「わあ、この子なまえさんのドラパルトですかあ? かっこいいなあ」
「ついさっきまではドロンチだったんです……突然、進化してしまって……」

こんなにも間近でその姿を眺めるのは初めてであったから、思わず「はわあ……」と、感嘆の声をあげドラパルトをまじまじと見る。
せっかくの機会だ。時間が許される限り矯めつ眇めつ観察したい。
ここでも元研究員、現生物学教師の血が騒ぐ。


それは、テーブルシティの西門を出て程近く。セルクルタウンへと続く南2番エリアでの事。
明日アカデミーを訪ねてくる来客用の茶菓子をセルクルタウンのパティスリームクロジへ買い出しに向かった帰り道、なまえさんと相棒のドロンチは悲劇に見舞われた。
悲劇と呼ぶには少しばかり大袈裟であると感じてしまうが、しかし、そんなつもりは微塵もなくただのコミュニケーションの一環で連れ歩きをしていた彼女と一匹にとっては、やはりこれは悲劇なのかもしれない。

瞳を輝かせるぼくとは対照的に、殆困り果てたと言わんばかりのなまえさんは「実は……」と事のあらましを簡潔に話してくれる。

今日は天気もいいからと、久し振りにドロンチをボールから出して連れ歩きをした。
アカデミーの校内での連れ歩きは基本禁止であるので、こういったタイミングでしかのびのびと放ってやれないからと言う理由だったらしいが、一瞬目を離した隙に彼女はドロンチの姿を見失ってしまった。
その直後、茂みの中から光が差したかと思うと、先程までドロンチだった相棒は、立派なドラパルトへと進化していたらしい。

そりゃあ、突然の事で驚きもする。
慌てたなまえさんは『ジニア先生、助けてください!』と、ぼくに連絡を入れたと言うわけだ。

「だから、どうして進化したのか全くわからなくて……」
「うーん、もしかしたらこの辺りに落ちていたけいけんアメを拾って食べてしまったのかも? ドラパルトの進化条件は一定までのレベル上げですから」
「そうですか……すみません、お忙しいのに呼び付けてしまって」
「いえいえ、なまえさんに頼ってもらえて嬉しかったですよお」

この程度でぼくを呼び出してしまって申し訳ない。そんな風に申し訳なさげに俯く彼女の手から紙袋を受け取った。
それによって空いた手を握りたかったけれど、いくら校外だからといってもここはテーブルシティにも程近い南2番エリア。
辺りにはちらほら学生の姿も窺えるし、人目にも付きそうなので控えておいた方が良さそうだ。
残念に思いながらも「帰りましょうか」と、声を掛けた。

声を掛けたのだが、どうやらそれすら叶わないらしい。
と言うのも、進化したてのドラパルトが尻尾を彼女の身体にぐるりと巻き付け拘束し、それを是としなかったのだ。
混乱の一途を辿る彼女を他所に、ドラパルトはこちらをじっと見る。じっとりと睨め付ける。
まるで、“帰るならお前一人で帰れ”そんな風に訴えかけているようにも感じられた。

目は口ほどに物を言う。
その言葉通りぼくを見る目は対峙する敵でも見ているかのようでいて、もっと言えば――“お前さえいなければ”。そんな、厭悪を宿した剣呑な瞳で睨め付けられている。
人間関係においての揉め事は比較的に少ない方であったし、ましてや憎たらしいと言わんばかりの感情をオブラートに包もうともせず、そのままぶつけられる事もまた人生において初めての経験であったので、一周回って不快どころか新鮮味を感じてしまった。
それが人間ではなくポケモンから浴びせられるのだから、実に興味深い。

「ドラパルト? 急にどうし――」

なまえさんは様子の可笑しいドラパルトを気遣うように、どうしたのかと問い掛けたところで、その全てを言い終わる前に事は起こった。
その直後、ぼくは素っ頓狂な声を上げる。

「うひゃあ!」
「!?」

目視する事が出来なかった“何か”が顔の横を通り抜けた。
その“何か”は目にも止まらぬ速さで間髪入れずにもう一度飛んできて、二発目が僅かに頬を掠めた気がした。
痛みよりも熱さが先に立つ。まるで摩擦熱で焼けたような、そんな感覚。
掠った頬が徐々にヒリヒリとした小さな痛みを帯び始める。

驚きのあまり間抜けな悲鳴を上げて、尻餅をついてしまった。
だって、こんな至近距離でドラゴンアローを繰り出されるなんて思わない。

まさかとは思ったが、角穴のドラメシヤが2匹とも不在ということは、先程ぼくの頬を掠めたのは間違いなくドラメシヤだったのだ。
勿論、仕留めるつもりは無く威嚇の意味で繰り出されたのだろうが……。
その証拠にぼくは、生きている。頬に僅かな擦過傷を負う程度で済んだのだから、彼の温情に感謝すべきなのかもしれなかった。

「ジ、ジニア先生! 大丈夫ですか!?」
「はあい、大丈夫ですよ。ちょっとびっくりしちゃいましたけど、平気でえす」

尻餅をついた衝撃で位置が少しずれてしまった眼鏡を指の腹で押し上げると、ぼんやりと浮かんでいた彼女の姿は、クリアになった視界にしっかりと映し出された。
起き上がって臀部についた土を手で叩きながらいつもの調子でヘラリと笑うと、彼女は心底安堵したように「よかった……」と零した。

「先生、ドラパルトが本当にすみません。コラ! ……え、ドラパルト?」

叱り飛ばそうとして彼女は勢いよく振り向くけれど、ついさっきまで確かにそこにいたはずのドラパルトは見当たらない。360度見渡してみても、何処にも。
一瞬目を離した隙に忽然と姿を消してしまった。

