◎ちょっぴり不穏なジニア先生出て来ます。苦手な方はお気を付け下さい。


春は別れの季節であるけれど、同時に出会いの季節でもある。
それは例に漏れず此処、グレープアカデミーでも“出会いの春”が正に今、芽吹いているのだった。

――些か穏やかでない春だけれど。

さながら春嵐とでも言うような、ぼくの心は今日も麗かな春の陽気とは打って変わって穏やかでなく、それこそ絢爛に咲こ誇る桜の花を散らすかの如く吹き荒れている。

理事長の一存。
ただの雇われ教師であるぼくには、たったその一言で口出しは愚か、何の権限も無くなる。
それが、どんなに気に食わない事でもだ。
まるで呪いの呪文のような言葉だなと思う。

グレープアカデミーの学校事務――所謂、事務職員は今まで彼女一人だったのだけれど、新年度からはもう一人、人員を増やす事になったと上からのお達しが出たばかり。
確かにこの大きなアカデミーの事務仕事を一手に引き受ける彼女の負担を考えれば当然の処置であるし、大賛成だ。
賛成はするが、しかし――なぜ、その補充要員が“若い男性”である必要があるのか、それだけが甚だ疑問で納得がいかなかった。
男性ならば、別に若くなくてもいいと思う。それこそ既婚者であったっていい筈だろう。
おそらくは、事務員の仕事のうち備品の管理や簡単な整備作業は彼女一人よりも男手があった方が遥かに便利であるからという理由だろうが。
若い男性の方が体力もあれば、その他の仕事を覚える速さも、また、これからの勤続年数も考慮しての事だと理解は出来なくも無い。
整備作業といっても電球の交換だとか、業者を呼ばなくても済む程度の簡単な作業に限られた事柄であったけれど、脚立に登って作業に取り掛かろうとする姿を見かけた時は、流石に彼女に代わってぼくが行っていた。
彼女は大丈夫だとあっけらかんとしていたが、もしも、あんな高所から落ちてしまったら大事だ。

と、まあ……それを思うと、やはりその案には賛成する他ないのかもしれない。
備品の配布や買い出しだって、重たい物や大物が今まで出ないわけでも無かったので、プラスアルファの経理やら書類管理の業務の事を考えると、やはりその膨大な仕事量は彼女一人には荷が重すぎる。
今まで、よくこなしていたものだと感心してしまう。

とにかく、これまでメリット面を散々語っておいて、それでも尚、何がそこまで気に食わないのかと問われれば一つだけ。

「あの、なまえさん。もし予定がなければこの後一緒に食事に行きませんか?」
「食事ですか? いいですね。じゃあ、他の先生方にも声を掛けましょうか。人数は多い方が楽しいし、先生方とはこれから付き合いも増えてくるだろうから……」
「あ、あの!」
「うん?」
「そうではなくて……なまえさんと俺の二人きり、で――」

側から見れば、男性が勇気を出して意中の女性を食事に誘うなんとも微笑ましい状況であるが、その相手がなまえさんでさえなければ、ぼくだって精一杯彼に声援を送っていた事だろう。

残念ながら彼のその願いは叶わない。
そんな事が許されると思っているのなら、こんなにも可笑しな話はないのだ。

「お二人とも、お疲れ様です」
「ジニア先生……! お疲れ様です。珍しいですね、先生が事務室にいらっしゃるなんて」

見かねて二人の会話に割って入ると、あからさまに新人事務員の彼は複雑そうな表情を浮かべ「お疲れ様です」と気落ちしたように返事をした。
たったこの程度で感情が顔に出ているようでは尚更、放っておくわけにはいかなくなった。
事務員である彼と、教師であるぼくとでは、アカデミーにいる間どうしたって彼女と一緒にいる時間は彼に軍配が上がってしまう。
自分の預かり知らない所で、彼女に手を出されでもしたらたまったものじゃない。

だったら、彼にはしっかりと伝えておかなくてはならない。
彼女には、自分という存在があるのだと分かりやすく示して、思い知らせておかなくては。

「だって今日は、この後ぼくのお手伝いをしてくれる約束をしていたでしょう? 待っていてもなかなか来ないので、迎えに来ちゃいましたあ」
「あれ、そうでしたっけ……?」
「そうですよお。まさか、忘れちゃってたんですかあ?」

なまえさんは、訝しむような表情を浮かべた後、まあいいかとばかりに、うんうんと頷いた。

「それじゃあ、なまえさん。行きましょうかあ」
「はい」

普段、校内で――しかも人目につきそうな場所では彼女に触れる事はしない。
ここが職場であって、アカデミーという学舎の場であるからと言うのは表向きで、本当は分別が付かなくなると困るから滅多なことはしないと決めている。
まあ、時と場合があるのだけれど。

