なまえを送り出してから二週間と少し程経とうという頃、俺は管轄地区巡回の任を早々に切り上げて、柱合会議へと臨んでいた。

その重要な会議中も頭に過ぎってしまうのは手の掛かる無鉄砲な妹の事ばかりである。

任務は無事に済んだだろうか?
怪我は無いだろうか?
今、何処で何をしている?

文の一つでも寄越せば、ここまで気を揉む事は無いのだろうが……。何分、替えのきかない大切な妹だ。
兄として、気掛かりであって当然だ。
丁度いい機会であるし、なまえが蝶屋敷に運ばれるような事があれば、直ぐに俺の元へ知らせが貰えるよう、胡蝶に頼んでおくとしよう。そうすれば要らぬ心配をして気を揉む事も無くなるだろう。

「おい、煉獄」

柱合会議を終え、胡蝶の姿を探す俺に声を掛けてきたのは、どういうわけか音柱の宇髄であったから、俺の脳内は疑問で埋め尽くされる。
少なくとも彼に声を掛けられる所以は無いからだ。合同での任務も入っていないしな。

「む、どうした宇髄。何か俺に用か?」
「用っつーか、ずっと会議中上の空だっただろ? お前にしては珍しかったからな。何かあったのか?」
「!」

流石は“元忍”であると、感心せずにはいられなかった。
その洞察力は“元”と付いていても健在なようで、俺の僅かな心の機微から来る綻びを、彼は見逃してくれなかったらしい。

何かあったのかと問われ、ああその通りだと答えたところで――宇髄には申し訳無いが、この現状が改善し、なまえが鬼殺隊を退き、おとなしく家に帰ってくれるとはとても思えない。
しかし、いつだったか彼には三人の妻がいるのだと聞かされた事がある。
それはつまり、俺よりも女心というのか、女という生き物に精通し、理解を得られているのではなかろうかと、はたと気付く。
もしもそうであるなら、その知恵と知識を分け与えてもらえれば、少しでもなまえを家へ帰らせる方向へと導けるのでは無いかと思った。

胡蝶の姿はもう見えない。
それならば、此処は一縷の望みを眼前の色男に掛けてみるというのも存外いいかもしれん。

「実は妹の事なのだが――」と、悩みを打ち明け始めた俺に気を良くしたのか、それとも俺の口から“妹”という言葉が出た事に面白がったのかは知れない。
宇髄は、その長身を僅かに屈めて興味津々とばかりに俺の話に耳を傾けたのだ。

***

「おいおい、そりゃあマジな話か? 見合い相手の前歯折って鬼殺隊入りとはお前の妹最高に派手だな! 気に入った」
「よしてくれ……笑い事では無い」

産屋敷邸からの帰り、町の往来を行きながら事の仔細を宇髄に話した。
クツクツと喉を鳴らしているかと思えば豪快に笑い飛ばして、終いには最高に派手で気に入ったとまで口にしたのだった。

宇髄にとっては最高に派手で面白おかしい出来事であったのかもしれないが、俺にとっては全くもってそんな事はなく、寧ろ頭を抱えるばかりの悩みでしかない。

「そうか? 俺は悪くねぇと思うけどな。お前の妹みたいな芯の通った女は特に自分の将来は自分で決めたがるもんなんじゃねーの?」
「確かに芯は通っているが……しかし、」
「やめとけ。ああいう性格の女は無理に連れ戻そうとしたって、余計拗れるぞ」
「むぅ、……そういうものだろうか?」

――自分の将来は自分で決める。
確かになまえは、宇髄の言う様に身の振り方は自身で決めたがる性格だと思う。
だとすれば、今こうして妹を案じる兄としての気遣いも彼女にとっては柵でしか無いと、そういう事になってしまうのではなかろうか。
どうしたものか……その意見に、かえって混乱を極めてしまったようだ。

俺は兄として、妹をどのように導いてやる事が彼女の為であるのか。

なまえはまだ十七だ。確かに見合いだの何だのと、事が早々過ぎたのかもしれない。
しかも、それは彼女の意思も何も反映されてないのだから尚更だ。

そういえば、任務が次々と舞い込んでしまって、結局俺はあの日からなまえと何も話せていない。
きっと、千寿郎や父上を含め、俺も彼女にとって自分を家に連れ戻そうと企む一括りとして数えられているのかもしれない。
十把一絡げの扱いを受けるのは些か不服であるが、状況的に仕方がなかろう。
だとすれば、彼女が俺の話に耳を傾けず、一方的に捲し立てるような物言いで跳ね除けていた事も合点が行く。

