あの時の俺はどうかしていた。
一言で言い表すならば正にそれに尽きるのだろうが、何故か数日経過した今も心は晴れないままだった。
その一言に尽きたとしても、それで片付けてしまうには些か腑に落ちない。
すっきりとしないのだ。
それはきっと思考と行動が軋轢を起こしているからに違いない。

そこまで分かっておきながら、どこか靄のかかったような宙ぶらりんな感情を持て余しているのだ。
本当、どうしようもない。

いつまでもうだうだと考えあぐねるのは性に合わないし、ここ数日悩んだ結果が堂々巡りである以上、いっそ誰かに相談を持ちかけた方が手っ取り早いような気がする。
そうなれば、相談を持ちかける人選だが……。

真菰は――まず、おちょくられるだけだ。却下。
ならば、義勇ならどうだ?相談はしやすいが、色恋に疎そうであるし無理だろう。却下。
では女性陣の甘露寺と胡蝶辺りはどうだろうか?――いや、そもそも二人とも柱であるからそうそう会う機会は無い。俺は今すぐにこの悩みを解決したいのだから、いつ出会すともわからない可能性に賭けるなんて効率が悪すぎる。
胡蝶に関して言えば、運がよければ蝶屋敷へ赴けば甘露寺よりも可能性はあるだろうが、怪我もしていないのに訪ねるなど論外。故にこちらも却下だ。
ならば残る選択肢――三人の妻を持つ宇髄に相談するのが一番手っ取り早そうだが、彼もまた甘露寺と胡蝶同様に効率面で言えば条件が同じである。却下。

結局、導き出された答えは“誰にも相談出来ない”だった。

「八方塞がりだ……どうする事もできん」

任務帰り、往来を行きながら力無く吐き出した言葉は雑踏に紛れて消え失せた。
嗚呼、絶望的だ。

そんな時だった。途方にくれる中、雑踏に紛れて俺の名を呼ぶ声がする。
思わず歩みを止めて、声のする方へ振り向いた。

「錆兎!」

溌剌とした声が今一度俺の名を呼び、こちらに駆け寄ってくる。
黒と緑の一松模様の羽織が翻り、花札のような図柄の耳飾りがカラリと音を立てた。

「久しぶりだな! 元気そうで良かった。あれ、今日は……」
「炭治郎、お前もな。ん? ああ、なまえなら単独任務に出ているから今は別行動だ」

炭治郎は俺の周りをキョロキョロと見回して“誰か”を探すような仕草を見せる。
師範とその継子である俺となまえは普段から行動を共にしているから、今日はその姿が無い為に不思議がっているのだろう。
いくら継子だからといっても互いに単独任務は入るし、危険だと判断すれば同行させない事だってある。

「そうか……残念だなぁ」と呟いた後、炭治郎は何やら繁々と俺の顔を見てクン、と鼻を鳴らした。

「錆兎、何か悩み事でも――ふが!」
「こら、嗅ぐのは禁止だ。全く厄介な能力だなソレは」

俺は慌てて炭治郎の鼻へ手を伸ばし、ぎゅうっと摘み上げる。
勿論、これ以上感情を読み取られない為に。
もしも、炭治郎に悩んでいる事が伝わってしまえば、それは即ち真菰と義勇に伝わったも同義。
別に、炭治郎の口が軽いなどと疑っているわけではない。
ただコイツの場合は態とであったり揶揄いで口を割るのではなく、悩む俺の為を思って――つまりは、力になりたいと思っての行動であるので複雑なのだった。

全く、油断も隙もない。
大体、本来嗅覚とは匂いを嗅ぎ分ける器官であって、感情まで読み取るなど意味が分からない。
異次元だ。なんて面妖な。

「じゃあ、やっぱりさっき見たのはなまえさんだったのか……」
「なまえがどうかしたのか?」
「蝶屋敷に入って行くのを見て。でも後ろ姿だったから見間違いかと思ったんだ」
「何だと!?」

