アカデミーのグラウンドに面した花壇は季節毎に色とりどりの花で溢れる。
ジョウロで水をやりながら穏やかな心持ちでその花々を眺めていると、頬を撫でる春風に乗ってフワリと目の前を一輪の花が過った。

否、一輪の花――ではなく、正確には花の上に乗った小さなポケモンだった。
この子の名前は、確かフラベベだったか。
花の色も個体によって好みが違うらしく、赤、青、黄、橙、白の五色の花に乗る姿が確認されている。
これは、いつだったかジニア先生から教えてもらった知識で、彼の傍で過ごす時間が増えるに連れてポケモンの知識も以前に比べ、うんと増えた気がする。
私は、日々順調に彼の色に染まりつつあるようだった。

苦笑を溢していると、風に乗って目の前を過ぎたと思ったフラベベは、私の右肩へ留まった。

野生の子だろうか?それにしては随分と人に慣れた個体だと感じる。
“おいで”と、手を差し出すと、なんの躊躇いも見せず肩から掌へとフワリ、舞い降りた。

「キミは青い花が好きなんだね。とっても良く似合ってるよ」

掌のフラべべに声を掛けると、嬉しそうにくるりと一回転して見せる。
その仕草がとても可愛らしく、つられて顔が綻んだ。

「どこから来たの? 野生の子かな? もしそうなら、ここに居たら――」

ここはアカデミーのグラウンドであるから、敷地を出てフラべべが生息する花畑までは随分距離があると言いかけた時だった。傍の草むらがガサガサと揺れ動いたのは。
野生のポケモンでも飛び出してくるのではないかと思えて、無意識に身構える。
片足を半歩下げた瞬間、一層草むらが大きく揺れて、そして――

「うわああっ!?」

ガサリ!と音が鳴って、そこから顔を出したのはポケモンではなく、まさかのジニア先生であったから驚きのあまり思わず大きな声をあげてしまった。

「ジ、ジニア先生……!?」
「うん? あれえ、なまえさん!」

ジニア先生は驚いてあんぐりと口を開ける私とは対照的に「どおも、どおも」と、いつも通りへらりと笑って草むらから這い出てくる。

嗚呼、驚いた。まさかこんな場所からジニア先生が飛び出してくるとは夢にも思わない。

爪先立ちで手を伸ばし、彼の髪の毛に付いた葉っぱを取りながら問いかける。
私を驚かそうなんて、流石にそんな事の為に草むらに潜んでいたわけでは無いのだろうし。

「葉っぱ付いてましたよ。そんなところで何をしていたんですか?」
「あ、すみません。ありがとうございまあす。いやあ、実は……ああ!」
「へ?」

先生は、事情を説明しようとした瞬間私の掌にちょこんと乗ったフラベベをまじまじと見て、そして、歓喜する。
状況が飲み込めない私と同様に、フラべべも不思議そうに小首を傾げた。

「青い花に乗ったフラべべ……! じつは、目をちょっと離した隙にフラベベを見失ってしまって困っていた生徒がいて。その子と一緒にフラベベを探していたんです」
「そうだったんですか! この子、花壇に水やりをしていたら風に乗って流れて来て……」
「良かったあ。なまえさん、見つけて下さってありがとう御座います」

「さあ、おいで。キミのパートナーが心配していたよ?」と、先生が声を掛けるとフラべべは私の掌から彼の掌へ飛び移る。
近くで一緒に行方を探していた学生が心底安心したような表情でフラベベを迎え入れた。

「良かったですね」
「はあい。これで安心です」

フラべべは10センチ程の小さなポケモンだから探すのも苦労したのだろうか。
草木を分け入って探していたのか、捲り上げた白衣の袖から覗く彼の腕には枝が当たって切れてしまったのか小さな切創が見受けられる。

「先生、大丈夫ですか? 腕に切り傷が……」
「え? ああ、本当だ。探すのに一生懸命で気付きませんでしたあ。でも、この程度全然平気です。いつものことなので」

いつもの事だと口にする彼の腕には、深いものから表皮が擦れただけの浅いものまで無数の傷がある。
ポケモンに付けられたのか、はたまた先程のようにいつの間にか付いていたのか定かでないが。

じい、っと腕の傷を見つめていたからか、先生はまるで武勇伝か何かのように身体に残っている様々な傷について教えてくれる。
腕の噛み傷に始まり、ふくらはぎの切り傷、脇腹の火傷の跡――他にも背中やら色々と研究員時代に無茶をした歴代の傷で、その度に上司だったクラベル校長先生にこっ酷く叱られたエピソードまで色々と話してくれた。

確かにその歴代の傷に比べれば、今し方出来たばかりの僅かに血が滲む程度の切創なんて気に留めるまでもなく、傷のうちにも入らないような些末な出来事の一部なのかもしれなかった。

けれど、不意に白衣の襟元から覗く首筋に痛々しい痕に目が行く。
先程の話に出て来たような古傷ではなく、引っ掻かれたり、赤く鬱血してしまっているような……それは、痛々しい痕だった。見た目にも、まだ出来たばかりの真新しさが感じられる。

「ジニア先生、あの、首筋にも傷が。大丈夫ですか?」

また腕の傷のように気が付いていないだけかも知れないと思い、指摘したのが間違いだった。
もしも機会を設けてもらえるなら、その傷が何で、何が原因だったかなんて直ぐに思い至らなかったと弁解させてもらいたい。

「! ……ああ、これはいいんです。勿体無いなあって思っても、どうせ、すぐ消えちゃうので」
「どういう事ですか?」
「うーん、なまえさん。それ、わざと言ってます?」

私の言葉に苦笑したかと思うと、彼は身を屈めて私の耳元で囁く。
声を潜め、鼓膜を揺らす優しげな低音は些か色を含んでいたと感じたのは気のせいでは無いだろう。

「……それとも、今夜辺りもう一度再現してくれるのかなあ?」
「――っ!」

その言葉で全てを悟った。
身体を駆け巡る血液が沸いたように体温がぐんと上がって、みるみるうちに頬が紅潮する。

「そんなものっ……な、尚更、隠してください!」
「あはは。いいじゃないですかあ……だってこの痕は、ぼくがなまえさんのものっていう印みたいなものだし、それに、ぼくは満更でも無いですよお?」
「は、恥ずかしいので! ……これ以上、言わないで……ください」

頭から湯気が立ちそうな程の羞恥に襲われて、手に持っていたジョウロで顔を隠す。
それすらも何の意味もなさない事は十二分に分かっていたが、何もしないでいるよりは――真っ赤になった情けない顔を彼に晒すよりは、マシだった。
「可愛いなあ……」と、頭上から降ってくる言葉すら、昨夜の記憶と重なって堪らなくなる。

“今夜辺りでも”
その言葉に踊らされながら、私の今日一日は過ぎて行くのだ。

20230416


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