「俺は何も家に戻って見合いを仕切り直せと言いたいわけでは無いんだが、どうにも話を聞き入れなくてな……頭を悩ませている。どうやら鬼殺隊に身を置く事が肌に合っているらしい」
「なら、俺が嫁に貰ってやろうか? そうすりゃあ、鬼殺隊に在籍したままで構わねーし、見合い結婚もしなくて済むだろ? どうだ、派手に名案だと思うけどな」

再度クツクツと喉を鳴らす宇髄は、面白半分でそう言っているのだと分かっている。
彼のいつもの洒落のきいた冗談だ。けれどそれも、今回ばかりは酷い冗談だ。

「……宇髄」
「おっと、本気にすんなよ煉獄。今のは冗談だって分かってんだろ?」

無意識下で、俺は剣呑な目付きで宇髄を見ていたらしい。
彼の言葉にハッとし、意識を正常に戻したところで「ああ、すまん」と、短く告げた。
自分でも一瞬の内に腹の底から湧き上がった感情に戸惑った。あれは一体何であったのか……。

「だが、やはりきちんと話し合わなければならないとは思っている。本人が何と言おうと、俺はなまえがこのまま鬼殺隊に属したままというのは納得出来ない」
「もしも、妹がそれを望んでもか?」
「無論だ。……贅沢は言わない。多くも望まない。俺はただ、なまえが“人並みの女性の幸せ”というものに囲まれてこれからを生きて欲しい」

間違っても、常に死と隣り合わせである環境に身を投じて欲しくは無い。
心から慕う相手を見つけて、子宝に恵まれ、その生涯を閉じる時“嗚呼、幸せな人生だった”と思い返せる日々を送ってもらいたいと願う。ただ、それだけだ。

「実際、それが今のお前ら兄妹には一番難しい事なんだろうけどな」
「全くだ……どうすれば聞き入れるのか。骨は折れるが、気長に説得するしかなさそうだ」
「大変だな、兄ってのも」
「ああ。だが――」

言い掛けて、宇髄との会話はそこで途切れた。
それもその筈、俺と宇髄が並び歩く前方からは今し方話の渦中であったなまえが此方に向かって歩いて来ていたからだった。

「宇髄、相談に乗って貰って助かった! 感謝する!」
「ん?おお、別に礼を言われるような事はしてねぇよ」
「あと、妹はいくらお前でも嫁にはやれん! すまんな!」
「オイ、だからあれは冗談だって言っただろ」

冗談であった事は重々承知しているが、念の為だ。
念押しはいくらしておいても悪くはないだろうからな。

宇髄と別れ、羽織を靡かせながらなまえとの距離を詰めるように歩を進めると、他へ逸れていた瞳が俺を捉えた。

「兄上……!」

そして、此方に気付いたなまえは愛らしく表情を綻ばせ、俺の元まで駆け寄って来る。
実に二週間振りの再会であったからか、屋敷を立つ前のぶすくれた表情はすっかり消え失せて、そこにはただ純粋に兄である俺を慕う妹としての姿があった。

「なまえ! おかえり。何処も怪我は無いな?」
「ただいま戻りました! はい、この通り大事無いです。兄上も任務帰りですか?」
「いや、今日は柱合会議だったのでな。この後も特に任務は入っていない」
「そうですか! では兄上、共に屋敷に戻りましょう! 兄上に聞いて頂きたい話が沢山ありますっ」

急かすように腕を引く無邪気な姿に、自然と目尻が下がる。
頭をそっと撫でてやると、なまえは心地よさそうに目を細め、それを素直に受け入れた。

嗚呼、そうだった。俺の妹はこうも愛らしいのだった。
手のつけられないじゃじゃ馬で、跳ねっ返りであるが、その分こんなにも愛らしく意地らしい一面も持ち合わせている。
この笑顔を見る度に何があっても俺が守ってやらねばと思ってしまうのだ。

「うむ! では、そうするとしよう」
「はい!」

兄妹仲睦まじく並んで家路に着く姿を、宇髄は何を思って眺めていたのかは知る由もない。
ただ断言出来るのは、今も昔も、傍を歩く愛らしい妹の幸せを切に願っているという事だ。

“兄として”

「(あれはただの兄って顔には……見えねぇけどな)」

20200705


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