「はぁ……(まだ十四時過ぎか)」

これで何度、時間を確認した事だろう?
そして、その度に何度肩を落としただろうか。

今朝から逸る気持ちを抑えきれず、そわそわして落ち着かない。
私をここまで一喜一憂させる事が出来るのはジニア先生ただ一人だけだ。

彼がパルデアを離れて丁度今日で一週間。
一週間前、先生は出張申請書を提出したのを最後に「行ってきまあす」といつもの調子で一言残してアカデミーを出発してしまった。
まるで永遠の別れのように語ってしまったけれど、勿論そんなことはなく、前述の通り彼は申請期間の一週間だけアカデミーを留守にしている。
職員室の予定が記されたボードには、彼の名前に並んで“学会出席”と記してあったのを、備品配布で訪れた際に見た。

それは、彼が教師に転向しても尚、研究者として築き上げた功績と優秀さを評価されている何よりの証拠だと思う。
一週間前、学会の準備で忙しいと口癖のように言っていたのを思い出す。
そして、彼がここ最近で一番活き活きしていると感じたのは気のせいでは無い。

ジニア先生にとっては、きっと長いようで短かった一週間だろうが、私にはとても長く感じた一週間だった。
ついにその一週間も今日で最終日。
学会の予定を終えて、彼がガラル地方から此処パルデア地方へ帰ってくる日だ。
だから朝から落ち着きが無く、勤務中にも関わらず何度も時間を気にして時計を確認していると言うわけ。

確か、夕方にはテーブルシティに着くと言っていたので、着いたらまた連絡が入る筈だ。

「……早く会いたいなぁ」

その願いが叶うまで、あと三時間。
あーあ、長いなぁ。

***

夕方になり、定時になると同時にアカデミーを退社する。
まだジニア先生からの連絡はないが、約束の夕方とあってその足取りはとても軽い。
もうずぐ会える。ただそれだけの事実で心が弾むようだった。

彼を出迎えたら、まず何をしよう?
夕食でも食べに行く?
長旅で疲れているかもしれないから、家でまったりしようか?
だったら、夕食の食材を買いに行った方がいい?

あれこれと思い浮かぶが、とりあえず一旦家に帰ろうと思い至って、住うマンションの前まで行き着いた所で、思わず立ち止まる。
少し猫背気味の――懐かしい立ち姿が視界に入ったのだ。
一週間そこらで懐かしいだなんて、些か大袈裟かもしれないが、いつも顔を合わせていた私にとって一週間という期間はあまりに長すぎた。

一呼吸置いてトクトクと胸が高鳴り、じんわりと暖かな感情に包まれる。

「ジニア、先生?」
「! わあ、なまえさん!」

一瞬言葉に詰まって、語尾に疑問符をつけてしまったのは、普段の見知った彼とは随分と違った容姿のせいだった。
いつもの白衣姿に捲れ上がった髪型ではない。
スーツに身を包んで、きっちりとネクタイを締め、フォーマルなスタイルに見合った髪型に整えられていたので、一瞬戸惑ってしまった。
けれど、そんな不安も次の瞬間には解消される。
振り向いた彼はどんな出立ちでも、見慣れない格好をしていても、その柔和な笑顔と間延びした語調はそのままなのだから。

「すみません、連絡しようと思ったんですけど……早くなまえさんに会いたくて、そのまま来ちゃいましたあ」

「えへへ」と、笑う優しげな表情がなんだかとても懐かしく感じられて、私はその場から駆け出し、彼の胸に飛び込む。
顔を胸元に埋めて、ぎゅうっときつく抱き付いた。
ジニア先生は驚きの余りあたふたとしていたけれど「私も会いたかったです……」と、顔を埋めたまま消え入りそうな声で溢すと、応えるように抱き締め返してくれた。

嗚呼、安心するなぁ……。
学会の邪魔にならないようにと連絡を控えていたからか、その感動は一入で、いつまでもこうしていたいと思ってしまう。

けれど、ここが外で――しかもマンションのエントランス前だった事に気が付いて、衆目を浴びている事に漸く気が付いた。
その中でも朝方と並んで人の行き来が盛んな夕方である事も手伝って、大の大人が人目を憚らずに抱き合うなんてとんだ晒し者だった。
例え知った人が一人もいなかったとしても、ただただ恥ずかしい。

取り敢えず立ち話もなんだから、そんなどうとでもなりそうな理由を付けて、ジニア先生を部屋に招く。
本当は、もっと一緒に居たいだけ――これに勝る理由はない。
寧ろ理由すら、私達の間には必要無いのかもしれないが……。