「うひゃあ! ――いたあっ」
「ジニア先生!?」

その姿を探す彼女を他所に、漸く立ち上がったというのに、突如ぼくの身体は再度傾いてドスン!と背後に倒れ込む。
“見えない何か”にさながら足払いでもされたかのように、不意を突かれた事も相まって受け身をとる間も無く背中から勢いよくすっ転んだ。
そして、ギャグ漫画か何かのように、転けた反動で脱げてしまったサンダルが宙を舞い、顔面目掛けて降ってきた。

そういえば、ドラパルトはゴーストとドラゴンの複合タイプで、感覚を研ぎ澄ませば体を消す事も出来たのだったなと頭に詰め込んだ知識を引っ張り出してこの現象の答え合わせをする。
放心状態で天を仰ぐぼくを嘲笑うかのように、ドラパルトはステルス状態から姿を現して、ざまあみろとばかりにひと鳴きしてなまえさんの元へ戻る。
グルル……と、喉を鳴らして彼女へ甘えるように擦り寄った。

「(うーん、これはまた随分と嫌われちゃったなあ……)」

今になって嫌われたというよりも、ドロンチの頃からきっとぼくは彼によく思われていなかった筈だ。
まあ、その理由なんて一つしか思い当たらないけれど。

「……っ、甘えてもダメだからね! ジニア先生にどうして酷い事をするの? ちゃんと謝らないと駄目でしょう?」
「……」
「ドラパルト……!」

彼女の説教も残念ながらドラパルトには届かず、ぷいっと顔を背け外方を向いてしまう始末だ。あくまでも謝らない。
その姿勢を断固として貫く覚悟らしく、終いにはまだ話の途中であるにも関わらず自ら鼻先をモンスターボールへと押し当て、中へ戻ってしまった。

いつまでも寝転がって雲一つ無い晴天を眺めているわけにもいかないので、打ち付けた背中を庇いながらゆっくりと身体を起こす。
困惑したような表情でモンスターボールを見つめる彼女の横顔は酷く悲しそうで、見ているこちらまで胸が苦しくなる。

「ごめんなさい先生……本当に、ごめんなさい。進化する前はあんな事なかったんです……私がトレーナーとして至らないから、あの子も言う事を聞いてくれなくて……私が全部悪いんです」
「なまえさん、それは違いますよお。だから、もう謝らないでくださあい」
「でも……」
「ぼくはこの通り全然平気ですから、悲しそうな顔をしないで」

俯くなまえさんの頭を慰めるように撫でてみるけれど、未だに彼女の表情は沈んだままだ。
言う事を聞かないのは自分がトレーナーとして至らないからだと彼女は言うけれど、それは断じて違う。
ぼくを見下ろしたあの瞳に宿った感情の答え――そんなものは、とてもシンプルで簡単な事なのだから。
至る至らないで解決できる問題ではないのだ。

「なまえさん、顔を上げてください。理由を知りたいですかあ?」
「……はい」

彼女はぼくの言葉に応えるように、ゆっくりと顔を上げた。
そして、頬の傷に気付いて遠慮がちに手を伸ばし、指先でそっと傷口に触れた。

「頬が少し切れてます……さっきのドラゴンアローのせいですよね? 本当にごめんなさ、……」
「はあい。もう謝まるのは禁止でえす」

負い目から何度も謝罪の言葉を紡ぐ唇に人差し指を押し当てて半ば無理矢理にその言葉を取り上げた。

「だって、こうなるのは当然なんです」
「え?」
「悪いのはなまえさんではなくて、むしろ……ぼくの方かなあ」

言っている意味がいまいち分からないのか、彼女は小首を傾げた。
頬の傷を撫でる指先を上からそっと包み込んで、そのまま頬を擦り寄せる。

「ぼくは、こんなにも可愛らしいなまえさんを独り占めしてしまってるんですから」
「!」
「大好きな人を独占されたら、それがポケモンだって人だって気に食わないのは同じだと思うんです」

これで、流石に彼女にも伝わった事だろう。
駄目押しとばかりに指先へ軽く口付けて、いつもの調子で「えへへ」と笑って見せた。
みるみるうちに頬を染めるなまえさんは今日も今日とて変わらず愛らしくて、それこそこの表情を知るのはぼくだけの特権なのだと優越感に浸ってしまう。

「ドラパルトには申し訳ないですけど、ぼくだってなまえさんが大好きなので、負けていられないです」
「っ、あの……も、もう十分……ジニア先生に夢中ですから」
「やったあ。すっごく嬉しいなあ」

ぼくの一言で、一挙手一投足で彼女はこんなにも可愛らしい反応を見せてくれる。
誰にも渡したくないと思ってしまう。それは彼女の大切なポケモンに対しても。

ならばこんな擦り傷程度、安いものだと思うのだ。

「でも、いつかドラパルトと仲良くなれるといいなあ」
「はい。そうなったら、私もとっても嬉しいです」

言った側からまたしてもドラパルトがモンスターボールから姿を現して彼女とぼくの間に割って入る。
やっぱりドラパルトの目に映るぼくは、彼にとっての恋敵さながらの悪役以外何者にもなり得ない。
再びトラゴンアローをお見舞いされるのか、はたまたゴーストダイブで闇打ちに合うのか――。

翌日、“南2番道路でドラゴンアローを撃ち込まれるジニア先生”の話題で学園は持ち切りになるのだけれど、ぼくが一番恐れるべきはドラパルトのドラゴンアローではなくて、その話がクラベル先生の耳に入る事なのだった。

兎にも角にも彼女の事が大好きな者同士、その歩み寄りの道のりはまだまだ先が長そうだ。


20230404


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