なまえは俺の妹であり、千寿郎の姉であり、父と母の娘である。
しかし、彼女には大っぴらに出来ない少々複雑な事情があるのも、また事実。
兄妹という間柄であるが、そうではない。俺となまえの間に血の繋がりが無いからだ。
もっと言えば、千寿郎。そして、両親共に彼女とは血の繋がりがない。
有り体に言えば、彼女は煉獄家にとって全くと言っていい程に、血縁の無い娘なのである。

その事実を口にしてしまえば、いよいよ彼女の出生が気になる所であろうが、正直な所、俺自身も彼女を煉獄家の長女として迎え入れた経緯を良く覚えてはいなかった。
だからこれから語る一部始終は、俺が母から伝え聞いたものだ。
母は、亡くなる前になまえを俺に託したのだと、そう思っている。

今から約十七年ほど前の話。俺がまだ年端も行かぬ頃であったらしい。
その日、父は任務へ就き鬼を切ったが、襲われた家族は既に事切れていたと言う。
そして、亡くなった母親の腕の中には生まれて間もない赤子が抱かれていたそうだ。それがなまえであった。
両親が亡くなった事も知らず、その赤子は鬼の血で濡れた刀を握る父を見て無邪気に笑ったらしい。
刃を振るい、悪鬼を屠るこの手を、指を――小さな小さな手が握り締めて放さなかったのだと。
両親は死に、雪の降る寒い夜に赤子一人残されるという事は、即ちその子を待ち受ける運命は死のみ。
両親を救ってやれなかった。もう少し早く辿り着いていれば、この子の将来はまた違ったものになっていただろうに。
荒屋のような住まいから、決して贅沢な暮らしではなかっただろう。しかし、この子の人生は両親の愛情を一身に受けて、慎ましくも幸せなものになっていたのかもしれない。
そう思うと、父はその赤子を放ってはおけなかったそうだ。
柱でありながら、この子の両親を救ってやれなかった――始まりこそ悔恨の念であったのかもしれない。至らなかった自分への戒めで、この子への罪滅ぼしであったのかもしれない。
それでも、誰に何と言われようとも、俺はあの日の父の選択は決して間違ってはいなかったと、心からそう思う。

そして十八年が経った今、あの日の名も知れぬ赤子は、煉獄なまえとしての人生を送っている。
血縁がない?それがどうした。
本当の兄妹ではない?そんなもの、彼女が父の腕に抱かれ、煉獄家の敷居を跨いだ瞬間から俺の守べき大切な妹である事実になんの揺らぎもない。

愛おしい、俺の妹だ。

***

「ただいま戻りました」
「お帰り、なまえ。怪我は無かったか?」

玄関で愛らしい声がして、独り言にもとれそうな言葉に返事をしながら出迎える。
すると、草履を脱いでいたなまえは一瞬ピタリと動きを止めた後、驚いたように顔を上げた。
そして、見開いていた双眸を細め、くしゃりと表情を可愛らしく緩めて「兄上!」と俺を呼んだ。

「こんな時間に兄上が屋敷にいらっしゃるのは珍しいですね」
「俺も今し方戻ったばかりでな。少々厄介な任務を抱えていたんだが、やっと片付いた。今日は火急の任務が入らない限り屋敷に居ようと思う」
「そうですか。兄上もお疲れ様でした」

なまえが見合いを脱走してふた月と数週が経ってしまった。うかうかしていると直にみ月が経ってしまう……!
こんな筈では無かったのだが……よもやだ、よもや。

あれから何度か千寿郎から文が届いたのだが、しかし、一向になまえは鬼殺隊を辞め、実家へ戻る気配はない。それもそうだ、千寿郎と文のやりとりをしてはいるものの、その旨を当事者であるなまえに何一つとして伝えられていない。
俺も柱であるからそれなりに忙しく、こうして同じ屋根の下に暮らしていても、なまえと顔を合わせる機会はあまりない。
なので、今日はとても珍しい事なのだ。即ち、話をするなら今日しかない。
今日を逃せばいつになるのか分かったものではないからな。

さて、となればどのタイミングで話を切り出すかだが……。
二人分のお茶を盆に乗せて縁側へとやってきたなまえは、俺の気も知らずあっさりと先に口を開いてしまった。

「聞いてください兄上。先の任務では、炭治郎くんと善逸くんと伊之助くんとご一緒しました。とても賑やかな三人組で、任務だと言うのに、あんなにも楽しい時間を過ごしたのは初めてでした」
「む、その三人組とは……もしや」
「炭治郎くんは額に痣のある少年です。私の兄は炎柱だと伝えると、兄上によろしくと言っていましたよ? 以前とても世話になったと、炭治郎くんは特に嬉しそうに話してくれました」
「溝口少年だな! あとは黄色い少年に、猪頭少年も! そうか、三人は息災か!」
「……兄上、炭治郎くんは竈門少年です。あとの二人は……強ち間違いではないですけれど」
「そうだったな! 竈門少年だ!」

