そろそろなまえにも任務の復帰許可が下りる頃だろうか。

あの日、血まみれで意識を手放したなまえを、震える腕に抱えて蝶屋敷へ駆け込んだ。
呼び掛けても返事が無く、微弱に打つ脈が今にも彼女の命の灯火が消える寸前なのだと僕に知らせている様でいて堪らなく恐ろしかった。

あの最悪な状況下での再会からもう直ぐひと月が経とうとしているけれど、なまえの意識が戻ったと知らせを受けたのは任務先であった為、直ぐには駆けつける事が出来なかった。
それに、目覚めたなまえに会いに行くと、僕はうっかりそのまま連れ帰りたくなってしまうだろうし。
無理矢理にでも攫ってしまいそうでならない。
そんな事になってしまえば、この期間何の為に彼女から離れていたのかその意味を台無しにしてしまう。

なまえが霞柱邸を出た日から数えると、ひと月と二週間くらいか……。
その間、僕は彼女を一度だって忘れた事はないし、一日たりとも彼女を思わなかった事はない。
勿論今日だって、僕はなまえを思っている。
彼女は僕の全てだ。それは今でも変わらない。

じゃあ、何で手放したか……そんなの、説明する必要ある?
だって、そもそも僕は彼女を手放してなんていないもの。端から、そんなつもりは欠片もない。

――手放すなんて誰が言ったの?

***

「不死川さんって、そんなに甘い物が好きだったんだ?」

任務を終えて屋敷に戻る道すがら、甘味屋の前を通り掛かった所を、店から出てきた不死川さんと鉢合わせた。
その手に握られた見てるだけで胸焼けを起こしそうでならない甘味を見て、僕は彼に問う。
人は見かけによらないんだなぁ……なんて、どうでもいい事を思いながら。

「お陰様でなァ。苛ついて糖分足りねぇんだわ。誰のせいとは言わねぇけどよ」
「ふーん、大変だね」
「(どの口が言ってやがんだァ……)」

ビキ、と不死川さんの額に青筋が走ったのが見て取れたので、僕は敢えて目を逸らさずに真っ正面から見返した。
睨み付けるわけではなく、ただじっと真意の読み取れない茫洋とした瞳で彼を見た。
それを不死川さんがどんな風に受け取ったのかは知れないが、和やかな雰囲気でない事だけは確かだった。

「時透。ちょっと面貸せや」
「丁度よかった。僕も不死川さんに話があったから」

一言二言交わしただけで、ぐっと場の空気が熱を下げた。
とてもじゃないが甘味とは程遠い殺気じみた威圧的な雰囲気を醸し出す僕達が店の前にいたのでは、この店も商売上がったりで閑古鳥が鳴くだろう。
何だか其処ら辺のゴロツキみたいな呼び出しだなぁ……なんて思いながら、人気のない場所まで移動して、そして、口火を切ったのは僕の方だった。

「なまえはどうしてる?」
「何の話だァ」
「惚けなくていいよ。不死川さん、よくなまえのお見舞いに行ってるんでしょ? そろそろ任務の復帰許可も降りそうだし、そのままなまえを継子にするつもりでいるなら――」
「そのつもりなら何だってんだァ?」
「僕に返して」

僕は、ゆったりとした所作で不死川さんに手を差し出す。
物理的な仕草であったから、それを視界に捉えた不死川さんは一層額に浮かべた青筋を太く、濃くさせる。

「あ゛? お前が放り出したんだろうが。今更何都合のいい事言ってやがんだ」
「……」

一層この場の空気がピリリと張り詰めた気がした。
僕の問いに対して、なまえの現状とその後を。そして断定的な言葉を告げないのは流石だなと思う。
なまえが結局不死川さんの継子になったのか、それともきちんと断ったのか知らない僕にしてみたら、一番知りたいのは彼女の身の振り方であるからだ。

「なまえがそう言ったの? 放り出したって」
「俺はお前に聞いてんだよ、時透ォ。どういうつもりか知らねぇが、アイツはお前の玩具じゃねェつったろ」
「玩具なんて一度も思った事ないよ。で、結局どうなの? なまえは不死川さんの継子になるの?」

