「何をしてるんだ?」

珍しく屋敷の何処にもなまえの姿が見えず、探し回った末に辿り着いたのは彼女の自室だった。
気付いている筈なのに、障子を開けても声を掛けても一向に此方を見ようとしない。
そんな彼女の視線は、目下その手元にのみ注がれていた。
手には見慣れた彼女お気に入りの薄桃色の羽織が握られていて……。なるほど、どうやら繕い物の真っ最中であるらしい。

「なまえ」
「今は何があっても私に話かけないでください!」

ただ名前を呼んだだけであるのに、彼女は目をかっぴらいて口早にそう言った。
今まで目にした事がない程真剣な表情と、有無を言わせぬ物言いに思わず気圧されてしまう。
なまえに圧倒されるなんて、ただの一度も無かっただけに、それだけ今の彼女は決死の覚悟で物事に当たっていると言える。
とは言え、所詮、彼女は繕い物をしているだけなのだが……。

話しかけるなと言われた以上、仕方がないので部屋に入ってその決死の繕い物が終わるのを待つことにした。

それにしたって凄い集中力だなと感心しながら傍に腰を下ろすと、その身をびくりと跳ねらせ、途端に「ぎゃあ!」と悲鳴を上げた。

どうやら針で指を刺したらしい。
血が出る程に思い切り刺したのか、彼女は左の人差し指を口に含みながら、それはそれは恨めしそうな目で俺を見やる。
言っておくが、俺は彼女の言葉通り何も話しかけてはいないのだから、そんな風に睨め付けられる覚えはない。

「何なんですか!? 後にしてくれって言いましたよね!?」
「何とはなんだ? 話しかけるなと言われただけで座るなとは言われてないからな」
「いや、確かにそうですけど。ここは察してくれたって……」
「羽織を直しているのか?」

握られた羽織へ視線を移すと、それはお世辞にもよく出来ているとは言えない。
縫い目はガタガタで糸の間隔も均等ではないし、これではまたすぐに破れてしまうのが目に見えるようだった。

普段から器用に爪紅を塗るくせに、どうやら裁縫は不得手らしい。
集中力を切らすと針で指を刺してしまうので、俺が部屋を訪ねても見向き出来なかったのだろう。

「……誰かさんがいつも襟首を掴んで引っ張るから、破れちゃったんですよ」

指を刺した腹いせか、単なる八つ当たりか、はたまた恨み節のつもりなのだろうか?
なまえは嫌味ったらしくそう言った。

「繕っても直ぐ破れちゃうんです。……何でだろう?」
「……」

至極不思議そうに彼女は小首を傾げているが、それこそ答えは既に出ているではないか。
そこにあるじゃないか。それが全てだ。お前の直し方が下手くそだからだ。
助言というより、それはただの悪口になってしまうので何も言うまい。

その羽織を見ていると、なんとも感慨深かった。
出会ったばかりの頃は、縁側で寝転がって怠けていた彼女の襟首を掴んで無理矢理巡回に連れ出したものだ。
口を開けばやれ疲れた、やれ働きたくない、私は絶対継子なんかにならないと喚いていた。
その頃から手が焼ける仕方のない妹弟子であったけれど、紆余曲折ありながらも今では俺の継子として過ごしている。
随分と俺達の関係も、彼女自身も変わったと思う。
未だに継子(仮)である事を除けばだが。
だがまあ、この羽織一つとっても彼女と過ごした日々は賑やかで鮮やかな物だという話だ。

思い出に浸っている横で、あからさまな深呼吸が聞こえる。
一度指を刺してしまったが、彼女はまだ諦めていないらしい。
再び針を持つなまえの姿に、見守る此方にもその緊張が移ってしまい落ち着かない。
何度も言うようだが、さながら命のやり取りでもしているような緊張感が漂っていても、所詮は繕い物である。

「……あの、そんなに見られたら気が散って集中出来ないんですけど。何かご用ですか?」
「ああ。いい加減先日の返事を聞かせてくれ」
「いだー!」

またしても指を刺したらしい。
結局、話しかけようが、かけまいが指を刺すんじゃないか。

「師範、後にしてもらえませんか!? これじゃあ出来上がるまでに指が穴だらけの血まみれになっちゃいますから! どうか私の指の為にもお願いします」
「分かった……と、言いたい所だが断る」
「何で!?」
「お前はそうやって、いつも誤魔化すだろう? この間も有耶無耶にされた」

なまえから羽織と針を取り上げた。
これで指を刺すだの何だのと喚かないだろう。

「言わなくてもわかってるくせに……」と呟かれた言葉は、聞こえなかった事にしておく。
俺が聞きたいのはそんな宙ぶらりんな答えではない。
なまえの確固たる気持ちを彼女自身の言葉で聞きたいのだ。

「聞かせてくれ。お前の気持ちが知りたい」
「……っ」

部屋には俺となまえの二人きり。
邪魔立てする者も、気を逸らす物も無いこの状況で、彼女に逃げ道が残されていない事は明白だった。
まあ、往生際の悪さに定評のあるなまえだ。逃げ出そうとしたって逃してやるつもりは更々無い。

