人参は、赤みが鮮やかで、茎の切り口の軸が小さな物。
じゃが芋は、皮が薄くて丸みがあり、芽の出ていない物。
玉葱は、乾燥した皮が艶やかで、固く重量感があり、丸みのある物。
トッピングは何にしよう?味の決め手となる、きのみはどれにしようか……。

実に理不尽で不本意な状況であるのに、スーパーで食材を選んでいるとつい心踊ってしまう。
そんな自分にはたと気付いて、手に持っていたじゃが芋を買い物カゴに荒々しく放り込んだ。完全なる八つ当たりだった。

事の発端は今朝の事。
その大元は昨夜であるけれど、まあ、今回は今朝の事としておいていいだろう。
とにかく、今朝の事だった。
昨夜、彼女と夕食を共にする約束を反故にしてしまって(わざとじゃないし、そのつもりもちゃんとあった)、時間も遅いので軽めの物をデリバリーしようという話で落ち着いたのだが、心踊るフィールドワークに大好きな先輩とのポケモン対談、チリによる胃の擦り切れそうな圧迫尋問……と、ハードスケジュールをこなした私の心身は限界を迎えてしまい、メニューを選んでいる最中に寝落ちてしまったのだ。

最低一日一回は共に食事をするというルールは、チリによって後付けされたものだった。
そもそも食事に重きを置かない私にとってそんなルールは守れる筈が無く、しかし、これもルールなのだと言われてしまえば何も言い返せない。
何せ、それが記載された冊子は私が作成して、しっかりサインもしているので、冊子を掲げられればぐうの音も出ないのだ。
そして、夕食を共にする約束の反故とルールを破ったペナルティとして今夜の夕食は私の手作り料理を一緒に食べる事となってしまった。罰が舌を突っ込まれるキスではなくて本当に良かった。

今夜はフィールドワークに出たいと思っていたので、そのショックたるや……。
けれども、ここでごねて後々面倒臭いことになってしまうのはもっと嫌なので、観念してそれを了承し、今こうして夕食の買い出しに来ているわけだ。

言わずとも、私が作ろうとしているのはカレー。
と言うか、私は料理がからっきしなので、唯一作れる物と言えばガラル地方を訪れている際に習得したカレーである為、選択肢など始めから一つしかない。
だが、一つしかないと言うのは存外悪くないと思う。
悩む必要がないので、その分買い物に充てる時間も短縮されるし、その中でもカレーは実に私の意に適った食べ物なのだ。
切って炒めて煮るだけの手軽さに加えて、食材を変えるだけで如何様にも変化するし、きのみの種類によっては辛味、甘味、渋味、酸味、苦味をその日の気分よって変えられる。
ポケモンもカレーが大好きであるし、そして何より……日持ちがする!
特にこれは大きい。他の料理とは一線を画する大き過ぎるアドバンテージだと思う。
手軽で日持ちもして美味しく、アレンジも叶う……こんな唯一無二な食べ物を私は他に知らない。
二日目にはまた違った味わいを感じられるし、とにかくカレーは最高の食べ物である。最高ゆえ至高。

「はっ! ……また、私ったら。早く帰ろ……」

もう夕方。チリが仕事を終えて帰宅してしまう。
今日は何が何でも残業せずに帰ると、上機嫌で出勤した姿を思い出して眩暈がした。

***

「ただいまー」

そして夜。チリは宣言通り定時できっちり仕事を切り上げて帰宅した。
玄関から聞こえた声が心無しか弾んでいるように感じたのは、たぶん、気のせいではない。

対面式のキッチンで、カレーを仕上げる私の様子を彼女は上機嫌で眺める。

「そんなに見られると、やりにくいんだけど……」
「んー? だって、なまえがキッチンに立って料理するん新鮮なんやもん」

それは、私自身もそうだった。
キッチンに立って、料理らしい料理をするのはいつぶりだろう?
食事はいつも後回しになってしまうし、そもそも興味が無い。私にとって料理とは、所詮その程度であるから態々自分の為に料理はしない。
そんな相手もいないので、尚更キッチンに立つことはないのだ。

もっと言えば、サンドイッチを作る事ですら億劫に感じる。挟む過程が面倒臭い。
どうせ胃袋に入ってしまえば一緒くたになって消化されるのだから、材料があってもパンに具も挟むひと手間を惜しんでそのまま別々に口へ放り込んでしまう。
だから、出来ている物を買って食べるのが一番手頃で一番美味しい。