このままではいつまで経っても明確な答えは貰えず、押し問答の堂々巡りが続くばかりだと思った。
僕だっていつまでも気が長い方ではないし、何よりなまえに関わる事は、ある程度把握しておきたい。
やっとここまで堪えて来たのに、横から掻っ攫われたのでは堪ったもんじゃない。

核心へ切り込むように問いかけると、不死川さんは一際強い殺気を僕にぶつける。
空気が痺れて、肌を刺すようだった。柱の殺気とあらば、尚の事。

「その予定ならどうすんだ?」
「阻止するだけだよ」
「返さねぇつったら?」
「力ずくで取り返す」

茫洋とした瞳で不死川さんを真っ直ぐに見ながら、問いかけに即座に答えるさまに、眼前の不死川さんは声を張り上げた。
“ふざけるな”そんな風に。

「はっ! ……言うじゃねぇの。あいつがいつもどんな思いでお前を待ってたかも知らねぇのにか?」
「え?」

待っていた?なまえが、僕を?

「だったらなァ、“自分は必要ねェ”なんざ言わせんな……テメェのよく知りもしねぇ身勝手な都合だけで世の中回ってるわけじゃねぇんだぞ」

彼が言わんとしている事がよく分からなかった。
必要がないとは一体何の事なのだろうか。誰が誰にとって必要がないって……?

確かに僕は、不死川さんの言う通り自分のことばかりで。自分の感情を彼女に分かって欲しいとばかり考えていた。
だから、思いもしなかった。
なまえが僕をどう思ってくれていたのかなんて、どんな気持ちで病床に臥していたのかなんて。

放ったわけじゃない。手放してもない。必要がないなんて、そんなわけがない。
ただ少し、知って欲しかっただけだったのだ。
「僕は……」と、今まで誰にも吐露しなかった感情をポツリと溢す。

「僕は、今のままじゃ、なまえにとってただの弟分でしかないから離れた。傍に置いていたのは姉弟子だからじゃないって事を知って欲しかったから」
「……」

知っておいて欲しかった。
僕は、一人の女の子として、彼女を欲していたって事を。
弟分だから、年下だから、手を掛けてやらなくちゃいけない存在だなんて理不尽な対象から外れたかったのだ。
その結果、強引に彼女を抱こうとしたけれど、どんなに足掻いてみたって僕はその枠にはまったまま、彼女は僕自身を見てくれなかった。
だから、そうでない事を証明したかった。
一人でやっていける事を見せたかった。
それでも、僕は君を求めているんだって、姉弟子という枠を取っ払って、純粋に彼女が必要なんだって示したかっただけなのだから。

「テメェはいちいちやる事が回りくどいんだよ。なまえの意識がない間だけ見舞いに来やがって」
「何でそれを不死川さんが知ってるの?」
「胡蝶ンとこの三人組の餓鬼に聞いた」
「内緒だよって言っておいたのに……」
「見るに耐えなかったんだと。まぁ、俺も似たようなもんだ……ホレ」
「?」

不死川さんは何を思ったのか、甘味の入った包をぶっきらぼうに僕へと差し出す。
さっさと受け取れ――そう言わんばかりに。

「何?」
「何じゃねぇよ。お前が持って行けェ」

「なまえはまだ療養中だ」と言って、再度包を突き出す。
尚も困惑する僕に、痺れを切らした不死川さんは無理やりに包を持たせた。

「……え? でも、これ不死川さんが買った分でしょ?自分で渡しなよ」
「どう見ても俺の役目はここまでだろうが。継子の件は、断られた。けど、あいつはお前に会いたがってるぞ」
「……」

散々勿体ぶっていた事実を、不死川さんはいとも簡単に告げた。
用意した甘味を託して。……いや、この場合は押し付けて、かな。

「不死川さんって、損な役回りばかりしてるって言われない? 不器用っていうかさ……」
「放っとけェ。今更だ」
「そっか。……ありがとう、不死川さん」

不死川さんから預かった包を持って、僕は霞柱邸から行き先を蝶屋敷へと変更して歩みを進める。
本当の事を、僕のありったけの気持ちを彼女に伝えるために。
声を聞いて、身体に触れて、僕は――心底君が愛おしいのだと。

20200620(20240527加筆修正)


「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
×
- ナノ -