しかし、それでも今日は別だ。特別だ。
寄り添うように身を寄せ、彼女の背に手を添えて促した。さあ、行きましょうか――そんな風に。

「すみません、そういう事なので食事はまたの機会に。その時は是非、ぼくもご一緒したいなあ」
「……っ、」

にっこりと微笑むと、彼は決まりが悪そうに視線を他所へ逃した。
怯んで目を逸らしたと言った方がしっくりくるかもしれないが――。
和やかな笑みに一瞬混じる凍てついた視線に彼が気付いていればの話だけれど。

「ごめんね、それじゃあお疲れ様」

「お疲れ様です」と、小さく独り言のような挨拶と共に彼を事務室に残して、ぼく達は生物室へ向かった。

***

生物室の一角――正確にはその奥の、所謂“準備室”と言う名の、ぼくの半プライベート空間と化した部屋があるのだけれど、そこはクラベル先生から好きに使って構わないと許可をもらった場所だった。

「せ、い……」
「……」
「先生」
「……」

嗚呼、それにしたって本当に油断ならない――。
これで、察して諦めてくれればいいけれど。

ぼくだって、あまり手荒な真似はしたくはないし、あのひと睨みと威嚇で全てを悟ってくれれば助かるが、ああいう身の程を知らない輩ほど、諦めの悪さだけは一級品だ。
そうなれば、どうやって排除してやろうか……なんて、些か剣呑な思考を脳内で繰り広げながら扉を閉めたところで、漸く彼女の呼び掛けに気が付いたのだった。

「ジニア先生!」
「! あ、すみません……ちょっとぼーっとしてましたあ」

そして、なまえさんは真っ直ぐにぼくをその双眸に捉えながら口を開く。
彼女は鋭いところがあるから、その清廉潔白な眼差しに、ひた隠しにしてきた黒々しい感情をいつか見抜かれやしないかとひやりとする。

「嘘ですよね?」
「え?」
「先生のお手伝いをする約束なんて、やっぱりしてなかったと思うんです」
「えへへ……バレちゃいましたあ?」

その通りだった。彼女の言う通り、約束なんて端から取り付けてはいなかった。
嘘まで吐いて、食事の誘いを無理矢理断らせてしまった事に、彼女は立腹してしまったのだろうか?

「“バレちゃいましたあ?”じゃないです。手が足りなくてお困りなら昼休憩でもいいから連絡をくれれば良かったのに」
「……」

残念ながら、その解釈は間違っている。此方にとっては好都合であるが。
そこに含まれた真意に彼女は辿り着けていないようだった。
あれは、口からの出任せで、咄嗟の判断であったから、そもそも約束なんて事前に取り付けなくたって良かったのだから。

「いやあ、すみません。えーっと、さっき。うん、たった今、人手が必要になったんです」と誤魔化すように言って、彼女を腕の中に抱く。そっと抱きしめた。
その困惑した表情は、本当に意味が分からないと言いたげだった。
ぼくが、今こうして抱き締めている意味も、もしかすると彼女は理解していないのかもしれない。
真実を見抜く彼女の鋭い眼光は、本日、絶不調のようだった。

「だって、なまえさん……最近、新人の彼に付きっきりじゃないですかあ……」
「それはそうです。だって私、教育係ですからね!」
「……」

何故、そんなにも誇らしげなのだろう?
まあ、彼女にとって新人の彼は初めて出来た後輩なので、張り切るのは当然なのかもしれない。
こんなくだらない感情に苛まれている自分が、なんとも情けなく感じられるけれど、それは何も無い場合であって、彼は明らかに彼女に好意を持っている。

好意と、そして――下心を抱いている。
彼女へ向ける眼差しは自分と同じそれだった。

「少し寂しいなあって……思っちゃいましたあ。無理に呼び止めて、すみません……」

今、彼女の目には情けなく眉を下げ、いい歳をしてしょぼくれた大の大人が映っていることだろう。

「そ、そう言う事でしたら……仕方がないというか……私も、もう少し先生との時間を取るべきでしたし」
「じゃあ、いっぱい構ってくれますかあ?」
「え!? こ、此処で……ですか?」
「はあい。よろしくお願いします」

腕の中で真っ赤に頬を染める彼女を愛おしいと思いながら、頬を包む彼女の手の感触に双眸をうっとりと細めた。

ぼくという人間を、やれ和やかだ、やれ穏やかだ、柔和だ癒し系だの平和ボケした人畜無害な言葉で一纏めにするけれど、本当はそんな事はなく、腹を裂いてみればとても彼女には見せられない真っ黒で澱んだ感情がそこに渦巻いている。
今だって、恋人を見つめる瞳すら劣情に塗れているのだと、彼女は知らない。
これから気付く事も無いのだろうし、ずっと気付かなくていい。

そんな穏やかで危うい言葉で組み上げられた“ぼく”と言う名の籠の中で、何も知らず、疑わず――永遠に囚われていて欲しい。


20230326


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