「ひっ……!」

やはり夢では無かった。
それらは全て、夢であったらいいのにと願った希望的観測でしかなかったのだ。
どうにも物事というのは自分の都合通りには運ばないと、改めて実感した。

愛でて止まないかつての弟弟子が突然“霞柱”として私の前に現れた事も、しれっと唇を奪っただけでは飽き足らず“霞柱お世話係”なる、いかにも胡散臭い役職を押し付けた事も――。

にわかに信じ難いそれらに、もしかするとこれは全て私のくだらない妄想だったのでは……と、一縷の望みをかけて眠りから覚めるが、そんな私を嘲笑うかのように、眼前には残酷な光景が広がっていた。

いつの間に忍び込んだのか知れない無一郎が、洗濯板よろしく真っ平な私の胸に顔を埋めて眠っているではないか。
身動きが取れない程がっちりと回された腕に拘束されて、剰え脚までしっかりと絡められてしまって……。

その行為は残酷であるのに、如何せん寝顔が天使だ。
穏やかな寝息を立てて眠る様子は、彼が安眠している何よりの証拠のようでいて少しホッとする。
無意識に出会ったばかりの頃の彼を重ねてしまって、余計にこの抱擁を振り解けなくなってしまった。

そんな事よりも、今はどうしてこの様な状況に身を置く事になったのかを詳らかにする方が先決だと思うので、無一郎との昔話はまた今度にでも。

朝っぱらから堂々と私を恥辱に貶める可愛い可愛い弟分の頭を撫でながらぼんやりと思い出すのは、この奇妙な関係に足を突っ込む羽目になった昨日の事だ。

***

「え!? ……実弥さん、それ本当の話?」
「本当だっつってんだろォ。何度同じ事言わせりゃ気が済むんだテメェは」

柱合会議の帰りである実弥さんを待ち伏せて引っ捕まえた私は、しつこく何度も何度も事の仔細を問う。
同期でありながら一つ歳上である風柱の実弥さんは、いい加減にしろとばかりに少々苛立ちを孕ませた語気で吐き捨てながら私の顔面を鷲掴む。
少々苛立っただけで顔を潰しにかかるこの状況。彼を本気で怒らせるのだけは何があろうとも絶対にしてはならないと心に留め置いた。
「いだだだだ!」と騒ぐと、漸くその手を退けてくれる。

同期でも“実弥さん”。
それは言わずとも彼の風態が私をそう呼ばせているのだと思う。
同期でありながら“死不川さん”ではあまりに味気ないと思って、名前で呼びたいと思い至ったまではいいが、しかし、呼び捨てるのも恐れ多い。だって彼は風柱であるし。
それから色々思案して辿りついたのが現在の“実弥さん”呼びだった。
本人も特に嫌がる素振りもなく「勝手にしろォ」なんて興味なさげに吐き捨てたので、お言葉に甘えてそう呼ばせてもらっている。

「だって、そんなのにわかには信じられないよ。十四歳で柱でしょ? しかも刀を握って二ヶ月ってどういう状況!?」
「まあ、見たまんま十四の幼さが抜けきらねぇ餓鬼だったなァ……」
「……会ってみたい」
「あ?」
「会ってみたい! 何処に行けば会えるかな!?」
「んな事知るかァ。そのうち任務で会えんだろ」

新しく柱として据えられた隊士の齢は僅か十四。私より六つも年下だ。
そして、それは言うまでもなく歴史的快挙で、鬼殺隊が結成されて初めての偉業である。
刀を握って二ヶ月だなんて信じられない。あるはずがない。それ程までに驚愕の事実だったのだ。

そうなれば、必然と気になるのはその彼が何の呼吸の使い手であるのかだった。

「実弥さん、その新しい柱の子って何の呼吸使うの?」
「あー……確か、霞の呼吸だったかァ? お前も霞だったろ」

――霞の呼吸。

それを聞いて脳裏に懐かしい顔が浮かぶ、私の弟弟子。
確か彼もまた十四かそこらだった気がする。

いやいや、そんなまさか。
彼はまだ最終選別にすら挑んでいないだろう。

また会いに来ると約束をして以来、任務が重なって会いに行けていなかった。
彼は、元気だろうか?今日も修行に励んでいるだろうか?
師匠の修行はキツいからなぁ……私も何度投げ出しそうになった事か。
懐かしい。思い出すと無性に会いたくなってしまい、胸の辺りに擽ったいような感覚が広がる。また近いうちに会いに行こうか。

自然と頬が緩んだ――まさにその時だった。事が起こったのは。
私の鬼殺隊としての……否、一人の人間としての転機が訪れる事となったのは。
僅かな音すら立たなかったせいで気付かなかった。
音に限らず、気配がまるで無かったのだ。

