「師範ー? しは、ん……」

珍しい事もあるものだ。

錆兎さんの姿を探して水柱邸を徘徊すること暫く。
私の目に飛び込んできたのは、実に珍しい光景だった。と言うか、初めて見る光景だったかもしれない。
錆兎さんが縁側の柱に凭れて“うたた寝”している姿だなんて、こんな貴重な姿は滅多に拝めるものじゃない。

普段、私が昼寝でもしようものなら、やれ弛んでいる、やれ体調管理がなっていないと口煩く説教を垂れるくせに。

柱は多忙を極めるなどと言いながら、実の所そうでもないのでは?
こうして縁側でうたた寝が出来る程度には、時間に余裕が持てるらしい。
こちとら素振りニ千回、打ち込みニ千回の地獄の鍛錬(死ぬかと思った)をやっとの思いで終えて、休む間も無く管轄地域の巡回に行くから早く支度をしろと言われたが為に慌てて支度を済ませたと言うのに。
急いで身支度を整えれば、この仕打ちときた。

「(自分は悠々と昼寝ですか……)」

叶うなら私だって餡蜜を食べに行きたいし、剥がれかけた爪紅も塗り替えたいし、昼寝だってしたい。
頬を膨らませ、不貞腐れながら彼の傍にしゃがみ込み、その寝顔を覗き込むと――

「……」
「……うわぁ」

錆兎さんの眉間には深い皺が刻み込まれている。ちょっぴり引いた。

もしかすると先程心の中で漏らした不平不満が眠っている彼に伝わってしまっていたのではないかと思えて、恐ろしさから身震いをする。
しかし、この距離まで近付いても目を開ける気配が感じられないのだから、やっぱり彼は眠っているのだ。

それにしたって眠っている時でさえ眉間に皺を寄せるだなんて……彼は一体どれだけ苦労しているのだろう?
ストレスを抱え続けると将来禿げると蝶屋敷の書庫の本で読んだことがあって、彼の頭皮の為にも、私は刻まれた眉間の皺を指でグイグイと押し伸ばす。
うんうん、私はなんて気の利く継子なのだろうか。

これでも錆兎さんは義勇さんに負けず劣らず精悍で整った顔をしているので、将来禿げてしまうのは些か惜しいと思う。

「伸びろー、伸びろー」
「……おい、お前はさっきから一体何がしたいんだ?」
「あ、起きたんですね。師範の頭皮の将来を憂いて眉間の皺を伸ばしています。偉いでしょう? 褒めてください」
「言っている意味が何一つ理解出来ないんだが?」

やっと目が覚めたらしい錆兎さんは、溜め息混じりに私の行動について問う。
これは貴方の為にしているのだと恩着せがましく答えるが、錆兎さんは私の行いを褒めるどころか素気無く吐き捨てて、眉間に触れる手を鬱陶しそうに払い除けた。

「師範は眠っている時も眉間に皺が寄るんですね。何か悩み事でも? ならば、私が話を聞いて差し上げましょう! 餡蜜で手を打ちますよ?」
「……」

先程までしゃがんでいたが、彼の隣に腰を下ろす。
ぷらぷらと投げ出した足を揺すりながら身を乗り出して条件を持ちかけると、錆兎さんは呆れ果てた表情で「それをお前が言うのか?」と零した。失礼な人だ。

「俺の悩みは十中八九お前だ馬鹿者」
「む、私は馬鹿じゃないですよ」
「はぁ……論点はそこじゃない。準備が出来たならさっさと巡回に出るぞ」
「……」

こちらの心配も他所に、錆兎さんはさっさと話を切り上げて(ついでに餡蜜の件も流されて)立ち上がろうとする。
私の事を継子だと言い張るくせに、彼は私に何も話してくれない。
本当は分かっている。悩みの種が私だと言う事も。

立ち上がろうとする錆兎さんの隊服の袖を掴んで引き止めた。
彼はそれにつられて動きを止め、今一度腰を落ち着ける。
その気になれば、こんな何の意味も成さない――抵抗にすらならない私の手を振り払い、立ち上がる事は容易だったろう。
それでも錆兎さんはそうしなかったのだから、私にはまだ歩み寄りの機会が残されているのだ。

