基本的になまえから連絡が来る事は無い。
こちらから連絡をしても繋がる事は稀で、着信を知らせても、先日のように観察対象のポケモンが優先だとかなんとかで無視を決め込んでいるに違いないのだ。

まあ、そもそもこの関係は偽装であるし、こちらとしても連絡が付かないからと言って別段不便を感じる事も無いので構わないけれど……。

ただ、今までの経験と照らし合わせてみても、連絡先を交換した際にはこちらから連絡をせずとも相手方から頼んでもいないのに連絡を寄越す事が殆どであったので、今の状況は少なからず違和感を覚えずにはいられなかったのだ。

決して自惚れているわけではないが、しかし、これはあまりに――

「……チリちゃんの事、そない興味ないっちゅー事?」

好きの反対は嫌いではなく、無関心なのだと誰かが言っていた。

本日も着信なし。メッセージもなし。
電話ですら面倒くさがるなまえが、メッセージを送ってくるわけが無いと分かっていても、万が一……いや、億が一でも、何かの間違いであっても彼女からメッセージが届いていないかと、更新マークの表示をタップして数秒後、何度目か知れない溜め息を吐いた。

まあ、形だけで構わないと言ったのは自分の方だったのだから、彼女はそれを実行しているに過ぎない。
形だけ、上部だけで繋がった関係。中身は空っぽ。虚しいだけの作り物なのだ。所詮は紛い物。

もしかするとなまえの事だから、限りなく他人に近しい……それこそ他人に毛が一本生えた程度の関係だと解釈していてもなんら不思議で無い。むしろその線が濃厚だった。
名前と生年月日、それから血液型だけで十分だと平然と言ってのけた彼女の事だ。大いにあり得る。
いや、それで構わないと言ったのは自分自身であるし……嗚呼、なんて堂々巡りなのだろう。

「あ゛ー……調子狂うてしゃーないわ!」
「チリちゃん、それはきっとこいわずらいですよ。ドキドキしちゃいます」
「いやいやいや、それは流石に無いやろ。それにしてもポピー恋煩いやなんて難しい言葉よう知っとるなぁ。チリちゃんそっちにビックリやわ」
「しゅくじょのたしなみなのです」

淑女の嗜みとは一体……。

ポピーは、ふふんっと得意げに言いながらも、手にはしっかりとオレンジジュースの入ったグラスを握っていて、そのアンバランス加減がなんとも可愛らしく、微笑ましい。

午前中の面接でチャレンジャーを尽く落とした為に、四天王の一員であるポピーは召集が掛かりはしたものの、お役御免となってしまった。
仕事も一段落したので今はポピーと共に女の子同士お茶を楽しんでいたのだが――なんの前触れもなく、その優雅なティータイムを強制終了させる出来事が発生しようとは。
いつの世も安寧こそ途端に崩れ去るものなのだ。

今日は強風が吹いているわけでも無いのに(むしろ無風に近い気候であるのに)突然、執務室の窓ガラスがカタカタと風を受けたように揺れる。そして、一呼吸置いてコツコツと窓を叩く音がした。

何事かと思い、手に持っていたコーヒーカップをソーサーに戻し、窓に近づくと――
窓ガラス越しに突如として視界に飛び込んできた黒々しく大きな物体に驚き、思わず一歩後退ってしまった。

「うおっ! ……え、何? ……アーマーガア?」

二メートルと少しある大きさは間近で見るとその迫力に圧倒されてしまう。
普段、アーマーガアをこんなにも近くで見る機会はなかなか無い。強いて言うなら、ポケモンリーグの実技テストでポピーの手持ちのアーマーガアを遠目から眺めるくらいだ。

それこそ、この子は誰の手持ちのアーマーガアであるのか。
ポケモンリーグの、それも執務室を訪ねて来たのだ……野生である可能性は限りなくゼロに等しい。
ポピーの手持ちの子――では無い。証拠に、ポピーは此処にいるとばかりにボールを掲げて「ポピーのこじゃないです」と、言った。
では、一体全体この子は誰の?謎は深まるばかりだ。

