「緊急任務ゥウ! 此処カラ西ニアル山ヘ向カイ、至急救援ニアタレェェエ!」
「此処から西にある山って……。またやけにざっくりした説明だけど……分かった! 急ごう」

カァカァと慌ただしく鎹鴉が鳴いて頭上を旋回し、至急の任務を知らせる。
それに頷き、目的地へ向かって駆け出した。

あの日を境に私の毎日は驚くほどに今まで通りで、拍子抜けというか、何だか呆気に取られてしまうほど何も起こらなかった。
どうやら本当に無一郎のお世話係を解任されてしまったらしい。
あれから二週間ほど経過したけれど、その間、何の音沙汰も無い。

しかし、それは私が望んだ事でもあるのだから、今更どうこう言えたものでも無いのだけれど……。

そして、もう一つ。この任務が終われば実弥さんへ継子の返事をしなければならないのだと言う事。
そういう約束だった。
首元へ散った鬱血痕は、とっくに消え失せてしまったから。
懐かしくさえ感じられる所有印は今では跡形もない。それ程時間が経過していた。

私はもう、誰のものでもなくなった。
“晴れて”と言ってもいいのに、縛りつけるだけの鬱陶しい筈の痕ですら、いざ無くなってしまうと物悲しく感じてしまう私はどうかしてしている。

この暑苦しい季節でようやく私の首元から襟巻きが取れた清々しさと比例するだろうとばかり思っていたこの感情は、何やら良からぬ方へと進んでいるように思えてならない。

たかが二週間。されど二週間。
果たして、私達の関係を以前の変哲の無い“ただの姉弟弟子”という関係に戻す事が出来たのだろうか?

***

救援要請のあった山へ入ると、そこは私が予想しうる以上の惨状が広がっていた。
凄惨――まさにその一言につきる。

一帯を占める殺気と、鼻腔を刺すような腐臭がたちこめている。それらに混じる鉄錆の匂い。

此処は異様だ。そして危険だ。
考えずとも肌身で感じた私はすぐ様抜刀し、細心の注意を払いながらも迅速に奥へと進む。
その最中で目にしたのは、残虐な仕打ちを受けた隊士の亡骸とそこら中に出来た血だまりだ。
こうなれば自然と頭に過るのは“十二鬼月”の存在だった。
此処にはもしかすると、十二鬼月が――そうでなかったとしても、限りなくそれに近い力を持った鬼が存在している。

「……っ、無事でいて」

救援を待つ隊士達を思うと、柄を握る手に力が篭った。
額には汗が滲み、喉の奥が枯れるような焦燥を覚えた。ドクン、ドクンと痛いくらいに打つ心臓は、脳にこびりついた記憶を蘇らせる。
大切な人がこの世を去った瞬間を容赦なく呼び起こす。

道無き道をかき分けて進み、開けた場所に出ると腐臭が一層強くなり、思わず鼻を覆う。
そして――視界に飛び込んできた光景に息を飲む。
鬼に掴み上げられた女性隊士の頭が軋み、今にも握り潰されそうになっていたのだ。
状況把握をする暇もなく刀を構え「フウウウウ」と、呼吸をしながら切り込む。

【霞の呼吸肆ノ型 移流斬り】

目にも止まらぬ速度で間合いに入り込み、隊士を掴み上げていた鬼の腕を切り落とす。
不意を突いた攻撃は難なく腕を断ち切って、ぼとりと鈍い音を立てて地面に落下する。

脱力した隊士の身体を受け止め、すぐ様安全な場所まで下がると、腕の中で「う゛……」と、呻く声を聞いて安堵した。

道端で事切れていた数多の隊士を救えなかった。だからせめてこの子だけは絶対に助ける。
その一心が胸を占めていた。

まだ幼さの抜けきらない顔立ちからして、新人の隊士だろうか?
癸か壬か……だとすれば、この状況でよく此処まで戦ったものだと思った。
身体のあちこちから血が滲んで、足も折れているのか曲がり方がおかしい。
彼女が重傷であるのは一目で分かる、そんな悲惨な状態だった。

「救援に来ました。間に合って良かった」
「すみません……ありが、と……御座います」
「後は任せて。貴女は休んでいてください」

出来るだけ安心させてあげられるように笑顔を向けるも、彼女は私の隊服を掴み何かを必死に伝えようとする。

「だ……い、す……うし、ろ……」
「え?」

“まだ、います。後に”

途切れ途切れの言葉を繋ぎ合わせた時、弾かれたように振り仰ぐ。
背後に迫る殺気と共に振り下ろされる腕。
僅かに反応が遅れてしまい、刀を構えたが一呼吸遅かった。
鋭利な爪が隊服を擦り、布が裂けたと思った瞬間私の胸元からは鮮血が吹き出す。
庇うように上げた腕ごと袈裟懸けに振り下ろされた腕はさながら鞭のようで、握っていたはずの刀が彼方へ吹き飛ばされる。

「ぐ、……がは!」

受け止めきれなかった。
その弾みで、腕に抱えていた隊士も放してしまう。
地面に伏した身体を無理やりに起こすと、傷口から止めど無く溢れ出る血液が隊服を濡らし、ボタボタと辺りに血溜まりを作る。

痛い、苦しい、身体が重い。
けれど諦めるわけにはいかない。私が彼女を助け、この状況を打破しなければならない。

今一度鬼が腕を振り上げたのを視界に捉えて、力が上手く入らず震える腕で懸命に身を起こす。
二度目の攻撃がくる。

早く立て、立て、立て……!

