手の平には、鍵が一つ。
それは、ジニア先生とお付き合いをするようになって暫く経った頃に、彼から貰った合鍵だった。
まさか、初めての使用記念をこんな形で迎える事になろうとは誰が想像しただろう?
彼が住うマンションの一室、その玄関前で手に握った鍵をじっと見つめた後、鍵穴に差し込んで右に回すと、すんなりと解錠した。
カチャリと確かな手応えが差し込んだ鍵から伝わって、そこはかとない高揚感を覚えながら、思わず「おお」と、声を漏らす。
そりゃあ合鍵なのだから、開くに決まっている。開かなくては困る。

“こんな形”とは一体何かと言えば、それは早朝の事だった。
本日はアカデミーの休講日。
それに伴って教鞭を取る先生方、そして事務職員である私も休日だったのだけれど、早朝にスマホロトムが着信を知らせた事によって和やかな休日の朝は一変した。

その相手が友人や家族であったなら無視を決め込んで惰眠を貪るところであるが、クラベル校長とあらば話は別だった。別どころか例外も例外、VIP扱いの域である。
相手が校長先生と知り、寝ぼけていた脳は、思考は、一瞬でクリアになって思わず布団から這い出てその場で正座をした次第だ。
校長先生は『休日の早朝に申し訳御座いません』と一言断りを入れてから、要件を端的且つ簡潔に告げる。
昨日が期限だった提出物が、まだジニア先生から提出されておらず、何度も催促の連絡をしても繋がらないので、私に様子を見てきて欲しいとの事だった。
ただの事務員と教師の間柄以上の関係である私達を知っているからこそ、私に連絡を寄越したのだろう。
それだけ急ぎの書類だったのかもしれない。

そんなこんなで、今し方合鍵で解錠したドアを静かに開けて、中に入る。

「お邪魔しまーす。先生、いらっしゃいますか?」

声を掛けながら短い廊下を抜けてリビングに行き至るも、電気はついておらず、日光を遮るように引かれたカーテンのせいで室内は薄暗い。そして、床には何やら色んな物が散乱していた。

偏見かもしれないが、簡潔に言い表すなら“これぞ男の人の部屋”と言った荒れ具合だった。
先生の姿を探す最中、通り道に散らかった衣服を回収しつつ、辺りを見渡す。
リビングには姿が見当たらないので、きっと書斎か寝室だろうと思いながら、最後に目に付いたソファーの背凭れに掛けられた白衣を回収した所で、ピタリと動きを止める。
二、三度双眸を瞬かせた後、思わず笑みが溢れた。

「そんな所で寝たら風邪引いちゃいますよ?」

一纏めにした衣類を一旦端へ置き、背凭れから表側へと回り込む。
テーブルの上には書類と数冊の本。それと赤ペン、マグカップに入った飲みかけの冷えたコーヒー。
読み途中だった本を手に持ったまま胸元に抱えて、彼は眠っていた。
六角形の形をした眼鏡も掛けたまま、本も持ったままに眠るこの状況……一考するまでもなく、見たまんま、作業の途中で彼は力尽きたらしかった。
即ち、ただの寝落ち。実に彼らしい。

「とりあえず、眼鏡は外さないと……壊れたら困る、し――っ!」

独り言ちながら外した眼鏡をテーブルへ置いた直後の事だった。

後は、ここを訪れた本来の目的を果たすべく彼を起こすだけだったのだけれど、何の前触れもなく伸びた手が私の腕を掴んで、あろう事かそのまま引き寄せられる。
不意を突かれてしまって、抵抗する間もなく、引っ張られるがまま彼の腕の中へと引き摺り込まれ、抱き竦められてしまった。

「ジ、ジニア先生……!?」
「んうー……ウイン、ディ……あと、五分だけ……寝かせてくだ、さ……」
「え、ちょ、私はウインディではなくて……!」

何をどうすれば、私をウインディと間違えるのだろうか?
せめてガーディの間違いでは?
間違ってもウインディは、成人男性といえども腕の中に収めて抱き竦める事が叶う大きさではないのに。

それにしたって困った事に、ソファーで眠るジニア先生の腕の中にすっぽり収まってしまって、身動きが取れない。
眠っているのに何て力なのだろう。胸板を押し返したが、びくともしなかった。
こんな時、改めて実感する。思い知らされる。
いつも、ほんわかした陽だまりのような彼も、歴とした男性なのだと。

少し肌寒い気温も手伝って、私を抱きしめる腕に力が篭って、暖を求めて身を摺り寄せてくる彼の温もりが心地いい。
掠れた声が耳元で低く響いて、恥ずかしさのあまりこれ以上は身動きが取れなくなってしまった。

「ふふ……あったかいなあ……」
「……(まあ、いいか)」

甘えたような言葉がとても愛おしく感じられて、その言葉通り、あと五分だけならと私も瞳を閉じて身を委ねた。

――五分後、と言わず三十分は優に経っていた頃、うっかり微睡んでしまった私を起こしてくれたのはウインディでも、クラベル校長からの催促の電話でもなく、ジニア先生の驚きに満ち満ちた声だった。

「んんー……寝ちゃって、た……わあああああっ! え、ええ!? なまえさん!?」
「あ……おはよう御座います」


20230304


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