「――っ、うわ!」

一瞬の出来事だった。
驚いたように双眸を見開いてこちらを見る実弥さんと、咄嗟に手を伸ばす私。
けれど、伸ばした手が実弥さんへ届く事はなかった。
私の身体は、あっという間に背後から伸びた何かに囚われ、ぎゅうっと力一杯抱き竦められる。

「な、なな何!? ちょ、何!?」
「なまえ」
「――!」

私の名を呼ぶその声に聞き覚えがあった。多分だとか、もしかしたら、ではない。
それを証明するかの様に、頭上から垂れ下がった浅葱に染まった毛先をよく知っていた。
だって、今し方遠く離れた場所にいるであろう“彼”に思いを馳せたばかりであったのだから。

「やっと見つけた」
「え、あの……」
「なまえ、凄く会いたかったよ」
「……っ」

彼は、耳元で囁いた甘ったるい言葉と共に、頬を擦り寄せた。
心臓が大きく跳ねて、顔に熱が集まる。
堪らず抵抗して身体に巻き付いた腕を振り解く。そこから逃げ出すと、彼は不満気にその頬を膨らませた。
相変わらずあざとく、愛らしい。

「む、無一郎!?」
「何で逃げるの? 傷付くなぁ……」
「え? あぁ、その、ごめん……ごめん?」

何で私が謝っているんだっけ。
再会の抱擁にしては誰が見たって度が過ぎていたと思う。
それなのに、正当な対処をした私が悪者扱いで、謝罪をしているこの状況……何とも不当な扱いだった。
それは、言うまでもなく世界一あざとく、可愛い弟弟子の仕草のせいだ。してやられた。

「なまえ……お前、時透と知り合いだったのかァ?」

漸く口を挟んだ実弥さんは、訝しげな表情で私と無一郎を交互に見やる。

「いや、知り合いっていうか、弟弟子で……」
「は?」
「だから、無一郎と私は同じ育手の元で修行してて……それより何で実弥さんも無一郎の事知ってるの?」

私と実弥さんの間で会話が成立していない。行き違い、齟齬をきたしている。
だって、無一郎は私の弟弟子で、同じ師匠の元で学んだ霞の呼吸の剣士だ。
そこではたと気付く。実弥さんが言わんとしている言葉の意味が、やっと理解出来た気がした。

「まさか、無一郎って……」
「ああ、そいつだァ。お前が会いたがってた“霞柱”」
「え゛!?」

私は、あんぐりと口を開けて驚愕する。魂消た。

いや、しかし……十四歳。刀を握って僅か二ヶ月程で柱に就任。前代未聞の偉業を成し遂げた霞柱。
それらはまるで無一郎の為に誂えられた言葉の如く、ピタリと全てが当てはまる。
それと同時に思った。今や柱となった彼に対して“弟弟子”などという呼称は酷く礼節を欠いているのではないかと。

「ねぇ、なまえ。僕、なまえに会うために頑張ったんだよ?」
「あ、う、えっと無一郎……ちょ――実弥さん! 置いて行かないで!」

私の手を取り自分の頬へ添えるその仕草に、またもや翻弄される。
居た堪れず、実弥さんに助けを求めて視線を投げても、当の実弥さんは姉弟弟子の再会にはこれっぽっちも興味が無いとばかりにスタスタと先へ進んでしまう。
待って下さい!薄情だ!あんまりだ!と声を掛けると、任務だと本当かどうか定かで無い返答をされて、私は一人この場に取り残されてしまった。
正確には私と無一郎の“二人”だけれども。

「あの人って確か風柱だよね?」
「ああ、うん……そうだよ」
「……随分と仲がいいんだね」
「まあ、同期だからかな。話しやすいし、何だかんだ面倒見のいい人だから、傍にいて心地良いのか、も――」

突然、無一郎は私の言葉を遮る様にして口付ける。
何が彼の癪に障ったのかよくわからないけれど、それは私の意識を実弥さんから逸らす為の行為だったという事だけは何となくではあるが、理解した。
重なっていた唇が離れて、呆然としながら無一郎を見る。

「そんな嬉しそうな顔であの人の事、話さないで」
「ええっと……」
「なまえは、今日から“僕の”なんだから禁止だよ?」
「んん?」

“今日から僕の”とは一体どういう意味なのだろうか?
再会して早々、突然の所有物宣言。
これにはどんなにあざとく迫られようと、仕草に当てられようと、はいそうですかと安易に頷けない。

