◎R15まではいきませんが、やんわりぼかした描写が入ってます。


『あ、ジニア先生? なまえの事迎えに来てくんない? 実はさぁ――』

そんな電話がなまえさんのスマホロトムから掛かってくるものだから、やりかけの仕事を放り出して、急いでアカデミーを出た。
別件ならばいさ知らず、それがなまえさん絡みの要件であればぼくに取捨選択の余地はない。
笑いたければ笑えばいいし、呆れたければ呆れてくれて構わない。
それほどまでに、ぼくの中で彼女は最重要事項。
仮にも教師であるのだから、そんな事でどうするのかとクラベル先生辺りからお叱りを受けそうであるが、恐ろしいので起こっていない事柄は考えないようにした。

恋人からの電話だと心躍らせたぼくに対し、電話口のミモザ先生ときたら『え、なに? なまえからの電話だといつもそんな浮かれた声なんだ? 私でごめんねー』と揶揄って笑い飛ばすから、恥ずかしさのあまり手で顔面を覆った次第だ。

その後すぐにミモザ先生から送られてきた店の位置情報をマップ機能に登録して、迎えに行くと――驚いた。
珍しい事もあるものだ。こんなにも酔っ払った彼女は初めて見る。
ミモザ先生に寄りかかって、意思疎通すらまともに出来ない程に酔っ払った――いや、これはもはや泥酔?

とにかくどうしたのか尋ねると、何のことはない。ただ単に強い酒を飲んでしまっただけ。
カクテルは華やかな見た目と飲みやすさに反して比較的にアルコール度数の強いものが多いから、元々酒に弱い彼女にとってはひとたまりもなかったようだ。


そして現在、ぼくは泥酔したなまえさんを横抱きにして店を出て、彼女の住うマンションへと無事帰宅を果たしたのだった。
恋人同士になってから、お互い自宅の合鍵を持ち合っているので、こんな時はとても便利である。
泥酔して脱力し、軟体動物のようにデロデロになった恋人を起こす必要も、申し訳なさに苛まれながら鞄を漁る必要もないのだから。
しかし、便利でいいなあと思う一方で――

「……ええっと、“どれ”だったかなあ?」
「んうー……」
「わわ、ちょっと待ってくださいねえ」

鍵という鍵を一纏めにしたキーケース(と、呼ぶには些か違和感を抱くほどにジャラジャラとぶら下がっている)から彼女の自宅の鍵を探す。

ぼくの独り言に反応するように彼女が唸るので、実は起きているんじゃないだろうかと思わずにはいられない。
それとも、眠っていながらにしてぼくの行動はお見通しとでも?
それはそれで悪いことは出来ないなあと苦笑した。

この状況での悪い事とは何かって?
それはご想像にお任せしまあす。なんちゃって。

何個かそれらしい鍵を見繕って、順番に鍵穴に差し込む。
そのうちの一つが正解だったらしい。鍵穴から、確かな手応えと解錠を知らせる無機質な音が小さく響く。

「なまえさん、お待たせしましたあ。さあ、お家に着きましたよお?」
「んんー……」

またもや反応を示す。うーん、やっぱり起きているのでは?

何しろ彼女を抱いたままなので、一つ一つの動作が鈍重になってしまう。
ドアの開け閉めも、鍵をかける事も一苦労。
けれど、小さく唸りながら身をすり寄せてくる姿を前にすると、そんな苦労は何処かへ行ってしまう。
そして、そこにはただ純粋に“愛おしい”という感情が残るのみ。

額へ軽く触れるだけのキスを落として、えへへと照れてみる。
誰が見ているわけでもなく、唯一の彼女でさえ眠っているのに、それでも気恥ずかしさは拭えない。

パンプスを脱がせて、きちんと踵を揃えて並べる。
お邪魔しますと一言掛けてリビングに入ると、レースカーテンだけが引かれた大きめの窓からは月明かりが差し込んで室内を照らしていた。
今日は満月であるから照明を付けずとも、月明かりだけで十分な明かりになっている。

肩に掛けていた彼女の鞄をソファーへ置いて、寝室へ向かう。
このドア一枚隔てた先にある部屋は、言わば彼女の最たるプライベート空間である寝室であるから「失礼します」と律儀に一言掛けてドアノブへ手をかけた。

セミダブルサイズほどのベッドと、おしゃれなインテリア照明、サイドテーブル。それから観葉植物。
自分の寝室とは比べ物にならないほどにシンプルで整えられた部屋だった。
いや、寝室というのは本来こういったものであって、自分の部屋が異常なのかもしれないが。
落ち着く室内は、睡眠をとる寝室としてはこれ以上ない程に適した空間になっていた。

さて、部屋の考察はここまでにしておいて。
本来の目的であった、なまえさんをベッドへ寝かせる役割を果たし、漸くぼくはお役御免となった。

「……」

和やかな寝息を立てる彼女をもっと見ていたかったが、あまり長居をしていると、それこそ別の欲がひょっこりと顔を出すので、そろそろお暇しなければならない。
これでも自分だって男だし、無防備な恋人をどうとでもしてしまえる現状にゴクリと喉が鳴る。
送り狼なんて言葉があるが、冗談では済まない状況に――それを体現してしまう状況に、あと数分もあれば容易くなり得てしまうのだ。本当に、冗談ではなく。

彼女の頬へ手を添えて、唇へ――いや、思い止まって今一度額へと口付けた。
唇に触れてしまうと、きっと後には退けなくなる。
ならば、最後にせめて額へ“おやすみなさいのキス”を落として帰る事くらいは許されたって良いだろう。
名残惜しそうに、頬に触れていた手を離して、小さく笑んだ。

