「ジニア先生――いやさ、ジニア先輩。一生のお願いです。どうか私と、結婚してください!」
「ええっと……急にそんなことを言われましても……」
「ここは、かつての後輩を助けると思って! ね!?」
「うーん、なまえさん……ごめんなさあい。気持ちだけ頂いておきますねえ」
「そんなぁ! そこをなんとか! 気持ちだけで済めば世の中警察なんていらないんですよ……!? 後生ですから! ジニア先輩ー!」

散々泣き付いて、喚き散らして、終いには最終手段である床にめり込まんばかりの渾身の土下座を繰り出したところでクラベル校長に見つかり、生物室から摘み出されたのだった。

こんな醜態を晒し、剰え玉砕した私の勇姿はきっと伝説として後世に語り継がれていく事だろうが、今はそんな事、正直どうでもいい。
ここはアカデミーであるから、伝説というよりも七不思議に数えられる方がしっくり来るだろう――が、やっぱり、そんな事はどうでもよかった。

何故なら、私の人生は今この瞬間をもって終わりを迎えてしまったようなものなのだから。
頼みの綱であったジニア先輩にもサラッと断られてしまったし、ここパルデア地方をポケモンの生態調査の名目で長い間離れていた私には、彼を置いて他に頼れる男性はいない。

アカデミーからテーブルシティの街並みへと伸びる気が遠くなるような長たらしい階段を降りながら溜め息を吐くと、先程の玉砕を見計らったかのようなタイミングでスマホロトムが白衣のポケットから飛び出した。

【ロトロトロト、“お母さん”から電話ロトー】

「ぎゃあ!」

【ロトロトロト、つなぐロト!】

「いやいやいや、繋がなくていいから留守番サービスに――って、ああ……!」

どうやら私は、自分の所有物にまで見放されてしまったらしい。
気を利かせたつもりだったのだろうが、しかし、それは要らぬ気遣いで、よりにもよって今一番連絡を取りたくなかった母親からの電話を取ってしまった。

『もしもし、なまえ? やっと繋がった。まったく……忘れて無いでしょうね? 今夜の事』
「も、勿論忘れてないよ! ちゃんと行くってば……ハッコウシティでしょ? 何度も言ってるけど、会うだけだからね」
『逃げるんじゃ無いわよ? この間送っておいた服に着替えて、美容院にも寄って、身なりをきちんと――』
「あーもう、はいはい、分かったから! それじゃあね!」

まだ話は終わっていないとスマホロトム越しに喚く母親の声を聞きながら、それでも強制的に通話を切った。

親が決めた相手と結婚するだなんて一体いつの時代の話だと笑わずにはいられないが、そんな時代錯誤な話に実際、私は巻き込まれている。
正確には親が決めた婚約者ではなく、お互いの家の祖母が取り決めていた“許嫁”と言った立ち位置であるが、それでもそんな突飛な話がまかり通ってたまるものか。

そもそも、許嫁だなんてそんな話は今まで聞かされた事がなく、それこそこの話が出たのはほんのひと月程前の急な事だった。
それが明るみに出たのは、先月その祖母が亡くなった時、いつの間に認めていたのか知れない遺言状に記されていたからである。
そんな馬鹿げた遺言も、私の両親は祖母の最後の望みなのだからと言って先方に連絡を取り、相手方もそう言う事ならば是非にと、私の知らないところで首尾良く話が進んでしまったらしい。

齢も二十の半ばを過ぎて、結婚だの何だのと耳を塞ぎたくなる話題が上がり始める時期になって突然の事であったから、正直話にもこの状況にも全くついていけないでいる。
存外、両親も結婚適齢期を過ぎようとしている娘に打って付け、渡に船とばかりに、願ってもない話だと思ったのかもしれない。

祖母よ……とんだおき土産を残して他界したものだ。

そもそも私自身、結婚のけの字も念頭に無かったし、何より今の仕事が楽しくて仕方が無いので、何かと理由を付けては誤魔化していたのだか、それもいよいよ限界だった。
せめて恋人の一人でもいれば話は別だと言われたが、仕事に没頭していた私にそんな存在はいる筈もなく……。

だから先程、縋るような思いで、かつての研究員時代の先輩であったジニア先輩に結婚(婚約者のフリ)してくださいと泣き付いたのだ。この通り玉砕してしまったわけだが。

あれ?そう言えば肝心な“フリで構いませんから”と、伝え損ねたのでは?

