「……もういい。そっちがその気なら、私にだって考えがあるんだから!」

今し方読み終えたばかりの手紙は、怒りで打ち震える私の手の中でぐしゃりと音を立ててひしゃげた。
怒りにまかせ、乱暴に屑籠へと叩きつけるかの如くそれを放った。
数秒前まで手紙だったそれは、今では目も当てられないほどにぐしゃぐしゃに丸められて紙屑と化している。

今回ばかりは我慢ならなかった。
兄宛に届いた弟からの手紙を読んでしまったばかりに、私の怒りはいよいよ頂点に達し、そのまま迫り上がる溶岩のように怒りの感情が爆発してしまったのだ。

家族であれど、兄妹であれど、自分宛ではない手紙を許可なく勝手に開くなど不躾な真似を働いたと思う。
けれども、そこに認められているであろう内容が十中八九他の誰でも無い自分の事であるならまた話は別であって……私はその手紙を開き、読んでしまったのだ。
読んだが最後。結果、私は一つの選択をする羽目になってしまったわけだが……。
しかし、自分の人生を他人に決められるより何倍もいい。

手紙の内容に辟易としていた。
結局、何も変わらない。こうして家を飛び出したって何も変わらず、私を連れ戻し、見合いの席に着かせようとする。
父も、兄も、弟も――何故私がそこまで反発して行動を起こしたのか、てんで理解していないのだ。
彼等にはせいぜい我儘で不肖の娘として映っている事だろう。

皆嫌いだ。大嫌いだ。
少しも理解しようとしないで、ほんの僅かな歩み寄りもなく、見合いだの嫁げだの何だのと勝手な事ばかり。
私の気持ちを考えてくれない父も、父に言われるがまま手紙を認める千寿郎も、それから――私から唯一の居場所を取り上げようとする兄も。

“鬼殺隊を辞めて家に戻ると約束してくれ”

兄上だけは違うと思っていた。兄上だけは、私の気持ちを慮ってくれると信じていた。
信じたかったのだ――大好きで、誰よりも尊敬する自慢の兄であったから。
兄上だけは二人とは違うと信じて疑わなかったから。

家に帰れと告げられた辛さも悲しさも一入だったのだ。

「兄上なんて、大っ嫌い……!!」

ピシャリと玄関の戸が外れんばかりの勢いで閉め、足音高く炎柱邸を後にした。

***

先程、此方にも考えがあると啖呵を切ったわけだが、正直、勢いそのまま感情の赴くままに炎柱邸を飛び出した為、行く当てなど無かった。

行く当てはないが、このまま炎柱邸に住う以上は父の息が掛かる。故に、出て行く他に選択肢は残されていなかったのだった。
炎柱邸に住う限りどんな言葉を持って反発しようとも、態度で示そうとも、所詮は兄に依存している事になる。
現状を託っていても何も変わらない。
いくら見合はしないとごねようと、鬼殺隊を辞めないと反発しようと、ただの我儘止まりなのだから。
そこには確固たる覚悟が存在していたと思う。

どんどん遠のき、小さくなる炎柱邸を背に、振り向く事もせずただ前だけを見て、ひたすらに歩んだ。

誰に頼った所で、私は結局家に連れ戻される運命ならば、盛大に争ってやろうと思う。
だってこれは私の一度きりの人生であるのだから。他の誰でも無い、自分自身の。
だから、私が決める。家に帰って見合いをするか、はたまた鬼殺隊で生きて行くか。
そしてもう、兄上には頼らないと決めた。

「もしかして……なまえちゃん?」

目的も無く往来を行く中、不意に名前を呼ばれて歩みを止める。徐に振り返ると、そこには懐かしい姿があった。
まだ私が鬼殺隊の鬼の字も念頭になかった頃、彼女が兄上の弟子として煉獄家で鍛錬に励んでいた時以来の再会だった。
二つしか歳は離れていなかったが、その頃姉という存在に憧れていた私を実の妹のように可愛がってくれたものだ。
そんな蜜璃さんが大好きで、姉のように慕っていたのが懐かしい。

「! 蜜――……恋柱様! お久しぶりです。ご無沙汰しております」
「やっぱりなまえちゃんだった! そんなに畏まらないで、昔みたいに“蜜璃お姉ちゃん”って呼んでくれていいのよ?」
「い、いいえ! それは、流石に憚られます……!」

思わず昔のまま“蜜璃さん”と呼びかけて、慌てて恋柱様と呼び直すと、蜜璃さんは少し寂しそうな顔をする。
相変わらずその隊服から溢れ出そうな豊満な胸に視線が釘付けになってしまう。
自分の洗濯板のような絶壁とは比べ物にならない。いいな。羨ましいな。