「何だ? 言いたいことがあるなら口で言え」
「師範、隈が酷いです。ちゃんと睡眠取れてるんですか?」
「――っ、」

私は両手を伸ばし彼の頬を包み込むと、目を細め、寝不足で出来たのであろう濃い隈をじっと見つめる。

先程、“柱は所詮、昼寝が出来る程度の忙しさ”だなんて冗談でも思った自分を恥じるべきだと思った。
錆兎さんは、大して多忙でないから微睡んでいたのではなく、多忙すぎて睡眠もろくに取れていなかったから堪らず微睡んだのだ。

けれど、またしても私の憂いは宙を掻く。
彼は大きな溜め息を吐いて視線を私から外した後、頬を包み込んでいた手をにべなく払い除けてしまった。

「この間も言ったばかりだろう? ……男にこうも気安く触るな」
「あ! 誤魔化しましたね!?」
「はぁ……確かに最近は立て込んでいてたがこの程度なんて事は無い。だから、お前に心配される事も無――」
「問答無用ー!!」
「!?」

このままでは、彼が休む事は永遠に無い。
私の気遣いも心配も無用だと錆兎さんは言ったが、そんな状態の彼を前にしてどうしてその言葉を鵜呑みに出来るだろうか?

最近、益々鍛錬の成果が出てきたと思う。
特に体幹と腕力は以前とは比べ物にならない程に向上していると自負している。

「うおおおおお!」と、年頃の女子らしからぬ野太い声を上げて、全力で錆兎さんの頭を引き寄せる。引き寄せて、そのまま私の膝に彼の頭を押しつけた。
刮目せよ、これが“なまえ式・強制全力膝枕”。
こんなにも野蛮な膝枕がこの世に存在するのかと、思わずにはいられない。

「ぐ、ぅ……なまえ! いい加減にしないか……!」
「しません! いいですか!? 人間の三大欲求は食欲、性欲、睡眠欲です! そのどれも欠いてはいけないんですよ!」

いくら鍛え上げられた強靭な肉体を持つ錆兎さんと言えど体勢が悪い。
それなりに鍛えた私が筋力に加え体重も上乗せして上から押さえ付けているのだから。
それを覆す事はいくら錆兎さんであっても――

「なまえ、覚悟は……っ、出来ているんだろうな?」
「ひいいっ」

流石は錆兎さんだった。
全力で押さえ込んでいた頭部がじわじわと浮き上がっている。
柱は伊達じゃない。

額に青筋を浮かべつつ、低く唸るような声で言うものだから思わず悲鳴を漏らしてしまう。
命の危険を感じるくらいには、その恐ろしさに慄いている。

「じ、十五分だけですから……!」
「は?」
「十五分だけなら……大丈夫でしょう? 巡回、余所見せずにちゃんとしますから。任務も頑張ります……人参も、残さず食べます……だから、十五分だけ寝てくださいよ、師範……」

「本当に、心配なんです……」と、絞り出すように言った。
錆兎さんが一体どんな表情で私を見ているのか恐ろしくて直視できなかったので、視線は斜め下へ逃がしたままだ。

仮にも師範で、上官である彼の意見を真っ向から跳ね除けてまで自分の言い分を通したのだ。
喝破されるのを覚悟していたが、一向に彼は私を叱り飛ばさない。
代わりに膝に重みを感じて、逸らしていた視線を戻す。

「師範、」
「……十五分たったら起こせ」
「! はいっ」

ボソリと、決まりが悪そうにそれだけ言って、錆兎さんは仰向けになって此方を見上げていた顔を横向きに背けてしまう。
素気無い態度であったけれど、それでも、何であっても……彼が僅かな時間でも睡眠を取ってくれることが嬉しく感じられた。
錆兎さんを象徴する宍色の髪は触れてみると意外にも柔らかかった。

「おい、だから気安く――」
「はいはい、“気安く触るな”でしょう? でも、頭撫でられた方が安心して眠くなりませんか?」
「……ならん。気が散る」
「そうですか? うーん、おかしいなぁ」

“気が散る”、“落ち着かない”。
口ではそんな事ばかり言う錆兎さんであるけれど、その手を払い除けようとはせず、直に彼からは穏やかな寝息が聞こえてきた。

「……」
「師範、寝ちゃいましたか? 師範……あ、」

先程、刻まれていた眉間の皺は今はもうすっかり取れていて、意外にも寝顔は幼くて可愛らしいのだと知る。
この寝顔を拝めるのはきっと私だけの特権なのだろうし、十五分間――暫しその特権を存分に堪能しようと思う。


20230406


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