なにしろ、これ以上ないほどに必死だった為、言葉の選択を間違っていたのかも知れないと思い、踵を返そうと思ったが、如何様に説明してもきっと同じ言葉が返ってくるだろうと思って、諦めた。
あの人畜無害な笑顔で、のんびりとした語調で「すみません、無理ですねえ」と断られる未来しか見えない。

「はぁ……会うだけでいいって言われたし、会うだけ会って断ろう……」

気が付けば予約していた美容院の時間が迫っている。
諦めにも似た独り言を溢しながら、私は渋々美容院に向けて歩き出した。

***

ハッコウシティ――此処はいつ訪れても好きになれない街だなと思う。

無駄にキラキラ、ピカピカ、ギラギラ、ビカビカして目が眩みそうであるし、流行の最先端を行く街なだけあってお洒落な店やファッション、人々で溢れているから日陰を好む私のような人種には場違いで、人権が無いとすら感じてしまう。
有体に言えば、酷く居心地が悪い。
ポケモンの生態調査・研究第一、三度の飯よりフィールドワーク、好きな言葉はリージョンフォーム。
そんな私がどうしてこんな街を好むだろうか?

普段歩きやすさ重視でスニーカーかフラットシューズ愛用の私にとって、七センチもの高いヒールは膝がガクガク震えて終始曲がったままで歩くのも一苦労だし、ズボンばかり穿き慣れた身に、突然膝上のワンピースなんて着用するものだから落ち着かず、股間の風通しが良過ぎるが故にスースーしてかなわない。

普段からTシャツにズボン、そしてスニーカー。その上から白衣を羽織り、基本眉以外はノーメイク。前髪もクリップかゴムでちょんまげくくりでフィールドを駆け回る私なのだ。
日常生活においてすら通常の半分以上もパフォーマンスを発揮出来ず、機動性に欠け、何の生産性も無いこんな服装……非効率的で望ましくない。
そして何より、いつもの眼鏡をコンタクトに変えたから違和感しかない。
普段あるべきアイテムが無いと、何だか方翼をもがれたような何とも心許ない感覚に陥るのだ。

それにしても眼鏡が片翼だなんて言い過ぎたかもしれないが。
だってそれは私が眼鏡で眼鏡が私で――と言ったニュアンスになるので、ちょっとそれもそれでいかがなものかと思えて半笑いしてしまうが、まあいい。
それ程、今の私には余裕がないのだと思ってもらえたら。

「はぁー……もう、本当に無理……イダダダダ、お腹の調子が……オエッ、吐き気が……」

夜であるのに明るすぎる街並みに体調不良と眩暈を引き起こし、よろけてしまう。
しかし、それは背に回された腕が支えてくれて事なきを得た。

「……っと、大丈夫?」
「え? ああ……す、すみませ――うわ! 顔が良い……」
「うん? ――ふはっ、あはは! そら、おおきに」

思わず振り向いた先の美しすぎる顔面に思ったままを口にしまって、面食らった後、赤銅色の瞳を細め人懐っこい笑顔を浮かべて笑い飛ばす彼――いや、彼女?

パッと見た印象だけでは性別が判然としない。
服装はジャケットにパンツスタイルであるが、肩幅や身体のラインは女性的でもある。中性的であるけれど、声色からしても女性なのだろうか……。
とにかく、彼であろうと彼女であろうと、目を惹く美しい人だと思った。自分とは対極の人種だ。

赤銅色の瞳と、長い深碧の髪が印象的だった。あと、彼女の口調はコガネ弁だろうか?
確かジョウト地方のコガネシティのあたりで使われる方言だったような気がする。
私は実際ジョウト地方へ行った事は無いが、亡くなった祖母は思い返せばコガネ弁だった。

