「(空が高いなあ……)」

見上げた空は澄み切って、雲一つない。
今日も平和だなあ、と思う。

アカデミーの長期休暇中、寮生活を送る大半の学生は帰省してしまうので基本的に授業はない。
勿論、全ての学生が帰省するわけではなく、寮に残っている者、仲間と共に過ごす者、宝探しに夢中で休みそっちのけでパルデア地方を駆け巡っている者……その過ごし方は多種多様だ。
実に、種種雑多な人間の集まるグレープアカデミーらしい。

しかし、長期休暇といえど、授業が無くともアカデミーで教鞭を取る全ての教師が学生同様に休日というわけでは決して無く、新学期の準備や研修など、仕事はいくらでもある。
違いを挙げるなら、授業が無いのでその分いくらか自由に時間を使える点……くらいだろうか?
この期間を利用して長期休暇を取得する先生方も居るには居るが、基本的には職務。
学生のようには羽を伸ばせないのだ。だって、社会人だもの。

とはいえ、こうも天気がいいと何もしないのも勿体無いと感じて、アカデミーの中庭で手持ちのポケモン達を放してシャンプーでもしてやろうと考えた。

「ウインディ、気持ちいいですかあ? ラランテス、お手伝いありがとうございまあす。ああっ、バンバドロ芝生を剥いで土を食べたら校長先生に怒られますからダメですよお。ヤドランは水浴びがしたいんですねえ。ちょっと待ってくださあい。マルノーム、次はキミの番ですから逃げちゃダメですよお? わあっ、髪を食べないでくださあい、リキキリン……!」

全ての手持ちを放たず、順番にすべきだったかもしれない。
しかし、手一杯であるものの、各々が嬉しそうにしている様子を見ていると、まあいいか……といつものお気楽な思考に落ち着いてしまう。
それに、こうした騒がしい中で何かに拘っていた方が余計な事を考えずに済む。

学生にとっては待ちに待った心踊る長期休暇も、自分の場合は少しの寂しさを覚えてしまう。
いつも顔を合わせていた彼女は今、長期休暇中だ。

「はあ……なまえさん、今頃何をしているんでしょう?」

会いたいなあ……。

彼女が此処にいる日常。
顔を見ることが、声を聞くことが叶う場所――それが当たり前である日々に慣れすぎてしまった。
此処に彼女が居ない。それだけなのに、ポツンと心だけ置き去りにされてしまったみたいだ。
――恋しい。

「! リキキリン、どうかしましたかあ?」

溜息を吐いた、その時だった。
つい先程までぼくの髪の毛をむしゃむしゃと戯れるかのように食んでいたリキキリンがその長い首を曲げて眼前まで顔を近付けてくる。
至近距離で、じいっと見つめられると、キリンリキの時よりも超絶強化されたその持ち前のエスパーパワーで頭の中も心の中も見透かされてしまいそうで気が気でない。

しかし、その予感は当たってしまって、リキキリンはぼくの顔をじっと眺めた後、校舎に向き直る。
そしてその三メートルの巨体を揺らしながら猛ダッシュで弾かれたように駆け出してしまう。

「わあああ! ちょ、ちょっと待ってくださあい! 何処に行くんですかあ……!」

ウインディを洗っている最中での突然の猛ダッシュ。
当然の事ながら手には泡立ったスポンジを持っていて、咄嗟の行動が起こせない。

「モ、モモモンスターボール……!」

手についた泡を洗い流して、慌ててモンスターボールを構えるも、既にリキキリンの姿は視界から消え去ってしまっていて、サーッと血の気が引いた。

これは不味い。緊急事態だ。
こんな所を――アカデミーの敷地内を爆走するリキキリンの姿を校長先生に見られようものなら、またこっ酷く叱られる。
あの人は、研究員時代からの上司であるから自分に対して容赦がないのだ。
それはそれは気が遠くなるようなお説教が待っている。

悲愴感に満ちた主人を、ポケモン達は同情の眼差しで見つめていた。
数分前、空が高くて平和だなんて、それこそ平和ボケした思考に囚われていた自分自身を責めたくて仕方がなかった。
物事には裏表が存在していて、それは常に隣り合わせで、事態が急変するのなんて一瞬。

しかしながら、このままリキキリンを放っておくわけにもいかず、ウインディの泡を手早く洗い流して、他の子達をボールに戻そうとした時だった。
リキキリンが駆けていった方角から何やら女性の声がする。
悲鳴とまではいかなくとも、酷く動揺し、慌てふためいているような声だった。

「一体どこに行くの!? た、高い! 怖い! 下ろしてー!」
「リキキリン一体どこに……ええ!?」
「え? ……ジニア先、生――うわあっ!?」

もう、何が何やら。
今し方、会いたいと恋焦がれていた恋人が、リキキリンの口からぶら下がっている。

短時間の内に想定外の出来事が起こりすぎて情報処理能力が現状に追いつかない。
この取っ散らかった状況を誰でもいいので、分かりやすく説明して欲しい。

逃走したとばかり思っていたリキキリンが戻って来た事に安心する暇もない。

リキキリンはぼくの元までやって来ると、口に咥えて連れてきた彼女を腕の中へと降ろした。
否、ポイッと高所から落とした。
落下するなまえさんを慌てて受け止め、落とさずに済んで心底安堵する。

リキキリンの顔と言ったら、鼻高々に“どうだ驚いたか”とでも言いたげな表情である。
ここで、ようやく合点がいった。

嗚呼、そうか……。ぼくが彼女に会いたいと望んだから。

リキキリンはその持ち前のエスパーパワーで頭の中を、心の中を読んで、たまたま、なまえさんがアカデミーにいたものだから気配を察知してここまで連れて来た。
望んだから叶った。ねがいごとさながらに。
つまりは、始まりから終わりまで、全ては自分自身が引き起こしたようなものだったのだ。

「すみません、なまえさん。この子、ぼくのリキキリンでして……」
「あ……そう、だったんですね……忘れ物を取りに来ていて、帰ろうとした所で突然首根っこを掴まれてしまったので驚きました」

横抱きに抱えたままというのも落ち着かないので、彼女を腕から下ろす。
確かに会いたいと思っていたけれど、何の前触れもなくこんな風に顔を合わせる事になってしまって歓喜よりも困惑が先に立つ。
勿論、嬉しいのだけれど。

「本当に、すみませんでした……ぼくがなまえさんに会いたいと思っていたのを読み取ってしまったみたいで」
「え? 実は私も、ジニア先生に会えたらいいなと思っていて、忘れ物を取りに来たついでに、ちょっと校内を彷徨いてたんですよ」
「本当ですか? えへへ、嬉しいなあ」

「リキキリンに感謝ですね」と、嫣然と微笑む彼女はやっぱり愛らしくて、目が眩む程に美しかった。
嗚呼、ぼくは……この笑顔が見たかったのだ。

手持ちの子たちのシャンプーの途中だと告げると、手伝うと張り切る彼女はブラウスの袖を捲り上げて、やる気満々とばかりにスポンジを手に持つ。

一目会いたいと思った。それだけで十分だと。
けれど、一目会えば共に過ごす時間が欲しくなるものだ。人間は欲深い生き物だから。それはぼくも例外ではない。
結果的に彼女と過ごす時間を得る事が叶ったのだから、リキキリンには最大級の感謝をしなければならないだろう。

流石はぼくの切り札。
はむはむと、再び髪を食むリキキリンを撫でながら言う。

「リキキリン、グッジョブですよお。ポケモンフード奮発しておきますねえ」と、コソコソと秘密の会話を交わしたのはここだけの話。


20230310


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