ポピーもいつの間にか横に来ていて、困り果てた自分に対して、ズボンの裾を引きながら言う。

「さっきから、まどをツンツンしていますの。もしかして、あけてほしいのでは?」
「ああ、そやな……ちょお待ってや」

幸いにもアーマーガアからは殺気じみたプレッシャーは感じなかったので、ポピーに促されるがまま窓を開けてやると鳴き声が鼓膜を揺らした。
それはまるでお礼でも言っているかのように「ガァ!」と鳴く。
窓を開けた時、アーマーガアの羽ばたきの風圧を受けて、室内に一気に風が流れ込んできて、思わず目を瞑ってしまった。それが良くなかったのだ。
眼前のアーマーガアから目を離してしまった。
よって、一瞬であれ辺りの状況が目視できなくなってしまう。
だから、アーマーガアの首が伸びて、嘴がシャツの襟首に掛かった事に気が付かなかった。
途端、身体が宙に浮く。

「うおわああっ!? ちょ、ま、ええ!? 何!?」

「チリちゃーん!」と、下の方から可愛らしい悲鳴が聞こえた。
ポピー、悲鳴まで可愛いやん。なんて、今この瞬間にはどうでもいい事を頭の片隅で思ってしまった。

咥えられ、窓から引きずり出されたかと思うと、放られた身体は遠心力で半回転宙を舞い、しかし、次の瞬間にはモフモフとした羽毛に受け止められた。
恐る恐る目を開けると、背中に乗せられていて、眼下に広がるのはリーグ施設の外の芝生。
そして、みるみるうちに上昇し、先程まで自分が居たであろう執務室の窓から、心配そうに顔を覗かせるポピーの姿が豆粒のように小さく見えた。

再度ひと鳴きしたかと思えば、その身を旋回させて、リーグ施設に背を向けるような形で何処とも知れず飛び立ってしまった。

***

一体このアーマーガアは何処を目指しているのか分からず、この高さから落ちればひとたまりもないし、現在進行形で飛行中である為、そもそも自分の手持ちのポケモンでどうにかできる状況でもなかった。
ただただデカヌチャンに遭遇することが無いように(もろとも撃ち落とされるのは御免だ)心の底から祈りつつ目的地に到着するのをひたすらに待っていた。

幸いにもテーブルシティから出ることはなく、よってデカヌチャンに撃墜される事もなく命拾いしたところで、一体何処に連れて行かれるのかと戦々恐々としていたわけだが、辿り着いてみるとなんと言うことはない。マンションの三階の一室であった。

とはいえ、アーマーガアに乗ったままマンションのエントランスを抜けてエレベーターに乗るなんてことが出来るわけがなく、一度ベランダへ降り立ってから開け放たれたままになった窓の前に立ち尽くしている。
どうしたものかと窓の前で躊躇っていると、さっさと入れと言わんばかりにアーマーガアが背中を頭でグイグイと押しやる。観念するしかないようだ。

「わ、ちょ、待って待って! 分かったから! 入ったらええんやろ? ……それにしたってこれ、不法侵入ちゃうの? チリちゃん捕まらへんよな?」

流石に土足で上るわけにいかないので、ベランダで靴を脱ぎ、窓から部屋に入る。
室内は薄暗かった。
昼間であるのに不自然に暗い。遮光カーテンは締め切られ、照明もついておらず、僅かな明かりは先程入って来た窓から差し込む陽光だけといった様子だ。

そもそも誰の部屋かも分からない状態で、窓から不法に侵入しているのだから、居心地が悪くてかなわない。
思わず抜き足差し足で、それこそ泥棒さながらに振る舞ってしまうのは致し方ない。

「お邪魔しますー……誰かおりますかぁ? おたくのアーマーガアに――痛っ!?」

薄暗い中で間取りすら分からないのだ。前方確認に全神経を集中していた為に、突然足の裏へ痛みが走り、思わずその場で飛び跳ねた。何か踏んでしまったようだ。

「いったぁ……なんやねんもー……ええ? 本?」

拾い上げたそれは、自分が知っている本の分厚さと重量が比でなかった。
高所から落下して、当たりどころが悪ければ優に人を殺める事が出来そうな、それは鈍器のようだと思った。おお怖い。

どうやら前方だけでなく足元にも意識を向けなくてはならないようだ。
とりあえず、無闇矢鱈に室内を歩き回るのは危険だと足の裏を生贄に学んだので、まず初めに着手すべきは部屋の照明を確保する事。
締め切られたカーテンというカーテンを全て開け放つと、自ずと部屋の全貌が明らかになる。