「ああ、そうじゃなくて! 失礼な事を……すみません! 助けて頂いたのに」
「ええよ。助けた言うか支えただけやし……ん? なんや自分、迷子なん?」

――迷子。

この歳で迷子と呼ばれたのは初めてであったけれど、まあ、そうに違いない。私は絶賛迷子だ。
会食の場所に指定されたレストランに向かう途中で道に迷って、街の雰囲気に酔って、立ちくらみを起こしたのだから。

彼女は私の眼前を漂うスマホロトムの画面を覗き込んで、「お!」と声を上げた。

「ほなら、一緒に行こか」
「え!? それは流石に悪いです!」
「ええんやって! だって目的地一緒やもん」
「ええ!?」
「奇遇やね」
「はい……そうですね」

彼女は、端正な顔を笑顔でくしゃりと崩し「こっちやで」と、レストランの方向を指差して先頭を切って歩き出す。
遅れを取らないように、懸命に後を追うが、いかんせんヒールで歩く事に慣れていない私はもたついてしまう。
それに気が付いたのか、彼女は立ち止まってこちらを振り向いたかと思うと、突如、腹を抱えて笑い出した。

「あっはっは! ちょお、自分それ大丈夫!? 孵化したてのシキジカか何かなん!? ふはは! お腹痛い!」
「笑いすぎですから! 慣れてないんですよ、ヒール!」
「んふふ、ははっ! はぁー、笑った笑った。ああ、堪忍な? じゃあ……ん、おいで」
「うわあ……!」

ひとしきり笑って満足したのか、彼女は此方まで歩み寄って私の手首を掴み、再び歩き出す。
先程よりもゆったりとした歩調で、それでも転んでしまう事のないように腕をひいてくれる気遣いと思いやりと言ったらない。
それに加えてこの容姿なのだから、この世の老若男女の心を掴んで離さないんだろうなと思った。
恋愛に興味のない私でなかったら、この一連の言動で難なく彼女の魅力に陥落した事だろう。

――いや、恋愛に興味がないと言うのは、語弊がある。
一応想いを寄せている人はいる。見込みで言えば絶望的ではあるが。今日も今日とて玉砕したばかりだ。
今はまあ、そんな事はどうだって良いけれど。

「……あの、今日はデートですか?」
「んー、デート……ではないなぁ。何て言うの? 今時珍しい、親同士が決めた間柄の――」

言葉を全て言い終わる前に目的地のレストランに到着して、彼女の言葉を遮ったのは他でもない私の母親であったのだ。

「もう、やっと来た! お相手のご家族待たせてるのよ? 時間が過ぎても来ないから、また逃げ出したのかと思って――あら? 貴女たち、いつの間に知り合ってたの?」
「え?」

母の言葉が理解できずに、小首を傾げて傍を仰ぎ見る。
母は、確かに今“貴女たち”と言った。つまりそれは、私と傍に立つ彼女の事をひっくるめた言い方である。
視線が交わって、それから暫く黙考した後、想到したらし彼女は「もしかして」と、静かに言った。

「まあ、良いわ。仲が良いに越した事はないものね。さ、早く。皆待ってるから」

隣に立つ彼女は合点がいったらしいが、いまいち状況が理解出来ていない私は首を傾げながら先にレストランへ入る母親の背中を訝しげに見つめていた。
そして、そんな私を忖度するように彼女は言ったのだ。

「宜しく。えーっと……名前は?」
「(宜しく?) ……なまえです」
「なまえちゃん、な。うん、可愛い名前やね。ウチの事はチリちゃんって呼んでや?」
「はぁ……、それであの」
「まぁ、そう言う事みたいやし、婚約者としてこれから仲ようしよな? ……そやなぁ、手始めにチューでもしとく?」
「チュー!? しませんけど!!」

いかにも高級そうなレストランの入り口で絶叫する私は、それはそれは側から白い目で見られたわけだが、傍に立つ彼女――私の婚約者であるらしい?チリちゃんは大仰に手を叩きながらケラケラと笑っていた。

婚約者って普通、異性じゃないの?
こんなことってある?


20230211




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