蝶屋敷で厄介になるなんて、任務での負傷以外に無い筈だ。
思わず声を張り上げて、炭治郎の肩を力一杯掴んだ。

「お、落ち着いてくれ錆兎! なまえさんならきっと大丈夫だ。自分で歩いていたから、大怪我じゃないと思うぞ?」
「あ、ああ……そうか。ならいいんだ」
「そんなに気になるなら、蝶屋敷へ迎えに行ってみたらどうだ?」

俺の心境を知ってか知らずか。炭治郎は、にっこりと微笑む。
その笑顔に既視感を覚えて、溜息をついた。

「炭治郎……お前、何だか真菰に似てきたな」

***

「げぇ!」

怪我の具合を心配して師範である俺自ら迎えに来てやったと言うのに、その第一声が“げぇ!”とは。
相変わらず俺の継子(仮)は色んな意味で期待を裏切らない。

炭治郎の話を聞いた後、水柱邸には戻らず足を向けたのは蝶屋敷だった。

自力で歩けていたのだから大怪我ではないだろうと聞いていたが、その姿は中々に惨憺たるものだと思う。
額と腕に包帯を巻き付け、頬と脚には大判のガーゼが貼られている。
この様子では、きっと隊服の下も包帯やらガーゼで手当された傷が無数にあるのだろう。

「何だその様は。修行が足りないんじゃないか?」
「んなっ、……ほっといてください」

なまえは罰が悪そうに吐き捨てて、外方を向いた。
やはり彼女も先日の出来事が尾を引いているらしい。俺に対する態度の悪さがいつもの二割り増しだ。
いや、今のやり取りで言えば、可愛げなど皆無だった。

顔を背けたまま、まるで俺を視界に入れる事すら不快だと言いたげなあからさまな態度で、なまえは俺の前を通過する。
彼女の態度、言葉、その仕草に至るまでの全てに苛立ちが募ったが、ここで怒鳴ったのでは意味がない。
俺がなまえに会いに来たのは、彼女の態度を叱責する為ではないのだから。

腕を掴もうとしたが、巻かれた包帯が目に入り、悩んだ末に隊服の襟首をむんずと掴む。
当然ながら首が締まって、彼女からは蛙が潰れたような声が漏れた。

「グエ! ちょ、何するんですか!?」
「少し付き合え」
「はい!? い、嫌です! 離してくださいよ! 錆兎さんの助平柱――ヒィッ!」

どんなに怒りを沈めようと努力しても、助平柱は頂けなかった。我慢ならなかった。
それでも、声を荒げなかった事は褒めて欲しい。
喝破する代わりにひと睨みすると、なまえは震え上がって一瞬で大人しくなる。
まるで、置物か何かのようにピクリとも動かなくなったのだった。

まあ、これはこれで運びやすいので構わないが。

***

「これは“罪滅し”の餡蜜ですか?」
「……」

置物のように動かなくなったなまえを連れて訪れた場所は甘味処だった。
いつだったか真菰になまえの事で相談を持ちかけた時もこの甘味処で、その時も通りに面した長椅子に横並びで座ったものだが、当時話題の火中であったなまえとこんな風に肩を並べて座る日が来ようとは。