頭の中で何度も自分を奮い立たせ、鼓舞する。
渾身の力で起き上がり刀を拾い上げるが、その攻撃の矛先は気を失った隊士の方であるようで、私は彼女の前に立ちはだかって、容赦なく振り下ろされる腕を今度は既のところで受け止めた。
巨体であるその鬼は、力で刀ごと私を押し潰さんとしてのしかかってくる。

「う、ぐぅ……!」

自らも手負いで、負傷した隊士を庇いながら二体の鬼を相手にするのは、正直私には手に余る大仕事だった。
しかも鬼の強さは限りなく十二鬼月に近いものがあるのだとすれば尚更。

先程まで彼女と共に戦っていた隊士数名が既に事切れた状態で地に伏している。
彼女だけは絶対に守り抜きたい。名前も知らないし、妹弟子でも無いけれど、でも私が駆けつけるまで繋がったこの命をどうしても守り抜きたいと思う。
たとえ、自分が落命する運命だったとしても。

ミシミシと骨身が軋む。力を込めた為に傷口が裂けて更に血が重吹く。
いくら押し返してもびくともせず、このままではいずれ私も彼女も押し潰される。
否、そればかりでは無い。先程腕を刻んだ鬼も腕が生えて此方へと距離を詰めに来ている。

「(霞散の飛沫で押し返すか……でも、そしたら彼女を巻き込んでしまう。どうしたら)」

此処で技を出してしまえば彼女を巻き添えにしてしまうかもしれない。
一体どうすればいい?私は後輩を救うことすら叶わないのだろうか?

「私、は……もういい、です……から、逃げて」
「駄目! 絶対、それだけは駄目! 助けるから……!」

ああ、未熟だ。兄弟子の命と引き換えて生かしてもらった私の力なんて、所詮はこの程度。

ごめんなさい。私なんて、彼の命を賭してまで守る価値がなかった。

【霞の呼吸伍ノ型 霞雲の海】

己の不甲斐なさを悔いながら歯を食いしばった時だった。辺り一帯に靄が立ち込める。
靄、では無い。霞だ。
フウウウ、と。それは自分と同じ呼吸法で、その技をよく知っていた。
霞を伴って連続で攻撃を繰り出すその技は、私を押し潰さんとする鬼を瞬時に切り刻む。

「む、無一郎……!?」
「その子を連れて、早く下がって。此処は僕が片付けるから」

「大丈夫。なまえは、僕が守るよ」と、最後に一言告げて、無一郎は返す刀で後方に迫っていた鬼にも斬りかかる。

微笑んで、くれたような気がした。
記憶を無くし、表情の乏しい彼がまさかそんな事。あんな風に突き放した私に対してそんな事は、ありはしないのに。

幻想でもいい。私の思い過ごしでもよかった。

今はただ、無一郎の背中が甚く逞しく感じられた。
私が知らない内に、彼はこんなにも逞しく、そして強く、頼もしく成長していたのだ。

そこからはもう、私は無一郎の指示通りに彼女を連れて下り、ただただその剣技を目の当たりにするしかなかった。
これが柱。これが、今の無一郎の実力。

【霞の呼吸 漆の型 朧】

「っ!(漆の型? 朧……? そんな技、霞の呼吸には存在しないはずなのに)」

そこには霞の呼吸を誰より使いこなす彼の姿しか無く、そして、極め付けに繰り出された見たことのない技に圧倒されてしまった。

そして、思い知る。
姉弟子であるのだから、私が無一郎を導かなければ、私が傍で助けてあげなければ――そんなものはただの思い上がりであったのだと。

頬を思い切り張り飛ばされたような気がした。
助ける?姉弟子?弟分?

――ああ、なんて烏滸がましい。

そして、今更になって私は目が覚めたのだ。
無一郎は柱だ。私は端から彼に必要のない存在であったのだから。

安堵して気が抜けたからか、それとも血を流しすぎたからか。おそらく両方であろうが、視界が狭窄する中、最後に映したのは鬼を倒した無一郎が何かを叫びながら此方へ駆け寄る姿だった。

いつだったか、兄弟子が言っていた言葉を思い出す。

『俺は、いつかお前に必要とされない日がくればいいと思ってる』
『どうしてそんな事言うの!? ……私何かした?』
『いやいや、何も突き放そうってわけじゃない。でも、俺の助けが必要ないって事は隊士として一人前になったって事だろう? だったら、兄弟子がお払い箱になるってのは、これ以上ない名誉な事だと思わないか?』

そうかもしれない。
その通りかもしれない。
無一郎にとって私はすでに必要がない存在だったのだ。あの日の決断は間違ってはいなかった。

それなのに何故、こんなにも胸が苦しいのだろう?

20200614(20240527加筆修正)


「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
×
- ナノ -