「カレー、美味しそうやなあ。……なあ、まだ?」
「もう出来るよ。サラダをテーブルに並べてくれる?あと、フォークとスプーンもね」
「はいはい」

結局、カレーは辛味と甘味のバランスがいいチイラのみを中心に、トッピングは無難にあらびきヴルストにしておいた。
万能受けを狙える中辛のヴルストカレー。
鍋の中で煮え立つカレーをスプーンで掬い上げ、味の最終確認。

私は、ニャオハ顔負けの猫舌であるので十分過ぎるほどに冷まさなければならない。

フーフー、フーフーフー。
おまけにもう一度、息を吹き掛けて冷まそうとした時だった。

「いや、自分……いつまでフーフーすんの?」
「わあああ!」

配膳を終えたチリが、いつの間にやら背後に回り込んでいた。
肩口から覗いた端正な顔は、呆れ気味に表情を緩めている。
突然、耳元で囁くのは止めて欲しい。思わずゾクリと背筋が粟立った。
ついでに、その世界遺産に認定されそうな顔を近付けないで頂きたい。心臓が止まりかねないので。

「ね、猫舌なんだよ……」
「ふぅん。――ん! 旨い! いけるやん」
「うう……あ、ああ……」

後は、ご想像の通り。
スプーンを持つ私の手ごと掴んで口元へ運ぶと、彼女は頼んでもいない味見を買って出てくれた。
チリが満足そうにニッコリと笑うから、私は日光に焼かれるズバットのように呻くしか出来なかった。
サングラスを漸く購入したというのに、携帯していないので意味がない。
今日も、目の網膜はチリの笑顔に焼かれてしまった。


リザードン級とまではいかずとも、ダイオウドウ級くらいにはいい出来だったと思う。
タルップルも、チリの手持ちのドオーも口の端にカレーを付けながら一心に食べていた。
そして、この出来事の発端となったチリ本人も満足気に“おいしい”と口にする。

「うまっ! これやったら店出せるんちゃう?」
「大袈裟だって」
「いやいや、ホンマやって! あー……でも、チリちゃんだけが食べれるなまえの料理っちゅーのも悪ないなぁ。やっぱり門外不出な!」
「別に、チリ以外に作る相手いないし……」

ただのお世辞と分かっていても、暖かい彼女の言葉に胸の奥がこそばゆい。
何処の誰が言っていたのか忘れてしまったが、“おいしい”の一言は料理を作る者にとってこれ以上ない喜びであり、それに敵うものは無いのだそうだ。
その意味が何となく分かった……ような気がした。

「あ、そうやなまえ。明日やったら調査の時間取れるで?」
「調査?」

チリは、思い出した様に口を開く。
調査とは一体何の事だったろうかと、脳内に記憶を巡らせる。
それでもまだ思い出せずにいる私に対して、彼女は言葉を続けた。

「前に言うてたやろ? 厄災ポケモンを封印しとる杭が所々抜かれとるから今現在の封印の強度やら、周囲に何らかの影響が出てるか調べて欲しいってオモダカさんから依頼されたんとちゃうん?」
「あー、そう言えば」
「まさか、忘れとったんか!」
「いや、忘れていたわけじゃ……久しぶりのパルデアがあまりに楽くて……あはは」

忘れていた。思いっきり忘れていた。
仮にもリーグのトップ兼アカデミーの理事長であるオモダカさんたっての依頼を。
あはは、じゃ済まされない事態だった。

「でも、何でチリが同行するの? マップに杭と祠の位置を表示してくれたら一人で大丈夫だけど」

一応私にも、手持ちのポケモンたちがいる。
レベルの練度だって極端に低いわけではないし、フィールドワークをするにあたって陸海空それぞれに適した子たちを連れているので十分頼りになる。

「一応、何かあったら困るやん? そん時はチリちゃんがなまえの事守ったるから」
「っ、」
「チリちゃんの手持ちの子ら、むっちゃ強いしな」

向かいに座るチリは、何の恥ずかし気もなくそんな事をサラッと言ってのけた。
守ってあげるから……なんて、お姫様を護る騎士でもあるまいし。
お姫様願望も、御伽話に憧れもない私にとって、彼女のセリフは聞いているだけで恥ずかしい。

けれど、僅かでも胸が高鳴ったことに不覚をとってしまった。
それに気付いたチリが、端正な顔をニタリと緩める。

「んー? チリちゃんにキュンとしてもうた?」
「し、してないし!」
「ふぅん?このままチリちゃんの事、好きになってもうたらええのに」

――さっさと落ちてくればええのに。と、細められた赤銅色の瞳は甘い言葉とは裏腹に僅かな危うさを内包しているようで背筋がゾクリとした。

それを誤魔化すようにカレーを頬張った。

「なあ、なまえ」
「何?」
「あの冊子の事なんやけど。同棲するにあたっての何やかんや書いてある、その最後のページのやつあるやんか?」
「うーん、うん?」

いくつも決め事が記されている中での“最後のページのやつ“だなんて、抽象的で大雑把すぎる。
どの一文を指しているのかいまいち分からず、けれど、彼女の言っている半分は理解できるので、やむなく否定とも肯定とも取れそうな返事をするしかない。