あの時と比べて俺達の関係は随分と良くなったと思ったのだが、そんな事はない。
良くなる所か今は最低な状況だった。
まあ、その状況を作ったのは俺自身であるのだが。

ジト目で俺を見ながらも、ちゃっかりなまえはその餡蜜を頬張っている。
あれだけ俺を毛嫌いしていたくせに。
好物を前にすると、我慢ならないらしい。

「まあ、それも有るが……。どちらかと言えば、この間の礼だ。餡蜜で手を打つと言っていたろう?」
「あ……(膝枕の)」

“この間の礼”で思い至ったらしい。
ほんの少しだけ、彼女の表情が和らいだ気がした。

「わ、私……まだ怒ってるんですからね! 師範がどうしてもって言うから、仕方なく付き合っているだけですからっ」
「ああ」

それは口元に餡子を付けて言う台詞ではない。
仕方なくと言いつつも、満更でもない様子で餡蜜に舌鼓を打っているのだから。

確かにあの日、あの時に俺がとった行動はらしく無かったと思う。
彼女にしてみれば、俺の感情の起伏に巻き込まれ、とばっちりを受けただけに過ぎないのだ。

「家宝の恨みは根深いですから!」
「は?」

思わず間の抜けた声を上げてしまった。

お前が拘っているのは、そっちなのか?俺の行いでは無く?
そもそも、その家宝とやらを俺の口に根こそぎ突っ込んだのはお前だろう。
……まあ、その引き金となったのは俺の行動だが。

怒っていると主張しながらも、好物の餡蜜を頬張るなまえの顔面は至福に蕩けている。
そんななまえを目の当たりにし、項垂れた。
俺は一体、今まで何に腐心していたのかと馬鹿馬鹿しく感じてしまう。
彼女に気付かれないよう、傍で静かに笑みを溢した。

「……悪かった」
「んぶ!? し、師範が……謝った……」

なまえは失礼極まりない言葉と共に咽せる。

コイツは俺を何だと思っているのか、一度膝を突き合わせて話さなければならないだろうか?

「分かりました。もういいです。本当はちょっとびっくりしただけですし……。どうせ私がまた知らず知らずのうちに師範を怒らせるような事を言ったんでしょう?……もう一杯餡蜜追加で手打ちにします」
「……こんな胸焼けを起こしそうな物を、まだ食べるのか?」
「好物は別腹です! 任務後だから、お腹が空きました」

横に座って、彼女の食べっぷりを見ているだけで口の中が甘ったるく感じる。
それこそ、先日一生分の金平糖を食べたので、暫く身体が甘いものを受け付けない。
思い出しただけで胸焼けが起こりそうだ。

「すみません、おかわりください!」と、元気いっぱいに餡蜜の追加注文をするなまえを視界に捉えていると、不意にこの感情の出口を見つける。
誰にも相談出来ず八方塞がりだと嘆いた、そこ感情の答え。

今思えば、随分前からその兆しはあったのだ。
抱え込んだ感情は思考と行動の端々に確かに滲んでいたのに、俺が気付かない振りをしていただけで。

「これで何もなかったことにしましょ――っ、」

徐に伸ばした手で、口の端に付いた餡子を拭う。
口の端を擦った親指の腹が唇に触れ、なまえは身体を強張らせる。

「し、はん……?」
「忘れなくていい。俺の、自分の行いについては謝る――が、なかった事にはしなくていい」
「へ? えっと……」
「その意味が分かるか?」

静かに諭すような口振りで問うと、彼女は困惑しつつ身を退く。
身を退いた分だけ距離を詰めて、交わった視線を逸らす事は許さないとばかりに、真っ直ぐになまえを射抜いていた。

「なまえ――」
「うぎゃ!」

名前を呼んだ瞬間、先程まで目の前に居たはずのなまえの姿が視界から消え失せる。

あろう事か、なまえは身を退き過ぎた末に長椅子から転がり落ちてしまったらしい。
一瞬の事であったから何が起こったのか思考が追いついていないようで、転げ落ちたままの体勢で固まり、間抜けな表情で双眸をぱちくりとさせながら空を仰いでいた。

「ぶはっ、はは! おい、大丈夫か?」
「ダイジョバナイデス……」

そうだろうな。
お前の言葉をそっくりそのまま借りるとするなら、俺も“だいじょばない”のだから。

さて、厄介極まりないこの胸の内をどうやってお前に思い知らせてやろうか?
この瞬間でさえそんな事ばかり考える俺は、思っていたよりも随分と甘ったるく胸焼けの起こりそうな感情に当てられているらしい。


20230622


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