「――昨日」
「ん?」

漸く腹を括ったのか、なまえはポツリと言葉を紡ぐ。
それはあまりに唐突で突拍子のない第一声であったから、一体何の話かと思ったが今は大人しく耳を傾ける事にした。

「昨日、真菰さんに打ち合いの稽古を付けてもらったんですけど……腕を上げたね、強くなったねって言われたんです」
「よかったじゃないか。日頃の稽古の成果が出ている証拠だな」
「いやいや、よくないですよ。全然よくないです。覚えてますか? 私、強くなりたくないって言った事」
「ああ、そういえばそんなことも言っていたな」

“未熟でいいです。強い女は需要ないですし”

あの時の鬼狩りらしからぬ台詞を聞いて、俺はなまえの舐め腐った根性を一から叩き直してやろうと心に決めたのだ。

「継子の件も見込みがないって、さっさと諦めてくれるって思っていました」
「あの時からお前の魂胆など見え透いていたからな。何があっても諦めてやるつもりは無かった」

いつだったか、俺から一本取れれば継子の件を――お前自身を諦めてやってもいいと言ったが、端からその気は無かったのだと今更ながらに思い知る。
自分の事であるのに今更気付かされていたのでは世話がない。
思い返してみれば、俺はあの頃から彼女に対し、らしくも無い淡い感情を抱いていた事になる。

「えー、じゃあ最初から私に選択肢なんてなかったんですか?」
「そうだな」
「……それでも、やっぱり強くなりたいわけじゃないんですよ」

まだそんな事を思っているのかと、溜息が出る。
少しは継子らしくなってきたと思ったが、人間の根底である性根の部分は中々変わらないものらしい。
所詮は、継子(仮)であるしな。

頭を抱える日々はこれからも続いていくのかと気が重くなったが、なまえは「でも、」と言葉を続ける。
顔を上げると、彼女の瞳が真っ直ぐに俺を捉えていた。
意識をまるっと取り上げんとする彼女の眼差しは、凛としてどこまでも美しく、瞬きすら憚られそうな輝きを放っている。

「今は、好きな人の隣に立っていても恥ずかしくない程度には、強くなりたいと思っています。錆兎さんのことですよ?」

「分かりますか?」と悪戯に笑って、彼女は言う。
あの日、甘味処で俺が彼女に伝えた言葉をそのまま投げ返して来る辺り、してやられたと思う一方で、その表情が眩しくて仕方がなかった。

――嗚呼、俺はたった今、全てを彼女に奪われたのだと悟った。

徐に手を伸ばし、なまえの頬へ手を添えると、甘えるように頬を擦り寄せてくる。
愛おしいと思う以外の感情は、最早浮かんで来ない。
俺は自分が思う以上に懸想しているらしかった。

「ですから、仕方がないので正式な継子になってあげてもいいですよ?」
「……」

その言葉は、まあ、願ってもいない言わば本願のようなものだが……しかし、それは今じゃないだろうと思ってしまった。
今は、それよりも大切な事が他にある筈だ。
相変わらず彼女は甘い雰囲気をぶち壊すことに長けている。

「ええっと、師範?」
「それだけか?」
「と、言いますと……?」
「俺は存外独占欲が強いようだからな。“継子だけ”では我慢出来そうにない」

ここまでお膳立てをしてやったのだから、いい加減腹を括れと促す。

今は、師範としてでなく一人の男として彼女の全てが欲しいと望むのだから。
どうか名前で呼んで欲しいと乞えば、途端に彼女は頬を赤らめた。
何故、この程度の事で。これまで頬を赤く染めるタイミングは他にいくらでもあったと思うのだが。

まあ、そんなところも愛おしいと思えてならない俺は、随分と彼女に入れ込んでしまっているらしかった。

「もう……本当に狡いですよね“錆兎さん”は。いいですよ、全部あげますよ! だから……うんと可愛がってくださいね?」
「! ……全く、お前という奴は」

なまえは俺を狡い奴だと言うが、俺にしてみれば彼女だって十分狡いと思う。
人の気も知らないで、そうやって存分に煽ってくれるのだから。
後どれ程耐えてやれるか分からないが、いずれその身で存分に思い知ればいいと思う。

さて、この愛しくて堪らない継子兼恋人をどうやって甘やかしてやろうか?
手始めに口付けを贈ろう。
好きだと囁いて、腕に抱き、その後は稽古でも付けてやろうか?それとも好物の餡蜜を食べに連れ出してやってもいい。

なまえを膝に乗せ、目を細める。
どうやら俺は自分が思っていた以上に浮かれているらしい。

「そんな事はお安いご用だ。繕い物を済ませたら、さっそく打ち合いの稽古をするぞ? 正式な継子になった事だしな。うんと可愛がってやる」
「いや、可愛がるってそういう意味じゃないんですけど!?」

「何だか思っていたのと違います! あーもう最悪です」と、さっそく文句を垂れる彼女の口を己の唇で塞ぎ、言葉の一切を取り上げる。
これが言わずとも初めて交わした口付けだったわけだが、それはこれ以上無い程に俺達らしいと思った。

「……好きだ。もう放しはしない」
「っ、……放された事なんて一度もないんですけど」
「この減らず口め」
「ふふっ。そういう私が、好きなんでしょう?」

【fin.】
20230624


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