いくら寂しげな顔をされても、流石に柱である彼女を“蜜璃お姉ちゃん”と気安く呼べなかった。
因みに、もっと言えば私は蜜璃さんを“蜜璃お姉ちゃん”と呼んだことはなく、正しくは“蜜璃姉様”、もしくは“姉上”だったと思う。
まあ、今となっては“姉上”だろうと、“蜜璃お姉ちゃん”だろうと、“蜜璃姉様”だろうとどうでもいいけれど。
今の彼女は、かつての兄の弟子ではなく、今や鬼殺隊の最高位に立つ柱の一人――恋柱であるのだから。

「そうよね……流石に恥ずかしいわよね。うん、じゃあ“蜜璃さん”って呼んでもらえたら私、すっごく嬉しいわ」
「えっと……」

恐れ多いのではないかと思いつつも、蜜璃お姉ちゃんよりは幾分増しだと思い、遠慮がちに「蜜璃さん」と呼べば、花が咲いたような笑みを浮かべてくれた。
その笑顔が、かつて姉と慕った当時の彼女と今も何ら変わっていないのだと物語っていて、甚く嬉しく感じられた。

「なまえちゃんが鬼殺隊に入ったって言うのは聞いていたから、会えてすっごく嬉しいわ! そういえば、今は煉獄さんのお屋敷に一緒に住んでるの?」
「住んでいたんですが、今し方出てきたばかりです。私はこれから“煉獄杏寿郎の妹”ではなく、“煉獄なまえ”という自立した一人の人間として生きて行くと決めました!」
「え!? それは、ええっと、煉獄さんと喧嘩を……しちゃったの?」

――兄妹喧嘩。

やはり第三者から見れば、そこにどういった事情があろうと、兄弟喧嘩と要約されてしまうものなのかもしれない。
当事者としてはそんな生温い言葉では片付けられない程の葛藤がそこには存在しているというのに。

他言するのを憚られる兄との諍いも、姉と慕った蜜璃さんになら打ち明けられると思い「実は……」と口を開いたところで、蜜璃さんは目と鼻の先にある茶屋で休憩をしようと提案してくれた。

任務も入っておらず、行く当てもない私には願ってもいない提案であるが、柱である蜜璃さんはこんな所で平隊士とお茶をする時間があるのだろうか?
柱は常に忙しいのだと聞いていたのだけれど……。
しかし、忙しいながらも、かつて師と仰いだ兄上の妹である私の為に時間を割いてくれたのかもしれなかった。
ここでも、私は兄の威光にあやかっているのかと思うと複雑だった。

「……そう、それは辛かったわよね」

事のあらましを蜜璃さんに話し、胸中を吐露すると、意外にも彼女は私の気持ちが良く分かると寄り添ってくれた。
自分も同じ思いをしたことが――見合いをした経験があるのだと。
そして、見合の話に加えて兄に鬼殺隊を辞めるよう進言された事も話した。
蜜璃さんならばきっと私の気持ちを理解してくれる筈だと思っていたのに、しかし、それに関してだけは思案顔で私の背をそっと撫でてくれた。

「うん、うん。なまえちゃんの気持ちは良くわかるわ。でも、鬼殺隊の事は……煉獄さんの気持ちも分かるから、どっちが正しくて、間違っているって言えないかも……」
「……それは大人しく言う事を聞いて見合をしろと強要しているのと同しだと思いませんか? 父と弟と同じです。私はただ……兄上には――」

そんな台詞を言われたくなかった。
寄り添って貰いたかったのだ――兄上だけには。

見合いをしないで済むように掛け合うと言ってくれたのに、蓋を開けてみれば、見合いの席を設けてあると言った旨が手紙に記されていたのだから。
二重の意味で悲しかったのだ。落胆した。そして――腹立たしかった。

「煉獄さんは、なまえちゃんの事がとても大切だから、憎まれ役を買って出てでも、なまえちゃんを危険から遠ざけたかったのね」
「……私の幸せは、何処の馬の骨とも知れない男との結婚よりも、兄上と此処で――鬼殺隊で共に過ごす事なのに」
「なまえちゃん……」

たとえ、いつ落命するとも知れない場所であろうとも、それでも共に在りたい。
けれど、昨日の兄の様子を思えば、ありのままを披瀝したところで歯牙にも掛けないだろう。
それだけの決意が兄からは伝わってきた。だから、こうして決別する他無かった。

