「実弥さん、実弥さん。みたらし団子が食べたい」
「大福頬張ってるヤツが何言ってんだァ」
「じゃあ、餡蜜」
「あァ?」
「どら焼きも捨て難いなぁ」
「そんなもんばっか食ってると療養中に豚になんぞォ」

そう、私は只今絶賛療養中の身である。
右腕と胴にぐるぐると包帯を巻き付け、頬には大判のガーゼを貼り付けて、実弥さんが持ってきてくれた見舞いの品の豆大福を頬張っている。

何故そんな状況にあるのか……。それは説明するまでもなく、先の任務で失血により意識を失ってしまった為だ。

結局、私は意気揚々と乗り込んだわりに大した活躍も出来ず、そればかりか弟弟子の素晴らしい成長ぶりと実力をまざまざと見せつけられてしまって、次に目が覚めた時には、蝶屋敷の病床に臥していた。
そんな無様な私に残った物と言えば、この大きな袈裟懸けの傷痕と姉弟子お払い箱の烙印だったのだ。

「蜜璃ちゃんが、早く元気になるコツは沢山食べる事だよって言ってた」
「そりゃ甘露寺に限った話だろーが。真に受けてどうすんだ。それに何だ、聞いてりゃ甘いもんばっかじゃねぇか」
「だって、甘い物が食べたい気分なんだもん」
「だもんじゃねェ」

それでも、こうして減らず口が叩けるのは、忙しい身でありながら足繁く見舞いに来てくれる実弥さんの存在が大きいのだと思う。
何だかんだ言って、実弥さんは優しい人だから……私はつい、彼の優しさに甘えてしまう。
突き放す様な口ぶりをしていても、きっとまた今度見舞いに来てくれた時には、みたらし団子か餡蜜かどら焼きを買って来てくれる。
そういう人だ、実弥さんは。

「傷心中は甘い物が食べたくなるんですー。……私はもう、無一郎に必要無いんだし」

蚊の鳴くような声で独り言ちると、胸がチクリと小さく痛んだ。

なんという笑い種だろうか。とんだ為体だった。
無一郎には私しかいないなんて、思い違いも甚だしい。この勘違い野郎を鼻で笑って頂戴。
そして、思い込みに過ぎなかったのだと知り、不意に寂しいだなんて感情に囚われた私を嘲笑って欲しい。
色恋云々で無いにしろ、ポッカリと心に穴が開いた様なこの空虚感は、限りなく傷心と呼ぶに近しい代物だと感じた。

現にこの二週間、無一郎は私が傍にいなくても平気であったのだ。
何も変わっていなかった。どころか、かえって逞しくもあった。
私では手も足も出なかった二体の鬼を容易に斬り伏せ、屠って見せたその様は、言うなれば私の不必要性の証明であると感じてしまって……。

ならば何故、私を“お世話係”なんて非公認の役職をでっち上げてまで傍に置いたのか、甚だ疑問だった。
私は姉弟子として、彼に必要とされていると思っていたから、甘んじてそれを受け入れていただけに、お払い箱となった今、私は一体無一郎の何だったのだろうと思えてならない。

「傷心だァ? 必要無いってどう言う事だ」
「う、あ、えっと……な、なんちゃって?」

そっぽを向いて呟いたにも関わらず、その独り言を実弥さんは聞き逃してくれなかった。
誤魔化しきれず、えへらえへらとしてみても実弥さんは勘弁してくれず、問答無用で此方へ伸びる傷だらけの腕に「ひえ!」と小さく悲鳴を上げる。
またしても顔面を鷲掴まれるのか、はたまた口元を鷲掴まれるのか。いや、今回は別の場所かもしれない――。
実弥さんの手が届く僅か数秒の内に、様々な鷲掴みの予測が飛び交う脳内も可笑しなものだけれど。

「さ、実弥さ――んぐ、」
「阿保かァ、お前」

あ、阿呆……!

たったの二文字。されどその阿保だと私を皮肉った二文字には一言では測れない様々な意味が込められている。
一体何処を鷲掴んで来るのかと身構えていれば、私の唇の端についた大福の粉を指の腹でグイッと拭った。
物言いとは対照的なその仕草は、私の思考を停止させるには十分だった。

「……くだらねェ。お前はそんな事で悩んでる暇があんのか?」
「く、くだらないって言った……!」
「ああ、言ったなァ。何遍でも言ってやるよ。そんなくだらねぇ事に悩む暇があんなら、さっさと俺の継子になれっつってんのが分からねぇのか?」
「!」

よく考えろと告げたわりに、何だか強制的に風柱の継子の座に就かされかけているような……。
此処が病室で、私以外にも休養している隊士がいる事を忘れていないわけでもないだろうに。
身を寄せてくる実弥さんは、まるで返事を急かすようでいて、乗り出す身体と共に乗せられた片腕を受け止めた寝台がギシリと鳴った。
今までにない程近い距離感に戸惑って、抵抗を忘れてしまう。

「いい加減、返事聞かせろ。……目障りなモンも無くなった事だしなァ」
「め、目障りって……っ」

実弥さんの指先が、今は無き所有印の散っていた首筋をなぞった。
荒々しい物言いとは裏腹にこうも繊細に触れてくるから、偶に私は実弥さんという人がよく分からなくなる。
どちらが本当の彼なのだろうかと。
どちらも実弥さんである事に変わりはないのだろうけど。