「……無一郎、それは一体どういう事?」
「聞いてない? なまえは今日から僕のお世話係だからね」
「お、お世話……係?」

少なくとも私が鬼殺隊へ入隊してからそんな係というか役職があるなど聞かされた事が無い。
お世話係だなんて、そんな……まるで女中か何かのような扱いだ。

「僕は記憶の保持が難しいから。でも、なまえの事だけはちゃんと覚えてた。だから、傍にいれば他にも何か思い出すきっかけが掴めるかと思って」
「な、なるほど……」

いかにもな理由を並べ立てられて、思わず丸め込まれてしまいそうになる。
自分事ではあるが、実にちょろい。

それでも、首肯しなかった事だけは褒めてもいい。
思わず頷きそうになったものの、そうそう流される私ではないのだ!……なんて、そんな虚勢を張れるのはここまでだった。

「お館様からの許可も頂いて来たから大丈夫だよ?」
「お、お館様の許可!?」

その一言で全てが覆る。いよいよ私に拒否権は無くなった。
お館様の名前を盾にするだなんて卑怯千万だ。
断るという選択肢が、お館様の名一つで木っ端微塵に砕け散ってしまったのだから。

「これで、今日からずっと一緒にいられるね」
「え゛!?」
「なまえも勿論、霞柱邸に住み込みだから」
「そんな……!」

ぎゅうっと、再び私は無一郎に抱きしめられた。
否、拘束された。身も心も何もかも雁字搦め――その抱擁からはそんな印象を受ける。

突然の事すぎて、頭が追いつかない。理解に苦しむ。
直後、彼方の空から飛んで来た私の鎹鴉が頭上を旋回して鳴く。

「なまえ、本日カラ霞柱・時透無一郎ノオ世話係ィィイ! オ世話係ィイ!」

遅いよ、伝えにくるのが。もう知ってるわ、そんな事。

ただ託された事を伝達しただけである鴉を睨め付けた。半泣きで。
ああ、それはまるで死刑宣告のようだ。

***

と、まあ。私の処遇が預かり知らぬ所で密に進められ、決められていたという訳だ。
今日から私はお世話係。無一郎専用のお世話係。
みょうじなまえ・階級丙・霞柱 時透無一郎のお世話係です!……なんだか締まりがない。
それは言うまでもなく、お世話係の響きが足を引っ張っていた。

お世話係に就任しても、ちゃんと任務はあるのだろうか?
継子とはまた違った間柄なのだろうし、いまいちその役職名が腑に落ちない。

「そもそも、お世話係って何すればいいの、か――っ、ぎゃあああ!」
「……ねえ、もっと色っぽい声出せないの?」

不意に胸元で何かが蠢く感覚に襲われて声を上げると、いつの間に目を覚ましていたのか、無一郎が胸元へと舌を這わせていた。
触れるだけの口付けを何度も胸に落として、私の反応を楽しんでいる様だった。

「……ん、ぁ……も、やめっ、擽ったいから!」
「擽ったいだけ? 気持ち良くない?」
「気持ちいいとか、そういうんじゃなくって……ちょ、いい加減に――っ!?」

擽ったいだなんて言ってしまったばかりに、突然浴衣の前身頃を割り開かれてしまい、一瞬にして胸元を覆っていた布が無くなる緊急事態に陥った。
隠される物が無くなった乳房は惜しげも無く彼の眼前に晒される。
ただでさえ小ぶりな胸を気にしているのに、あろうことか、それをじっと凝視されるとあらば、ただただ泣きたくなった。
急いで寝巻きの代わりに手で胸を覆い隠す。

「ちょ、何してるの!?」
「うん? なまえを気持ちよくしようと思って。擽ったいって言ったから」
「しなくていい! しなくていいから!」
「どうして?」
「どうしてって……こういうのは、好き合った男女がするものであって、ね!?」

どんな言葉が彼を焚きつけるか分かったものではないので、慎重に言葉を選ぶ。
上目でこちらを見やる無一郎と視線が交わると、彼はニッコリと可愛らしく笑って言う。

「ふーん……そっか。じゃあ大丈夫だね。だって僕はなまえが好きだから」

自己完結させた彼は胸元を覆い隠す手を退けにかかるので、私は精一杯抗うのみ。

「いやいやいや! 待って! ちょっと違うから! ううん、大分間違ってるかも!」
「どこが?」
「いや、どこがって……」
「僕は好きだよ? なまえの事」

組み敷かれて、頭上からはらりと溢れ落ちた無一郎の髪が、私を閉じ込める檻のように感じた。
見下ろされる茫洋とした瞳も、私をじわじわ内側から溶かすような言葉も、歳不相応な笑みも、全てが私を囲う檻だ。
逃げ出さないと。でも、逃げ出せない。

「なまえ、好きだよ。だから早く僕のものになって」
「……っ、」
「なまえが欲しいよ」
「な、に……それ、どこで覚えて来たの……」

お世話って、まさかそういう系の?なんて、雰囲気にそぐわない思考をしながらも、私を溶かす言葉と堪らない表情に、私は不覚にも唇を差し出してしまった。
指先を絡めるようにして握られた手を握り返す覚悟はまだ無い。
甘過ぎて胸焼けを起こす前に、どうやって私はこの檻から抜け出そうかと考えるばかりだ。

20200423(20240515 加筆修正)


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