紆余曲折あった末、不覚にも錆兎さんの継子(仮)になってしまって早二週間。
それがいくら仮であり、仮初めの関係であろうとも、一応は形式上錆兎さんの継子として認知されてしまった以上、私には否応でも彼を“師範”と呼ぶ義務がある。

“もう少しだけ俺の傍でお前の成長を見せてくれ”

あの時、縁側での彼の台詞に絆されてしまった自分の失態を、ただただ悔やむばかりだ。
今更それを託ったところで、元を辿れば自分の蒔いた種であるのだし、致し方無い。自分で蒔いた種は手ずから刈り取る事が世の常である。

毎度お決まりとなった管轄地域の巡回(強制参加)にて、白い羽織を翻し、二歩前を行く錆兎さんの広い背中をぼんやりと見つめながら、二週間前の出来事を思い出す。

不貞腐れながら、それこそ嫌々、渋々といった様子で“師範”と呼ぶと、“嫌々呼ぶな!”だとか“普通に呼べないのか!”なんて、又候いつもの叱言が返ってくるのだろうと身構えていたのだが……豈図らんやあの錆兎さんが微笑もうとは。
怒るどころか端正な顔に柔和な笑みを湛え私の頭を撫で回すので、呆気に取られてしまったのだった。

彼は、そんなに“師範”と呼ばれたかったのだろうか?
彼にとって“師範”とはそこまで重きをおくべき事柄であるのだろうか?
何がそんなに嬉しいのか……全くもって、よく分からない。
そして彼もまた、よく分からない人だった。

けれど、たまに見せるあの表情は――狡いんだよなぁ。

回想を切り上げて小さく息を吐いたところで、いつの間にか立ち止まっていた錆兎さんに気付かずそのまま背中にぶつかった。

「――んぶ!」

ただでさえ低いこの鼻が更に低くなってしまったら、どうしてくれるのか。
ぶつけた顔面(特に鼻)を摩りながら、それでも微動だにしない錆兎さんに対して、訝しげに顔を覗き込む。

「ちょっと師範! 急に立ち止まらないでもらえます!?」
「……」
「聞いてますか? 師範? しーはーん!?」
「喚くな、少し黙れ」
「ひどい!」

これ以上にない程に的確な一言で、キッパリと、素気無く片付けられてしまっては、これ以上の言及は不可能だった。
一瞥もくれず、ただ喚くな黙れと一方的に突っぱねられると、逆に興味を持ってしまうのが人間の性だと思うのだ。

触るなと言われれば触る。
見るなと言われれば見る。
来るなと言われれば行く。
つまり、黙れと言われれば黙らない。

「何ですか、何ですかー? もしや、素敵な女性でも見つけ、て――」

冗談でもそんなことを口にすべきではないと思った。
錆兎さんが視線を投げたその先を、私も同じく見つめると、そこには本当に女性の姿がある。
着物に身を包み、小柄でうら若く、いかにも庇護欲を駆り立てられるような可憐で愛らしい女性の姿。

いや、まさか本当に視線の先の女性に見惚れてしまったのだろうか?

「あ、あの……師範――」

冗談でしょう?と、声を掛けようとしたところで、錆兎さんは一片の躊躇いもなく女性の元へ向かって歩き出す。
相変わらず私には一瞥もくれない。
常日頃から“男“を信念とする彼の行動力と言ったら期待を裏切らないというか、こんな時でもその信念に背く事はない。
彼の言葉を借りるなら、“男らしく”。そして、毅然とした態度で女性の元へと歩み寄る。

ただ歩み寄るだけであるのに、何故こうもその背からただならぬ威厳みたいなものが滲み出てしまうのか不思議でならない。
少なくとも私は、そんな錆兎さんから距離を詰められると逃げ出すか、身構えてしまうけれど……。
一般市民であり、見たところただの町娘である彼女は、果たして大丈夫だろうか?

「し、師範……!」

“そんなにも高圧的な態度で迫っては相手が萎縮してしますよ”
“いいですか?第一印象で全てが決まると言っても過言ではないですから”
“まずは、優しく声を掛けなくちゃ”

何一つ助言出来ずに、行く末を見届けなくてはならなくなった私の身にもなって欲しい。
義勇さんも炭治郎も、そして例に漏れず錆兎さんも、良くも悪くも水の呼吸一門は脳筋気質が強いので気が気でない。

「あわわ……」と、思わず声を漏らしながらその様を見つめる私であるが、錆兎さんが向かった先は彼女の元――と、言うより彼女の手首を掴んで鬼のような形相で怒鳴る男性の元であったらしい。

何やら捲し立てるように喚きながら、女性の細い手首を掴む。
感情のままに掴まれて、可愛らしい顔が苦痛に歪むその時――。

「その手を離せ。自分よりも弱い者に手を挙げるとは、情けない」
「んな! 何だお前……い゛、いてててて!!」

女性の手首を掴む男性の手を、錆兎さんのそれが力強く掴み、捻り上げた。
その握力に屈して、今度は男性はが苦痛に表情を歪め、喚き散らす。
それでも容赦なく「男がこの程度で喚くな」と平然と言ってのけるのだから、側からその様を見つめる私は男性に憐憫の眼差しを向けずにはいられなかった。
嗚呼、可哀想に。