「相変わらずですね」と、なまえは苦笑しながら湯呑みを差し出す。
俺と彼女を包むこの和やかな雰囲気がいつまでも続いてくれるなら、どれだけ幸せであろうか。

「今度、善逸くんと双六をする約束をしました。伊之助くんと山の探検をする事も。後、炭治郎くんが妹を紹介してくれるそうです」
「そうか。それは楽しみが沢山だな」
「はい! とても楽しみです。もっと彼らと仲良くなりたいです」

その笑顔を見ていると、益々、鬼殺隊を辞めろと言い辛くなってしまう。
こんなにも輝かしい笑顔を、俺は彼女から奪うのだから。俺自身のエゴで、俺は彼女の生き甲斐を奪う。

なまえは何かを感じ取ったのか、先手を取るが如く「兄上」と、続けて言葉を紡いだ。

「私、やはりお見合いを抜け出して鬼殺隊に入って良かったです。沢山の方と出会い、交流を持てて。時には心痛める事もありますが、この手で刃を振るい、鬼を屠る事で少しでも多くの人の命を救いたいと切に願っています」
「……そうか」
「はい。ですから兄上、これからもご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いしますね。ああ、そうです! 兄上、早速これから稽古をつけてくれませんか?」

言って、なまえはやる気満々とばかりに隊服の袖を捲り上げた。
しかし俺は、袖の下から覗いた白い細腕に残った傷痕を見て唖然としたのだ。

「なまえ……どうしたんだ、その傷痕は」
「え? ああ、これはこの間鬼との戦闘で負った怪我ですが……ああ、でも大した事ないです! この程度、日常茶飯事ですから」
「これのどこが大した事ではないんだ!!」
「!」

こんなにも大声で彼女を怒鳴った事など今までの人生において一度として無かったものだから、なまえは驚きに双眸を見開いて、固まった。
逃すまいと細い手首を掴んで、腕に残った傷痕を再度よく眺める。傷痕に掌を当てがい、労る様にそっと撫でた。
痛ましいそれに、俺は直ぐには言葉が出て来ず悲痛に顔を歪めた。

「あに、うえ……?」
「お前はまだ、嫁入り前の娘だろう……それなのに、こんな傷を作ってしまって。それに、聞けばこの程度が日常茶飯事だと言っていたがどう言う事だ?こればっかりは流石に聞き捨てならんな」
「……」

彼女が俺の問いに対し、押し黙る時の理由はいつも二つある。
一つ目、罰が悪い時。
二つ目、それが図星であった時。
さあ、今日はどちらの意味合いだろうな?おそらく、二つ共だと俺は踏んでいるが。

腕を引こうにも、俺の握力を前にびくともしない事実に、彼女は遂に観念したらしかった。
「俺は、お前から怪我は無いと報告を受けていた筈だが?」と、低く唸るような声で問うと、なまえは居た堪れないとばかりに視線を床へと落とした。
だんまりを決め込んだところで、現状は好転しないと思ったのだろう。渋々といった様子で口を開く。

「少し……です。本当に、ほんの少しだけ傷を作ってしまいました。黙っていてごめんなさい、兄上」
「! ……なまえ」
「でも、致命傷というわけでは無いです! 此処と、二の腕、後は鎖骨の辺りに薄らとあるくらいで。心配には及びませんよ? 大丈夫です! ほら、この通り。ですから兄上、私を……」

なまえは必死に言葉を紡ぎ、俺に訴えた。
けれども、彼女がその全てを吐き終えることは叶わなかった。
俺が、傷付いたその華奢な体躯を腕に掻き抱いたからだ。
全てを聞かずとも分かる。俺はお前の兄であるから。

“どうか、家に連れ帰らないで”

なまえ、お前はそう言いたいのだろう?
分かるとも、お前は此処(鬼殺隊)に居場所を見出してしまったのだから。
あのように瞳を輝かせて語るお前を、俺は久しく見ていなかった。

抱きしめたこの身体には、少なくとも後二つ俺の知らない傷がある。
痛かったろうに……出来るなら俺が変わってやりたい。痕にまでなってしまって。それが叶わなくとも、せめて俺がお前を守ってやれたなら。

「相変わらず、お前の髪は艶やかで美しい」
「髪……ですか?」
「その肌も、白く美しかったというのに、惜しいことをした」
「あの、兄上……?」
「すまない、なまえ。俺はお前の気持ちを知っている。だから、無理に見合いをしろとは言わない。しかし、このまま鬼殺隊へ置いておくつもりも毛頭無い」
「そんなっ! 兄上!!」

弾かれたように胸から顔をあげたなまえは必死の形相で俺に追いすがる。けれど、俺はそれにとてもじゃ無いが頷いてやれなかった。分かってくれと宥める事しか出来ずに。
彼女がどうしても此処へ残りたいと訴える気持ちと同じ様に、俺も彼女をどうしても此処から遠ざけたい。

「言う事を聞きなさい、なまえ」
「っ、」
「見合いの件は白紙になる様、父上には俺からその旨を認めた手紙を送り、説得する。だからお前も鬼殺隊を辞めて家に戻ると約束してくれ。分かったな?」

狡い兄だと罵ってくれていい。酷い兄だと軽蔑してくれ。その程度いくらでも受け入れる。
お前がこれ以上無茶をせずいてくれるなら。
お前の気持ちを知って、あの瞳の輝きを見て、それでも俺はお前に残酷な言葉を告げたのだから。

20200716


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