あれだけ憤慨して炎柱邸を飛び出したと言うのに、蜜璃さんに胸の内を吐露してしまえば、もう既に兄が恋しいと感じてしまっている。なんとも情けない。

「蜜璃さんは、どうして鬼殺隊の隊士になられたのですか? 蜜璃さんもお見合いをされたんですよね? それでもやっぱりお見合いが納得いかなかったから鬼殺隊に?」
「ええっと……私の場合は、その……言っちゃってもいいのかなぁ」
「是非、聞かせてください!」

見合いをしても、鬼殺の――修羅の道へ進むと決めた方だ。
今まで兄の厳しい稽古に脱落する隊士を何人も見てきた中で、見事にやり遂げ、しかも女性で柱の地位に就くまでの精神力。
さぞかし立派な志があるのだろう。
私は期待に瞳を輝かせて蜜璃さんの言葉を待つ。
しかし、彼女の口から出た言葉は予想だにもしないものだったのだ。

「一生添い遂げる殿方を探すためなの……!」
「……へ? 添い遂げる……と、殿方……?」
「きゃー! 言っちゃった!」

これには言葉を失ってしまった。二の句が継げない。
いや、それは蜜璃さんが決めた事なのだから、私がどうこう口を出す事で無いと重々承知しているけれど。
しかしながら、呆気に取られてしまったと言うのが正直な感想だった。

両手で頬を覆い、くねくねと可愛らしく身体を揺らしながら顔に含羞の色を浮かべる彼女の姿は、私の目にはとても新鮮に映る。そして、とても眩しかった。

「ねえ? なまえちゃんは、どんな殿方にときめいちゃうの?」
「え!? そ、それは……」

きっと、その質問はただ単に好みを尋ねられているだけではなく、どんな男性なら鬼殺隊を辞めて添い遂げる覚悟が持てるのかと問われているように感じた。
実際にそうなのかもしれないし、けれど、それはただの勘ぐりに過ぎず、蜜璃さんは純粋に“恋バナ”がしたいだけなのかもしれない。

しかし、好みの男性か――。
ただただ見合いが嫌で添い遂げたい殿方云々を全く考えた事がなかった為、直ぐには言葉が出てこなかったが、顎に手を添えて、思いを巡らせてみる。

ぽつりと一言呟いてみれば、そこから先は不思議と淀みなく言葉が口を衝いて出る。
それはまるで“誰か”を準えているように。

「強くて……正義感に溢れていて、揺らぐ事の無い信念と意志を持った人です。その力に奢らず、弱き者を守る優しさに変えられる人――」
「ふふっ」
「えっと……何か可笑しかったでしょうか?」
「ううん、その男の人って何だか煉獄さんみたいだなぁって思っちゃって。やっぱりなまえちゃんは“お兄ちゃん”が大好きなのね」
「!」

その言葉にはたとした。
確かに、私が上げた特徴は兄上に限りなく近いかもしれない。
長い間傍にいたから、無意識に尊敬する兄を連想してしまったに過ぎないかもしれないが、私が理想と準えたのは奇しくも兄その人であったのだ。

「そう、かもしれません……ううん、そうですね。やっぱり、私は兄上が大好きです。尊敬しています」

今でこそ仲違いをしているが、それでもやっぱり私にとって兄上の存在は大きく、無意識下でこの身に刻み込まれているようだった。

蜜璃さんは、素直に気持ちを口にした私に対して愛らしい笑顔で微笑むと、よしよしと慰めるような手付きで頭を撫でてくれた。
やっぱり蜜璃さんはお姉ちゃんみたいだなと思った。
それは、うっかり姉上と呼びそうになってしまったくらいには。

「もしも、行く所がないんだったら恋柱邸に来てね。喧嘩して飛び出したままじゃ煉獄さんも心配するわ。勿論、私も」
「ありがとうございます、蜜璃さん。でも――」

言いかけたところで、私の鎹鴉が頭上を旋回して「任務ゥー!」と鳴いた。

「任務が入ったので、もう行かないと。蜜璃さん、話しを聞いて下さってありがとう御座いました!」
「ううん! 私も久しぶりになまえちゃんとお話し出来て嬉しかったわ。今度我が家へ遊びに来てね。蜂蜜たっぷりの美味しいパンケーキご馳走するわ」

「任務頑張ってね!」と、蜜璃さんに背中を押してもらって、私は任務へ向かう。

蜜璃さんに話を、私の心境を話しておいて本当に良かったと思う。
これでもし、私の身に何か起こったとしても――この思いだけはきっと兄上に届くはずであろうから。


20230207


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