つい女性ばかりに目が行ってしまって、男性と揉めている事に気が付かなかった。
錆兎さんは、己が信念に背くその行為が見過ごせなかったらしい。それは実に彼らしいと思う。
持ち前の義侠心を発揮して、困った女性に気付き颯爽と駆け付けるのだから。
それもまた、管轄地域での出来事であったから割って入っただけかもしれないが――否、きっと錆兎さんは場所が何処であれ、何度だって当然のようにそうするのだろう。

誰の前であろうと、同じ事をする。
そして、私は彼の継子であるばかりに、これから先何度もこんな場面ばかり目撃しなくてはならない。

それがどんな場面であるのかなんて、愚問だ。

「怪我はないか?」
「あ、ありがとう御座います……あの、何かお礼を」
「行きずりの縁だ、礼なんていらない」
「では、その、せめてお名前だけでも……」

――恋に落ちる瞬間、その場面。

「名乗る程の事もしていない。気にしないでくれ」と、錆兎さんは言葉を残して女性の前から去る。
私も、後に続くように小走りで錆兎さんの背を追った。
背後を一瞥すると、今も女性は頬を染めたまま胸の前で手を組んで此方を見つめていた。

「うわぁ……何だか、腑に落ちました」
「何がだ?」
「師範が街中でよく女性に声を掛けられる理由ですよ。さらっとあんな事して本当に罪作りですよねぇ……恐ろしい!」
「お前が何を言いたいのかは分からんが、くだらん事を考えているのは分かった」

横並びで歩きながら錆兎さんの顔を覗き込むと、今度はきちんと視線が交わった。
先程とは違って呆れたような眼差しであったけれど、しっかりとその藤色の瞳には私が写っている。

いつだったか、“お前は本当に目が離せない”と言われた事があった。
その当時はそれが酷く柵に感じられたものだが、今は果たしてどうだろうか?

「師範は、誰でも彼でも助け過ぎです。この間は転んだ女性を起こして着物の裾を払ってあげてました。その前は、足を捻った女性を背負って送り届けてあげてましたし」
「困っていたら手を貸すものだろう。黙って見過ごすなど――」
「はいはい、男じゃないですよね。でも、乙女心を弄んじゃってるので、師範は女の敵です」
「……あのな、随分な言われようだが別にそうと決まった訳じゃないだろう?」
「どうしてですか?」

小首を傾げる私に対して、錆兎さんは歩みを止めて真剣な眼差しで此方を見た。
先程のような呆れの色は滲んでおらず、ただ真っ直ぐに見据えるので逸らす事が出来なかった。

「なら聞くが、何故お前は俺に落ちないんだろうな?」
「へ?」
「転ぶのを起こす、背負って送り届ける以上の事を、俺はお前にはしている筈なんだが?」
「まあ……それはそうですね」
「誰彼構うなと言うが、俺が今一番構っているのも、傍に置いて目を掛けているのもなまえ――お前なんだぞ?」

往来の真ん中だと言うのに、不思議と雑踏に紛れる事なく彼の言葉が一言一句聞き漏れず耳に届く。
それだけ、今この瞬間、私の意識は彼に絡め取られているらしかった。

いつも通りの声音であれど、それは全然別物のような錯覚を受ける。

「あ、ああー……た、確かに! 言われてみればそうですね。勘違いでした! はははっ」
「そう言う事だ」

このまま流されてはいけない。
根拠はないけれど、それこそ本能で感じたのかもしれなかった。

いつものように戯けるような口調で答える。

「っ!」

くしゃり――錆兎さんの筋張った手が私の頭を撫でた。
それはまるで、この話はここまでだと言いわれているように感じて、私もこれ以上は口を開かなかった。

そう言う事なのだと錆兎さんは要約したが、私がそういった目で錆兎さんを見ていないのは今に至るまでの経緯が大いに関係しているのであって、果たして先程の女性のような出会い方をしていればどうだったのかと問われれば、よく分からない。

ただ一つ言えるのは、錆兎さんの傍が以前よりも心地いいという事。
勿論、変わらずよく叱られるし、地獄のような鍛錬の日々、毎度巡回に連れ回される。恥じらいを持てだとか、余計な物ばかり買うなとか、好き嫌いをするなと口煩い。

それでも。それも含めても、今の関係性を私は存外気に入っているのかもしれない。

「……まったく、懐かれたいと思うほど裏目に出るのだから。悩ましいな」

上手く聞き取れない程度の声量で、錆兎さんは独言る。
けれど、それは所詮は独り言。まだ今は私が知る必要のない事。

「師範、何か言いました?」
「いや、何でもない。先を急ぐぞ」
「はーい」

20230205


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