が弟弟子の継子と言うのも頓珍漢な話である。
やはり私の役職は暫くの間、お世話係で落ち着くことになりそうだ。
お世話係であれ何であれ、特別な存在として貴方に添い遂げる事が叶うなら、それでいい。

そういう訳で――みょうじなまえ、今日から改めまして霞柱様のお世話係、始めます。


Fin.
20200620(20240527加筆修正)


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