放課後、ジニア先生に会いたければ生物室を訪ねる。
最早それは私の中で出来上がった方程式のようなもので、今日もその方程式に則って生物室を訪れたのだけれど、珍しくその当てが外れてしまった。
ジニア先生の姿はなく、もぬけの殻だった。

ただ彼に会いたくて此処を訪れたのならば残念の一言で片付けられるのだが、今回に限ってはそういう訳にもいかない。
私には、ジニア先生の元を訪れる確固たる理由があったからだ。
ジニア先生宛てに、レホール先生から書類を預かっている。
生物室へ向かう道すがら呼び止められて、どうせ行き先はジニア先生の元だろうと見透かすように言われ、書類を託された。
まさにその通りであったから、断る理由も無かったので言われるがままにそれを受け取ったのだった。
だから、此処、生物室に姿が見えないとなると少々――いや、結構困る。

「何処に行ったのかな……ん?」

いつも彼が作業しているデスクまで行き至ると、ある物に目が留まった。
相変わらず散らかったままのデスク――ではなく、椅子の背もたれに掛かったままの白衣。

片方だけ捲れ上がった髪型、六角形を模したメガネ、ボーダー柄の緩めのTシャツ、サンダル……とまあ、上げればきりがないけれど、白衣だって彼を形容する上で欠かせない、立派な要素の一つだと思う。
白衣のポケットというポケットに付箋の付いた書物やら手帳のような物まで色々とパンパンに詰められて、いつかポケットの底が破れはしないかと心配になる程の質量を占めている――そんな、先生の白衣。

「ジニア先生の、白衣……」

視線が釘付けになったまま、沸々と湧き上がる好奇心と誘惑に対し、暫しの葛藤。

葛藤の末、あっさりと好奇心と誘惑に敗北した私は、レホール先生から預かった書類をデスクに置いて、椅子に掛かった白衣を手に取る。
広げてみると、男性物とだけあってとても大きい。
自分とは体格が違う先生が服の上から羽織って余裕があるのだから、私なんてすっぽりと収まってしまうに違いない。
ここで一つ、どうしても抑えられない欲求が湧いてしまった。どうにも抗えそうにない。

生物室に一人きりであるが、念には念を。辺り一帯をキョロキョロと見回して最終確認を済ませた後、手にしたそれに袖を通す。

「大きいなぁ……んふふ、先生の白衣」

身丈も裄丈も、その全てが私にはオーバーサイズで、全身すっぽりと収まってしまった。
それもそうだ。これは彼の身体のサイズに適した大きさなのだから私には大きすぎるし、それに、改めて身体の大きさの違いを思い知らされた。
そして、ポケットに詰め込まれた書物の重みに少々驚きながらも、ファッションショーさながらにくるりと一回転してみると、ふわりと風に乗って彼の香りが鼻を掠め、鼻腔を満たす。

「……っ、」

オーバーサイズの白衣を着て、彼の香りに包まれて、さながら抱き締められているような感覚に陥るのは必然だったのかもしれない。
込み上げる羞恥心に支配され、顔に熱が集まる。
こうなってしまうと、もう駄目だ。何から何まで意識して、想像して、妄想してしまう。

これ以上は耐えられないので、早いとこ白衣を脱いでしまおうと思った、まさにその時だった。
最も恐れていた瞬間が訪れる。
こうなる事が嫌だったから、念入りに警戒した後に白衣を羽織ったのだから。
確かに誰もいなかった筈なのに。

「なまえさん?」
「ひっ!? ジ、ジニア先生!?」

背後から声をかけられて、思わず固まる。
あまりの気まずさに、振り向けない。

「白衣を忘れてしまったので取りに来たんです、が……」
「な、何も言わないで下さい! ごめんなさい! つい出来心で、その、今すぐっ、おおおお返ししますのでっ……!」

無断で羽織った白衣を慌てて脱ごうとするが、しかし、それは持ち主である彼によって阻止された。
白衣を掴む私の手に自分のそれを重ねて、優しく握る。
緩やかに拒まれたような気がして俯いていた顔を上げると、柔和な笑みを湛えたジニア先生と視線が絡まった。

「とってもお似合いですよ? もっとよく見せてくださあい」
「う……は、恥ずかしい、です」
「あ、ちょっと失礼しまあす」
「?」

何かと思えば、先生は指先が少しだけ覗く袖口に手を掛けて、二回ほど折り返す。
立っていた襟を折り返し、着崩れていた身頃を正しく合わせて調整すると「これでよし」と、満足そうに微笑んだ。

「うんうん、よく似合ってますよ。それに……なんだかこうしていると、ぼくだけのなまえさんみたいですねえ」
「な!? 何言ってるんですか――っ、」
「えへへ」

髪を撫でて、頬を包み、最後に額へと触れるだけのキスを一つ落とされる。
彼の白衣に包まれ、その上から本人に抱き締められる……他の物に触れる隙が一分もない、これこそ紛れも無い“ぼくだけのなまえさん”の出来上がり。

「とおっても、可愛らしいです」
「あ、ありがとう……ございます……」

そういえば、私は一体何の目的で此処を訪れたのだったか?
とても大切な用事だった気がしたが、もう何も考えられないので、彼の白衣を着るためだったと思ってもいいだろうか?うん、そういう事にしておこう。


20230310


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