「そのまんまの意味だ。時透の野郎も好き放題してくれたもんだよなァ」
「そ、そうですか……」
「おう。――んで、返事は?」

ふいっと、気まずそうに視線を逸らした時点で、言葉にするまでもなく実弥さんは私の返答を理解したらしかった。
詰めていた距離を元に戻して、溜め息を吐きながらガシガシと髪を掻く。
そして、「まぁ、お前の答えは何となく分かっちゃいたけどなァ」と溢した。

「ごめん、なさい……でも、無一郎の事は関係ないから! ちゃんと切り離して考えた結果の答えであって、その……」
「分かってらァ。だから、そんな気まずそうな顔すんじゃねぇよ」
「うん。でも、声をかけて貰えた事は凄く嬉しかったから! これは本当!」

前のめりになりながら気持ちを伝える私に、実弥さんは呆れたように小さく笑んで、ぐしゃぐしゃと私の髪をかき混ぜた。
その手付きが普段通りの撫で方であったから、それがどれ程私を安心させたのか実弥さんは気が付いているのだろうか?

「まぁ、お前らしいわな。結局どっちも選ばねぇんだ。端から時透の世話係も辞めて、俺の継子にもならねぇつもりだったんだろォ?」
「……」
「黙りたァ、感心しねぇな。理由くらい聞かせてくれてもいいんじゃねぇのか?」

それは、違う。確かに出した答えは結果的にどちらも選ばないと言う選択になってしまったけれど、私は少しだけ後悔みたいなものをこの胸に抱いてしまっている。
それを後悔と呼ぶのか未練と呼ぶのか定かでないけれど。

「本当は、後悔してんだろ?」
「……!」

言い当てられて、布団を握る手に力が籠った。
彼は、まるで私の心を暴き、丸裸にしてやらんとばかりに言葉を紡ぐ。

「図星かァ?」

図星、と呼んでいいものか分かりかねる。けれど、後悔の残滓みたいなものが僅かに心の何処かに存在しているのは確かである。

必要がないと知って、兄弟子の言葉に準えてそれが嬉しい事であるのだと言い聞かせてみても、やはり悲しいと思ってしまった。
寂しいと、思ってしまったのだ。
だってそれは無一郎と距離を取らなければ知らずに済んだ事実であったから。

「……よく、分からなくて。でも、」
「全部話せ。……俺しか聞いちゃいねぇんだ」
「いつも思うけどさぁ、実弥さんって狡いよね」
「あァ?」
「その言い方とか。つい話しちゃいそうになるんだもん」
「だから、話せっつってんだろぉが……まぁ、それなりに託された役目っつーのも果たしとかなきゃなんねぇからよ」
「何の話?」
「こっちの話だ」

「話逸らしてんじゃねェ」と、実弥さんはすかさず言った。やはり、このまま誤魔化す作戦は通用しなかったらしい。

「姉弟子としての体裁やら、時透にとってお前の必要性の有無全部取っ払って、何でも良いなら、お前はどうしたいのかって聞いてんだよ」

確信を突くその言葉に、私はもう嘘はつけないのだと思った。
ついても、どうせそれは易々見破られてしまうだろう。
上っ面だけの言葉なんて……取り繕った態度なんて、所詮は見せかけの張りぼてだもの。

「……無一郎の傍に、いたい――っ、わ」

口に出した瞬間、わしゃわしゃと手荒く髪を掻き混ぜるように撫でられた。

“よく言った” “それでいい”

頭を撫でる実弥さんの手付きがそんな風に私を許してくれているように感じられて、悶々としていた私の心を解してくれているようで、泣きたくなった。
正直、これが恋情なのかは分からない。
けれど、何でもいいと。何を望んでもいいと許されるのであれば、私は無一郎の傍にいたいと純粋に思ったのだ。

「時透は、あれから見舞いに来てんのか?」
「あ、えっと……実は来てくれてないんだよね。まだちゃんとお礼を言えてないから伝えたいんだけど……。情けない姿を晒しちゃったし、愛想尽かされちゃったのかな」
「……」

あれっきり。私の中に残っているのは、意識を失う直前の記憶にある無一郎だけだった。
ただの一度も無一郎は顔を出してくれていない。
ただ単に忙しいだけかもしれないのに、今の色々と拗らせてしまっている私はそんな捻くれた感情しか浮かんでこない。

こんなにも、感情を掻き乱されている。
認めてしまえば思考一つすらこうも変わってしまうものなのだ。

――こんなもの、恋と呼ばず何と呼ぶのか。

「みたらし団子と餡蜜と、あとどら焼きだったかァ?」
「へ?」
「本当、お前は昔から食い意地張ってんなァ」
「ち、違うよ! 甘い物は別腹ってだけなの!」
「どうだかな。ちっと肉ついたんじゃねぇのか?」
「ひほひ!」

ガーゼの張り付いていない側の頬を摘んで引き伸ばす実弥さんに心底感謝した。
彼の優しさに、私は確かに救われたのだから。
今更どうする事も出来ない感情だけが胸に残っても。

20200620(20240527加筆修正)


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