「!? うっわ……!」

とてもじゃないが、散らかっているという言葉では事足りない惨状がそこには広がっている。
いろんな物が取っ散らかって、ひっくり返って、床を埋め尽くし、人を殺めそうな分厚い本も其処此処に放置されていた。
足の踏み場がないとは、まさにこの事。
先程、泥棒さながらの身のこなしで室内に侵入したわけだが、もしかすると、先客がいたのかもしれないと思った。
それこそ本業の泥棒がすでに一仕事終えた後のような状況だ。
そう思わせる程に部屋の中は汚かった。たじろぐ程度には、とっっっても汚い。

アーマーガアは、こんな部屋に連れて来て何を求めているのだろうか?
まさか、掃除でもしろというわけではないだろうな?

それだけはどうかご勘弁願いたい。
そうでなかったとしても、此処へ連れて来た理由が必ずあるはずだ。
ベランダへ一瞥を投げると、アーマーガアは今もらこちらの様子を窺っていた。
その眼光は、逃げ出さないか見張っているかのようにも思える。

「……別に逃げへよ。アンタのご主人探せばええの?」

こんなゴミか物か判別しずらい中から?
冗談半分で声をかけると、ベランダからは「ガア」と肯定と取れる鳴き声が聞こえた。
冗談ではなかったようだ。

探すと言っても、一体どこをどんなふうに探せというのか――しかし、頭を抱えた途端にそれは存外簡単に見つけ出すことが出来た。
デスクに突っ伏す女性を見つけたのだ。

彼女は、まるで力尽きたかのようにパソコンのキーボードに顔を押しつけたまま微動だにしない。

「……ちょお、自分、大丈夫?」

トントンと、肩を叩いてみる。反応なし。
今度は、少し強めに肩を掴んで揺すると、彼女からは唸り声のようなものが聞こえる。

「んうー……」
「ええ加減起きや! アンタのアーマーガアが――っ!?」

おたくのアーマーガアに拉致されて、生存確認をする羽目になった此方の身にもなってくれ。と、叱言を口にしかけて言葉を失った。驚きのあまり二の句が継げなかった。
目を剥いて、大口を開け、驚愕に身体が打ち震えて、どうする事も出来なくなってしまった。
緩慢な動作でのっそりと身体を起こし、その顔を此方に向けたからだ。
頬にキーボードの寝跡を付けた彼女こそ、最近自分を悩ませてやまない張本人であったのだから。

「なまえ!?」
「んー……ええ?」

目を擦りながら空いた片手でデスク周りを探り、目当ての眼鏡を探し当てると、徐にそれをかける。
視界が鮮明になったのか、酷い隈が出来た双眸をこれでもかと見開いて、なまえは驚きのあまり椅子から転がり落ちた。期待を裏切らない反応だった。

「なっ、ななっ、何で此処に!?」
「そんなん、こっちが聞きたいわ。……あの子、なまえのアーマーガアやろ?チリちゃん拉致られてん」
「んなっ! アーマーガア! いくら光り物が好きだからと言って人間を連れてくるのは駄目でしょう!?」

光り物……そんなに自分はピカピカしているのだろうか?強いて言えばピアスぐらいしか思い当たらない。
アーマーガアはベランダで小首を傾げていた。それもそうだ。屍の如きご主人を助ける為に一役買って出ただけであるのに、その言われようなのだから。

「それにしたって自分……この部屋は散らかりすぎとちゃうん?」
「うう、目が……相変わらず眩しい……今ならズバットの気持ちがよく分かる」
「ズバット?」
「……ズバットは太陽の光に弱い為、あまり日光に当たり過ぎると皮膚が火傷してしまうので」

久しぶりに言葉を交わしたなまえは相変わらずだった。
ポケモンの知識を織り交ぜながらのリアクションでも、相変わらず自分は彼女にとって真夏の太陽であるらしかった。
そして、まだサングラスは購入出来ていないらしい。

「まあ、こんな状態やったらアーマーガアが心配して助け求めるんもしゃーないんとちゃうの?」
「それは……返す言葉も御座いません。つい、没頭してしまうと他の事は疎かになってしまって」

