「なまえさん、すみません……せっかくデートの約束をしていたのに、今日の夕方までが締切の書類をうっかり忘れてましたあ」
「いえいえ、気にしないでください。お家デートも、歴としたデートですよ」

デスクに座って書類と睨めっこする彼は、積み上がった書物の隙間から顔を覗け、眉を下げて酷く申し訳なさそうに言った。

担任を受け持ちながら、生物学の授業で教鞭をとる彼の多忙さをよく知っているので、それに関しては責める事も不貞腐れるつもりもない。
寧ろ、そんな多忙な彼からデートの約束を取り付ける事が出来たのだから十分とすら思っている。
天気が良いので“お家”というのが少し残念ではあるけれど、大切なのは場所ではなく、誰と過ごすかであるのだし。
それに、元研究員であるジニア先生こそこんなに天気の良い日はフィールドワークに出たいだろうに、私を優先してくれただけで、やっぱり十分過ぎると思った。

「あはは、ウインディ擽ったいよ。よしよし、いい子だね」

それに、私の相手は彼の手持ちであるウインディが買って出てくれるので手持ち無沙汰という事もなく、これはこれで楽しませてもらっているので全く問題はない。
よしよし、と顔周りを覆う毛をわしゃわしゃと掻き混ぜたり、その大きな体に抱き付く。
ほのおタイプとだけあって、寒さが厳しいこの時期は四六時中引っ付いていたい、そんな暖かさだった。
とは言え、進化前のガーディと比べ2メートル近くあるその図体には少々のじゃれつきでさえあっという間に押し潰されてしまって、覆い被されば私などされるがままになってしまうのが難点だ。
初めこそ撫で繰り回し、抱き付いていたが、今では形勢逆転とばかりに顔中をベロリと舐め回される。

じゃれつく程度でも圧倒されて、もふもふした体毛に溺れてしまいそうだと思った矢先、突然それから解放された。
身体にのしかかっていた重みも、温もりも一緒に。

それは言うまでもなく、じゃれあっていたウインディがモンスターボールに戻されてしまったからだった。

「あ、終わりました?」
「お待たせしましたあ……とっても疲れましたあ」
「お疲れ様でした」
「今度は、ぼくの番です」

私とウインディがしこたま戯れている様子に、落ち着きを欠いた羨望の眼差しを浴びせられていたと知っていて、気付かない振りをしていた私は少し意地悪が過ぎたかもしれないと、思わず苦笑してしまった。
ストン、と傍に腰を下ろして心なしか拗ねたような表情になっている事に、本人は気付いているのだろうか?
可愛らしいから別にこのままで構わないのだけれど、しかしながら、それは成人男性がしてはならない表情だと思う。
ずるい。何でも言う事を聞いてあげたくなるくらいには、ずるくて卑怯だった。ぐう。

「ぼくの事も、たくさん撫でて欲しいなあ」
「はい、勿論ですよ」

ジニア先生は、私の手を取って己の頬へ当てがった。
目の下には隈が出来ていて、連日遅くまで作業をしていたのだろうと推察できた。彼の場合、ポケモンの研究論文を読み漁っていた可能性も大いにあるけれど。
その末に、締切の期限を忘れてしまい、このような顛末となってしまったのかもしれない。
兎にも角にもお疲れモードのようであるし、私は彼の要望通り頬を撫でて、先程のウインディ同様にそのまま髪の毛をわしゃわしゃと掻き混ぜた。

「よしよし、お疲れ様でした。よく頑張りましたね。偉いですよ」
「えへへ、ありがとう御座いまあす。あ、ぎゅうもしてくださあい」
「はいはい、分かりました。何だか今日は甘えたですね?」

口ではそう言いつつ、しかし、満更でもないので撫でる手を止めて要望通りぎゅうっと抱きしめた。
アカデミーでは――生徒の前では見せない姿だ。私だけが知ることの出来る姿。
そう思うと、甚く気分が良かった。

「あ、そうだ。甘い物食べます? お疲れのジニア先生にピッタリでしょう?」
「わあ、甘い物大好きです。嬉しいなあ」
「じゃあ、早速コーヒーを入れ、て――っ!」

全てを言い終わる前に唇を塞がれる。
言葉を遮り、果たして彼は強制的に私の意識を引き戻す事に成功した。
それは触れるだけのキスだったけれど、思惑通りに事を進めるには十分だった。

それにしたって、今キスをするタイミングだったろうか?
勿論、嫌だったわけではない。寧ろ嬉しい。
けれど、今のは一通りのスキンシップを終えて、これから一緒に美味しいお菓子でも食べましょうという流れではなかっただろうか?
不意打ちにも程があったので、私は思わず固まってしまった。
そんな私に対して、彼はいつもの和やかな笑顔を浮かべている。
暖かい、陽だまりのよう。

「ぼく、甘いの大好きです」
「う、うん? ……それは、さっき聞きまし、た――んなっ!?」

彼はその人畜無害な笑みを浮かべたまま、いつの間にか私はソファーへ押し倒されていて、ちゃっかり膝丈のスカートをたくし上げられている。
筋張った大きな手が、太腿まで這い上がっていることに気が付いた時にはもう、既に遅かった。

「先生、疲れてますね? 何徹目ですか!?」
「いいえー、これくらい、なんともないですよお」
「何ともあります、私が! あ、あのっ……ちょっと待って! 甘いのってムクロジのお菓子の事で……!」
「待ちません。頂きまあす」

その言葉を最後に、二人分の重みでソファーが軋む。
傍に立て掛けていたお菓子の入った紙袋が音を立てて倒れた。
倒れた紙袋から覗く可愛らしい缶には新作の焼き菓子が詰め合わせてあるが、それをいつになれば開けられるのかだなんてそんな事――私が知る由もないのだ。


20230304


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