「なまえさん……おやすみなさ、い――っ、」

まさに、その時だった。
屈めていた上半身を起こそうとした瞬間、突如首元に巻き付いた彼女の腕に阻まれる。

なまえさんは酔っ払っていて、女性で。引き換えぼくは素面で男性であるのに、その細腕に易々と絡め取られてしまう。
本当は、こんな展開をぼくは心待ちにしていたのかもしれなかった。
心の何処かでこうなることを期待して、望んでいた。

――こんな風に引き止められることを。

「なまえ、さん?」
「帰っちゃうんですか?」
「へ?」
「ここにはキス、してくれないんですか……?」
「っ、」

ここ――と言って、首に絡めた片腕を解いて自らの唇をトントンと指し示した。
熱に魘され、蕩けた瞳で強請るみたいに彼女は言う――ぼくを、誘う。

途端にドクンと心臓が大きく打って、身体中を駆け巡る血液が沸騰したみたいに一瞬で全身が熱を帯び、情欲に再び喉が鳴る。
鳴らした喉が、焼けるように熱かった。

酔っ払っているからか、普段では絶対に見れない彼女の仕草と妖艶な姿に、もう目を逸らす事は叶わない。
嗚呼、恐ろしい。一瞬で絡め取られてしまった。

「ですが、なまえさん……」
「送り狼さんになってくれれば良いのに。ジニア先生になら、私……このまま食べられちゃっても構わないです」
「――っ!」

これでもう、引く理由は無くなった。一片も、一欠片もさえも、無くなった。
こうも容易く彼女はぼくの薄氷のような理性を力強く踏み抜き、押し割ったのだから。

言葉を紡ぐよりも先に、彼女に触れたくて口付ける。
先程、額に落とした触れるだけのものではなく、初めから深く絡み合うようなキスだった。

彼女が纏う強いアルコールの香りが鼻を擽って、鼻腔を満たし抜けてゆく。
舌を伝って絡まる唾液で口腔内までもアルコールの味で満たされて、こちらまで酔っ払って溺れてしまいそうだった。

酔っ払いの戯れに、ぼくは完全に落とされてしまったわけだけれど、こんなにも積極的な彼女が見られるのなら、これもまた一興と言うものだ。
心の片隅でそうなる事を望んでいたように、今回は彼女に誘われてたまたまこうなったけれど、遅かれ早かれあの後も己の欲望に耐えきれず、結局こうなってしまっていたのかもしれない。

「んぅ……ふ、ぅ……」
「……はぁ、っ(けど、もうそんな事……もうどうだっていいか)」

縋り付くように腕を回して、貪欲に求める彼女の姿がぼくから余計な思考を取り上げた。

「……服、脱がしちゃいますねえ」
「ん、せんせ……早く」

たかだか数個のボタンを外す事すら煩わしい。
早く衣服を剥ぎ取って、脱ぎ捨てて、互いの体温を遮る全ての物を排除し、一分の隙間も無い程に身体を重ね合わせたい。
重なって、一つになって溶けてしまえたら。

「ジニア先生、もっと……キス、して欲しい……です」

強請るような仕草で首に腕を巻き付けた彼女は、ぼくを引き寄せて頬を擦り寄せる。

いつもこうだったらいいのになぁ……と、思うのと同時に酔っ払っている事実が酷く惜しかった。
明日になれば今夜の事なんて綺麗さっぱり忘れているんじゃないか……なんて。

「はい……たくさん、してあげます――もちろん、それ以上の事も……」

乱した衣服の下から露わになった素肌に触れて、腰の緩やかな曲線を撫で上げる。
口付けながら、胸元へ手を這わせた刹那――先程まで積極的に求めてくれていた彼女は首に巻き付けていた腕を呆気なく解いてしまった。

まるで事切れてしまったかのように擦り寄せていた頬は離れ、パタリと身体はベッドに沈んだ。
まさに、大の字になって倒れ込み、ぼくの下で意識を手放してしまったようだ。

「へ? え? ……ええっと、なまえさん?」
「……」
「なまえさあん!」

呼び掛けてみても返事はない。返事もなければ、反応すらなかった。
目を閉じて、薄く開いた唇からは、返事の代わりにスヤスヤと和やかな寝息が聞こえて来る。

「そんなあ……お、起きて下さあい!」

これだから、酔っ払いは当てにならないのだ。
これこそ、ぼくが一番恐れていた事。
こんなの、ただの生殺しではないか。

なまえさんは、ぼくを置き去りにして、一人安眠の世界へと旅立った。

こちらはすっかりその気になってしまったというのに、これ以上の非道な仕打ちは他に無い。
けれど、気持ちよさそうに眠る彼女を起こしてまでというのもまた忍びない気もして、辛い下半身を宥めながら床に放った衣服を拾い上げ袖を通した。
勿論、乱れた彼女の衣服も直してあげる。良心から――と言うよりも、これ以上その気にならない為に。

送り狼とまではいかずとも(まあ、なりかけたのだが……)抱き締めて眠るくらいは許されるはずだ。
幸いにも明日は休日であるし、今夜の埋め合わせは明日の朝にしてもらおうと心に強く誓って目を瞑る。
腕の中の温もりは暖かく、柔らかで、甚く落ち着く――それこそ夢心地とは、きっとこんな感じなのかなあと思った。

「おやすみなさあい。また明日……」


20230326


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