リビングのソファーに座る彼の姿を対面式のキッチンから眺めつつ、コーヒーを淹れる。
コーヒーを淹れる間、学会での出来事や、ガラル地方の事を色々と話してくれたが、如何せん話が全く頭に入ってこなかった。
言うまでもなく、彼の格好に目を奪われていたからで、スーツ姿が素敵だなあ……とか、ギャップは狡いなあ……とか、そんなくだらない事ばかりなのだけれど。

コーヒーの入ったマグカップを両手にそれぞれ一つずつ持って、キッチンを出る。
そのうちの一つを彼の前へ。もう一つは自分の前に置いて、彼の横に腰掛ける。

「ありがとう御座いまあす」
「いいえ。……お帰りなさい、ジニア先生」
「ただいま、なまえさん」

目の前に座っているのは確かにいつものジニア先生であるのに、その格好だけで普段とは比べ物にならないくらい、ときめいてしまう。

「コーヒー、頂きまあす」と、マグカップを手に持つ前に、彼はきっちり上まで絞めていたネクタイを緩める。
その仕草に見惚れてしまって、目が離せない。
これでも今までチラチラと盗み見る程度に止めていたが、今回ばかりはその様を繁々と見つめてしまった。
ジニア先生も流石に気が付いて、気恥ずかしそうに眉を下げて苦笑する。

「なまえさん、そんなに見つめられると恥ずかしいですよお」
「え、あ、その、すみません! 先生が、ネクタイを緩める姿が……その、あまりにセクシーと言いますか、魅力的と言いますか、素敵……だったもので……見惚れて、しまって……」

あまりの恥ずかしさに俯いて、尻すぼみに答える。
しどろもどろになりながら答えるが、自分で何を言っているのかよく分からない。
ただ自分の性癖を披瀝しているだけの、小っ恥ずかしい告白をしているだけだ。
この調子だと、先程まで盗み見ていた事も案外気付かれているのかもしれなかった。

「ネクタイ、ですかあ?」
「いや、その、忘れてください……すみません変態チックで」

忘れて欲しいと申し出たにも関わらず、それでも思案している先生は名案でも思い付いたように、にっこりと笑んだ。
俯き気味に様子を窺おうとした時、何やら衣擦れのような音が耳に届く。シュルリ、と。
そして、顔を上げると相変わらず笑顔の彼は、私に胸の前で手を組むように言った。

手を組む?腕ではなく、手を?
彼が何を考えているのかよく分からないが、組んでみればそれも分かるだろう。
まるで何か祈るかのように――はたまた懺悔でもするかのように左右の手を組み合わせると、間髪入れずに手首にネクタイを巻き付けられた。

「え?」

ぐるりぐるりと二周。
両手を組み合わせているから自力で外せない。
痛くない程度ではあるが、ぎゅうっと固結びをされてしまって、腕力ではとてもその拘束は解けそうにない。

あっという間に、彼の魅力を存分に引き立てたネクタイは私を拘束する紐に早変わり。

「はあい、出来ましたあ」
「あ、あの……これは一体?」
「ネクタイ、好きなんでしょう?」
「好き、ですけど――」

一応誤解がないように言っておくが、好きなのはネクタイそのものではなく、正確には、それを緩める仕草が好きなのだ。それに見惚れたのだ。

ネクタイが好きだからと縛られてしまった現状に、あまりに飛躍した発想に、小首を傾げて双眸を瞬かせるしかない。
けれど――

「よいしょ」
「……え、わあっ!」

困惑している間に抱え上げられ、そのまま彼の膝の上に乗せられてしまう。
あまりの展開の速さに思考が追いつかない。

「あの、その、私――」
「ちゃあんと、分かってますよ? なまえさんは、ネクタイを緩める仕草に見惚れたんですよね?」

分かっているなら、何故?
その疑問すら口にする隙を与えて貰えなかった。
笑顔に混じって、劣情が滲んだ瞳がこちらを見ていたからだ。

嗚呼、たまに見せる彼の悪い顔。
きっと私しか知らない、男の顔。

「なっ、知ってて……」
「あれだけ見られたら、気付きますよお? ……恥ずかしかったですけど」
「全然そんな風には見えま、せ――っ、」

拘束された私の手を、上から彼の一回り大きな手が包み込む。
触れるだけの短いキスが、私から強制的に言葉を取り上げた。

「学会、頑張ったご褒美もらってもいいですかあ?」
「……最初からそのつもりですね?」
「えへへ」

誤魔化すような笑みは、肯定の意。
ご褒美――手首を縛られた私は、さながら彼に贈られるプレゼントのようだと思った。
その紐と言う名のネクタイが解かれた時にはきっと、スーツ姿が素敵だとが、ネクタイを解く仕草が魅力的だったなんて考えることすら出来ない程に、身も心もどろどろに溶かされてしまっているのだろう。


20230326


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