『おいおい、泣くなよ……折角身体を張って助けたんだから、最後くらい笑った顔を見せてくれ。俺は、お前の底抜けに明るい笑顔が好きなんだ』
『わ、分かったから……もう喋らないでよ! 血が止まらないから、呼吸に集中して……!』
『もう呼吸じゃ間に合わない……自分の身体は、自分が一番分かる。……なまえ、俺はお前を庇って死ねる事にこれっぽっちも後悔なんてしてないし、兄弟子として、これ程名誉に思うこともない……だからいつか、お前の下に弟子が出来たら、そいつを助けてやるんだぞ? いいな?』

もう、幾度となく彼の死に際を夢に見て、その度に言い付けを律儀に守った。
守っていた筈、なのだけれど。

私は何処で間違ってしまったのだろう?
何が、いけなかったのだろう?

「……ん、」

眠りから覚めると、心地よい温もりに包まれていた。
その温もりが何であるか気付いた私の脳内には、昨夜の記憶が止めどなく流れ込んできて、朝っぱらから筆舌に尽し難い羞恥心に駆られてしまい、いっそ消えて無くなりたくなった。

ああ、私はまたやらかしてしまったのか。
流されるままに、またしても無一郎とあんな事やこんな事を――。

受け入れ難い現実に打ち拉がれながら、そっと両手で顔面を覆った。

事ある毎に流されてしまうこの性格が嫌になる。

こんな関係は望んでいないと言いながら、抵抗らしい抵抗も出来ず毎度良いようにされてしまって、私は一体、無一郎とどうなりたいのだろう?
全てを受け入れもせず、中途半端に遠ざけて、何がしたいのだろう?
お世話係なんて、ただの口実に過ぎない事はとうに気付いているくせに。
そして、この中途半端な関係が一番良く無いという事も気付いている。
狡いのは、無一郎ではなくて、私の方だ。
決断をしなくてはならないのも――私の方であるのに。

朝食の支度の為に、布団から抜け出そうとした時だった。
背後から私を抱きしめていた腕がピクリと動き、衣擦れの音に混じって小さな呻き声がする。

「おはよう、無一郎。……起こしてごめんね。朝食の用意が出来るまで寝てて良いよ?」
「ん……おはよ。朝食? いいよそんなの……それよりまだ此処にいて」

背後から抱き竦める腕が更に強まって、振り向くと頬へ強請るような口付けが一つ落とされた。

「駄目だよ。朝ご飯はちゃんと食べないと頭も回らないし、一日の元気は朝食から! なんだよ?」
「何それ、兄弟子の受け売り?」
「!」

不機嫌を隠そうともせず、無一郎は問う。

私が何気なく口にする言葉は大体そうである。
この言葉もそうであったから、受け売りかと指摘されて思わず固まってしまった。

タイミングよく彼の夢を見たばかりであったから、尚更反応してしまって、腕の中から抜け出す隙を逸してしまう。
無言は肯定だと受け取った無一郎は「……だったら、そんな言い付け聞きたく無いよ」と、小さく零した。
まるで、幼子が臍を曲げたように。

「ねえ、ならないよね?」
「え?」
「不死川さんの継子、ならないよね?」

ああ、そう言えばその件もその日のうちに知られてしまったのだったなと、思い出す。
よっぽど私の黙秘能力が低いのか、それともただ単に無一郎の勘が鋭いのか……。
どちらであったにせよ、その件も近いうちに正式な答えを不死川さんに伝えなくてはならない。

「継子……」
「駄目だよ。ちゃんと断って」

私は否定も肯定もせず無一郎の頭を後ろ手で撫でてやると、僅かに腕の力が緩んだ事に気が付いて、その一瞬の隙を突くかの如く抱擁から抜け出した。

「……なまえ、」
「ご飯作ってくるね。出来たら呼ぶから、ゆっくり準備してて」

無一郎の部屋を出て、着替えと身なりを手早く整えると、早々に厨で朝食の準備に取り掛かる。

グツグツと煮える鍋の中身をぼんやりと眺めながら、先程自分のとった行動を思い返していた。
頷く事も、首を横に振る事もしなかった。いや、出来なかったのだ。
何が正しくて間違っているのか、私には見極められなかった。

――既に、心の深い部分で答えは出ているくせに。

「……わ! びっくりした……む、無一郎? ほら、危ないから放して?」
「嫌だよ。放したく無い」

背後から伸びた腕が、私の身をぎゅうっと抱き竦める。
首元へ顔を埋める彼の髪が首や頬に掛かって擽ったい。
堪らず身動いだその行動が、どういうわけか彼には拒絶として届いてしまったようだ。

無一郎の口調には焦りと不安が滲んでいるように感じられる。

「さっき」
「うん?」
「さっき……どうして何も答えてくれなかったの? やっぱり昨日の事怒ってる?」
「……違うよ」
「だったら、どうして?」

昨夜のあれは、私にも非があった。
現に、無一郎は腕に怪我を負っていたのだから逃げ出す隙も、行為を拒む事も出来た筈だった。
だから昨日の出来事は、それが出来なかった……拒みきれなかった私に非がある。

「無一郎……このままじゃ、駄目になるよ」
「え?」
「私も無一郎も、この中途半端な関係でいたら駄目だと思う。……だからね、一度離れてみるべきじゃ無いかな?」
「……何それ。結局、不死川さんを選ぶって事?」
「ち、違うよ! そういう意味じゃ無い」