髪はボサボサ、服もヨレヨレ、もちろんスッピンに眼鏡。
テーブルにはエナジードリンクとエネルギーゼリーのゴミ。

研究員のような専門職についている人間は、やはり他と比べて探究心に富み、一つの事に没頭できる性格でないと務まらないのだろうと思ったが、しかしこの目を覆いたくなる惨状は、そこにどんな理由があれど頂けなかった。

「はぁ……研究熱心なんはええけど、その調子じゃ何も食べてへんのやろ?」
「そうだけど、あまり食事に時間を割かないのは普段もだから別に……」
「研究員も体が資本やろ? 何か食べるもんないん? あ、冷蔵庫開ける、で――!?」

この日、三度目の驚愕だった。
もう、これは酷い。あまりに酷い。よくこんな状態で今まで生きてこれものだと一周して、彼女の生命力に感心してしまった。

普段からあまり食事をとらないと言うだけあって、冷蔵庫の中身はその言葉通りの有様だった。
調味料と水、エナジードリンクに酒。
とても女性の暮らす冷蔵庫の中身ではなかった。今の時代、男性だから女性だからと線引きするのはそぐわないが、それにしたって生活感がまるで無い。
その割に部屋の中だけは悪い意味で生活感に溢れているのだからかなわない。

「……カン」
「ん?」
「アカン! こんな生活しとったら自分、死んでまう!!」

バタン!と勢いよく冷蔵庫のドアを乱暴に閉めてなまえに向き直ると、彼女は気迫に圧倒されて、その身をびくりと大きく震わせた。

「だ、大丈夫だって……今まで生きてきたし」
「そら奇跡や。食事どうしてたん?」
「外食かコンビニ。部屋に篭る時はエナジードリンクとエネルギーゼリー。あ! でも、私の手持ちにタルップルがいるから糖分補給はその子から皮をもらって食べるからバッチリ!」

彼女の日常――と、言うよりは特に食事面は想像を絶するズボラだった。
糖分補給がタルップルの皮というのは、どう言う生活をしているのか。
甘いものが欲しかったらタルップルの皮を剥いで食べる……その絵面を思い浮かべるだけで目を背けたくなる。

「いや、それバッチリとちゃうし」
「じゃあどうしろと……大体、上部だけの偽装婚約者である貴女に私生活にまで口を出される筋合いなんてない」
「っ、」

なまえの主張は最もで、その提案を持ちかけた自分自身としても、元々はそういう約束で取り決めた関係だったと納得している。

ならば、どうしてその言葉に苛立ってしまったのだろうか……。
少なからず心にさざ波が立ったのだ。

「偽装でも、婚約者は婚約者や」
「婚約者でも偽装は偽装で――うぶ!?」

これ以上感情をかき混ぜて欲しくない。
その一心で、彼女の口元を手で鷲掴んだ。
まさか、物理的な行為に打って出るとは思わなかった。それこそ無意識に。

今まで袖にされた事がなく、今回のようなパターンは初めてであったから?
なまえがこちらに見向きもしないから?
いつまで経っても彼女の瞳に自分が映らないから?

これ以上考えてはいけない。それこそ堂々巡りを通り越して、このままでは自家撞着を起こしてしまいそうだ。

「決めた」
「んむ?」
「一緒に住も」
「!?」

なまえは絶望的な、まるでこの世の終わりのような表情を浮かべて此方を見つめ、そんな事は絶対に嫌だと必死に訴えてくるものだから、つい加虐心が擽られてしまってかなわない。
そのまま身を屈めて、そのタコのような唇に口付ける。

「あーあ、チューしてもうた」
「っ!?!?」
「既成事実も作ってもうたし……これからなまえは正式にチリちゃんのやんな?」

名実共に、チリちゃんの。

追い討ちをかけるかの如く耳元で囁く。
彼女にとってそれは、悪魔の囁き以外の何ものでもない。
意地の悪い笑顔で言ってのけるも、先程からなまえの反応がない。
よくよく見ると、彼女は白目を剥いていて……。
その顔は、お世辞にも可愛らしいと言えたものではなかったが、それでも何だか愛着が湧くような不思議な魅力に溢れていたように思う。

快哉を叫ぶまではなくとも、少しばかり気が晴れたのは本当だった。
この擽ったく、ままならない感情は、これからじっくりと答え合わせをしていけばいいのだ。

20230217




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