「どっちかに恋人ができたら、この偽装関係を解消するって……あれどういう意味なん?」
「(ああ、あれか……)え?別に、そのままの意味だけど」

チリは怪訝な顔をしているが、寧ろその項目に当てはまるのは私ではなく彼女の方だと思うのだが……。
言ってしまえば、彼女による彼女の為の彼女の項目。
歩くだけで人を惹きつけ、笑うだけで恋に落とし、話せばもう虜。
嗚呼、恐ろしい。

そもそも恋愛に興味がない私に恋人なんて出来る筈が無い。
……まあ、好きな人はいるが、先日の通り可能性はゼロであるし、そんな不毛な恋に身を窶していたいと思う――いつまでもこの片想いに浸っていたいと思う時点で、私にその項目は関係ない。

「今後、そうなる可能性がある言う事?」
「まあ、それはゼロじゃないと思う」
「なまえは好きな人おんの?」
「へえ!?」

出し抜けにその度直球な質問はいけない。
驚きのあまり、変な声が出た。
狼狽する私に対して、チリは無言のままじっと此方を見据える。

「い、いないよ? いない、いない!」
「……」
「本当だよ!?」

嘘だけど。私には、大好きな人がいる。
その恋を、眼前で疑っている彼女から遠ざけるのに必死だった。

残りのカレーを平らげて、食器を片付けようと席を立つ。
このままでは言いくるめられて一切合切白状させられそうだったので、私が取った行動はそのまんま――逃げる、という策。

しかし、それを見す見す逃してくれるチリではない。
横を過ぎる瞬間、腕を掴まれてしまった。

「――それって、“先輩”やろ?」
「っ!」

見事に言い当てられて、ドクンと大きく心臓が打った。

何故、それをチリが知っているのだろう?
これでも必死に隠してきた。絶対に漏れなんて無かった筈だ。
違うと答えようとした刹那、彼女は小さく吹き出した。

「はは、分っかりやす」
「ち、ちちっ、違うよ……!」
「いや、違わへんし。なまえは嘘付くん下手やって言うたやろ?」

またもや私の目はクロールでもしていたのだろうか?
事情が事情だから、クロールを飛び越えてバタフライでもしていたのかもしれない。
慌てて双眸を閉じたが、遅きに失した。

「因みにそれ、自分が昨日寝落ちした時に寝言で言うてたんやで?」
「何ですと!?」
「語尾にハートマークも付いてたなぁ」
「う、嘘だ……!」

豈図らんや、情報の出所がまさかの自分自身だったとは。
しかも寝言がきっかけで漏洩してしまうなんて、これではどうにも対処出来ない。

「それにしたって、先輩って誰やろなぁ……」
「面白がってるでしょ!?」

表面上は笑っているが、目は笑っていない――彼女お得意の貼り付けたような笑みだ。
このまま吃って、取り乱して、慌てふためいてしまえば完全にチリのペースになってしまう。
それだけは避けたかったからと言って、らしくもない反骨精神を見せたのが良くなかったのだ。
そちらの方が彼女にとっては与し易かったなんて、とんだ誤算だった。

「ふはっ! いやいや、んなわけないやんか。寧ろ――」

言いながら、チリは私の手から食器を取り上げ、机に置く。
その仕草が何かしらの合図になっていたのだろうが、私はそこまで考え至らなかった。

「めっちゃ妬いてるで?」
「なっ、」

耳元で、いつもより低い彼女の声が響いて鼓膜を揺らす。
何だかこれは、非常にマズイ流れだ。
何がどうと言うわけではなく、それこそ本能でそう感じてしまった。

「正直、ここまで相手にされんかった事なかったから、興味湧いただけやって思てたわ。けど……ちゃうかったかもなぁ」
「いや、いやいや……それこそ勘違いだと思うよ!?」
「勘違いかどうかは、これから確かめる事にするわ」

嗚呼、どうか……後生であるから、その言葉だけは口にしないで欲しい。
それを口にした時点でこの関係を結んだ本来の主旨から逸脱してしまう。

けれど、そんな願いも虚しく打ち砕かれる。彼女はどこまでも無情だ。

「なまえ、好きやで」

だから、そんなものは勘違いだと言うのに。

20230312




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