背後から抱き締められていた身体を反転させて、無一郎を正面から見つめる私の表情は、きっと覚悟に満ちていたと思う。
心の深い部分で燻っていた感情が迫り上がって、これ以上目を逸らす事が出来なかったのだ。
気持ちから目を逸らせなかったように、茫洋とした彼の瞳も私から逸らされる事は無い。
抱擁を解いて、肩を掴む手に力が込められた。

「じゃあ、どうして離れるなんて言うの?」
「だから、それは……」
「どうして僕じゃ駄目なの? 僕なら、兄弟子みたいになまえを残して死んだりしないし、ずっとなまえの傍にいてあげられる。ちゃんとした肩書が欲しいなら、僕の継子にしてあげるよ」
「違うよ。私が、今のままでは駄目なの。嫌なの。無一郎とも弟分と姉弟子としてのきちんとした関係を築きたいって思ってる」

揺るぎない覚悟の宿った瞳が無一郎を穿つから、私を引き止め、説得する言葉はこれ以上彼の口から紡がれる事は無かった。
最後はただただ、私の行動の真意を問うばかりで、しかし、どこまでも噛み合うことのない押し問答のような会話ばかり繰り返されるだけ。

言葉を交わせば交わすだけ虚しい。

「……だったら何で、中途半端に僕を受け入れたの? 身体を、許したの?」
「! それは……」
「今までの全部、なまえにとって僕は弟分だからって――ちょっとした我が儘だろうって、お情けで付き合ってくれてたって事なんだ?」
「無一郎、あの、」

火にかけていた鍋が吹きこぼれたのを合図に、無一郎は私から離れる。

「……なまえは、狡いよ」

中身がグラグラと沸いて溢れる様はまるで煮詰まった私と無一郎の関係性のようで、中身が溢れてしまう前に、どうしてもっとちゃんと出来なかったのだろうか?
私は何処で間違ったのだろうか?

「ごめん、無一郎」

何処で間違っていたのか――最初から間違っていたなんて、それだけはどうか思いたくはなかったけれど。

***

「時透の世話係クビになったのかァ?」
「クビってハッキリとは言われてないけど……でも、似たようなものだと思う」

この場合はクビと言うより、自主退職と言った方がしっくりくるような気もするが……。

霞柱邸を出て、任務の一報を待つ間、私は実弥さんのお屋敷である風柱邸を訪れたのだが、丁度門から出て来た彼はこれから任務であるらしい。柱は忙しい身なのだ。
だから、こうして顔を合わせる事が叶った事だけでも運が良い方である。

「んで、これからどうすんだお前」
「どうするもこうするも、今まで通りに戻るだけだよ」
「そうか」

今まで通り。普段通り。
任務をこなして藤の家か宿を転々とする生活に戻るだけ。何も難しい事は無い。
柱でも継子でも無い、ただの平隊士である私の今まで通りなんて、拠点を持たず行き当たりばったりの、その日暮らしみたいな毎日だ。
そう思えば、お世話係なんて理不尽な役回りでも、“帰る場所”という確固たる居場所が存在していた事は、有り難かった。
どんなものも等しく、有り難みなんてものは大体無くしてから気が付くものだけれど。

「だからね、その……折角なんだけど、実弥さんの継子の件も断……ふごごっ!」
「断んじゃねェ」
「んむ?」

しかし、不意に伸びた実弥さんの手によって全てを語る事が叶わなかった。

断るな。そう口にして、言葉でも行動でも遮った実弥さんは、鷲掴むように私の口元を手で覆い隠して強制的に言葉を封じた。
無一郎といい、実弥さんといい……そんな理不尽な。
私の周りには理不尽な柱しか存在しないのだろうか?

しかし、これでも一応考えた末の決断であったのだけれど……。
それすらも聞き入れて貰えないのかと反論しようとして、口元を覆う実弥さんの手に触れたところで、彼は続けて言う。

「時透のついでみてェに断んなっつってんだよ」
「……!」

“無一郎のついで”だなんて、まさか実弥さんの口からそんな言葉が出てくるなんて誰が想像しただろうか?
無一郎のお世話係も、実弥さんの継子もちゃんと考えて出した答えだったのだから。

「さ、実弥さ――!」

やっと口から手が離れて、反論しようとした時だった。
首に巻いていた襟巻きに指を引っ掛けられて、ハラリと解ける。

露わになった真新しい所有の印を目にして、心底不快な物でも見るかのように、実弥さんは舌打ちをして眉根を寄せた。
首に添わされた指の腹でグイッと拭うように少し強めに触れるから、摩擦で肌が擦れて痛い。

私は、選別で実弥さんと初めて顔を合わせた時、失礼千万な話であるが、目で人を殺めることが出来そうな人だなと思った。
今、久し振りにその感覚を彼から受けてしまった。 だって、目はいつも以上に血走っているし、おまけに額に青筋浮いちゃってるんだもん。

「オイ、なまえ」
「な、なんで御座いましょう?」
「出直して来いや」
「へ?」
「継子の返事は、その目障りなモンが消えたら改めて聞いてやるよォ」
「う、……は、はい」

痕が消えるまで、保留。
私はこの痕が自身から消えて無くなってしまう頃、無一郎の事をどんな風に思っているのだろうか。
実弥さんにちゃんと伝えられるだろうか?
猶予は、おおよそ一週間。
一週間後の私はこの胸にどんな感情を抱いているのだろうか?

20200609(20240527加筆修正)


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